第六話 魔核のお札
ジジとカリーヌが兎の森の地上部を探索し始めてから一週間、やっとの事で巣穴である魔窟に続く入り口を発見した。近くで見てみればそれは大型の魔獣でも余裕で入れそうな程に大きな洞窟であった。そのままだと簡単に見つかりそうなものであるが、辺り一面に認識阻害の結界魔法が複雑に展開されており、まず見つける事は不可能であった。
ジジ達が見つける事ができたのも、ただ運が良かっただけである。魔鷹の群との戦闘中にジジがむやみやたらに振り回す黒炎を纏った八角棒の先端が偶然にも結界の一部を切り裂いたのだった。一瞬だけだったがぶれた空間の歪みをカリーヌは見落とさなかった。ジジは気にしていなかったが、結界を切り裂く事が出来る武器などカリーヌは聞いた事がなかった。
結界がここに展開されていると分かってしまえば辿る事は簡単であった。強引ではあるがカリーヌが予測する方向をジジが獲物を振り回して進んで行くだけであった。
認識阻害の結界の影響で魔窟入り口の周辺は外部から完全に隔離されていて安全であった為、ジジとカリーヌは少し休憩をする事にした。
倒れ木に腰を下ろしたカリーヌは開けた胸元に右手を差し込み、胸を持ち上げるようにして心臓付近に触れた。すると差し出した左掌の前に魔法式が円を描いて展開する。
カリーヌは目の前に展開している宙に浮いた魔法式で囲われた空間の中に無造作に手を突っ込んだ。引き抜かれた手には急須が握られている。続いて湯呑み二つと皿を二つ、巨大な5段の茶菓器を取り出してお茶の準備を始めた。カリーヌの持っている急須はお湯が自動で追加される魔道具で、装填される茶葉を複数選べる上に水質と温度に拘った地味に高価な魔道具である。
カリーヌが当たり前の様に取り出したお茶会セットは、彼女の魔核倉庫に収納されている品々の一部であった。この様に魔核に宿る亜空間は便利な倉庫としても使用されており、亜空間が巨大であればそれだけ多くの品が収納できる。
亜空間の扉を開くには魔核を強く意識する必要がある為、カリーヌがやった様に掌を心臓付近に触れる必要がある。ジジがこの瞬間を見逃すはずがなく、押し上げられて強調された胸元を穴が開くほどガン見する。カリーヌも慣れたもので隠す気が全くなく、サービスタイムとしてジジの好きにさせていた。
こんな作業だからこそ人それぞれに性格が現れるようで、ニーナはジジに背を向けて恥ずかしそうにするが、アイナであればジジの隣で見せ付ける。因みにジゼルの場合はジジの方から視線を逸らすのだが、これが彼女には不満であるらしい。
お茶の準備が出来たカリーヌは湯飲みに串団子を添えてジジに渡しながら話しかける。
「お茶をどうぞ、少し休憩にしましょう。」
お、ありがと! と言いって串団子に噛り付くジジ。
「接近戦では何の心配もありませんね、もう少し頭を使えればいいのですが、無理でしょうし……」
「人を脳筋みたいに言うなよっ、敵の配置を考えて突破されない最善の立ち居地で壊滅速度を重視してだなっ」
「ところで、相変わらず精霊の声は聞こえて来ませんか?」
ジジの言い分を聞き流して質問するカリーヌ。ジジはため息を付いて右掌を胸に当てる。左掌をカリーヌの方に向けると、無視された意趣返しとしてカリーヌの眼前十センチの位置に半透明の薄い膜を出現させた。
突然目の前に魔力を帯びた膜が現れた事で、驚いたカリーヌの耳と尻尾が反応してしまう。カリーヌの真っ直ぐに伸びたフサフサな尻尾をジジは口角を吊り上げてニヤニヤしながら眺めている。ジジの視線に気付いたカリーヌは、すぐに尻尾を丸めてローブのスリットから中に隠した。
基本的に尻尾を持つ高霊格者は感情に合わせて動いてしまう尻尾を他人に見られる事をあまり好まない。特に目付きの悪いジジの視線はカリーヌの怒りの沸点を簡単に下げてしまう。もちろんジジの視線には邪まな感情が含まれているのは間違いない。カリーヌの冷たい視線がジジに突き刺さっている。
「わざとやりましたね……」
「減るもんじゃないんだから、かくさ――」
ジジの返答が終わらない内に、カリーヌの前に魔法式が展開、炎の矢が射出された。狙いはジジの――股間!
