【3‐7】 Don't think. Feel.
この物語は、ある程度の史実を織り交ぜながらも完全にこの現実世界とは完全に別の未来を歩んでいる別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家とかその他固有名称で特定される全てのものとは、何の関係もありません。何も関係ありません。
つまり、この物語はフィクションです。
【3‐6】 本音
5月26日。
「……もう、朝か」
午前9時、啓介はいつものようにジオフロント内にある自宅で目を覚ました。
ジオフロントの中心に建つ街から西の丘に20分程歩いたジオフロント内では比較的閑静な住宅街にあるロンドンのベーカー街にあるような建物の外見をしたマンションの一室に啓介の自室は存在している。
高級ホテルのスイートルームにも劣らない位に美しい部屋だが、啓介はどうも好きになれなかった。
「(…なんか、飴を与えられているみたいでイヤなんだよな)」
飴と鞭。
クエストを鞭とするならば、この豪華な部屋は飴か。
「(あの時のクエストの報酬金額もとんでもねぇものだったし…)」
自身の口座に振り込まれた額を見て卒倒した記憶が思い浮かぶ。
恐らく理奈も同じくらい貰っているはずだ。
啓介は窓の外の景色を眺めながらぼんやりと考えていた。
「…啓介」
啓介の後ろから声がかかる。
汚れを知らないような美しい声に啓介は振り返った。
「アリエルか…。あぁ、お、は……よ…う……」
啓介の言葉が徐々に途切れていく。
アリエルが男物のワイシャツ1枚で立っていた。
「なんて格好して寝てたんだ!?」
「ち、違うよ!!パジャマがないから私はいつもこうやって寝てたの!」
「(そういえば、コイツの就寝シーンって見たことがなかった気がする)」
大体は自分が部屋に来る時には寝ていたし、布団に包まっていたし、と啓介は考える。
「…まぁ、その、なんだ。…痴女みてーな格好はやめてくれ」
「失礼な」
啓介はそう頼むと玄関の方に設置されているキッチンへと赴き、冷蔵庫から牛乳を取り出す。
アリエルは牛乳を飲む啓介をしばらく見ていたが、やがてポツリと言葉を漏らすように口を開いた。
「………啓介」
「なんだ?」
啓介はコップを水に浸すとタオルで口を拭ってアリエルの前に来る。
アリエルは服の端をぎゅっと握り締めた。
「…怒ってないの?」
「………………………はぁ?」
啓介が間抜けな声を出す。
「…啓介は…今のこんな生活、イヤでしょ」
「…………何も言うな」
「でも」
「何も言うなよ」
啓介はアリエルの額をデコピンで弾く。
アリエルは「あだっ」と間抜けな声をあげる。
「“自力で運命を切り開ける力”を与えてくれた。それだけで十分だ」
「…啓介」
「だから、もう何も言うな」
啓介はアリエルの頭を撫でた。
アリエルは何も言わなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「気分はどうだい?」
「すぐれねーよ、ボケ」
啓介は水晶と共に初めて出会った場所であったバーに座って会話をしていた。
啓介は顎を机について右手を頭の上に乗せている。
「まぁ、新人はそれくらいじゃないとね」
「…前置きはいいからとっとと用件を話してくれ」
啓介はコップに注がれた水を飲む。
「会話において前置きは重要だよ?…せっかちな男は女に嫌われるよ」
「結婚なんてする気ねーよ。…彼女もいらねぇ」
守るものを増やすなんてゴメンだ。
「僕の昔の友人もそんな風に言ってたよ。自殺願望のあった男友達だったんだけどね」
「血痕が結婚になったってか?上手いこと言ってんじゃねぇよ」
啓介はそう言うと辺りを見回す。
「そういや、俺だけか?呼んだのは」
