プロローグ
とある辺境の山奥に古ぼけた小さな一軒家がぽつんと佇んでいた。陽のあたるリビングでは大小三人の人影がテーブルを囲んでおり、背筋をピンと伸ばしてイスに座る凛とした雰囲気の女性が、向かい合って座っている二人の子供に本を読み聞かせるところだった。
「この本はあたし達が住むこの世界で人が歩んできた歴史を纏めたものよ。ずっと昔の事だから、どこまでが真実なのかは分からないわ。でもあなた達にはとても大切なお話しなの。だから少し難しいけどよく聞いて、心の中に留めておいて」
女性の真剣な眼差しに、少年と少女は力強く頷いて話しに聞き入った。
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遥か昔、この世界のどこかに精霊界に繋がる穴が空きました。穴から大量の魔素が溢れ出して、この世界を満たしていきました。ところがこの世界の住人にとって魔素は毒でしかなく、多くの人々が死んでいきました。そして毒に耐えられた者だけが生き延びたのです。そう、生き残ったのは体内に霊結核を宿した者だけでした。
霊結核は人が体内に取り込んだ魔素を、人の身体に適応出来る魔力に変質させて蓄える性質を持っていました。この性質から魔核とも言われていますが、その本質は人の身体と霊魂を繋ぐ核が実体化したものだと言われています。魔核は魔力だけで出来ていて、内に秘める亜空間に魔力を蓄える事が出来ます。
魔核とは、まさに人が魔素に適用する為に作り出された新たな器官であり、これが神の慈悲だったのか、或いは人が成した変化なのかは分かりません。
ですが人類は魔核を手に入れた事で、滅びの危機を回避出来たのです。
生き残った人々は、新たな力、魔力の使い方を学ぶ事で様々な不思議な能力を身に付けました。霊魂の持つ力を確認出来る魔核のお札、荷物を収納出来る魔核倉庫、そして魔力を用いた身体強化などが現在も使用されているその代表例でしょう。
そして最も人々に衝撃を与えたのが魔核の亜空間の大きさの持つ意味でした。もちろん亜空間の大きさが保有魔力の許容量である事から重要視されていましたが、人々を最も驚かせたのは巨大な亜空間を持つ者達が軒並み長寿で若々しく在り続ける事でした。
神に或いは世界に認められた能力が刻まれる魔核のお札においても、亜空間の大きさは霊格という尺度で明記されています。人々は霊格を持つ者達の事を霊格者と呼び差別化し、畏怖の念を抱く様になりました。
霊格を目で見る事はできませんが、高霊格者達は強く意識する事でお互いの霊格を感じ取る事が出来ます。霊格が低い者も、著しい霊格差がある場合には潜在意識の中では分かっています。これを違和感や嫌悪感として感じ取れる者には霊格を伸ばす素質があると言われています。
精霊界と繋がり魔素濃度が安定してきた頃、霊格者達の中に亜空間を通して精霊の声を聞く者が現れました。精霊達は声に耳を傾ける霊格者達に対して自分達の加護を与え、精霊の力を貸し与えました。
そして精霊達の中には亜空間を通ってこの世界にやってくるものまで現れました。やってきた精霊は霊格者とお互いの亜空間を融合させて霊魂の間に繋がりを作り出し、より強力な力を貸し与えました。これは精霊との霊的同化、或いは同化と呼ばれ、お互いの間に様々な影響を与え合いました。
同化を果たした霊格者は、亜空間の融合により巨大な亜空間を手に入れ、姿形にも精霊の影響を受けました。好奇心の強い精霊達も同化した人の霊魂に触れて感受性を高め、擬似的性別を得て姿形を変えていきました。
中でも特に力ある精霊と強い絆で結びついた高霊格者は、明らかに人の枠を超える存在となり、新たな種族の始祖となりました。この時代には多くの新種族が生れたと云われており、エルフ、ドワーフ、セリアンスロープ等の名が現在も残っています。現在ではその血を継ぐ者はいますが原種は確認されておらず、滅びた去った古代種と呼ばれています。
