【1‐6】 プライド
「啓介はさ、どうして契約してくれないの?」
夕刻、アリエルは台所で調理の準備をしていた啓介に質問をぶつけた。
啓介は冷蔵庫からジャガイモを取り出すとソファに座っているアリエルを見ながら答えた。
「意味がわからないな。お前こそ、何で俺に固執する」
「……まだ理解してなかったの?」
「悪かったな」
啓介はソファに座ってテレビを見続ける彼女に文句を言う。
アリエルは視線を動かさずに答えた。
「……悪魔が簡単に契約を持ちかけるワケないでしょ? だから私は最初に言ったんじゃない。“戻れなくなっても知らないよ?”って」
「……もしかして、お前」
「やっとわかったの?」
啓介は1つの結論に辿り着く。
アリエルは無表情のまま啓介に言葉を返す。
(俺以外の人間と契約する事が出来ないのか?)
彼女は初めて会った日の夜に『探している人間がいる』と言った。それは間違いなく“契約できそうな人物”のことだろうと啓介は確信していた。
そして『戻れなくなっても知らないよ?』という言葉の真意は、“一度契約内容を聞いた人間を必ず契約させなければ悪魔がどうにかなってしまう“ということなのだろう。
「つまり、アリエルは俺が契約を承諾しないと……どうにかなるってことか?」
「大体正解。私達悪魔って言うのは契約相手の“あるモノ”を奪うことによって生き永らえるような種族だからね。……これを言うと弱みに付け込むみたいだからイヤなんだけど、一度契約を持ちかけたら最後、その人間が契約するまで悪魔は契約相手を変更できないの」
つまり、彼女の話をまとめると……。
「つまり、お前は自分の寿命の限界が迫っていて、死にたくないからこの世界に来たってことか? そんでもって一度選んだ契約相手が変更できないからお前は絶対に俺と契約しないといけないってワケか?」
「そういうこと」
「……じゃあ、聞くけどよ。仮に俺が契約せずに死んだらどうなるんだ?」
「別に。新しい契約者を探せば済む話。だけど、啓介は私を手放したら死ぬよ」
アリエルがここで初めて啓介のほうを向き、立ち上がると台所のほうへと向かってくる。ダイニングテーブル越しに2人は向かい合う。
「神が“自分を裏切った玩具”を持ち続けるとでも思っているの?」
「……ど、どういう」
「この世界の真実を聞いてしまった啓介は契約するにしろ、契約しないにしろ……神から命を狙われることになる」
自分の手元から離れていくくらいならば壊してしまえ。
「今は運命が効かない悪魔がいるから啓介に危険は及ばない。だけど、私が離れれば啓介はすぐに死ぬ」
「……俺はずっとお前を傍に置いておかないと駄目ってことかよ」
「契約すればそうでもないけどね」
啓介は黙り込む。自分の迂闊な言動によって今、自分は死の寸前に立たされていることに恐怖を感じたのかもしれない。
確証や証拠は何処にもないのだが、彼女が言うのならば信じてしまえる。それほどに啓介にはこれらの言葉が強烈に響いていた。
「まぁ、そんな弱みに付け込まれる形で契約されるのは私の“人間よりも上位の存在”としてのプライドの沽券にも関わるし」
「…………お前」
「本来なら私は今すぐにここで啓介を殺して別の契約者を探すっていう手を取るべきかもしれない。でもね、私は人間を殺すのは好きじゃないの。平和主義だし。……それに、私にはさっきにも言ったようにプライドがある」
アリエルは凛々しい顔つきで啓介の顔を見ながら断言した。
「私は人間を自分の意志の為に人間を殺すなんて御免なの。ほかの悪魔がゲスだろうと、私が悪魔らしくなかろうとも、それだけは譲れない。私は神と同じになりたくないから」
本当に悪魔らしくない悪魔だ、と啓介は思った。
伝承に残された悪魔と全く違うイメージである目の前の少女に啓介は呆れていた。
「本当に、悪魔かよ」
「悪魔だよ。人間を誘惑するんだから悪魔じゃん」
「…………それで、お前は俺をどうしたいわけ?」
「そりゃ契約したい」
目の前の少女は本気で言っているようだ。
栂村啓介を人外へと変えて、異能の力を与えたい。自分の生きるために、自分の人間観察と言う目的を果たすために彼女は啓介と契約したがっている。
(俺に、自分の裏と向き合えって言ってるようなモンじゃねーか)
契約するということは自身の全否定であり、家族への侮辱と冒涜である。
家族を取るか、彼女を取るか。
(前までの俺なら家族を取ってハイお終い、だったんだがな……)
今の自分の気持ちがよくわからない。それが彼の率直な感想だ。
彼女に対する憐憫と自身に関する葛藤、家族への感情がごちゃ混ぜになって自分が何をしてどうするべきなのかが見えてこないのだ。
「……わかった」
「?」
だから啓介は呟いた。
