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クロス×ドミナンス《旧版》  作者: 白銀シュウ
第7章 死して咲く華、身のない幻
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【7‐4】  人殺しの胸に宿るは、


 未だに太陽の昇らない午前5時2分。

  ニューヨーク・ロンドン・東京に続く4番目の世界都市として高い国際的地位を有するフランスの首都「パリ」のコンコルド広場を東へ向かう形で横断していた。

 世界第4位の世界都市にしては異様とも呼べる静寂が辺りを支配しているが、これは2024年に『夜間走行禁止令』が発令されて以降、夜間の自動車使用は堅く禁じられているためである。

 そして、現在のパリが昼型傾向にある点から夜に活動する人間は社畜を除いてほとんどいないことがこの静寂に拍車をかけている。


「なぁー……零時よ。一体、何処まで歩けば良いんだよ。朝になってからでも遅くないと思うんだが……」

「そうだよぉー……もう疲れたぁ」


 緑色のフードーパーカーのフードを目が見えるかどうかというところまで深く被る悠斗は疲労感をタップリと込めた声で先頭を歩く零時に話しかける。頭から生えている黒色の猫耳を力なく垂らして歩いていた燈沙も悠斗の意見に賛同するように声を上げる。燈沙ご自慢の2本の尻尾もいつものように先端に青白い炎を灯しておらず、力なくうな垂れていた。


「……まだ、7時間しか歩いてない」

「十分歩いたわッ!」


 昨日の午後10時に一般観光客に紛れる形で現地入りした3人はあれから一睡もしておらず、夜通しでパリを歩いていたことから零時を除いた2人は限界のようだ。

 2人の状態を考えた零時は歩みを止めると無表情で悠斗の顔を見ながら無表情に呟いた。


「……わかった。少しだけ、休憩しよう」


 零時の一言を聞いた悠斗は一気に疲れが出てきたのか大きく息を吐き出し、広場の中央にあるオベリスクを囲った柵にもたれるようにして地べたに座り込んだ。

 黒のハイカットシューズに藍色のカーゴパンツ、緑のフードパーカーという何か流行を履き違えた若者の様な服装に身を纏っている悠斗はフードを脱ぐと空を見上げる。

 空は既に明るみがかっていた。


「今更だけどよぉ、お前って疲れないわけ? お前と初めて一緒にこなした任務の時からずっと思ってたんだけどさぁ」

「問題ない。特に疲れたことは一度もない」

「……前から思ってたけど、お前って本当にバケモノ染みてるよな」

「自覚してる。否定はしないが、肯定もしない」

「あ、そう……」


 座り込む悠斗の隣で零時は腕を組んで柵にもたれる。

 一つ一つの動作が“機械的”と表現できそうな程に迷いも狂いも感じられない動作だった。

 それを横目で眺めていた悠斗は溜息をついて地面へと視線を下ろした。


「流石は“冷淡無情の観測者”と呼ばれるだけはあるよな……。お前のその誰に対しても興味を見出さないスタイル、不快とかそういう感情通り越して清清しく思えるよ」

「別に意識しているわけではない。僕のこの性格は、精神を守るために作り出された“個性”ではなく、生まれつきのものだ」

「偽りのない性格。……その性格から二つ名がつくなんて不名誉も良い所だな」


 零時はその言葉に対し、何の返答もせずに黙って空を眺め続けた。

 日夜、力を持たない人間が次々と葬られていく暗部(このせかい)において“二つ名”とは“能力階級(LEVEL)”に並ぶその人間を評価するモノであり、超能力を持たない人間でも“二つ名”を有していれば、それ相応の地位についていることがある。

 零時の二つ名は“冷淡無情の観測者”。どんな戦場でも眉1つ動かさず、どんなに非道な任務でも顔色1つ変えずに遂行し、どんなに強力な力を有する者が相手でも無傷で瞬殺。さらに神出鬼没で生まれや育ちに関する素性が一切不明の正体不明。まるで世界を記録する存在であるかのように私情を任務に挟まず、利益のみを追求するそのスタンスが評価され、彼はそう呼ばれている。


