【7‐2】 ルナティック・マインド
7月2日 午前10時21分。
長野県上空を飛行する小型旅客機に啓介たちは搭乗していた。
彼らが搭乗している小型旅客機は高度3000mの雲の上を飛行していた。
「それにしてもよくこんな旅客機用意できたよな。ギルドってやっぱり権力スゲぇんだな」
「暗部で発達した負技術が搭載された一般には出回らない最新鋭のモノですから。国外へ緊急任務で向かう場合などに使用されるそうですが、今回は特例ということで貸し出してもらいました」
「最高時速が超音速レベルの飛行機を借りるって……アンタ、何者よ」
理奈の言葉に含まれていたこの飛行機の性能を聞き、啓介は絶句する。戦闘機でもない人間を運ぶ只の飛行機に超音速で滑空する必要性が何処にあるのだろうか。ただ、現在は普通の旅客機と同じ速度で飛行しているのでそんな性能は微塵も感じられないのだが。
「とにかく、目的地に到着するまでに時間は5分もありません。そのうちに今回の任務について再度説明しましょう」
ファーストクラスの様な豪華な施設が充実している機内で3人は向かい合う。
理奈は数十万はしそうなソファに足を組んで座っており、啓介はカーペットの上であぐらを掻いて座っていた。そして氷柱はその2人を前にして仁王立ちで左手のメモ帳を見ながら説明を開始する。
「場所は日本国山梨県に位置する超巨大原生林“青木ヶ原樹海”。結界は山梨県全域を覆うようにして発生しており、結界は一般人の目には見えないものの上空を飛行していた飛行機が墜落したり、結界周辺で失踪事件が頻発するなど被害は深刻なレベルまで来ています」
「おい、ちょっと待てよ。今、思ったんだが……どうやって俺達は聖地に侵入するんだ?」
啓介が右手を挙げて氷柱に尋ねる。
今までの国内での任務は新幹線などの表世界の交通網を利用していたというのに何故今回だけは暗部の技術を利用した飛行機なのか。普通に向かうのなら結界まで車で向かえばいいはず。
「日本政府は情報操作で山梨県を覆うようにして自衛隊や警察を配置しています。なので地上から向かうことは不可能なわけなんです」
現場に出てくるような警官や自衛隊員は暗部の存在を知りませんし、と氷柱は補足する。
「つまり、今回の任務は上空からのスカイダイビングで侵入するってことかしら?」
「はぁ!?」
啓介が驚愕の声を上げてその話についての説明を暗に要求する。
しかし理奈も氷柱も反応せずに会話を展開する。
「そうなりますね。聖地上空では速度を急激に上げて通過するのでこの飛行機の墜落は心配ないでしょう。あぁ、スカイダイビングは初めてですか?」
「まぁね。……そういうアンタはどうなのよ?」
「これでも昔はフランスで……いや、そんなことは今はどうでもいいんです。とにかく説明を続けますよ」
氷柱はメモ帳を捲ると再び説明へと戻る。
「我々の任務は聖地の制圧。聖地内を制圧する“番人”を倒すことによって聖地内に眠る“力”の奪取及び結界の解除を行います」
「あんな広大な原生林を踏破するとか無茶なんじゃないの?」
「そこは貴方に期待するしか。……とにかく、聖地内では何が存在しているのか全くわからない状況になっていると推測されています。この世界とは全く別次元の世界になっているかもしれませんね」
啓介は顎に手を当てて聖地内部の姿を想像する。この世界とはまったく別の世界かもしれない常識に捕らわれない空間。それが聖地。
「……さっぱり予測もつかんな」
「でしょうね。……我々はそんな未知の空間に放り込まれるわけです。酸素がない空間とかだったらどうしましょうか」
「恐ろしいこと言うなよ。流石に宇宙服なんて用意してないぜ」
「冗談ですよ。聖人が人間という生物をモデルにした生命体である以上、酸素くらいは存在していると思いますよ?」
氷柱は剣呑な瞳を向ける啓介を笑い飛ばすとスタスタと隅っこへと歩いていく。
