【1‐8】 災厄の双子
「堕天使」
啓介の動きが止まる。
男のほうはニヤリと笑みを浮かべる。柔和な笑みではなく、相手を自分の罠に陥れたときのような笑みだった。
「知っているはずだ。君は……いや、お前は“堕天使”と名乗った生物を」
「……」
啓介は目を見開いた。
(どうして、知ってるんだよ……!?)
「どうして知ってる、って顔してやがんな。ハハッ! もしかしてオメェ、堕天使なんてぶっとんだ存在がこの次元に存在するっていうことを知ってるのが自分だけだとでも思ってたのかァ!?」
男は本性を表し、荒々しい口調で目の前で動揺している啓介に言い放つ。
「な、なん……」
「堕天使共は哀れな運命を嘆き、神を憎んだ人間を見つけては契約を迫る。なぜかって?理由は簡単だ。堕天使共は“自分達の手駒”が欲しいんだよ!運命の日に備えて神の軍勢と戦う為の手駒が欲しいから、神の玩具に手を出してんだよ」
啓介は後ずさる。
男は下品な笑いを発しながら啓介を見つめる。
「堕天使はオーバーロードとして人間の世界に今まで干渉してきた。あいつ等は神の一番のお気に入りである玩具を自分達のいい様に弄繰り回して一泡吹かせてやると同時にアイツの喉元を食いちぎってやるっていう理由のためだけにあいつ等は地球を、人類を好きなように弄繰り回してやがる」
「……」
「あいつらの身勝手な計画のせいで俺はこんなクズみたいな世界に叩き込まれてんだ……ッ!!」
男は今にも歯を砕きそうなくらいの歯軋り音を立てる。
「お、お前……何者だよ!?」
啓介は怯えながら男に向かって尋ねる。
「あぁん? ここまでいえば、わかるだろ? 俺は、超能力者だよ」
その言葉を聴いた瞬間、啓介の身体は反応した。踵を返して走り出す。荷物なんか一瞬で捨てた。目の前の男は危険すぎる。
「逃げてんじゃねぇぞ!」
左から聞きなれない新しい声が聞こえたと同時に啓介が大きく吹き飛んで壁に激突する。
肩を蹴られたと認識するには数秒かかった。啓介は地面に転がり、壁にぶつかる。
肩の骨にヒビが入ったような痛みを感じ、啓介は身体をよじらせた。
「いったぁっ……!!」
啓介は肩を抑えて座り込む。
座り込む啓介を見下すように黒服が口を開く。
「悪いな。でもまぁ、骨折れるくらいの勢いで膝蹴りを入れたんだから痛いに決まってるわなぁ」
「遅いぞ、兄貴」
男と同じ服を着た男性。2人とも、着ている服装も顔も全く同じ。
強いて違いをあげるならば兄貴、と呼ばれたほうの人間には頬に大きな傷が入っている点くらいだろうか。
(超……能力……者か!?)
「なんで自分が超能力者に襲われてんのかがわかってねぇみたいだな」
「う……ぐぅぅ!!」
腹を踏まれ、啓介は苦しむ。肩の痛みで声が上手く出ない。
啓介は涙が溢れそうな痛みを必死に堪える。
兄貴――斎藤仁は啓介を見ると溜息をついてもう1人に提案を持ちかける。
「なぁ、琢磨。説明してあげてもいいんじゃねーか?」
「時間が無いんだよ。わかってんのか?」
「回答無用で殺しちゃうと目覚めが悪いじゃねぇか」
「……ならいいけどよ。兄貴が説明してくれよ?」
「へぃへぃ」
仁は啓介の前髪を掴むと引っ張りあげる。
啓介は斎藤琢磨に腹を踏まれているせいで身動きが取れない。
「お前、堕天使アリエルに何か吹き込まれたんだろ?」
「……」
啓介は涙目で二人を睨みつける。
「聞いたこと無いか? ユダヤ教やキリスト教の天使の名前で“アリエル”という名前を」
そういえば先程返した本に『アリエル』という単語が載っていた、と啓介は思い出す。
林はそれを何となく察したようで、八坂の代わりに続きを喋る。
「堕天使もとい悪魔っていうのはな、神々の超越者って一部の人間の間では呼ばれてる。元々は神に使えていた天使だった奴らだ。奴らは落書帳通りにルシファーと共に神に反旗を翻して堕天使を名乗るようになったんだよ。……まぁ話を戻すが、堕天使アリエルは天使どもを束ねる天使長であったと同時に風や空気に精通した天使だったわけだ。それはあいつ等が堕天した後も変わっていない」
つまり、アリエルは神々の超越者という種族の中でも上位に位置する存在だということになる。
啓介は驚きを隠せなかった。
威厳も何も感じられない少女のように見えていたのだが、外見や雰囲気だけで彼女を見るのは大きな間違いであったらしい。
八坂は愕然とした啓介の顔を見ると笑う。
