第七話 逃走
「もう! ここ何処なのよ!?」
「知らないわよっ、あなたが無警戒にポンポン狭間に飛び込むからでしょ!」
アイナの問い掛けに対する身も蓋も無いエマの返答であった。
死の大地に足を踏み入れたアイナ達は、始めの頃は特に何事もなく歩みを進めていた。遭遇するのは大型の魔獣ばかりであり破壊力はあるが動きが鈍いものが多かった為、遠隔からの魔法攻撃が得意なアイナとエマの格好の的であった。
アイナはリーフの力を借りて風の刃で魔獣を切り裂き、水の精霊の加護を持つエマは精霊界にいる精霊の力を借りて氷の矢で魔獣を穴だらけにしていった。
魔法とは精霊が使える能力であり、人は精霊に魔力を提供してその力を借りているだけである。エマの様な加護持ちの霊格者達は亜空間の向こう側の精霊に語りかけて力を借りている。
アイナの様な同化者も同じ様に精霊に魔力を提供して魔法を発動して貰うのだが、側にいる精霊と亜空間が融合している為、即座により高い魔法の効果を発揮出来る。
エマはアイナに比べても遜色のない魔法の威力を発揮出来るのだが、これはエマがそれだけ精霊と友好を深め信頼を勝ち取っている証拠であった。詳しい年月は不明であるが、アイナとリーフの十数年来の友情とは訳が違うそうだ。
そしてアイナとエマが打ち漏らした魔獣には、いつの間にかカエデが背後に忍び寄っており気付かれないうちに一撃で首を落としていった。
この程度の魔獣の群れであれば、三人の連携によって問題なく対処していく事が出来ていた。
しかしアイナ達三人は乱立する魔境の境界を何度も経由して、気付かないうちに段々と魔境の奥深くに迷い込んでいった。死の大地は数多の魔境を包み込んでいるだけであり、魔境間の位置関係は常に変化している。よって突然出入り口である狭間が出現したり、狭間の接続先がコロコロと変わってしまう。
アイナ達は外界と繋がっている魔獣エリアを抜けてしまい、魔人の魔窟に入り込んでしまっていた。そして現在、猿人族の群れから逃走中であった。
「仕方ないじゃない! 他に良い案なかったんだし!」
アイナは完全に開き直っていた。ここで珍しくカエデがアイナの擁護に回った。
「この大魔境を探索しようと思ったら、確かに他に方法がないのは事実ですし、私達もアイナの意見に賛同はしました」
「そうよ! あたしだけが悪い訳じゃないわよっ」
「だからと言って後先考えずに手当たり次第、止める間もなく狭間に飛び込むのは知恵を持つ人間の振舞いとしてどうかと思います――しかも深部に繋がる狭間ばかり引き当てる悪運の強さ、脱帽しました」
全く擁護になっていなかった。
地響きを上げて三人を追いかける群衆を振り返りながら、アイナが嫌そうに毒突く。
「あいつらまだ追ってくるわよ!」
「やはり職滅した方が早いのではないですか?」
「あいつら面の皮だけは厚いから、沈める前に接近されちゃうわよ。あれ百匹以上いそうよ? 捕まったら……人生終わりよ?」
「死んでも嫌よ!!」
「フ、フケツすぎですっ――あれに汚されるぐらいなら私は自害します!」
酷い言い様ではあるが、襲い来る猿人族に捕まると女性にとっては死ぬより辛い未来がまっている。猿人とは、精霊女王の呪いによって知能を奪われた魔人の末裔といわれ、劣化魔人とも呼ばれている。
そして現在アイナ達を後ろから追い立てているのは、猿人の一種である大猪猿人の群れであった。大猪猿人族は魔族の一つであった巨人族の末裔といわれており、三メートル近い強靭な肉体を持つ猪の様な下顎の牙を持った劣悪な種族である。人としての知能は殆どなく本能だけで生きており、人間だけでなく様々な生き物の雌を攫って繁殖していく。
当たり前だが女性からこれ以上無い程に忌み嫌われており、人の街周辺で見付かった場合は即座に拠点を探し出して根こそぎ討伐される。しかし猿人族の繁殖力は凄まじく完全な駆除は難しく、しばらくするとまた現れるのであった。