理奈はそれを見るとソファから立ち上がり、氷柱の元へと歩いていく。
何が何か理解できない啓介は目を丸くして2人を見つめる。
「啓介さん、そろそろこの旅客機の速度が上がるんで心の準備とスカイダイビングの準備をしておいてくださいね」
「いやいやいや。スカイダイビングってある程度訓練とか受けた人がするモンでしょうが。俺、そんな訓練してないからね? 俺が飛び降りたら投身自殺になるっての。それに第一、パラシュートとか何処にあるわけ?」
「そんなものありませんよ。食料とか最低限の装備を持つだけで精一杯なんですから。まぁ、ゴーグルは用意しているんでどうぞ」
啓介は氷柱の一言に希望を全て打ちのめされた。パラシュートのないスカイダイビングなどロープのないバンジージャンプと同じで辿る運命など1つしか存在しないではないか。
地面に膝と肘をついて絶望する啓介に氷柱はゴーグルを投げて渡す。
「大丈夫ですよ。私達は3人とも最上位能力者なんですよ? お遊び程度で死ぬわけないじゃないですか」
「死ぬっての! 高度3000mからの投身自殺だぞ!」
「聖地に入ると我々は聖人の力を行使できるので大丈夫だと思いますけどね」
「憶測じゃねぇか!」
啓介がそう叫んで立ち上がろうとした瞬間、彼の体が横に吹き飛ばされた。
ゴロゴロと床を転がってソファに激突した啓介は頭を抱えて潰れた蛙の様な声で呻く。
《目的地上空まで残り10秒》
操縦席からのアナウンスと同時に氷柱は耳を抑えながら啓介に叫ぶ。
「急いでください! 飛び降りますよ!!」
飛行機の速度がどんどん急上昇していく。
啓介は立ち上がれないので床を匍匐前進しながら氷柱と理奈の元へと向かう。どうやらGが強烈過ぎて上手く立てないようだ。
理奈と氷柱も壁に設置されている取っ手を掴んでいた。啓介は芋虫のように地面を這って扉へと近寄る。
「荷物持ったでしょうね?」
「大丈夫ですよ」
氷柱がそう呟くと同時に分厚い扉が音を立てて開く。機内へと風が侵入し、機内の固定されていない物は滅茶苦茶に飛び回る。
氷柱はゴーグルを装着すると手を放し、そのまま外へと放り出されるように消えていく。そして理奈もゴーグルを装着すると近くで死にそうな声を出していた啓介の首を掴んで外へと飛び出る。
一瞬の無重力を経験した後に3人の身体は重力に従って下へと落ち始める。
「ぎゃああああああああああああああああああああああっ!!」
あっという間に空の向こうへと飛んでいく旅客機を視界の端に置きながら啓介は絶叫する。何もない真っ青な青色の空が啓介の視界を覆う。首を掴まれたまま空に飛び出たので地上を背に啓介は落下していく。
そのまま一回転二回転三回転……と空中で回った啓介は目を少し回しながらも地上へと目を向ける。地上は完全なる森だった。
「いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁーーーーー!!」
涙を目尻に溜めながら啓介は叫ぶ。
時速300kmで地上へと吸い込まれていっているのだが、啓介からすれば不思議なことに落下しているというよりは強い風で浮いているという感じなのでそんな速度で落下しているとは感じられなかった。
テレビでよく見るように安定した姿勢を保てない啓介は完全にコントロール不可能な状態でぐるぐると回転しながら落下していく。
いつの間にか隣で飛行していた理奈が上空におり、先に飛び降りた氷柱と同じ高度くらいにまで啓介は到達していた。
「ちょ、啓介さん! 頭を下に向けないでください!!」
「無理ィィィィィィーーー!!」
大声で叫んだ氷柱の忠告がかろうじて聞こえた啓介だったが、啓介は何の才能もない普通の身体能力を有する存在。直感や運動神経で落下体勢を維持するなんていう神業は不可能である。