「そんな怪物の怪物と契約されてしまうと、アナタも契約主の強さに沿うように世界を掌握するだけの力を得るに違いないわ。それはとっても私達超能力者にとって困ることなのよ」
「超能力者ってのは世界に約1200万人も存在している。勿論、全員が世界を掌握するような力を持っているわけじゃねぇが、大国を1人で滅ぼせるような力を持つ奴は何万人も存在する」
「まぁ、大国を滅ぼせるような力を持ったやつが対立しあって小康状態だからこそ、今乗世界は無事なんだがな」
超能力者の世界は常に絶妙なパワーバランスで成り立っているらしい。
そのパワーバランスを維持したい超能力者たちが啓介を狙ってこの場へと現われた。
それはつまり、啓介とアリエルの存在はそのパワーバランスを崩壊させるような危険因子として世界中から認識されているということになる。
「世界中にいる超能力者の99パーセントは何らかの組織に配属しているの。…国家の特殊部隊やテロ組織のような“一般人が住む世界”とは遠くかけ離れた“血で血を塗る世界”で超能力者たちは自分の保身のために日夜隣国の特殊部隊と激突したり、テロリストを排除したり、破壊工作を仕掛けたりしているんだよ」
「お前ら…………血も涙も、ねぇな」
啓介は憎しみを込めて言い放つ。
「そうだな。俺達は自分の環境を壊されたくないんだよ。バランスが崩れてしまえば一気に世界は第四次世界大戦へと傾く。そんなことになれば今度こそ地球上から文明というモノは姿を消す。それは私達としても避けたいことなの」
「俺達が喜んでこんな世界にいるとでも思ってんのならとんだ勘違いだな」
目の前の双子は啓介の考えを否定する。
自分達は被害者なのだ、とでも言うように。
「俺達はな、自分の大切な人や環境を守る為に、国家にそいつらを保護してもらう為に国家や組織の手足になって働いてんだよ! 自分の大切なもののためなら他人の命ぐらいどうってことねぇ!! それが人間ってヤツだ!」
琢磨は啓介に唾を飛ばす勢いで怒鳴る。
パワーバランスの崩壊による戦争で大切な人や環境を失いたくないがために、調整をする。そんな仕事をする目の前の2人が啓介にはみすぼらしく思えた。
「……矛盾、してやがるじゃ、ねーか」
「?」
「バランスが崩壊して欲しくねぇ、のに…破壊工作する、なんて、よぉ」
「……そうだな。普通に考えたらそうなる。でもそんなこと、今から死ぬお前に説明してもムダだろ?」
仁は黙って啓介の顔を見続けていたが、やがて呆れたように溜息をつくと説明する。
「……裏世界にはとある予言ができる超能力者がいる。的中率ほぼ100パーセントの絶対に未来が見える存在。ソイツが“堕天使アリエルと人間の契約を絶対に阻止せよ”って言ったんだよ。“もし、契約が成立すれば24番目がこの世界に誕生することになる”ってな」
「24番目……?」
聞き覚えの無い数字だ。
アリエルからも聞いたことの無い超能力者に関する情報。
「これから死んでいくお前に関係はねぇよ。とにかく、テメェが世界にとっての害になるとだけ覚えておけばいい」
「あと、お前の言っていた矛盾についての回答だけどな、俺達みてぇな下っ端が何千回と破壊工作しても1つの組織が不利になったり潰れたりするだけで全世界に強大な影響を与えるわけじゃねーんだ。けど、お前を除いた23人のような存在が1人でも生まれるだけで影響は全世界の組織に及ぶ。つまり、パワーバランスが滅茶苦茶になる」
「…………」
それは“世界を破滅へと導く可能性を持った超能力”が啓介に宿る可能性があるというわけで。
「ま、あいつらは俺達の意志に関係なく俺達の深層心理が望んだからだとか抜かした理由で契約迫って俺達を世界の闇に陥れる迷惑な存在だしな。……テメェも運が悪かったな。普通レベルの堕天使と契約していたら闇に堕ちるだけで助かったってのに、上位レベルの堕天使と出会っちまった事が運のツキだな」
話は終わりだ、という琢磨は呟く。
どんな超能力を使うヤツらなのかはわからないが、普通の人間では敵わないような雰囲気が放出されている。
幾多の戦場を潜り抜けてきた傭兵の様な雰囲気を啓介には感じさせた。
「説明はこれくらいか。……さぁーて、遺言は?」
仁は引き金に触れる。
「……」
啓介は声が出なかった。恐怖で声が出ない。
「面白くねぇーな。とっとと殺して帰ろうぜ」
男は面白くない芸人を見るような冷めた目で啓介を見る。
啓介は絶望する。
(畜生……。なんで、俺が、こんな奴等に……!!)
