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閑話。クマーラ・ジュールの苦難の日々の始まり。
私はクマーラ・ジュール。生きる伝説たるアベル・ユーリア・レイベスト様の専属料理人。
どうしてこんな大役を仰せつかったのか未だに理解が追い付いていない・・・・・・。
ローレラント王国の西部に位置し海に面したクシュラ公爵領都ケセルタに生まれた私は、幼い頃から料理人になる事に憧れていた。
別に実家が料理店をしていた訳でも、料理神が料理人な訳でもない。
ただ、私が料理人になりたいと何時の間にか料理人になりたいと願っていただけ。
そんな私の夢に家族も理解を示してくれて、十五歳で成人すると共に王都ローレライの料理店で働く事が出来た。
もっとも、最初の一年は下働きばかりで賄いすら作らせてはもらえなかったが、野菜の下処理などをこなしながら熟練の料理人たちの技術を盗んでいく日々は充実していた。
翌年からは少しずつ料理の腕も認められて、厨房の一員として次第に腕を振るえるようになっていった。
そして、料理人として働き始めて五年目の今年、少しずつ貯めてきたお金で屋台を出すめぼしも付いたので、この国の冬の最大のイベントである美食コンテストに参加する事にした。
一般に料理フェスタとも呼ばれるこの国の最高の料理人を選ぶコンテスト。
かつて予選会である屋台から勝ち上がり、見事優勝を果たしたローレラント最高の料理人ゼクルト宮廷料理長が出て以降、国外からも多くの料理人が集まり、参加総数は数十万人を超える一大イベントへの参加は胸が高鳴る。
いったい、自分の料理はどのくらい通用するのか?
期待と不安を胸に。、勝負の時を迎えた。
初出場と言っても、実は去年、出場した先輩の屋台の手伝いを少ししていたため、ある程度かっては判っている。
私が屋台のメニューとして選んだのは、地元ケセルタの旬の海の幸をふんだんに使った海鮮パイ。
海鮮鍋やスープにしようかと悩みもしたが、それらのメニューは定番なので出す屋台も多いのであえてパイで勝負に出た。
海の幸の旨みを存分に味わうのなら、パイも最高の料理法だし。私自身が得意な料理のひとつでもあったので、これだと直感的に決めた。
結果は大正解で、じわじわと評判を呼び、二日目以降には行列ができるほどの盛況となってくれた。
それと、同じ様に屋台を出している新人料理人の何人かとも仲良くなれた。
自分の屋台の切り盛りが第一なのは当然だけども、どうしたって本の屋台の事も、ライバルたちの事も気になる。それは当然向こうも同じで、様子見に来た相手と互いの料理を交換し合って感想を言い合ったりしている内に仲良くなれた。
豪快ななくの串焼きを出している屋台のアクーロ。
エビのフリッターの屋台のゼレテー。
ログニエの屋台を一人でこなすイグス
クレープの屋台のサーシャ。
そして、別の国から腕試しに来たらしいボーレルの屋台をやっているアジュラ。
彼らと知り合えて、親しくなれたのは何よりの幸運だった。
初めて挑戦した屋台で、イキナリ行列のできる人気を得られテスコは有頂天になって、自分の料理の腕を過信しそうになっていた所だったのを、彼らの作った物を食べる事で想いを改める事が出来た。
彼らの料理はどれも絶品だった。
ローレラントで最大の料理の採点なのだから、凄腕の料理人が集まっているのは当然だ。
少しぐらい人気が出たくらいでテングになってどうする。
そう気を引き締めて新たな気持ちで残りの日々に挑む事にした。
目指すは本戦出場。
そんな意気込みの元に張り切っていた私の元にイキナリとんでもない人物が来店した。
いや、その人物が今ローレラントに来ていて、このフェスタを楽しんでいるのは知っていた。
この国にとっては恩人。救世主そのもので、一年半ほど前に起きた魔域の活性化。生きとし生きる者全てにとっての最悪の天災に対して、対抗し抜き、国が存続できたのはひとえに彼のおかげと言っても過言じゃない。