「相変わらず、お前がわかんねーよ。……」

「別に理解されなくても構わない。僕は、他者に理解してもらおうという努力をしていないのだから」

「あ、そう……」


 悠斗は零時と出会い、共に任務を遂行してきたこの2ヶ月を思い出す。

 ギルド上層部の十三不塔から直接送られてきた任務で対面したことから始まり、彼が数々の任務をこなす姿を日本国内で悠斗は見てきた。


「本当に、零時って自分語りをしないよね」

「他人の過去を知ったところで利益などない。傷の舐め合いなんて時間の無駄だし、労力の無駄遣いだ」

「ってことは、私たちの過去にも興味ないってこと?」

「ない。僕にとって大切なのは“未来”であり、“過去”ではない」


 燈沙は心の中で零時の生き方を称賛する。

 人間として生きていた過去に何時までも固執し、現在を見ようとしない暗部構成員(ニンゲン)が多い暗部で“未来”を見ようとしている者は本当に少なく、一定の地位を築ける程に長年暗部を生きてきた燈沙や悠斗だって常に過去に囚われているくらいなのだ。

 誰もが自分の過去を聞いてくれ、悲劇に同情してくれ、慰めてくれと傷の舐め合いばかり。そんな暗部構成員(ニンゲン)達を燈沙は腐るほどに見てきた。


「その未来には何が見えてるの? 零時は、暗部で功績を上げて、生き残って何をしたいの? 人殺しをしなくて済むような地位を得たいの?」

「……ご想像にお任せする」


 今までノーコメントを貫くことはあっても言葉を濁すようなことはしなかった零時が言葉を濁したことに燈沙は目を丸くして驚きながら考える。

 能力階級(LEVEL)や二つ名の有無は暗部において生き残るための立派なステータスとなり、そのステータスはその者の任務成功の報酬を増やしたり、命令される立場から命令する立場へと変えてくれたりする。表世界に残してきた大切な人を守るための力にもなるし、可能性は限りなく低いがもしかしたら表世界に戻ることができるかもしれないのだ。

 暗部に生きる以上、人殺しからは逃れられないがそのステータスで“直接手を下す立場”を逃れることができるのならば――。そんなちっぽけで自己満足の上にあるような希望に縋って人を殺して地位を得ようとしている暗部構成員(ニンゲン)は数多くいる。


「……すまない」

「い、いやいいのよ? 私達にだって知られたくないことはあるし、零時にだって人間らしい願望を持つ権利だってあるもの」


 零時が謝罪するところなんて初めて見たと思いながら燈沙は平成を取り繕いながら答える。

 零時と燈沙のやり取りを黙って見ていた悠斗は場の空気を換えるという目的も兼ねて自身の疑問を零時にぶつけることにした。


「なぁ、零時。俺達ってさ今何処に向かってんだ? フランスに来た理由は“聖地の捜索”だってわかってんだけどさ、どうしてまたパリなんかに降り立ったわけ?」

「……フランスの諜報機関の元に向かっている」

フランス対外治安総局(DGSE)のことか。……確かにあの組織に連絡入れておいた方がフランス国内じゃ動きやすいとは思うけど」

「は? 燈沙、お前なんでそんなに詳しいんだよ」

「アンタが外国人嫌いなだけよ」


 燈沙は悠斗の海外に対する知識が著しく欠如していることに呆れながら立ち上がる。

 確かに悠斗は“過去の悲劇”が原因で外国人に対して“苦手意識”を持っており、ジオフロント内でも日本人以外との接触や行動を極端に恐れる節がある。白人黒人のように肌の色や人種による苦手意識ではなく、中国人や韓国人といった同じ黄色人種相手にも苦手意識を抱いていることから日本人以外を恐れた排外感情なのだろう。彼の表世界時代からの友人であった燈沙は彼の“排外感情”をよく知っているので余り国外に引っ張り出すということはしたくなかったのだが、今回は十三不塔直々の命令。従わなくてはなるまい。

 燈沙は右手首につけられた数珠型のブレスレットを左手指で触れる。それは懐かしさを思い起こすようなものだったが、どこか悲しみが混じった触れ方であった。

 悠斗は燈沙が触れていた恐らく何かを暗示しているであろう緑・黄・茶の半透明な珠を糸で通して作られたブレスレットを見て一瞬だけ何かを悲しむ顔をすると懐かしい物を見るような顔で燈沙に話しかける。