うおっと言いながら本日一番の反応速度を発揮して矢をかわすジジ。
「今度やったら燃やしますよ……」
今燃やそうとしただろっと思いながらも、カリーヌの冷たい目に危険を感じで押し黙るジジであった。胸は良くても尻尾は駄目という感性が理解出来ないジジであった。
しばらく無言で冷えた視線を送っていたカリーヌは、ゆっくりとジジの出した半透明膜に目を向けた。この少し輝く薄い膜が魔核のお札と呼ばれるもので、霊魂が持つ神と精霊に認められた力が表示される。
*** XX・XXXXX ***
魔力 4.6
霊格 XXXXLv.7
霊齢 18歳
所属 ヴァーニンバル一家
称号 XXXX XXXX XXXX
特性 XXXX
恩恵 XXXX XXXX
呪詛 精霊女王の呪いLv.7
**********
ジジの魔核のお札を眺めていたカリーヌは、塵でも払うかの様に手の甲でジジの札を掻き消した。
「相変わらず、何も分かりませんね。ここまで精霊女王に嫌われてる人は、あなたくらいでしょう。他人に見せたら討伐対象になりそうだから気を付けなさい!」
「酷い言われようだな! まあ、否定はしないよ」
「恩恵の欄が伏字になってますから、何かの加護がある筈なんですが――ここも呪いだったら笑えますねっ」
「笑えねーよ!」
酷い言われ様だがここまで徹底的に伏字になっていては、否定する根拠が無い。ジジのお札は親が定めた彼の名前すら伏字になっており、精霊女王はジジの名前すら認めたくない、という事になる。
霊齢は自分の歳であり、誰でも分かる。所属は母であるジゼルが家長として認める項目である。霊格は保有する魔核の亜空間の大きさによってレベルが決まる為、保有している魔力と合わせて本人が自分で認識出来る項目である。
よって実質的にジジは精霊女王が認めるべき全ての項目で否定されている事になるのであった。
しかし表示されている数値だけでもジジが男としては破格の高霊格者である事が分かる。霊格のレベルが示す数値は保有出来る魔力量の限界値でもあり、1を超えた者が霊格者として霊格名を授かる。ジジの霊格レベルは7であり、男としては飛び抜けて高いレベルであった。
ジジの魔力量は4.6を示しており、カリーヌより少し低い程度であった。一般の霊格名を持たない者であれば0.2前後で多い者でも0.5程度である。
さらにジジはジゼルから操魔術を教わっており、その腕は確かであった。血流を利用して魔力を爆発的に全身に送る身体強化のやり方はジゼルに迫る程の実力であった。
またジジはその図体に似合わず繊細な魔力操作にも長けていた。先程カリーヌの眼前に魔核のお札を瞬時に出現させたが、これは誰でも出来る事ではない。くだらない遊びにしかならないが、自身の身体の周辺から離れた場所で魔力を操り魔核のお札を形成する事は簡単ではない。特に他人の側となるとその人の魔力が干渉する為にさらに困難になる。カリーヌが必要以上に驚いていたのは、自身の魔力領域に他人の魔力が唐突に進入してきた為であり、通常はありえない現象であった為である。
これだけの腕前を持つにも拘らずお札の記載は伏字になっている。この辺は女王の呪いと言うより嫌がらせに近いと思うジジであった。
「まあ、ジジは目付き悪いですし、精霊女王の好みじゃないんでしょう。アイナとニーナ、二人も可愛い娘がいるんだから、いいじゃないですか」
「まあそうなんだが、そういう問題じゃないだろ……」
団子を飲み込んだカリーヌは、真顔で話しを続ける。
「いっその事、人間止めて魔人と暮らすのも一つの選択肢ですよ? 魔人にならモテるかもしれませんよ?」
「一応は人間扱いしてくれてるんだな……でも俺もそんな気がするよっ」
「この後、巣穴の中で魔人を見付けたら話しを聞いてみて下さい。臆病な魔兎の魔人でもジジの前なら仲間と勘違いして姿を現すかもしれません。その為に連れて来たんですから!」
「俺は餌かよ! ホントに向こうから出てきたら……人間である自身がなくなるわっ」
「微妙なところですね」
「……この団子、美味いな」
意気消沈してしまったジジは現実逃避して、団子に気をやる。ジジは気を取り直そうと串団子のお代わりを求めて空の皿を差し出す。カリーヌは五段式巨大菓子器から串団子を二人分取り出して、一皿をジジに渡した。
「この団子はニーナの手作りですよ。ダンジョンで自生していた魔よもぎを使って作ったそうです。魔素酔いを緩和してくれる愛情たっぷりのお団子ですから、味わって食べなさい」
「だろうと思ったよ。俺達だけだと肉を焼いて食うだけだしな。ニーナの有り難味が身に沁みるよ」
「……大丈夫です。出発する前にニーナが大量の作り置きを渡してくれましたので、魔核倉庫に入れてあります」