アベル・ユーリア・レイベスト様。若干十三歳にしてレジェンドクラスの頂にまで至った。世界で五人しかいない守護者の一人。
そんな雲の上の人物が、私の屋台を訪れたと思ったら、買い占める勢いで大量注文をしていった。
どうやら、私の海鮮パイをお気に召してくださった模様。
興奮して親しくなった屋台のみんなに報告すると、彼らの屋台にも訪れて大量に注文して嵐のように過ぎ去っていったらしい。
「来ているのは知っていたけど、まさか自分の屋台になんて夢にも思ってなかったから、心臓が止まるかと思ったよ」
「ああ、それに、お気に召してくださったようだから良かったけど、口に合わなかったらどうしようって生きた心地がしなかった」
みんな思う事は同じ様だ。
正直、商品を渡して、それをアベル様が口にするまでのほんの数秒。租借されて味割られている間。そして感想を口にする瞬間。本気で永遠に感じるほどの長さだったし。
マズいとハッキリと言われたりしたらその場で下を冠で死んでいたかも知れない。
そんな衝撃の一幕もあったけれども、とりあえずは無事に屋台による予選を無事に終える事が出来た。
そして、予選の結果は私を含むみんなが無事に予選突破。
他にも、アベル様たちが訪れた屋台が軒並み予選を突破していると噂されていたので、私たちが予選を突破できたのもアベル様のおかげかもしれない。
それはともかく、晴れて本戦に出場できたのだから、悔いの残らない様にしたい。
全力で臨んだ本戦では、アジュラとともに優勝争いを繰り広げて、見事上位入賞を果たす事が出来た。
それは良かったのだけども、コンテストが終わった後に信じられない爆弾が残されているとは思いもしなかった・・・・・・。
「私たちをアベル様の専属料理人兼拠点管理人に・・・・・・?」
「そう。拠点として使う場所の一部をキミたちの店として料理店にするつもりだ」
はじめは本当に意味が判らなかった。
自分の身に何が起きているのか判らなかったけれども、これが信じられないほどのチャンスである事くらいは判った。
出された条件は破格とかそんなレベルじゃなくて、正直、素直に信じる事が出来なかった。
ドッキリや詐欺の類だと言われれば納得できるのだけども、アベル様たちがワザワザ私たちにそんなくだらない事をする必要がないのも理解できている。
いずれにしても断るなんて選択肢はない。私とアジュラは決死の覚悟で申し入れを受ける事にした。
それからは本当に怒涛の日々だった。
いきなり自分の店を持つ事になったけれども、その店の規模が当然のように半端じゃなく大きい。
当然だけども一人で切り盛りするなんて不可能だから、まずは家族に相談して、手伝ってもらえないかを聞いてみた。
「はあっ? 何を言ってるの。頭がおかしくなっちゃったの?」
一番初めの反応がこれだったのはむしろ当然だと思う。
経緯を説明して実際にアベル様との間に躱された契約書を見せると家族全員が真っ青になっしまったのは当然だと思う。
結局、両親も妹たちも手伝ってくれる事になった。
両親は料理人としては力になれないが、経理などの運営については任せてくれとの事。
妹たちはウエイトレスとして働いてくれる事になった。
それから働いていた店の人たちにも声をかけて、アクーロたちにも働いてくれるように頼みこんでなんとか人手を揃える事が出来た。
と思ったのだけども、実際に開店して見通しが甘かったことを痛感した。
初日から超満員。しかも開店から閉店まですっと。
・・・甘かった。あのアベル様がワザワザ自らプロデュースしたレストラン。しかも自らの拠点を兼ねた店。
そんな注目度満点の店に興味を持たない方がおかしい。
店には大陸中から訪れたお客様が溢れていた。
修羅場とかそんな生易しい言葉では済ませられない激闘の日々が始まった。
結局、どうやっても捌ききれないと判断して、すぐに別の国の拠点を任せられる事になってアベル様たちと同行する予定だったアジュラに頼み込んで、手を貸してもらう事で何とか乗り越えられるようになった。
「むしろ助かったよ。あのままアベル様たちにどうこうするとか、気が気じゃなかったんだ」
