【4‐7】 射幸心
この物語は、ある程度の史実を織り交ぜながらも完全にこの現実世界とは完全に別の未来を歩んでいる別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家とかその他固有名称で特定される全てのものとは、何の関係もありません。何も関係ありません。
つまり、この物語はフィクションです。
【4‐7】 射幸心
「…お疲れ様」
理奈は無言でこちらへと歩いてきた啓介の右肩をポンっと叩いた。
啓介は力なく「あぁ」と短く返事する。
「…どうだった? 暗部の仕事は」
「クソだな。死にたい気分だ」
「そう」
理奈は首を回して音を鳴らす。
何の感情も込められていない短い返答だった。
「あの子はどうしてるの?」
「軍艦島の墓場」
「墓場?」
そんなものあっただろうか、と理奈は脳を回転させる。
「いや。…あの子が作った墓だそうだ」
「彼女が?」
「…かつてこの島に来た俺らと同じゴミクズの墓だよ」
「……」
理奈は目を少しだけ見開く。
啓介は理奈とは正反対の方を向きながら呟いた。
「自分が死なせてしまった暗部の人間達の墓を最後に参らせてくれ、っていう願いだよ」
「…そっか」
本当に優しい子だと理奈は思った。
「…私にも心が綺麗な時代って…あったのかしらね?」
「あったんだろうよ」
「…だといいけどね」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午後1時55分。
ドルフィン桟橋の前で啓介と理奈は黙って佇んでいた。
そこに鶴神の姿はない。
「……」
啓介が「心の整理くらいはさせてやってほさしい」と理奈と凌に懇願したため、彼女は軍艦島の何処かで島を離れるための準備と墓参りをしているだろう。
理奈は桟橋の向こうで浮いている船を見つめながら島のほうを見つめている啓介に語りかけた。
「遅いわね」
「準備してるんじゃないのか?」
「こんな廃墟で?」
「俺に聞くなよ」
啓介は桟橋の柵にもたれ掛かる。
そして右腕の腕時計をチラリと見る。
「……そろそろ時間だな」
鶴神との約束時間は午後2時。
啓介は島のほうを見る。
すると瓦礫の奥から白い服がチラリとだけ見えるのが確認できた。
「来た」
「了解。それじゃ、啓介よろしくね?」
理奈は先に船へと乗り込む為に桟橋を進んでいった。
啓介は腕を組んで鶴神の到着を待っていた。
「…すみません、遅れてしまいました」
「いや、まだ時間前だから問題ないよ。それにしてもスゴイな…。時計なしで時間がわかるなんて」
なんて言いつつも啓介はある程度の推測はしていた。
恐らく、能力による『最適状態』の維持は体内時計にも影響を及ぼしているのだろう。
鶴神は頬を赤く染めて俯く。
「…それにしても、何も持ち物とかないのか?」
「はい。来た時も何もありませんでしたし…出て行くときも何も持っていかなくていいかなって」
「じゃあ、何をしてたんだい?」
墓参り1つで何時間もかかるとは思えない。
「自分の生活痕を全部片付けていました」
「はぁー…マジメなことで」
飛ぶ鳥なんとやらである。
啓介は感心すると鶴神にこれからの予定を伝えることにした。
「あ、これからの予定だけどな…とりあえず、今から長崎に戻ることにする」
「はい」
「長崎に戻って…まぁ、キミの身辺整理したりして、ギルドにクエストクリアを報告した後に新幹線で神戸へ向かうっていう予定だ」
「はい」
船へと向かって歩く啓介の後ろを鶴神はついて来る。
啓介は先に船に乗り込むと鶴神へと手を差し出す。
「え…?」
「何戸惑ってるんだ?」
「いえ…その…」
啓介は鶴神が自分の手を取らないことを疑問に思っていると後ろから理奈が啓介に鶴神の意志を代理で伝えた。