大猪猿人は思考能力が低く単調な行動しかしないので、強靭な腕力から繰り出される攻撃は脅威的ではあるが、軌道が読み易く霊格者であれば簡単にあしらう事が出来る。しかし劣化していても元は魔人であり並大抵の攻撃では倒れない。知能の低さ故に痛みにも強く完全に死ぬまで戦い続ける。
また猿人は魔獣と同じ様に上位種が存在する場合には群れを形成する習性がある。よって百匹以上の大猪猿人が群れを成して追ってきている以上、それを率いるかなり上位の猿人がいる可能性が高かった。
猿人の習性を思い出して鳥肌を立たせて身震いする三人は、兎に角狭間を探し出して何処へ繋がっていようがお構いなく飛び込む事にした。魔窟に生息している生物は、自発的に己のテリトリーである魔窟から抜け出す事はまずない為であった。
「こんな時、ジジが居てくれたら……」
アイナの呟きに対してカエデが反応する。
「アイナの恋人って、そんなにお強いのですか?」
「恋人だなんて、ウフフ、エヘヘ……」
カエデの失言によりアイナがトリップしてしまった。カエデは自身の失敗に対して舌打ちして後悔の念を表す。思考停止したアイナの代わりにエマが答える。
「ジジ君は接近戦が主体なんだけど、ジゼルが小さい頃から鍛えてたから実力は相当なものよ。ジゼルかジジ君なら、このくらいの大猪猿人族なら塞き止めちゃいそうね」
「それは、凄いですね……」
「ジジの頭の上が~、一番安心、安全~」
エマの言葉にリーフが補足すると、自分の世界から帰って来たアイナがエマの言葉に補足する。
「小さい頃からジジと一緒によく狩りしてたけど、いつもジジが前に出てあたしを守ってくれたわ。だからあたし、ジジと一緒にいてかすり傷一つした覚えがないわよ」
「え、あれ? でもアイナって彼を守る為にエマさんの元で修練積んできたんですよね?」
「そうよ! 当たり前みたいにジジを連れ去ろううとする舐めた霊格者が後を絶たないのよ。相手が奇麗な女性だとジジが手を上げないから、あたしが変わりに叩き潰すのよ! 二度と近付かないようにね!」
「気持ちの悪い人ばかり~、アイナが全部スッパスパ~」
アイナとリーフの言い分を聞いて絶句するカエデであった。『守る』の意味合いが少しばかり違うようであった。またリーフの言い方ではアイナが一線を越えた危険人物の様に聞こえるが、周りからどの様に見えていたかは別として、ギリギリのところで彼女なりに手加減らしきものはしていた。実際に相手も霊格者である事が殆どであり、死なせてしまう事は無かった。
アイナとジジの故郷であるペト村には実は少し前まで霊格者の一家の分家が存在していた。顔を合わせる度にジジに絡んできていた彼女達は、アイナの情け容赦のない徹底した反撃を受けて村から出て行ったのであった。この事件によってアイナの二つ名『切り裂きアイナ』が村に定着して、噂が広がっていくに連れてジジに近付く女性高霊格者は減っていった。
ペト村周辺には高霊格者の若い女性がいないのではなく、正確にはアイナの絶え間ない努力によってペト村周辺にいた高霊格者の若い女性がいなくなったのである。
呑気に会話を弾ませながら走る三人であったが、迫る危機的状況はそのままであった。しばらく逃走していると、人間離れした視力を持ったカエデが目標を発見する。
「あっ、歪を発見! 一キロ程先に狭間がありそうです!」
「案内して頂戴っ。とっとと飛び込むわよ!」
「「はい!」」
漸く狭間を見付けた三人は、ほっと胸を撫で下ろして狭間に真っ直ぐ向かって走っていく。
「あ、私が先に入るから、アイナは最後ね!」
無駄だと思いつつもアイナを最後にする事でこれ以上の事態の悪化を抑えようとするエマであった。