ヘルプを頼んだアジュラからはむしろ感謝され、喜ばれた。
気持ちは本気で良く判る。もしも逆の立場だったら、私も涙を流してむしろ喜んだと思う。
ただ、なんとか店を切り盛りできるようにはなったけれども、はじめから解っていた問題の方がまだ解決していない。
純粋に料理を食べに来てくれるお客さんも多いけれども、当然だけども、この店を訪れる何割かはアベル様との繋がりが欲しくて来ている。
そんな豪商や貴族、中には王族までいらっしゃる方々への対応が問題となる。
ここがアベル様たちの拠点で、私がその管理を任されていると言うのも問題となる。
管理人の仕事のひとつは仲介。仕事の依頼をしたい依頼主との間に入ってアベル様たちとの仲を取り持つのも仕事の内となる。
だから、アベル様たちとの間に上手く関係を持つのを目的にして来店してきた方々には、どんな依頼があるのかなどをきちんと聞く必要がある。
だけど、言うまでもないけれどもそれが信じられないくらいに面倒臭い手間となる。
しかも、要件は実際にアベル様に伝えて間を取り持つ必要性を感じられないモノばかり。それなのに、早く間を取り持てとしつこく言い寄って来るのも多いと、本当にどうしたものかと思っていると、アベル様本人から、そう言う連中の相手はしなくて良いと断言されてしまった。
「本当に俺たちの力が必要なら、俺たちに直接通して来るのが礼儀だからな。単に繋がりを持ちたいとかそんな連中の相手を一々している程こちらも暇じゃないし。必要性があると判断したら俺たちの方から出向くとでも言って適当にあしらっておけば良いよ」
との事。
確かに、一々一人一人の相手をしていたらそれこそ時間がいくらあっても足りないと思う。
そんな訳で純粋に料理を楽しみに来てくれているお客様以外の相手はしなくて良いとのお墨付きを頂いて、なんとかお店を切り盛りできるようになって来たのは良いんだけども・・・・・・。
判っていた事だけども、今度はアベル様が爆弾を持ってきた。
「Sクラスの魔物の食材ですか・・・・・・?」
「そう、これを使って料理を作ってくれ」
アベル様がSクラスはおろかレジェンドクラスの魔物まで討伐しているのは知っている。だから、手元にそれらの食材があるのは当然で、料理人にそれらの食材を調理させるのもまた当然なのだけども・・・。
見た事もない超高級食材の山に目が眩む。
いったいこの食材だけで、私の給料の何年、いや、何十年分になるのだろう?
それに、アベル様は更に上のレジェンドクラスの魔物の食材もお持ちになられている。いずれはそれらの調理もする事になるのだろうか?
気が遠くなりそうになるけれども、同時にこんな高級食材を調理できる機会を得たのだから、料理人として心が躍る。
・・・・・・ただ、取り返しのつかない一歩を踏み出した気もするけど。
それと、アベル様たちの拠点を管理を任された料理人と言うのは私たちが初めてではない事も聞く事が出来た。
元々はミランダ様の御用達の料理人であるアミーラ殿。彼をクレストの拠点管理人兼専属料理人としたのをきっかけに、私たちにも声が掛かったらしい。
その先輩にあたるアミーラ殿の料理を先日食べさせてもらったのだけども、その時の衝撃はどう表現していいのか判らない。
自分たちがいかに自惚れていたのかマザマザと思い知らされた。
今の私たちでは足元にも及ばない圧倒的な、最早芸術の域に達した至高の美味の数々。
今の私たちとのあまりの違いに呆然となった後に、自分たちもこのレベルになる事を望まれているのではと思い至って愕然とした。
こんな遥かな高みに辿り着けるなんてとてもじゃないけど思えない。
だけど、アベル様たちは私たちならば辿り着けると思ってくださったからこそ、私たちを専属料理人として下さって、更に目指すべき高みを教えてくださったのだろう。
なら、どれ程困難であっても辿り着いてみせる。
料理人として、最高の高みにまで至ってみせる。
私たちは、今日この日、初めて本当の意味で料理人として真のスタートを切ったのだ。