鶴神は理奈の姿を見ると少しだけ萎縮する。
「啓介、その子の能力のこと、考えなさいよね」
「あ! あー…そうだったな」
「すいません…」
啓介が手を降ろして道を開けると鶴神も慎重に船に乗り込む。
別に彼女を困らせようとした訳ではなく、本当に忘れていただけである。
「…あの子の意志を尊重してやりたいと願うのなら、触れることは止めなさい」
「そうだな。…ありがと」
啓介の耳元で理奈が小声で忠告する。
理奈はそれだけを言うと船内へと入っていく。
啓介は振り返ると鶴神の顔を見て笑う。
「片道30分かかるけどさ…何する? 外にいるか?」
「…外にいます」
鶴神がそう呟くと同時に船にエンジンがかかる。
鶴神は船の最後尾へと歩いていく。
「(最後まで見ていたいんだな…)」
啓介は黙って鶴神の後についていく。
鶴神は最後尾の柵をぎゅっと掴むと悲痛そうな表情を一瞬だけ見せた。
「(ごめんな)」
船が動き出す。
少しずつ、少しずつ離れていく島を鶴神は黙って見つめ続ける。
啓介はそんな鶴神を見つめ続ける。
「…これで、端島ともお別れなんですね」
「…そうだな」
「…………」
啓介は左手を目の上で広げて上から降り注ぐ太陽の光を防ぐ。
軍艦島は離れていく。
「…………」
鶴神は右目から涙を少しだけ流した。
それを意識しているようには見えていない。
「ッ……」
啓介は自分の感情を押さえつけることに力を注いでいた。
暗部の人間になれ、と自分の心を叱り付けた。
「(ここで同情するんじゃない! 同情したってもう遅いんだ! 俺は1人の人間を間違いなく生き地獄に送ったんだ。…いつまで人間面するつもりなんだ)」
『…啓介、聞こえる?』
右耳の通信機から理奈の声が聞こえてくる。
電源を入れた覚えはなかったのだが、恐らく理奈がさっきの時につけたのだろう。
「…なんだ」
『真鍋から興味深い情報が提供されてきたわ』
「言ってくれ」
『帝都・東京が大規模停電に見舞われたそうよ』
「東京が?」
日本の首都が何者かの手によって陥落してしまったという事態に啓介は驚く。
しかし、理奈は酷く冷めた声で啓介に続きを教える。
『大丈夫。停電は30分間だけだから既に問題はないけど、あの停電によって帝都・東京のゲートが一時的に開きっぱなしになっていたそうよ』
つまり、帝都・東京内部から外部に出るための何者かの犯行。
啓介は理奈の言いたいことを理解する。
「…で?」
『現在、日本政府からの要請で茅原 夏音、九 悠、小西 咲平、天野 寂、五十嵐 蕨の5人が帝都・東京の調査へと向かったそうよ』
全員、聞いたことのない名前だ。
「知らない奴等だな。理奈は知ってるのか?」
『五十嵐って女だけなら。それ以外は知らない』
「ふーん」
『とにかく、何者が東京から出たのかは分からない。機密文書を持ち出そうとしてるスパイかもしれないし、反乱者かもしれない。…このクエストが終了次第、私達もそっちに参加した方がよさそうね』
「なんでさ」
こっちは早く帰って休みたい、という気分なのだ。
ただでさえ、心が汚くなって最悪な気分だというのに。
『日本政府との独自パイプが築けるチャンスよ。…それに、あの子の地位を優位にしたいのなら少しでもクエストに出て自分の重要性を示しておかないと』
「……」
理奈の言っていることはごもっともだ。
鶴神の身を考えるなら、働くしか道はない。
「そうだな。…一応、真鍋からの情報は俺にも渡し続けておいてくれ」
『了解』
理奈との通信を切った啓介は海を眺める。
軍艦島はもう遠い場所。
鶴神の黒髪が潮風で揺れる。
「……」
鶴神はずっと海の向こうを、島を眺め続けていた。
啓介は写真にすれば何かの賞にでも入選できそうなくらいに綺麗なその情景を船が到着するまで眺め続けるのだった。