【4‐5】 メサイアコンプレックス
この物語は、ある程度の史実を織り交ぜながらも完全にこの現実世界とは完全に別の未来を歩んでいる別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家とかその他固有名称で特定される全てのものとは、何の関係もありません。何も関係ありません。
つまり、この物語はフィクションです。
【4‐5】 メサイアコンプレックス
6月1日。
午前0時21分。
「どうしようか迷った」
啓介は弓のように鋭く長い月を眺めながら隣に座っている理奈に対して口を開いた。
啓介と理奈は65号棟の屋上にいた。
啓介は寝転がっており、理奈は座っている。
2人とも足だけが宙に出ていた。
「…あの子のこと?」
「あぁ」
理奈は飲みかけのペットボトルを傍に置いて啓介の顔を見る。
啓介の顔は複雑なことを考えている顔だった。
「…あの子の境遇を聞いて思ったんだ。いや、同情したワケじゃないぜ? ただ、あの子の未来を考えるならどうしてやるべきなのかなって思っただけ」
十分同情しているじゃないか、と理奈は思ったが口には出さなかった。
目の前の幼馴染は相変わらず表の心を捨て切れていないらしい。
完全に捨てるなとは言わないが、任務の最中にそんなことを考えてしまうのはどうなのか。
「長門がいればメサイアコンプレックスって断言されそうなくらいね」
「は?」
「…いや、意味が分からないなら別にいいわ。陰口じゃないから」
「まぁお前に陰口言われるとは思ってないけどさ…」
薄い雲で月が覆われる。
この季節にしては少し肌寒い風を受けながら2人は話し合う。
「理奈はできるだけ早くあの子を回収したいんだろ?」
「まぁね。…真鍋から不穏な情報をいくつか受け取ったのよ」
「?」
理奈はタッチパネル式の携帯電話を取り出してそこに書かれた文面を読み上げる。
「『日本時間5月30日午後3時、対馬にある自衛隊基地に爆撃。そして対馬へと朝鮮海軍の艦隊が接近。自衛隊と交戦開始』」
「爆撃? 対馬が?」
対馬は現在は日本自衛隊の基地が存在する島であり、民間人は誰も住んでいない。
朝鮮半島に対する最終防衛ラインである対馬が爆撃されたということは─
「朝鮮半島か?」
「でしょうね。西日本中の自衛隊が一挙に集中して日本海で朝鮮海軍と交戦したそうよ。ここはテレビがないから私達知らなったけど、世間でも既に公表されてる」
「何でこのタイミングで?」
「知らないわよ」
理奈は指で画面をスライドさせて文章の続きを読む。
「『同日午後4時20分、在日米軍が出動。一気に形勢は逆転し、1時間後には日本側の勝利で終わる』」
「まぁ、勝利で終わったならいいんじゃね?」
「『朝鮮側の死者は5000人超、日本側の死者は対馬の爆撃含めて300人。朝鮮政府は日本政府に対して「海軍の独断専行」と主張。日本政府は米国政府と共に厳しく追求する方針』」
「独断専行か…」
第三次世界大戦以来、日本と東アジア諸国の仲は「最悪」の一言で済むレベルにまで落ちてしまっている。
朝鮮半島などとの国交回復はまだ実現できていないのだ。
ロシアの政治家曰く「あと50年はかかる」くらいにまだ険悪だそうだ。
「戦闘の後始末や調査のために自衛隊は引き続き対馬付近にて残留。在日米軍は対馬で待機中。…なんかクサいのよねぇ」
「どういう意味だ?」
「啓介はまだ闇を知らないからわからないでしょうけど─」
理奈は完全に雲に隠れた月のあった場所を眺めながら言った。
「こういうときは、決まって何処かのバカが続けて事件を起こすもんなのよ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午前7時。
軍艦島の朝は早く、啓介は目を擦りながら身体を伸ばしていた。
「あっちーな…」
初夏に近づいていることと太陽光を遮るものがないせいか凄く熱く感じるようだ。
啓介はポキポキと鳴る背骨の心配をしつつ屋上から下を見下ろした。
「…あれ、樹神?」
瓦礫の少ない道を1人の少女が歩いていくところを啓介は見つけた。
超能力者は視力も良かったりする。
「樹神だよな…?」
