【1‐3】 華麗奔放
「貴方は“運命”についてどう思っている?」
少女は何かを企んでいる様な笑みで啓介にその質問を投げかけた。
「……はぁ?」
「いきなりだから事態が飲み込めていないって言うのもわかるけど、もう少し理解力を持って貰いたいなぁ」
「いや、言ってる意味はわかってるんだが……」
啓介は目の前の少女の印象を『ほぼパーフェクトな美少女』から『不審な美少女』へと変える。いや、「幸せを呼ぶ壷」を掴ませようとする女という印象にさえチェンジしそうだった。
「んー……質問の意図でも知りたいの?」
「あ、あぁ……」
「それは最後まで聞いてくれたら教えてあげるよ。今は答えて」
まるで心でも読んだのかというくらいに絶妙なタイミングだった。
読心術でも持っているのかと聞きたいくらいに啓介の心の内を的確に言い当てた。
そのことに少し恐れながらも啓介は質問に対する回答を用意した。
「んー……神様が人間に与えた予定みたいなものかな」
「それじゃあ、運命を信じてる?」
「信じてないな」
「どうして?」
「俺、神様とか信じてないから」
基本的に啓介は神様を信じていない。
自身の生い立ちと境遇を思い出せば、神様なんて、奇跡なんて、運命なんて存在していないと断言してやれるくらいには考えている。
「ふぅん」
少女は瞳をぎらつかせる。獲物を見つけた猛禽類の様な瞳に啓介には映った。
すると少女はブランコの台座から啓介のほうへと歩み寄ってきた。
事故防止用の柵に手を乗せ、啓介の顔を下から覗き込むように見上げる。
「合格ラインは越えているみたいだし、私の捜し求めている人物について教えてあげようか。誇っていいよ、私のお眼鏡にかなったんだから」
かなり上から目線の言い方だったが、怒りは湧いてこなかった。
類い稀なる外見のおかげか、少女の纏う不思議な雰囲気のおかげか。それとも両方か。
少女は啓介の黒色の瞳を見つめながら話し始めた。
「まずは“運命”について語ろうか」
「おい、探してる人間の話じゃねぇのかよ」
「人の話しは最後まで聞くものだよ。……人間にはここから話し始めた方が理解しやすいだろうからわざわざ語ってあげているんだ」
何やら引っ掛かる言い回しだったが、啓介はそれについて深く考えずに始まる話について注意を傾ける。
「“運命”とは、生命が誕生したときから神的存在から与えられた決められている事象のことであり、全てに適応されるルールのようなモノ。いや、因果律と言い換えてもいいね」
「運命ねぇ……。運命の恋人とかってよく世間では言われてるけど」
「それはどうかな?」
馬鹿馬鹿しい、と付け加えて一蹴する啓介に少女は反論する。
「人間は過去に起きた事象に限定して『運命』という言葉を使うね。それは別に間違いではないんだけれど、正解にも届いていないんだ」
(結局、お前は何が言いたいんだ?)
話の意図が掴めずに啓介は困惑する。
目の前の少女は何を自分にさせたいのか。
「結論を言うなれば、人間は運命を理解していない」
「お前のいったことを前提にするなら『運命』っていうのは『未来にも過去にも適応されている』ってことになるのか?」
「正解。やればできるじゃない」
少女の髪が風に揺れる。
啓介の視界の端にあった桜の木の花びらが散っていった。
「人類は運命を理解していないんだよ。過去に起きた事象を『運命の出会い』だの『神様に決められたもの』だの言うくせに、未来の事象に対しては『頑張れば変えられる』だの『努力で未来は変えられる』と言い放つ」
啓介は1つの感想を脳内に浮かべた。
それを前提とするのなら――
少女は啓介の心でも読んでいるのかというタイミングで笑みを浮かべる。
「そう。君が考えている通りだよ。努力なんてこの世界じゃ無意味なものなんだ。運命とは時間や人間の精神から更に上の位置に存在する言語では到底説明しきれない不可解で曖昧なものなんだよ? 努力や人間の意志程度で未来が変わるわけ無いじゃないか」
「それが真実なら、の話だけどな。……こういう話じゃなくて探している人間について話せよ。俺だって暇じゃないんだ」
啓介は早く帰りたいという気分に襲われていた。
とっとと適当なところで話をぶった切って、帰ろうと考えていた。
こんな電波女を助けるために12万円も無駄にしてしまったのかと考えるだけで鬱になるが、過ぎたことを悔やんでもしょうがない。
「せっかちだなぁ」
「お前の電波話を真面目に聞きたいとは思えない。哲学や電波話がしたいのならそういう場所に行ってしてくれよ」
「信じないんだ。運命が存在しているということを」