もちろん魔核を得たのは人だけではありませんでした。魔素に適応した全ての生き物は等しく魔核を手に入れており、高い霊格を得た獣は姿形を変え力を手にしました。彼らは新たな別の生き物として魔獣と呼ばれ、新たな独自の生態を形成していきました。人々は魔獣の脅威を退けながら、霊格者を軸として新たな魔法文明を築き上げ、発展していきます。
しかし栄華を極めた魔法文明も永遠には続きませんでした。
精霊達は自由気ままな存在ではありますが、人の持つ強い意思に惹かれます。精霊は善悪問わず、強い意思を持つ人々に大きな力を貸して支えてくれます。人の持つ欲望は果てしなく、必然的に争いの絶えない世界に変わっていきました。
そして繰り返される争いの中で、圧倒的な力を持つ存在が現れます。魔神オーク、巨人族の王であり全ての魔人の頂点に立つもの。魔人オークは強大な力を持つ魔人と魔獣の群れを率いて世界を蹂躙して周り、人類を制圧してしまいました。後に暗黒時代と呼ばれる魔人族が頂点に立った絶望が支配する世界の始まりでした。
魔人に支配される人類に人権などは無く、抵抗する者は全て抹殺されました。魔人族は魔神オークを筆頭に全てが男だけの種族であり、他種族の女性を繁殖に用いる醜悪な男族でした。人類全ての女性達は魔人の繁殖用の道具として扱われ、抗う男達は全て抹殺され、魔人に従う男だけが残されました。
もちろん抵抗軍が結成され魔人の非道に対抗する組織も抵抗を続けましたが、魔人の持つ力は圧倒的であり、その努力が実を結ぶ事無く少しずつ殲滅されていきます。
女性達にとっては地獄の様な時代となりました。捕まった男達は魔人に従い理性を失い欲望に生き、女性は希望を失い耐えるだけの人生となりました。女性達にとって魔人に従う人類の男と魔人の間に何等変わりはありませんでした。
しかし虐げられた女性の絶望と怨念が集まり強い意志となり上位精霊を呼び出します。世界の半数の呪詛を取り込んだ上位精霊は一人の女性と同化を果たし、精霊女王となりました。
精霊女王の加護を受けた女性は解放軍を結成、次々と女王に従う精霊の加護を受けた女性達が立ち上がりました。
各地の抵抗軍も精霊女王に追従する様に立ち上がりました。抵抗軍を纏めていた五人の勇者にも精霊女王の加護が与えられ、精霊騎士の称号を名乗り魔人族を圧倒していきました。
精霊女王が率いる解放軍は魔神オークを退けて長きに渡る戦乱に終止符を打ちます。魔神無き後の魔人族は、女王の加護を持つ解放軍にとって烏合の衆でしかありませんでした。女性が中心の解放軍にとっては、魔人に積極的に従い女性を虐げた人類の男達も魔人と同罪であり、等しく処分していったのでした。
圧倒的な力で魔人達を制圧した精霊女王は、自ら新しい精霊界を作り出します。そしてこの世界を見守る為に女王の精霊界を結び付けました。
女王は精霊界に帰りましたが、この世界には女王の意志の力が根付いています。再びこの様な非道が蔓延しない様に、全ての女性には精霊女王の加護が、全ての男には精霊女王の呪いが与えられる様になりました。
その中で女王の呪いが許される唯一の例外的な男の存在が、精霊騎士でした。多くの女性を助け、支えて守る事が出来る男がその実績を精霊女王に認められた場合にのみ、精霊騎士の称号を与えられると言われています。
精霊女王の改革により世界中の虐げられた女性が救われました。そして女性を中心とした健全な社会が形成されたいったのは間違いありません。
しかし同時にこの世界は、ゆっくりと滅びの道を歩む事になりました。
世界に根付いた精霊女王の力によって、男女間の霊格に明らかな差が生じています。格の差は子を成す妨げとなり、女王の呪いが男の出生率自体を低下させました。