「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ついに啓介は氷柱よりも先に森へと吸い込まれていく。
それを見た氷柱は舌打ちをして自身も頭を下へと向け、速度を上げる。
啓介の身体を掴んだ氷柱は抱きしめるように自身へと啓介を寄せてそのまま森へと吸い込まれていき、消えた。
それを上空から見ていた理奈は一瞬の出来事に少しだけ驚愕した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
木の枝をバキバキとへし折る音が聞こえ、葉っぱが千切られる音がする。
2人は抱き合ったまま森の中へと墜落する。しかし、氷柱は左手で啓介を抱いたまま右手で枝を掴もうと何度も試みる。しかし、どの枝も2人の体重を支えきれずに一瞬でへし折れてしまう。
「ッ!!」
心の中で歯噛みした氷柱は集中し、超能力を発動する。右手を覆うようにして出現した巨大な氷の手はそのまま巨大化し、近くの大木の幹を握る。その大木の枝全てを潰しながら氷柱は少しでも落下速度を落とそうと試みる。
ある程度の速度を殺せたのか、2人はすのまま地面へと落下しても重傷を負うようなことはなかった。枯葉塗れになった氷柱は啓介から離れて膝をついた状態で起き上がる。
「いてて……大丈夫ですか?」
「だ、だ、だ、だ、大丈夫……」
両足ががくがく震えて生まれたての子羊のようになっている啓介を尻目に氷柱は立ち上がり、服についた泥や枯葉を払う。そして装着していたゴーグルをその辺に捨てる。
ある程度の泥を払った氷柱が一息入れると同時に上空から枝や葉が千切れる音がする。そして、氷柱たちから数メートルほど離れた場所に理奈は着地した。
「大丈夫ですか?」
「っつう…………。あぁ、なんとかね」
苦痛に顔を少し歪めながら理奈は立ち上がる。どうやら着地の際に足の骨が砕けたようだ。
理奈は地面に座り込んで溜息をつくとベルトにつけていたペットボトルを取り出し、キャップを開けて飲み出す。
喉を潤した理奈は装着していたゴーグルを草むらに放り投げた。
「あ、あぁぁ……やっと立てるようになった」
震えた声で啓介が立ち上がる。そして服についた汚れを落とそうと両手で払う。いつの間にかゴーグルは外していた。
それを見ていた氷柱は頭についていた枯葉を右手で払い、空を見上げた。
「…………」
「どうしたんだ、水崎?」
「いえ……少し驚愕していただけです。ほら、見てくださいよ」
氷柱が左手の人差し指で空を指差す。それにつられて啓介と理奈も空を見上げる。
理奈は唖然とし、啓介は絶句した。
「満月が見えます」
見上げた場所は3人が落下してきた際に枝や葉を全て落としたので空がよく見えた。
そのよく見える空は真っ黒で、真ん中には怪しい輝きを放つ満月が浮かんでいた。
「……どういうことだよ」
啓介がズボンのポケットから携帯電話を取り出して画面を見る。そこには『7月2日 10時29分』と書かれており、啓介は画面を見て再び唖然とする。
横から携帯電話を覗き込んでいた氷柱は顎に手を当てながら空を見上げる。
「どうやら……本当に外の世界とは別物のようですね」
紅い満月を眺めながら氷柱は憶測を組み立てていく。
「恐らく、この空間内部では外の世界と違って時間の流れが異様に遅いか、あるいは……永遠に太陽が昇らない世界なのか」
「……後者でしょうね。時間の流れが遅いとしても紅い月はあり得ない」
「不気味極まりない場所ですね。常夜の森だとするならば捜索はかなり困難ですよ」
氷柱は暗闇に支配された森を見渡す。大量の蛍が辺りを飛び回っている景色はこんな状況でなければ素晴らしいと賞賛していたかもしれないが、今の状況はそんな景色すら恐怖をせき立てる。
「あの紅い月の光、ずっと見ていると気が狂いそうですね」
「狂気の満月。ルナティックってか……。あと、通話もメールも全部遮断されてるぜ。予想通りだったな」