「お前がそこまで本気だって言うんなら、俺も本気で立ち向かってやるよ」
それが今の啓介に出来ることだ。
汚い自分の欲望とプライドを捨てて、目の前の少女と本気で議論する。
それしか今、できることはないのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「それで、だ」
啓介はスプーンを皿に置いて口を拭くと目の前に座るアリエルと話し出す。
夕食のカレーを食べ終えた2人は今から“契約に関する議論”を始めるようだ。
「うん……」
アリエルも真面目な顔になる。
2人はイスに座りながら向かい合う。
「もう一度、契約について話してくれてもいいか?」
「わかった」
啓介は1冊の新品のノートを取り出すとシャーペンを左手で押す。
どうやら状況整理しつつ話をまとめる為の物らしい。
それを見ていたアリエルがポツリと呟く。
「左手で書くんだね。食事のときは右手だったのに」
「え? あ、あぁ……。クロス・ドミナンスって言って『右手左手を使い分ける』タイプらしいんだ、俺は」
両利きではなく、食事の際は右手、勉強の際は左手と使い分けているだけであって左手で箸が扱えるわけではないし、右手で文字を描く事が出来ないのだ。
啓介がノートを開いてシャーペンを持つとアリエルの顔を見る。
「それじゃ、もう一度言うけどいいかな? ……っていうより、啓介が私に質問する形の方が楽だし、そうしてくれないかな?」
「あぁ」
啓介は何から質問していくべきかを脳内で組み立てながら質問する。
「まず最初に、お前の人間界に来た目的は?」
「自分の寿命を延ばす為。と兼ねて人間観察のためだね」
啓介がノートにまとめる。
「それじゃ次だけど、契約って言うのは運命を破壊するためのモノなのか?」
「それでいいと思うよ。神の定めた運命から逃れる=人間を辞めるということであって、人間を辞めるには悪魔の力を借りるしかない。つまり、超能力はあくまでも副産物のようなモノでしかないワケ。……まぁ、最近の契約では超能力の方を求める人間もいるらしいけど」
「じゃ、次。……お前は俺以外の人間と契約できないのか? いや、お前の主義とか関係なしに」
「悪魔の間にも掟があってね、“人間を無差別に襲ってはいけない”という点と“超能力を人間相手に行使してはいけない”っていう掟があるから啓介以外の人間と契約できないね。私の寿命も残り数十年だから啓介がこのまま老衰で死ぬのを待っていたら私が死ぬし」
つまり、アリエルが平和主義者だろうがなかろうが、悪魔は人間を勝手に殺したりする事が許されていないと言うことになる。
「だったら、お前が俺から離れればいいんじゃないのか? そうすれば俺は殺されて晴れてお前は次の人間探しができるわけだし」
「確かにそうすればいいんだろうし、ほかの悪魔はそうするでしょうね。……でも、私はそんなことしたくないのよ」
「どうして」
「他の悪魔達と同類になるのがイヤ。……それこそ、私が死んでも嫌なこと」
「詭弁だな」
「そうかもしれないけど、それでも私はそうしたいの」
つまり、彼女は啓介を見捨てる気はないということになる。
啓介は少しばかりの安堵を覚えた。
「詭弁だろうが、偽善だろうかそれをしてもいないやつ等よりはマシよ。私は何もせずにあざ笑うだけの存在でいたくないの」
「…………そうかい。それじゃ、次だけど……仮に俺が契約したら俺にどんなメリットがある?」
「……啓介の努力が認められる。憧れだった“特別”になれる」
やはりか、と啓介は思った。
目の前の存在は啓介が契約を拒絶する理由を把握している。
「……俺の心理がわかっているんだな」
「把握はしている。けど、理解は出来ない。悪魔は人間の欲望を満たすために心理を理解する力はある。だけど、感情を理解できるかと言われればできないもの」
種族の違い。それがこの差を生んでいると言うことになる。
「……お前は、俺に契約してほしいのか」
「そりゃ。……でも、啓介の考えが纏まった時で良い。それまでは待っていてあげる」
「……そうかい」
啓介は迫られる。
自分と向き合い、自分の感情を整理しなければ目の前の少女は死ぬ。それだけではなく、時間がかかりすぎると神による啓介の排除が啓介の周囲にまで及ぶかもしれないと言うのだから残された時間は多くない。
(……モラトニアムは終わりってか)
「神が啓介の周囲を攻撃するのは多分1週間後。リミットは1週間。……それまでに考えていてほしい」
「…………」
「啓介のことは私がいれば守ってあげることはできる。だけど、他の人間は出来ない。……そこを考えて啓介には決断してほしい」
アリエルは啓介の判断・意志に任せると言っていたが、それは本人も言っていた通りに偽善と詭弁でしかない。……出来レースじゃないか、と啓介は考えた。