「まだ、それ持ってたんだな」

「……まぁ、ね。あの人が私に作ってくれたものだし。大事にしなくちゃ。……それに、これは二度と同じ悲劇を繰り返さないための戒めみたいなものよ」


 肩紐のないタイプの黒のパーティドレスを着た猫又少女は悲痛な顔をして歯軋りした。

 それを無表情で眺めていた零時は短いため息をつくと座り込んでいた悠斗に向かって出発を知らせる。


「そろそろ出発しよう。早くフランス対外治安総局(DGSE)と接触して国内で長期的に活動する旨を知らせておかないと、ヤツら――千年帝国(サンサーラ)だけでなく余計な敵まで作ることになってしまうからね」

「あ、あぁ……そうだな。そろそろ出発するか」


 ゴシック色の強い黒のパーティドレスの裾を指で摘んで扇ぐ燈沙は溜息をついて不満を漏らしながら呟く。


千円帝国(サンサーラ)の相手をするなんてもう二度とゴメンなんだけど」

「そりゃ、苦戦はするだろうな。お前のその非戦闘向きなファッションだと」

「うっさい! 効率を求める戦闘服なんてクソ食らえに決まってんでしょーが」

「そうだな。確かに華がない」

「珍しく零時が話題に乗ってきたよ……」


 ゴシック調の足首まで固定されたクロスベルトシューズを履き直しながら燈沙は呟く。

 しかし、零時はそれ以降何も口に出さずに、無表情のまま進路方向へと向かって歩き出す。


「相変わらず、底の知れない男だな……」

「まっ、そこがいーんじゃない?」


 燈沙は首につけていたネックベルトを巻き直しながら数歩先を歩く零時に追いつくために走り出す。

 それを眺めながら悠斗は後頭部を掻き、盛大なため息をつく。


「……“他者”に深く近づき過ぎるとロクなことにならねーと思うけどなぁ」


 知り合って間もない零時に対して警戒心が無さ過ぎではないのか、という一抹の不安を抱きつつ悠斗は歩き出す。先を歩く2人に追いつくために少しだけ早歩きで。


「置いてくんじゃねーぞ!」


 そして――芸術の街・パリに朝日が昇り、彼らの長い一日が始まる。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 栫理奈の人生は“普通”というレベルを遥かに超えていると言える。

 西暦2013年7月7日、第三次世界大戦後から7年経過し、ようやく日本が国際社会に復帰できるまでに復興が完了した頃に彼女はこの世に生を受けた。

 当時、日本人は戦時下における空襲や戦闘で数を大きく減らしていたこともあってか、新日本政府が労働力の補填や経済を効率的に回すための政策として海外からの新日本政府が厳選した移民を大量に受け入れていた。このような事情からハーフの子供が非常に多い世代であったが、理奈は珍しく日本人の間に生まれた子供であった。

 幼少期からどんな物に対しても興味を抱く好奇心旺盛な性格だったらしく、先天型の天才というわけではなかったが常人以上の運動神経や知能を努力して手に入れた“後天型の天才”である。

 また、自衛隊員の父に育てられた影響もあってか、彼女は非常に正義感が強く、愛国心も持っていた。勿論、国籍の違いで差別するような愚は犯さずに弱き者は誰でも助け、暴力を振るう強き者に立ち向かうような正義を持ち合わせていた。

 しかし、そんな彼女も5歳の時に“とある事件”に遭遇し、心に大きな傷を刻んでしまい、塞ぎこむ事となる。そして6歳の時に父親同士に親交があったことから啓介と出会い、10歳になるまで彼と行動を共にし続けた。

 ここまでのお話ならば、少しの不幸はあれど、悪くはない人生だったと笑い話にできるかもしれない。しかし、彼女の苦難はここからだった。


『理解できないな。どうして人間は同族で殺しあうのかが』

『……アンタ、だれ』

『別に俺が何者かなんてどうでもいいことじゃないか。俺たちは別に馴れ合う必要なんてないんだ』


 12歳の時、彼女は家族旅行で東京に向かう途中だった航空機をテロリストたちにハイジャックされたのだ。

 当時、日本は中華人民共和国と“民間同士の交流を目的とした正常な国交回復”直前まで来ており、事件当日に帝都・東京で“日中新共同声明”に調印するために中国側の上層部が来日していたのだ。

 この事件は日本と中国の国交正常化を望まない日本人の過激右翼グループによるテロ行為であり、神戸発東京行の旅客機は自爆テロ目的で東京へと向かう途中に静岡県北部で墜落し、乗客乗員とテロリストを含む407名が死亡した。