「信じれるかよ。仮に存在するとしてもどうしてお前がそんなことを知ってやがる」
2030年となった現在でも神様だの運命だのという非科学的存在については否定されているし、世界中の科学者や人間は宗教信者を除いて運命や神様を真面目に信じているわけではないのだ。
そんなモノを、あると断言できる存在なんて少なくとも地球上に生きている生物には存在しない。
「お前が人間じゃない存在だって言うんなら説明もつくんだろうけどよ」
「……よく分かっているね」
何が、と啓介は言えなかった。
己の身体に異変を感じたのだ。身体が動かせなくなっているという異変に。
いや、正確に言うならば身体自体は動かせるのだが視線を動かす事が出来ない。背中を見せる事が出来ないのだ。
そう、自分より上の存在に出会ってしまって本能的に恐れて身体が竦んでしまった様な固まり方だった。
「確かに外見は人類と限りなく近いかもしれないけど私は哺乳類でも、霊長類でもない。勿論、魚類でも両生類でも爬虫類でもない。人類が使う言葉では表現できない生物…と言って理解してくれたら有難いんだけど、それで人類が理解してくれるとは私はちっとも思っていないし、してくれとも思わない。だから、人間の言語の中で最も私を私として表現することの出来る言葉で済ませようじゃないか」
公園の中心にある電灯がチカチカと点滅を繰り返す。
少女の赤い瞳に啓介は恐れを抱いた。
「私は“堕天使”と呼ばれる生物なのさ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
堕天使。
言い換えれば悪魔のことであり、人間の間では『悪を象徴する神に楯突く存在』『人間を誘惑して堕落させる存在』として認識された存在である。
勿論、それは空想上の話であり悪魔や神といった存在は証明されていない。
だが、少女は自身を『堕天使』と呼んだ。
「……えらくまたチープな設定だな」
風によって動いた雲は月の明かりを地上へと与える。
啓介は溜息をつくと右手で自身の前髪をガシガシと掻いた。
黒の強い茶色の髪に長くも短くも無い凡庸な髪が指で荒らされる。
「信じてない目をしているね」
「信じられるかよ」
せめてもの虚勢を張る。
目の前の少女が自分よりも小さいくせに驚異的な“何か”を秘めていて、それにビビッているなんていう事実を知られたくなかったのだ。
少女は嘆息すると話を戻す。
「話がずれてしまったから戻すことにしようか。……あぁ、別に信じる信じないは自由だよ。最終的には信じざる得なくなるから」
「はぁ?」
少女は髪を払うとくるりと振り向き、啓介に背中を見せる。
スカートと髪が揺れ、ベルトのチェーンが音を立てる。
「唐突だけど、アナタは自分の大切に思っている人がいきなり死んでしまったらどうする?」
「本当に唐突だな」
相手は背中を見せているのに自分は背中を向けて逃げ出せない。
少なくとも人間の皮を被った目の前の化け物の話しを聞き終えない限り、啓介は帰る事が出来ないというわけだ。
何で俺がこんな目に、と心の中で悲嘆しながら啓介は回答する。
「……どうするってそりゃ、普通だったら悲しむだろ」
「普通はそうなるよね。……私が観測してきた人間のほとんどは大切な人の死に悲しみ、絶望していた。それが老衰以外の死なら尚更その感情は強かった」
いつも通りの日常に紛れ込む非日常。
それは人間を混乱と絶望の渦へと陥れる。
「何者かに殺されたのなら残された人間はその者を強く憎む。『なんで殺したんだ』ってね。……でも遺族が加害者を罵って憎むのはお門違いとしか言いようがないじゃないか」
「……なんでだよ。加害者を憎むのは当たり前だろうが」
啓介は少女の意味不明な理論に反論する。
しかし少女は鼻で笑うと啓介の考えを崩しにかかった。
「言ったでしょ? ……神は運命を決めているって」
「言いたい事が理解できないんだが」
「だぁーかぁーら、その加害者が被害者を殺すことも被害者がその時間に死ぬことも全ては神がその人間達が生まれたときに決めていたイベントなんだよ」
少女の理論が正しいとするのならば、その被害者はその日にその加害者によって殺される為にこの世に生を受けたということになる。
身体を束縛される前の啓介ならば、馬鹿馬鹿しいと一蹴して帰っていただろう。
「その被害者は殺される為に生まれてきて、加害者はその被害者を殺すためだけに生まれてきた。そして、残された遺族が加害者を憎むことも運命によって定められている」
「自分の行動や思想も最初から全部そうなるように決まっているってか?」