この無人島に自分たち3人以外の人間がいるという情報は聞かされていない。
啓介は隣で横に丸まって眠っている理奈を一瞥すると左手で理奈の肩に優しく触れる。
「ほっ!」
啓介は助走をつけて宙へ飛び出すと鶴神の歩いている道へと向けて飛び降りる。
「上手くいけよ…?」
啓介は全身から電撃を放って磁力を形成し、鶴神の歩いている場所の近くの建物の壁へと吸い込まれるように落ちていく。
そして半壊している廃墟の壁に着地すると能力を解除して壁キックの要領で地面へと落下する。
目の前にいきなり着地した啓介を見て鶴神は目を見開いて驚いた。
「え、えぇ!?」
「よ、おはよーさん」
「え、お、おはようございます…」
スライディング着地をした際に服についた砂埃を払う啓介を見て鶴神は呆然としている。
まだ現実が認識できていないのかもしれない。
「…どうしたんだ?」
「い、いや…いきなり上から降ってきたので驚いただけです…」
「あー…そういや、そうだな。普通は上から降ってこないもんな」
暗部でハチャメチャな生活や修行をしているうちに常識が薄れていっているようだ。
理奈や紗音瑠たちもこんな感じで常識を忘れていってあんな破天荒になったのかと思うと啓介はぞっとした。
「(せめて、常識だけは覚えておこう)」
「それにしても…何か用ですか?」
「あぁ…一体朝からどこに行くのかと思っていただけだ」
「……ついてきますか?」
「あ、あぁ…」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
階段を昇った先に少しだけ崩れた鳥居がそこにはあった。
「ここは…?」
「神社です。とは言っても本殿はとっくの昔に潰れてしまっているんですけど」
啓介は物珍しそうに辺りをキョロキョロと見回す。
鶴神は一番奥に見える祠へと歩いていく。
そして祠の少し前で立ち止まってしゃがんだ。
「何してんの?」
「食事です」
鶴神は祠の前に置かれているお供え物を手にとっていた。
どれも賞味期限や消費期限を見る限り最近のものである。
「昨日の朝ごろに本土の方からお供え物を置きに来ていた人がいたんです。昨日はアナタ達の来客があったので取りにこれなったんですけど」
「バチ当たりだな」
「神様に喧嘩を売った人間ですよ? 私達は」
鶴神は缶詰と弁当、お酒を持つと踵を返して階段を降り始める。
啓介は慌てて鶴神の後を追う。
「確かキミって飢えも他人に肩代わりできたんじゃなかったっけ?」
「出来ますけど…。私は出来るだけ他人に肩代わりさせたくないんです」
出来るだけのことはする、ということらしい。
自分を生きる価値のない人間と卑下しているにも拘らず、こういう所で生きようとしている辺り歪な精神構造をしているのだなと啓介は思った。
「…キミはさぁ、どうしてこの島に住む様になったんだ?」
「……私は、知り合いをほとんど殺してしまった後、誰も居ない遠い場所に行こうとしてとある船にこっそり乗り込んだんです」
この軍艦島は2022年に世界遺産登録された場所だ。
一般人が足を踏み入れることは厳禁だが、調査のために上陸する公務員などはいる。
公務員達を乗せた船に乗り込んでここまで来てしまったということらしい。
「なんとも微妙な…」
「え?」
「いや、なんでもない」
ボソリとした呟きを聞かれかけて啓介は少しだけ動揺してしまった。
「結局、キミはこの島から…出ないのかい?」
「…はい。だって、私が危険から離れた場所で生きていれば…誰も傷つかなくて済むから」
「俺からしたらこの島、だいぶ危ないけどね…」
いつ建物が倒壊するのかわかったもんじゃないし、と啓介は付け加える。
2人は65号棟へとたどり着くと階段を昇る。
「誰も傷つけたくない、か…」
「はい…」
啓介は目を閉じて空を向いて溜息をはいた。
「(俺って…ホントに残酷でサイテーな人間だな)」
そう心の中で呟いた啓介は表情を真剣なものへと変貌させた。
今から目の前の少女の純粋な感情を操るのだ。
歪な約束でその綺麗な心を汚す行為に啓介は自分が酷く醜くなることを感じながらその言葉を鶴神に発した。
「だったら、尚更俺たちの仲間になってくれよ」