「もう一度言っておくけど、人間は与えられた時間、有限を目的なく生きる存在でしかないんだよ? たとえ目的があろうともそれを達成することの出来る人間はほんの一握りだけ。それも生まれもった才能を持つ者だけ。……その1つだけで普遍的な人間は異常なる存在、即ち偉人と呼ばれる存在へと昇華するんだよ? 理不尽だとは思わないの?」
啓介はアリエルの瞳を見る。
汚れを知らない真っ直ぐな瞳に見えるが、実態はわからない。
下手をすれば吸い込まれそうな感じもする。
「才能とは先天的なものと後天的なものに分かれる。後天的な才能は努力した結果、得られたものである。なんておバカな人間は言っているけど、後天的に得られる才能も、最初から内に秘めていただけであって何も無いところから発生するものではないんだよ。つまり、才能とは神から与えられたものであり、才能を行使する人間は神に愛された人間というわけなんだよ」
「まぁ、その理論は賛否両論が飛び交いそうだな」
「世界はね、運命に決定付けられているんだよ?所詮、神の掌で遊ばされているに過ぎないというわけ。啓介に運動神経がないことも、モテないことも、勉強が出来ないことも、友達がいないこと、童貞なことも全てが神によって定められている。アナタがどれだけ努力して生まれ変わろうとも所詮それは神が定めた範囲内での変化でしかないんだよ?」
啓介の努力はすべてが神によって無効化されている。どんなに血の滲む様な努力を使用とも結果を得ることはできない未来。……何の価値があると言うのだろうか。
「今この瞬間に何処かで人が死んでいたとしてもそれは神に決定されたことであり、神の決定を超えて延命できるなんてことは絶対にあり得ない。その人は、今この瞬間に死ぬ為に生まれて育ってきたんだから。神の創作した物語における出番が終了した役に立たない人間は“死”を以って退場するというわけ」
哲学者達が喜んで議論を始めそうな話題をアリエルは話し続ける。
外見年齢には何をどう捉えても似合わないであろう話題であるはずだが、アリエルだけは例外であるかのように似合っていた。
「悔しいとは思わないの? アナタがいくら努力しても意味はないんだよ? 童貞を卒業したいからといってモテようとして努力しようとも童貞のまま死に行く人間もいる。そう決められているから。啓介もその例に漏れず、神によって人間界の底辺に位置づけられているんだよ?」
運命論、神は絶対である、才能こそすべて、絶対正義。
啓介は腐り果てた嫌な世界だと呟く。
「……私はそんな理不尽を壊すために生きる存在。人間が出来るであろう範囲で努力しても目立てないであろう啓介を物語の主人公になれるような存在へと変える事が出来るの」
「……主人公なんて御免だね。あんな熱血的で疲れる役は俺にはムリだ」
「なれるよ」
「……」
「とはいっても私が魔法でちょちょいのちょい、という感じに啓介を変えるわけでもない。アナタに、生まれ変わる為に必要なチカラを与えるだけ」
「結局は俺が努力しないといけないって意味じゃねぇか」
「そりゃアナタが努力しなければ意味がないよ」
アリエルは啓介の右手を握る。
「勿論、無料というわけにはいかない。これは神に定められた法則、因果律、森羅万象の掟を破るわけだもの」
「そりゃぁ、運命っていう枷を外すんだからな。それ相応の代償は必要ってか?」
何を代償とするのかは知らない。
魂か?感情か?金か?記憶か?家族か?友人か?社会的地位か?恋人か?
中世のヨーロッパで魔女狩りが発生した際の記録では『悪魔と身体を交える』とあったらしいが、そんなものではないだろう。
女性からしたら苦痛かもしれないが、男からしたら性欲発散になった上に力まで得てラッキーの二乗状態である。まぁ、相手が同性だった場合は苦痛かもしれないが。
「……それで、その契約の代償とやらは? それがあるモノを貰い受けるってことなんだろうが」
「……それこそ、契約を受けてくれないと言えないよ」
アリエルはそれだけ言い終えると立ち上がる。
話はこれでお終いの様だ。啓介はそう感じると嘆息してノートを見る。
色々と書き殴って頭の整理をつけたが、それでも決心はつかない。
自分と向き合う決心が。
「……啓介、私は待つからね」
「あぁ……頼むわ」
決められた未来を捨て、自分の力でどうにかする道を選ぶ。それは悪いことではないし、超能力もオマケで得る事が出来るのだから良いことだとは思う。
遅かれ早かれ自分の契約は成立するだろう。アリエルの命を助ける結果にも繋がるし、自身の家族も自身の命も未来も守れるから。
(……プライドを捨てろ、か)
啓介は自分と決別するために思案する。
今すべきことはそれだけなのだ。