 この事件における生存者はたったの4人。彼らの証言や残された遺書をまとめる限りでは、墜落の原因は乗客たちによる反乱と見られており、アメリカ人を筆頭とした多国籍の人種が結託してこの反乱が起きたのだと結論付けられている。


『お前は不思議に思わないのか? 何故、自分だけがこんな目に遭うのだと』

『……警察呼ぶわよ』

『最後まで人の――いや、堕天使(あくま)の話は聞くこったな』

『……悪魔?』


 テロリスト8人を相手取った19人の反乱者と暴力に抗った384人の乗客乗員たち。

 この話は今でも語り継がれ、墜落現場には403人の名前が刻まれており、毎年遺族たちが訪れているという。


『俺がお前に“復讐のための力”を与えてやる。そうすれば、お前は最愛の家族を死へと導いた人間共に復讐することができる』

『……何が言いたいの』

『簡単な話さ。お前に力を与えてやる代わりに俺の、堕天使の手駒として生き、神に反逆しろ』


 勿論、理奈も現在に至るまで毎年毎年事件の日に慰霊碑を訪れ、花を手向けている。

 あの日あの時の出来事を忘れないために。19人の英雄を忘れないために。父の活躍を忘れないために。

 安らかに眠ってもらうためのお参りということで、数多くの遺族が訪れていたことを理奈は鮮明に記憶している。勿論、泣き崩れた遺族や、自身に対して八つ当たりしてきた遺族のことも鮮明に覚えている。


『……代償は?』

『思っていたよりも従順だな。普通はもっと疑うものだと思っていたが』

『くどい。今の私はこれが夢だろうがなんだろうが……関係ない。それくらいに、あいつらを……殺してやりたい』

『……ふむ。素晴らしい返事だ。お前ならば、代償が“人間の魂”だと知っても喜んで差し出すだろうな』

『いいわ。……私に、残されたものなんてないもの』


 理奈は全身に大怪我を負い、かつての“美少女”と呼べる姿など跡形もなく消え去った姿へと変わり果てていた。外れない包帯に、爛れた皮膚。潰れた左目に、動かない右手。病院の一室で死を待つだけの人形としての自分の魂などくれてやろう。このとき、彼女はそう考えていた。


『よかろう。……しかし、お前はこの力を手にしたとき、人の身でありながら、人とは違う世界で生きることを余儀なくされる。つまり、復讐を達成したとき、お前は元の世界に戻れなくなるのだ』

『どうでもいい。……するならとっととして』


 寝たきりの彼女は首だけを動かして堕天使と契約を交わす。

 自分をここまで育ててくれた両親に対する冒涜。そうわかっていても理奈は契約を結んだ。


『面白い女だ。実に面白い。……では、結ぶとしようか。お前は光の道を捨て、闇を歩くバケモノへと変わる。そして常に神によって命を狙われる。……さて、俺にその足掻きを見せてみろ』


 そして、人間と悪魔は交わった。

 復讐を果たすために。怨みを晴らすために。


『栫理奈。神に愛された女よ、それだけの才能を与えられたにもかかわらず、お前は神を裏切るのだ。言ってみれば、生みの親のような存在をお前は裏切る。……人間の心はとても醜いものだな』

「うっ……ぐっ……ぅ……」


 これが栫理奈の過去と悲劇。

 栂村啓介という名の糸によって縫合され、封じられていた傷を再び抉り出され、絶望し、暗部へと堕ちた彼女のお話。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 木の根元が深く深く食い込んだ地底湖。

 光源がないにもかかわらず、神秘的な光によって照らされたかのような明るさを持つ湖の中心に平らな岩が聳え立っていた。まるで湖を統べる者だとでも言わんばかりに主張する岩の上に1人の超能力者と幽霊たちが佇んでいた。