「そう。人間は常に自由を求めて戦ってきた。だけど人間は完全に自由にはなれないんだよ。子供に操られている人形と同じで、自分の意志も行動も全てが掌握されている。とんどお笑い種だよね」
少女はクスクスと笑う。
啓介は奥底から湧いてくる訳のわからないイライラを押さえ込むと棘が少し含まれた声を少女に投げる。
「でもよ、結局俺がここでお前と話しているのも運命とやらなんだろ? だったらお前も運命を掌握されているじゃねーか」
「何を言ってるのさ。私達は神に反旗を翻した一族。神の定めた道を歩ける資格なんてないよ」
「矛盾してるぜ? 仮にお前が運命に干渉されない存在だったとしても俺は運命に干渉されている存在だ。俺とお前が会うこと自体がおかしくねぇか?」
そこが最大の矛盾点。
少女が神に嫌われた存在だというのならば、神は自分の生み出した玩具と邂逅することを運命に組み込むわけがない。必要悪という存在はあるだろう。だが、それならば最初から犯罪者になるルートを敷けばいいだけだ。悪魔と邂逅させる必要性がない。
啓介はそこを指摘する。
「だから言ったんだよ。……最初に『本当に戻れなくなっても知らないよ?』と」
「……」
「あそこで悪魔の言葉に耳を傾けた瞬間、アナタの神に組まれた運命は歪んだんだよ。まぁ、神は私を排除しようと運命を組み替えてくるでしょうけど……どうでもいいや」
少女は空を見上げながら啓介に尋ねる。
「でもね、アナタは神の定めた道を歩き続けることは嫌じゃないの?」
「……何だって?」
「悪魔が目をつける相手は“神を全く信仰していない人間”に限られるの」
正月に初詣も行かなければ、お盆にも参加しない。
仏教、神道、キリスト教、ユダヤ教……ありとあらゆる宗教から派生したモノに参加しない、興味を持たない人間のみが悪魔に話を持ちかけられる。
「……俺は、目をつけられたってことかよ?」
「そうなるね。アナタが神を全く信仰しない理由は……そうね、自分の境遇で怨んでいるからじゃないの?」
啓介は開こうとした口を固める。
少女の指摘したことは図星だった。
「い、意味が……」
「わかってるんじゃないの? 貴方は私にその心に秘めた感情を暴露してもらいたいの?」
「な、な、」
「…………自分がどれだけ努力しても結果を得られなかった。自分と他人の能力の差に悩んでいた。…そんなところじゃないの?」
「………」
啓介は何も言わない。
「先天的な天才でも後天的な天才でもないアナタは自分の境遇を呪った筈。…それが私を人間界へと呼び寄せる原因となった」
「………」
少女はブランコから降り、地の上に立つ。
「アナタの努力は報われない。でも、アナタは努力し続ける運命を与えられている。努力紙を結ばないのに努力させ続けられる運命…。学校の成績で高得点を収めようと努力しても、モテようと努力しても、お金持ちになろうと努力しても……全ては報われない運命にある。アナタ自身が一番わかっているんじゃないの?」
少女は事故防止用の柵を飛び越えると啓介へと近寄る。
啓介は動けなかった。
何故かはわからないが、身体が言うことを聞いてくれなかった。
「自分自身の過去を振り返れば、自分がそういう運命にあるということくらい理解できるでしょ?」
少女の血の様な色をした瞳が妖しく光る。
「……仮に、俺が運命を嫌っていたとしてもそれは変える事が出来ないんだろ?」
絶望して自殺しようと思っても死ねない。
必ず、努力する辛さと失敗したときの絶望を味わい続けていかなければならないのだ。
「だったら、俺に運命論について語る必要なんてないんじゃないのか?」
「それはどうだか」
「!?」
少女は自分の左手の指をペロリと舐める。
妖艶な微笑みは少女の雰囲気を、幼い人形のような儚さを消し去っていた。
「私は“堕天使”。神の嫌いなことは何でもするような種族の生物。…神は自分の玩具を横取りされるのが大嫌いなの」
ブランコと滑り台と鉄棒くらいしかない貧相な公園で、少女は微笑む。
「私達なら、“堕天使”なら、“悪魔”なら……運命を変える事が出来る」
かつて神に仕えた神より生み出された神の下僕。
神に並ぶ力を手にした存在。
「…“悪魔”は人間の欲望を満たす事が存在意義だもの。アナタの欲望は“運命からの開放”。…叶えてあげるわよ?だから、私の名前…アリエルという名を呼んで願いを叶えてくれるように望めば、アナタに本当の自由を与えてあげる。だから─」
少女、アリエルは啓介の顔を見上げると肩を掴んで啓介の耳を寄せる。
そして、他の生物の気配が全く感じられないこの場所でアリエルは啓介に囁きかけた。
「私と契約して、超能力者になってよ」