なんというクソッタレな人生だったのか。決心した契約さえ果たせないままに終わるのか。啓介は悔しくて涙しか出なかった。
押し付けられた銃から、ガチッという音が聞こえる。ハンマーを押し上げた音だ。
(畜生!! 誰でもいいから……助けてくれ、よ……)
弱弱しくなる悲鳴は、心の中でしか叫べなかった。
「ま、来世で幸せな人生を過ごしな」
「あばよ」
啓介は全てを諦め、目を瞑った。
「啓介?」
しかし、悪魔は彼を救った。
啓介の危機を救ったのは聞き慣れた声だった。
汚れを知らない純粋さを感じさせる声に啓介はハッと目を開く。
「アリ……エル……?」
啓介が呟く。
目の前の光景が彼には信じられなかった。
どうしてアリエルがここに?
何故?
「……まさかお目当てのものが自分から来るとはな。予想の範疇外だぜ」
「貴方達、啓介に何してるの?」
アリエルは仁の持つ拳銃を見て少しだけ驚く。
「殺すんだよ」
「なんで……?」
「邪魔だからに決まってんだろ。俺達にとってコイツも、お前も害悪でしかねーんだ」
アリエルの顔から表情が消え失せる。
啓介はその能面のような無表情を見てぞっとした。
「……超能力者?」
「そうだな」
「強度は?」
「律儀に教える必要はねーだろ」
「…この時代になっても、まだ存在してたんだ」
アリエルは呟く。
啓介は苦しそうな表情でアリエルを見る。
(……アリエル)
「忠告しとくが、お前は助からねぇぞ」
「!?」
啓介は自分の思惑を見透かされて目を見開く。
琢磨は侮蔑の表情で啓介を見ると説明する。
「神々の超越者は人間界に滞在する間は人間に対して戦闘目的で超能力を行使することを許されていない。詳しくは知らねぇが、掟らしいぜ」
「そうだな。あと、防御系超能力を使おうとしてもムダらしい。人間と戦闘目的で対峙しているから掟の効力で超能力は使えない。まぁ、逃亡するためなら使えるかもしれないけど」
(アリエルは、身を守れないってことかよ……)
啓介は再び絶望に飲み込まれる。
状況は悪化しただけだ。自分を助けるどころかアリエルの命が危機にさらされている。
「っ……!」
啓介は歯軋りする。
自分の弱さに対して苛立った。
「それで、堕天使は俺達に何をして欲しいんだ?」
「解放して。いや解放しろ」
「聞けないお願いだな。身体で払うって言われても聞けねぇな」
アリエルは左手を前に出す。
「あ? ……超能力は使えないんだろ?」
「使う」
「掟はどうすんだよ?」
「知るか」
「掟を破ったらどうなるかはお前がよく知ってるんじゃねぇか?」
「どうでもいい」
「……随分と入れ込んでるんだな」
「お前には関係ない」
アリエルの左手の人差し指から赤色の光が現われる。
何らかの能力の発動準備のようなものだろうか。
啓介はアリエルが自分のために掟を破ろうとしているのを理解してしまった。
啓介は力を振り絞って叫ぶ。
「アリエルッ!! もうやめてくれ!」
「!」
「逃げてくれ! どの道、俺がここで死ねばお前は次の契約者を探せるだろ!?」
啓介は叫んだ。
神の運命で殺されるのではなく、超能力者に殺されたのならば彼女とて納得するハズ。次の契約者を求めて別の場所へ迎えるだろう。