「ッ!! ふざけんなよ、この狆くしゃ野郎がッ!!」

「あぁッ!!」


 啓介は座り込んだ状態のままで怒りと憎しみを込めて左足で目の前に座り込んでいたレヴィルカの顔面を蹴り飛ばす。

 短い悲鳴とともにレヴィルカは吹き飛び、地面に倒れる。

 それを見た幽霊兵士達は激昂し、啓介を葬り去らんと武器を構える。


「貴様ッ!!」

「……待ちなさい」


 しかし、レヴィルカの一言でその動きはピタリと止まる。いや、強制的に止めさせられたと表現したほうが正しいほどに不自然な止まり方だった。

 そのことに関する驚きはなかったようだが、幽霊兵士たちは戸惑いながらレヴィルカに尋ねる。


「お、お嬢様! 何故、このような下郎を」

「いいのです。……ふふ、貴方に蹴ってもらえるなんて私、嬉しくて死んでしまいそうよ」

「………………気持ち悪いんだよ、年増」

「ふふふふふふ」


 啓介は表情を引きつらせながら目の前の亡霊に対して恐れを抱く。

 頬を強く蹴り飛ばされても笑みを崩さないどころか恍惚の笑みを浮かべているその姿がとても気味悪く映る。しかも蹴られた部分を大事そうに撫でている所がまた気持ち悪い。


「貴方に蔑んでもらえるなんて、光栄ですわ。もっと、殴っても蹴っても殺しても良いんですのよ?」

「亡霊が何言ってやがる。……俺に近寄るんじゃねぇ!」

「昔から変わってないわね。その憎まれ口。でもそんな貴方も大好きよ?」


 目が据わっているレヴィルカを前にして啓介は背筋が凍るような思いを抱いていた。

 超能力者になる前の啓介なら既に泣き叫んでいたか、恐怖の余りに気絶していたであろう位の不気味さと異様さを味わいながら啓介は自分が怯えているということをおくびにも出さずに強固な姿勢を続ける。