啓介は携帯電話を仕舞うと氷柱に報告する。
通信環境のないこの空間では単独行動は避けるべきだ、と氷柱は考えると視線を満月から啓介へと移し、作戦会議を始める。
「とにかく、闇雲に突き進んでも“死”しか待っていないでしょう。今はこれからどうするべきか考えるのが先決です」
「なんていうか……ホントに不気味なんだよな。数メートル先は真っ暗で何も見えないのに自分達のいる場所は紅い満月で照らされている。……なんか照明を当てられてるって感じだ」
「正しいと思いますよ。……この空間に迷い込んだ唯一の生命体を主演とした劇なんでしょう」
「……残酷歌劇にならないことを祈りたいな。おい、理奈……」
啓介は溜息をついて理奈の方へと振り向く。
理奈はぼうっとした表情で紅い満月を眺めていた。彼女の見開かれた瞳には満月が映っている。その光景に思わずゾッとしてしまった啓介は理奈の両肩を掴んで揺すり、意識を戻させる。
「お、おい! 狂気に魅入られてるんじゃねーよ!」
「……え、ふぇっ? あ、あぁ……ごめんなさい」
「……満月は見ない方がいいんでしょうね。さてさて、満月議論は置いておくとして……これからどうしましょうか?」
氷柱は笑みを取り戻し、腕を組んだ状態で2人を眺める。
理奈は立ち上がり、スカートや足についた泥を払いながら作戦を考える。
「電磁レーダーを使う限りでは周囲に生命体の反応はゼロ。地形的には……真南に巨大な街みたいなものがあるわね」
「真南……落下地点的にも恐らく甲府市の北辺りに落ちたんでしょうね。……とりあえずは、町へと降りるのが吉でしょう。案内頼めますか?」
理奈は無言で首肯すると南へと振り返り、草むらを分けて進み出す。氷柱と啓介もそれに従って彼女について行く。
「町に降りてどうするつもりだ?」
「こんな森の中にいても意味ないですよ。確かに甲府市は20年前に捨てられたゴーストタウンですけど、こんな真っ暗闇よりは安心できるんじゃないんですか?」
「……そうかもな」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
濁りの全くない綺麗な泉にその美女は佇んでいた。
地中に存在する小さな泉の中心に彼女は座っていた。
「ルカ様」
泉の中心の玉座に座る美女の前に1人の兵士が現われた。膝をつき、頭を下げている。
美女は優雅な動作で懐に抱きかかえていた猫から視線を動かすために首を動かす。
「何かしら? また部下達からのお願い事?」
「そちらではありませんが……緊急事態です」
「どうかしたの?」
「先程、この空間内にて今までに観測したことのない生命反応が探知されました」
美女は猫を撫でていた左手を止めた。
兵士はそれに気がつかずに報告を続ける。
「ルカ様が誘き寄せた食料ではないようです」
「……そう。この空間に外界からやってくるには私の超能力による補助がなければムリだと思っていたのだけれど」
「恐らく、外界の超能力者かと思われます」
美女はパチンと指を鳴らす。
すると泉に波紋が発生し、ゆらゆらと揺れる水面に3人の映像が映し出された。
「二刀流の女剣士に新橋色の女……。どちらも美しいわね。妬ましいわ」
そこまで呟いて美女の表情は固まる。彼女の目はとある1人の人間の姿を捉えていた。
黒茶髪の長髪の男性。護身用の刀を1本だけ所持している頼りなさげな青年。
「…………まさか?」
その呟きはとても小さく、彼女の前で跪いている兵士にすら聞こえないような音量であった。
しかし、その声は喜びと戸惑いが混じりあった普段の彼女からは想像も出来ないような甘い音色だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「うわぁ……」
啓介は目の前の光景を見て呟いた。
それを横で聞いていた氷柱は目の前に広がる光景を興味深そうな目で見渡しながら喋る。