「さすがニーナ! お礼にジェンティでお土産たくさん買って帰らなきゃなっ。しっかし俺達って、ニーナがいなきゃ生きていけないんじゃないか?」
「……否定はしません」
ニーナ、ありがとーっと言いながら団子をかじるジジ。悪気はないのであろうが、ジジの何気ない言葉に今度はカリーヌがへんこんでしまう。何でもこなせる様に見えるカリーヌであったが料理だけは苦手であった。ジジの言う通りで焼いて食べる程度の事しか出来ないのであった。
カリーヌの仲間内ではエマが料理の腕に長けていた。カリーヌはずっとエマと組んでいたから料理を覚える必要性がなかっただけだと思っているが、エマに言わせるとカリーヌには料理の才能が絶望的にないらしい。ジジの母親であるジゼルも実は料理が得意であり、娘のように育てられたアイナの料理の腕前もなかなかのものであった。
ジジが魔の森サバイバルから生還した後、二人は毎日の様に外食していた。そしてジジの呪いの影響で毎日の様にトラブルに巻き込まれ入店禁止になっていった。入る店がなくなる前にニーナが来てくれた事は、ジジ達にも村人達にとっても幸運であった。そしてヴァーニンバル一家の名義で小さな家を借りて三人で生活を始める事になったのだった。
カリーヌとしては食事事情について後でジゼルとアイナから文句を言われる事が回避出来て一安心であった。ニーナを引き合わせた件でアイナに恨まれるかもしれないが、色々と考えた結果としてこれが最善の策だったとカリーヌは考えている。そもそもカリーヌは精力的にお膳立てに協力はしたが、手を出したのはジジ自身の問題でありカリーヌの責任ではない。後は三人で話し合うなりして乗り切れば丸く収まる筈である。男女関係にドライなカリーヌらしい考え方であった。
料理が出来ない事を暗に指摘された形となりムッとしていたカリーヌは、意趣返しを込めてニーナの件で少し釘を刺しておこうと考える。思わぬ形でこちらに飛び火させられたら敵わない。
「ところで、もうすぐアイナが帰ってきますよね。私が気にする事ではありませんが、ニーナの事は上手く説得するんですよ?」
「え!? 言ってくれてないの?」
「なんで私が言わなきゃいけないんですか!」
「いや、カリーヌが紹介してくれた訳だしな……」
「手を出したのはあなたではありませんか!? ちゃんと自分で責任持ちなさい!」
「あー、えーと、だな……アイナ怒らせると、本気で怖いんだぞ?」
「知るかっ、このエロガッパ! 一度こってり絞られなさい!!」
「くっ、こうなったら魔人捕まえて、しばらく兎の森に亡命するか……」
カリーヌはジジの甲斐性の無さに絶句してしまう。カリーヌは頭をフル回転させて状況を分析し始めた。
こっ、この男は――本気で言っているのなら、真性の女の敵ですね。
戦闘力は高いですしさっぱりした人柄は悪くないのですが――男としては最低ですね! アイナもニーナもいい娘ですから、最終的にはなんとかなるでしょう。しかし二人の為には本当にジジをこの森に捨てて来た方がいいかもしれません――いや、そんな事をすると私が二人から恨まれます、理不尽です! こんな男のどこがいいのでしょう……
二人の為にも私が間に入るしかないのでしょうか……私は教育係りとしてどこで間違えたのでしょう? 少し性的欲求が強いですが男の子ですし、上手く情操教育出来ていたと思っていたのですが……もう、ちょん切るしかないのでしょうか!? あれ? そうすると存在意義がなくなってしまいます……
物騒な思考に陥っていたカリーヌにジジが声を掛ける。
「なあ、カリーヌ」
「なんですか!?」
「いや、洞窟から出てきたあの白いのは、魔兎じゃないのか?」
えっ、と言って振り返るカリーヌ。体長七十センチ程の耳が長く真っ白な毛皮で覆われた赤い目をした生き物が三匹、ピョンピョン跳ねこちらに向かって来る。
「ああっ、ようやく……会えました……」
満面の笑みを浮かべたカリーヌが前に出て両手を広げて魔兎を待ち受ける。跳ねる魔兎には殆ど魔力を感じないし、特に攻撃してくる雰囲気もなかった。ジジはうれしそうなカリーヌの好きにさせてやることにする。
膝立ちになったカリーヌは、どこから出したのか良質なニンジンを両手に持つ。そして鼻をひくひくさせながら愛くるしい表情でゆっくり近寄ってくる魔兎に差し出す。
カリーヌの側までやってきた魔兎達は、彼女を囲む様にして様子をみている。そして笑顔を振りまくカリーヌの前で、三匹の魔兎は揃って大きく跳び跳ねて何かを撒き散らした。
「「あっ」」
カリーヌとジジの声が重なった。
近付いてきた時と違い素早い動きで逃げ去る魔兎達は、あっと言う間に洞窟に消えていった。
残されたカリーヌの表情は笑顔のまま固まり、濡れ鼠となって微動だにしない。
ただ強いアンモニアの刺激臭を辺りに撒き散らすのみであった……