「断る。俺は結婚するなら触れるヤツの方がいい」

「実体化できますわ」

「第一、亡霊との異類婚姻なんざあり得ねぇよ。特に亡霊なんてお断りだな」

「亡霊でもまぐわうことはできますわ」

「お前に近寄られたら寒気がする。だから無理だ」


 レヴィルカは舌で唇を舐め回しながら啓介へと再び近づく。

 昔見たホラー映画で井戸から亡霊が出てくるシーンとレヴィルカのその姿が啓介には重なって見えてしまい、短く小さい悲鳴を漏らしてしまう。

 その声を聞き逃さなかったレヴィルカは嬉しそうな顔をして啓介の顔を見る。


「いいですわ。貴方に私のことを思い出してもらえるまで私たちのお話、何度でもしてあげます」

「ッ!」


 レヴィルカは恍惚の笑みを浮かべながら啓介の前で優雅に座り込む。。

 啓介は次こそ顔面を叩き潰してやろうと思い、足を上げる。


「次はさせんぞッ!」

「ぐっ、ぐああああああああああああああああああああッ!!」


 啓介は両足の甲に剣を突き刺され、足の身動きを封じられる。

 両足の甲から大量の血が噴出し、周りの地面を赤に染める。

 余りの激痛に顔をゆがめて苦しむ啓介だったが、歯を食いしばって痛みを堪える。


「ふふふふふ」


 レヴィルカは顔についた啓介の血を指で拭い、愛でる様に血を舐めとった。

 美味だとでも言わんばかりの笑みで啓介を見つめ、口を開いた。


「ねぇ、私と貴方が初めて出会ったのは何時だったか、覚えてますか? 覚えてませんよね? だから教えてあげましょう。私と貴方は今から5000年前に出会ったのです。貴方は行商人の息子で私は一国の王女でした。それでも私たちは相思相愛になって婚約までした。なのに、貴方は死んでしまいました。私とあれだけ長く一緒に居て、愛し合ったというのに貴方は戦争に巻き込まれて死んでしまった。えぇ、私は絶望しました。絶望して絶望して絶望して絶望して絶望して絶望して絶望して絶望して絶望して絶望して――死んだ。森の奥の泉に飛び込んで自殺しましたわ。苦しくなんてなかったわ。貴方の元に行けるなら良かったもの。でも、私は貴方と同じ先には行けなかった。貴方は天国で、私は地獄。思い出しただけでも、腹立ちますわ。ヘル――地獄の女神のせいで、私は……私は!! ……でも、私はあの女に契約を持ちかけて無事に生き返りましたの。前世の記憶を持ってね。そして、貴方を探して探して探し続けた。貴方を見つけるまでに8回は転生しましたわ。でも出会ったとき、貴方は別の女と結婚していた。えぇ、憎みましたとも、その女を。勿論、滅多刺しにして犬の餌にして殺してやりました。でも、貴方はその女を追って自殺してしまった。……大丈夫。すぐに私も後を追いましたから。そして、私は地獄へと戻って貴方と再会した。何年も何十年も逃げる貴方を追いかけて愛し合ったわ。あぁ……思い出しただけでも絶頂に達しそうだわ。あぁ、ごめんなさい。はたしなかったわね。貴方と再会できてはしゃいでるのよ。ごめんなさいね。でもね、貴方も悪いのよ? 私を置いたままヘルと契約して蘇ってしまったのだから。私はヘルと殺しあったわ。どれくらいの時間戦い続けたのかわからないくらいね。確か、貴方が10回ほど転生するくらいの時間だったらしいけど、そんなことはどうでもいいわ。……私は、ヘルを脅してもう一度契約したの。そりゃ、とんでもない代償を払ったけど貴方と出会えるのならそんなものどうでもよかったわ。結局、4回も転生した末に貴方と出会えたわ。その時、貴方は私と婚約してくれた。それはもう嬉しかったわ。何千年もの時をかけて再び結ばれたのだから。……でも、貴方は結局死んでしまった。私を守って貴方は死んでしまった。…………後悔したわ。そして、神を憎んだ。殺してやろうってね。私と貴方の恋路を邪魔する神なんて殺してやろうと思った。だけど、私は負けたの。そして……こんな場所に閉じ込められて……」


 息継ぎなしで喋る目の前の亡霊に啓介は顔をゆがめて恐怖し、抵抗しようとする。

 しかし、両足は地面に縫い付けられ、両腕は上に吊るされて身動きが取れない。

 レヴィルカは目から光が消えており、揚々と語っていたはずの言葉のトーンは憎しみと憎悪が込められた地獄の底から湧き上がるかのような怨嗟の声へと変わっていた。


(ヤ、ヤバイ! コイツはマジでヤバイ!! 冗談抜きで……)

「ねぇ、聞いてます?」

「知るかよッ! 仮に前世ってのが本当にあったとしても今の俺には関係ねぇだろ!!」

「そんな酷いこと言うなんて……あぁ、今は気が動転してるのね。大丈夫よ、私がついてるから」

「ッ!!」


 啓介はいきなり抱き寄せるようにして抱きしめられ、胸に顔を押し付けられる。

 様々な恐怖と混乱と疑問が彼の脳内を駆け巡り、啓介は上手く声が上げれなかった。

 それを見ていたレヴィルカは啓介の頭を愛でるように撫でながら傍で佇んでいる亡霊騎士に告げる。


「準備をしてちょうだい」

「了解」


 何の準備、とは言わなかったがそれでも亡霊騎士は理解できたらしく、レヴィルカの命を受けると同時に蝋燭の火が消えるような気軽さでその場から消えた。


「ふふふふふふふふふふふふ」

「…ぁ……」


 啓介はレヴィルカの白く冷たい手で頬を撫でられる。

 人間や超能力者の“撫でる”という行為よりも冷たく、死を感じさせる気味の悪い感覚。

 啓介は希望を見出せていなければ、今すぐにでも泣き叫んだかもしれなかった。

 それくらいに目の前の女は冷たく、恐ろしかった。


(……や、やばい。俺は、このままだと……間違いなく死ぬ。“準備”とかいうのは恐らく俺を殺して霊魂を引っ張り出すか、前世の記憶とやらを上書きする準備のことだ)


 手足が動かせない今、超能力は発動できない上に、レヴィルカ相手に超能力が通じるかどうかも怪しいのだ。理奈の超能力が1回、氷柱の超能力が1回。どちらも最高峰レベルの超能力ではあるが、一度しか使えない上に相手の弱点や攻略法も未だに掴めていない。勝率はゼロに等しいだろう。

 ならば、と啓介は考える。


(理奈と水崎が助けに来るまで。……それまで生き延びて、コイツの弱点と攻略法を暴く。それが俺の唯一できること)


 啓介は抱擁を止めて佇むレヴィルカの後姿を眺めながら考える。

 この圧倒的不利の状況でも2人は間違いなく救助に来てくれるだろう。理奈は言わずとも、氷柱も助けには来る筈。なぜなら、


(俺はまだ、利用価値があるから……)


 氷柱の求める真実とやらを追いかけるためには、ギルド上層部に重宝されている啓介に取り入る日と湯がある。彼女がそう考えているこのは言動から容易に推測できた。もし、真実が彼女にとって何物にも勝る存在だというのならば、それを得るための道具としての可能性を持つ啓介を放っておく訳がないのだ。


(そして最後の問題。どうやってあの女の尻尾を掴む?)