「植物との生存競争に敗れ、植物に全てを塗り潰された都市。……ここは戦後の処理や復興の際にも見放された場所なんです。ですから、あちこちに人骨や不発弾が確認できると思いますよ? ……ほら」
氷柱は足元に落ちていた半分欠けた頭蓋骨を爪先で軽く蹴る。蹴られた頭蓋骨は砂のように崩れ落ちる。
それを見た啓介はゴクリと息を呑む。
「何故山梨県全域が捨てられたかわかります? 歴史の教科書に載っている『復興にかかる費用とこの地の有用性が比例しなかったから』ではないんですよ」
「……なんでだ?」
「山梨県全域を覆ったこの超巨大な樹海は“生きている”んですよ。勿論、意志を持った植物達が生きているという訳ではありません。……“侵入した人間を殺す”というプログラムが施されているんです」
最上位能力者とは厄介なものなんです、と氷柱は言う。
「最上位能力者は所有者が死んだとしても超能力だけが生き続けるんです。最上位能力者が恐れられる理由の1つですね。……啓介さんのような“所有者がいて始めて扱える超能力”ならともかく理奈さんや私のような“自然現象や自然の物を生み出し、操る超能力”というものはこういう風に残っちゃうんです」
「つまり、この樹海は……」
「そういうことです。一度入れば本当に出る事が出来ない場所になってしまったんです」
啓介は天を仰ぐ。
「まぁ、その効力がこの異空間でも発動し続けているのかどうかはわかりませんがね」
氷柱は最後にそう付け加えるとスタスタと街へと向かって歩き出す。
啓介と理奈もそれに続いて街へと入る。
「……なんか雰囲気あるなぁ」
「そうですね。……理奈さん、何か反応はありますか?」
「ないわよ」
赤色の月光で照らされるゴーストタウン。何が居ても不思議ではない。
氷柱、啓介、理奈の順で街で一番巨大だった道路を通り抜ける。
「……」
「どうしたんだよ?」
氷柱が先程からキョロキョロと視線と首を動かしていることを疑問に思った啓介が氷柱に尋ねる。氷柱は少し真剣な表情で答える。
「何かさっきから……誰かに見られているような気がするんですよね」
「き、気のせいだろ?」
「……理奈さん、本当に反応はないんですよね?」
氷柱は振り返って理奈を見る。
理奈は空を見上げていた。
「おい、なんでまた空見上げてるんだよ」
「……」
「どうかしたんですか?」
「わからん。さっきからずっと空を見上げてばっかりでロクに返事しねぇんだよ」
氷柱は理奈へと歩み寄ると理奈の顔の前で手を振る。
「理奈さん? 聞こえてますかー? おーい?」
「………………聞こえてるわよ」
「あぁ、良かった」
ようやく空から視線を戻した理奈に氷柱と啓介は溜息をつく。
この少女、どうもこの空間に侵入してからずっとおかしい。上の空になりがちというかなんというか。
もしかしたら空間に対する心理的な拒絶反応でも出ているんじゃないだろうかと心配しつつも氷柱は理奈にもう一度尋ねる。
「辺りに誰も居ないんですか?」
「えぇ、いないみたいよ」
「そうですか……」
「ほら見ろ、気のせいなんだよ。紛らわしいこと言ってビビらせんじゃねぇよ」
啓介が氷柱を恨めしそうな目で睨みながら呟く。
氷柱が首をかしげながら「気のせいですかね?」と呟いた。
「確かにいないわよ」
「?」
理奈の呟きに2人がもう一度顔を理奈の方へと向ける。
それと同時だった。
「……はぁ?」
啓介が怪訝な声を出した。そしてゆっくりと己の身体を見る。
啓介の腹には普通ならば存在しないであろう銀色の長い獲物が突き刺さっていた。
氷柱もその光景を唖然としながら眺める。
「確かに、“生体反応を持った存在はいない”わよ」
理奈の唇の端を吊り上る。
それを見て氷柱はようやく己が置かれた現在の状況を把握した。
「ッ!?」
氷柱は再度光景を見て目を見開く。
――栂村啓介が栫理奈に刺されている!?
「キャハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
理奈が突然狂ったように笑い出した。天を見上げながら左手で両目を隠すように。
「何してるんですか!!」
氷柱が理奈の脇腹を蹴ろうと足に力を入れて振るう。
しかし、理奈はそれを回避すると氷柱に電撃を放つ。
「うがッ!?」
足に電撃が直撃した氷柱は態勢を崩して地面へと倒れこむ。
理奈は笑いを抑えながら膝を地面についている啓介の腹から日本刀を抜き取る。啓介の鮮血が地面に零れ落ちる。
「あーぁ、もったいない」
理奈は地面に零れ落ちた鮮血を眺めながら日本刀に付着した啓介の血を指でふき取り、舐める。
それを信じられないといった表情で眺めていた啓介の顔を見ると理奈は舌で己の唇を舐め、身体を屈めて啓介に口づけする。
「…………!?」
それを黙って見ていた氷柱は驚いた顔で2人の接吻を眺め続ける。
しばらくして理奈が唇を離すと啓介が眠るように目を閉じて地面に伏せた。
「い、一体何が……?」
「見てわからないのかしら?」
理奈の紅く染まった双眸が氷柱を捉える。
理奈は刀を鞘に戻すと血のついた左手指を優雅な動作で舐め、氷柱に話しかけた。
「初めまして。私の名前は『ヴィーラ・レヴィルカ』。この空間の主……というよりは管理人とでも言うべきかしら? まぁ、私はこの“超能力者たちの冥界”を管理する存在であり、あなた達の求めてやってきたであろう神の力を隠す存在よ」
氷柱は理奈――レヴィルカを睨み付ける。
空間に侵入していきなりボスと遭遇してしまうなんて、と歯噛みする氷柱を見下すように眺めながらレヴィルカは話を続ける。
「私が食料にするために引き入れたわけでもない人間がどうやってこの冥界にやってきたのか。答えは大体予想がついているわ。……あなた達、聖人なのね?」
「だったら何なんですか? 簡単に神の力を引き渡してくれるんですか?」
「まさか」
レヴィルカは氷柱の言葉を一笑する。
「私が用があるのはこの子だけ。あなた達の願いなんて聞き入れる気はないわ」
レヴィルカは気絶した啓介をお姫様抱っこで持ち上げる。
「さて、貴方にはここで死んでもらうことになるわ。……何か最後に言い残すことは?」
「……“氷帝”を舐めんな、って言いたいですね」
氷柱が立ち上がる。まだ足が麻痺しているようだが、彼女はレヴィルカを倒すために立ち上がった。
「そう。……なら、選びなさい。ここに留まって死者となるか、死者となってここに留まるか」
「お断りします」
氷柱の右掌から氷の塊が生み出される。
「私は別に栫理奈に対して思い入れがあるわけじゃありませんから別にその身体ごと貴方を地獄に叩き込んでも構いませんよ? 上層部は文句を言うでしょうが必要な犠牲だった、と割り切ればいいだけのことです」
「あら、貴方たちは仲間だったんじゃないのかしら?」
「まさか」
氷柱は一笑する。
「利害が一致しているだけですよ。足手まといになったら切り捨てる。これだけで問題ありません」
「……なら、この子も殺すとでもいうのかしら?」
レヴィルカは自身の抱える啓介を見ながら氷柱に尋ねた。
氷柱は鼻で笑うと両腕を交差するように構える。
「上層部は彼の保身を私に命じていました。栫理奈を失おうとも栂村啓介は生きて連れ帰って来いと。……私の求める真実に近づくことの出来る取引材料ですし、まぁ栫理奈よりは重要ですね」
「あら、上層部の秘密さえ知れれば殺しても構わないのかしら?」
「えぇ。……私に“仲間”はいりませんよ」
氷柱は真剣な顔つきへと変えるとレヴィルカの元へと向かって走り出す。
「見せてあげましょう、冥界の女王サマ」
レヴィルカは啓介から手を離す。啓介の身体はそのまま宙に浮き続ける。
氷柱は冷気を周囲に展開しながら宣言する。
「地獄の底の冷気を纏う私の超能力【雪波銀盤】。ご賞味あれ」