死ぬのはイヤだが、犠牲を減らすためにはこの策しかないのだ。アリエルをこの場に置いていては、殺されるか掟の罰で死よりも恐ろしい罰を受けてしまうだろう。
「悪いけど、お前はどうせ掟でつぶれるから無視させてもらうわ。力の無い悪魔なんざ価値は無いし」
「残念だな」
「やめろ!!」
アリエルは叫ぶ。
超能力を今にも行使しようとしているが、掟の効力により上手く発動できていないようだ。無理矢理発動すれば暴発して啓介を助けるどころか殺してしまうことになるので踏み切れないのだ。
「啓介ッ、逃げて!」
(俺だって死にたくないさ……)
「啓介ッ!!」
アリエルは走り出す。
超能力を発動できない状態で飛び込むなんて我を忘れてしまっている、と仁は思った。
「蜂の巣になりたいなら殺してやんよ!」
仁が自分の持っていた銃をアリエルのほうに向ける。
「!!」
啓介はその姿を見て感情が高ぶる。
自分の命を犠牲にしてでも拳銃を奪い取ってやると思った。
「やめッ……!」
パァン!と音を立てて銃弾はアリエルの方へと飛んだ。
銃弾はアリエルの肉に捻りこまれ肉を千切って進む。
「あぁっ!」
左肩を打ち抜かれたアリエルは膝をつく。
「やめろぉおおッ!!」
啓介は今まで生きてきた中で一番だったと言える程に力を発揮して暴れる。
諦めたと思って油断していた琢磨にタックルをして床に叩きつけ、仁に襲い掛かる。
顔を殴られた仁は銃を手放してしまう。打ち付けられた衝撃で落とした拳銃を啓介は大きく蹴り飛ばす。
「うおおおおおおおっ!!」
「チッ!」
仁は啓介に向かって舌打ちをすると同時に銃弾を放つ。
銃弾は啓介の右肘を貫通したが啓介は琢磨にむかって飛び掛った。
「うおっ!?」
ひるむと考えていた琢磨は完全に意表を突かれる形となり、啓介に飛び掛られる。
啓介は殺意を持って首に噛み付く。
「ぐああああ!!」
歯が折れるくらいに力を入れて林の肉に歯を食い込ませた。
ブチブチと肉が切れる音がした。血が噴出す。啓介は噛み付いた後に右手を伸ばし、両目に指を突き刺した。
「ぐうぉおおおお!?」
啓介は琢磨が痛みで倒れるのと共に床へと転がるがすぐに体勢を立て直して逃げ出す。
「待てッ!!」
仁が体勢を立て直して懐から武器を取り出す。15cmほどのクナイだ。
彼は変わった色をしているクナイを三本取り出して啓介に投げつける。啓介は背中を向けて逃げていたので三本とも背中に突き刺さる。
「ぐぅッ!」
啓介の口から苦痛に苦しむ声が漏れる。
一瞬だけよろけたが啓介は走り出す。
「アリエル!」
啓介はアリエルの右手を掴むと引っ張って角を曲がって逃げていく。
「チッ!」
仁は舌打ちをする。
「クッソ。ガキと思って油断しちまった。素直に超能力を使えば良かったな……」
「ぐっ、はぁ……畜生!」
目を押さえて苦しんでいる琢磨を一瞥して仁は考える。
「……どの道、あのクナイは毒が仕込まれたエモノ。アイツは死ぬにしても保険はかけておくべきだな」
「何でだよ? ……っう」
「……契約されれば面倒な事態になる」
「……なるほどな」
目を擦っていた琢磨が起き上がる。視力は無事だったようだ。
「仕方ない。保険と証拠隠滅も兼ねて準備するか」