 今からあの亡霊女に取り入ろうとしても最早不可能。それ以前にあの亡霊女と接するだけで鳥肌が嫌と言うほどに立ってしまう。この方法は使えない。

 なら、どうする?と啓介は思案しながらレヴィルカを観察し始める。


「さぁ、私の僕よ。地上に残る人間たちの掃除を命じるわ」


 レヴィルカが両手を広げて静かに言い放つ。すると湖の上をふよふよ浮遊していた無数の霊魂たちは姿形を変形させて、地上へと飛んでいく。

 古今東西の様々な容姿をした亡霊たちに恐怖を抱きながら啓介は必死に考える。


(考えろ! 考えるんだ。……亡霊の弱点を)




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 同時刻。

 啓介が連れさらわれた旧甲府市から数キロ程南東に広がる樹海を氷柱は全速力で駆け抜けていた。取り外しが可能な暗部特製のブレードをブーツに装着し、氷柱は大木の隙間を通るように氷の道を生みだし、その上をスピードスケートのように疾走する。


「あーぁ、最悪のパターンになりそうですね。こりゃ……」


 彼女の呟きが空に向けて吐かれると同時に彼女の遥か前方で強大な雷が落ちる。

 一瞬、視界が真っ白に染まるくらいに強力な雷撃であり、落雷の場所では火事が起きていた。

 それを見た氷柱は溜息を吐くと火を目標にして走り出す。


「理性を失った人間は“野獣”と形容されますが、果たして理性を失った超能力者は何と形容されるんでしょうかね」


 氷柱には想像もできなかったが、恐らく化け物(モンスター)という言葉ですら生温いくらいに恐ろしい存在へと変わるだろう。しかもそれが最上位能力者(LEVEL7)ならば、それはもう言葉では表現できないような存在になってしまうのだろう。

 氷柱は自分の超能力の真髄と恐ろしさをよく知っている。だからこそ、理性は失うべきではないと常日頃から理解して動いている。そして、どんな境地に陥ったとしても取り乱してはいけないとギルドからも叩き込まれている。


「面倒なこと起こしてくれるのも始末書が面倒なので気が引けるんですけど……仕方ありませんし、やれることはやっておきましょうか」


 氷柱は再び遠くで破裂するような爆音を響かせた雷を観測する。

 事情を話した途端に無言で走り出したかと思えばあのような凶行。恐らく、襲い掛かってくる亡霊たちを片っ端から葬っているのだろう。

 氷柱は理奈と啓介の関係は把握している。情報屋たる者、あの程度の情報を探し出すことなど朝飯前だ。しかし、氷柱には理解しかねるのだ。


「……どうして、理奈さんはあそこまで依存できるんでしょうかね。啓介さんをまるでもう1人の自分のように認識し、彼に対して絶対の信頼を置いている。……裏切られることが怖くないんですかね?」


 人間は精神が融合しない限り、何処までも孤独で相容れない存在だと氷柱は思っている。それが例え親友や幼馴染、親子、兄弟、姉妹という関係であってもだ。

 相手のことを完全に理解することなど不可能でり、自分のことを完全に理解してくれる存在など世界のどこにも存在しない。自分自身ですら言語化できないような感情を相手がどのようにして察知し、理解してくれるというのか。


「……第3位じゃあるまいし、相手の精神構造なんて把握できるわけが無いでしょう」


 氷柱は呟く。

 自分に言い聞かせる様な感情を含んだ複雑な胸中を表現するような声色だった。


「…………何弱気になってんですか。馬鹿馬鹿しい」


 氷柱は己に対して喝を入れると滑走速度を上昇させて樹海を突き進む。

 五輪のスピードスケート選手が舌を巻くような速度で氷柱は滑走していく。

 自身の胸中に生まれた感情をねじ伏せて燃える樹海で理奈を追い続ける。

 全ては自分の求める“真実”へたどり着くための材料である啓介を救い出すために。



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