精霊女王の成した事に異を唱えるつもりはありません。是非を問うまでもなく、世界が望んだ結果を受け入れていくだけです。
しかし、このままではそう遠くない将来、子が産まれなくなってしまうでしょう。誰もが分かっていながら、誰も何も出来ない事かもしれません。考えても無駄な事かもしれません。
いつか手遅れになる前に、女王の呪いが静まり、世界が変わる事を切に願います。
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「理解できたかしら? あたしの経験と勘だと、歴史の筋書きはあまり信用しない方がいいかもしれないわね。他の殆どの文献は精霊女王崇拝者のものばかりだから、この文献が客観的に書かれててマシなのよ。何度でも読んであげるから、あなた達も自分なりに考えて御覧なさい。でもね、多くの人達が信じている話しだから頭に入れておいて。
そしてあなた達二人にとって大切なのは、霊格者の持つ力と呪いについてなの」
二人の子供が大きく頷く。女性は少女の方に視線を向けると、その大きく鮮やかな翠眼を見つめながら再び話し始める。
「アイナ、あなたにはこのお話しが理解出来たでしょう。あなたの尖った耳は妖精族エルフの特徴が現れているの。生まれた時から特徴が出ていたと聞いているわ。恐らくご両親のどちらかがエルフ族の末裔なんでしょうね。遠い祖先の血を色濃く受け継いでいるわ。
あなたは高霊格者として、自分の力の使い道をしっかりと考えていきなさい。と言っても、あなたの場合、もう決まってるかしらねっ」
少女に優しく微笑みを向けた後、女性は少年の鶯色の瞳を見つめた。
「ジジ、あなたはどんどん死んだお父さんにそっくりになって行くわ……あなたはお父さんと同じ、精霊女王の意思に反した存在、男の高霊格者なの。あなたの呪いは特別に強いわ……この世界が女王の影響下にある以上、多くの人達があなたを忌み嫌い、理不尽な責めを受けると思うわ。だからジジ、あなたは女王の呪いに負けないように強くなるしかないのよ。生き抜く為に……」
少年は優しい母の目を見つめて言葉を返す。
「俺、必ず強くなってみせるよ! 街の人が俺を嫌うのも、俺の目付きが悪く見えるのも呪いのせいだったんだね」
「目付きは産まれ付きよっ。ほんと、お父さんにそっくり!」
母は父を思い出しながら優しく少年に微笑む。引きつった表情を見せる少年の顔を少女が心配そうに覗き込んでいた。やがて少女は意を決した様に顔を強張らせて少年に語る。
「大丈夫よっ、ジジはあたしが必ず守ってあげるわ! だから心配しないでね」
「あ、ありがと。でも俺だって強くなって、いつか精霊騎士になってアイ姉を守ってやるよっ」
「ん~、ジジの場合は……精霊騎士って感じじゃ、無いと思うわよ?」
「え?」
「え? じゃないわよっ。あなたみたいなエロガキ、精霊女王が気に入る訳無いでしょ! ジジの事をちゃんと見てくれるのは、アイナくらいのものよっ」
アイナのやんわりした否定を、ばっさり完全否定する母、ジゼルであった。そしてお約束の様に、お父さんにそっくり、と付け加えるのであった。
「母さん、俺だって……」
「まあ、ジジの気が済む様にやって御覧なさい。あなたが力を付けるまで、あたしとアイナが支えてあげるわよ」
「うん。ジジが強くなったら、今度はジジがあたしの事をずっと守ってね!」
ジゼルとアイナがジジの事を決めるのは、いつもの事であった。そしてジジもいつも通り投げやりに返事を返した。
「約束よっ」
「ああ、分かってるよ」
「ずっと、ずっと一緒だよっ」
ほんのりと頬を赤くして照れ笑いを浮かべるアイナであった。
「リーフもずっと一緒~」
アイナの膝の上から飛び上がった一羽の精霊が、二人を祝福して声を上げるのであった。