「まぁね。…栫さんはいつもの様に地上へ上がっているだろうし…真鍋も帝都・東京に私用で向かっている。不知火さんはソロでクエストに行ったそうだ」
「ふぅん…」
啓介は息を吐いて疲れを吐き出すと再び顎を机につける。
それをしばらく見ていた水晶だったが、グラスに入った氷を鳴らすと口を開く。
「…最近、修行しているらしいじゃないか。成果はどうだい?」
「全然。…信綱さんのトコロで修行してるけど一方的にボコられっぱなし」
「毎日毎日…よく諦めないね。ドMでもお断りするような暴力なのに」
「悪いけど、俺はドSだ」
初クエスト達成の翌日から啓介は再び理奈の師匠である信綱の元で修行を始めていた。
『1ミリでも動かす』修行は4日目でクリアしたが、背骨を5回、右腕を10回、左腕を18回、右足を7回、左足を4回、肋骨を9回も骨折する大怪我を負った末のクリアだった。
怪我するたびにギルドの方で強化細胞を打ち込まれて無理矢理に治癒速度を高めて回復させるという修行僧も真っ青なペースで修行をしていた。
「第2段階の『5分間攻撃をかわし続ける』でだいぶ時間を喰ったけど、今は第3段階だ」
「ほぅ…。見事に成長してるじゃないか」
第2段階では、2日かけて啓介は内臓破裂を2回、頭蓋骨骨折を2回、肢体の複雑骨折が4回という大怪我を負った。
大分、成長はしたものの内蔵の負傷が不味かったのか、現在でも内臓は正常に機能していない。
ギルドで診てもらった医者曰く「完治に1週間はかかる」らしい。
「まぁ、あの頃に比べて成長したかもしれないけど…。痛い」
「親が見たら泣くだろうね。身体を粗末にしすぎだ、と」
「……だな」
啓介は水を飲むと溜息をはく。
水晶はグラスに入った飲み物を飲み干すとマスターにもう一杯頼む。
「あと、20日・21日・22日は真鍋に頼んで射撃の練習、23日・24日は不知火に頼んで体術の練習をしたな」
「努力熱心なことで」
「…表世界にいたときでもこんなに努力したことはなかったな」
「…それはそれは」
凌とアリスに手伝ってもらってリボルバーの使い方の解説と練習。
銃撃戦も再現してもらったが、啓介は身体に7発もの銃弾を撃ちこまれていたりする。
傷が塞がる前に医者に銃弾を取り除いてもらったが、よく生きていたものだと何故か感心された。
「5発以上被弾して無事に生きていられる方が凄いよ。流石にそれ以上は超能力者でもキツいだろうし」
「そうなのか…」
紗音瑠との体術練習では骨を何回折ったかわからないくらいに折った記憶が啓介にはあった。
蹴りで骨を折られるなんて初めてだった。
「まぁ、骨は折れたら強くなるらしいからいいけど」
「ウソだよ」
「マジで!?」
なんでそんなことを知っていやがる、と啓介は水晶に問い詰める。
水晶は昔を懐かしむような目をしながら笑って啓介に言う。
「昔、医者を目指していたこともあったしね。…ある程度の医学知識くらいなら持ってるよ」
「……そういや、お前って昔は何してたんだ?…いや、話したくないならいいけど」
理奈以外の人間の暗部堕ちの理由や境遇には少しだけ興味がある。
そんな理由で啓介は水晶に尋ねた。
「昔、とあるお屋敷で執事をやってる一族に生まれてね、僕はそこで執事をやってたんだよ」
「執事…。それで、そんな格好してるのか?」
「まぁ…未練を抱いているといえば、抱いてるね。お嬢様や両親がどうなったかわからないし」
啓介は水晶の顔を見る。
「…聞いたら不味かった?」
「僕は全然。…ただ、昔のことを聞かれるのを嫌う人もいるからそういう癖は止めておくべきだね」
「…わかった。でも、気になるんだよ。全員、個性があって…俺よりも平和で楽しそうな日常を謳歌できていたであろう奴らばかりなのに…どうして俺よりも先に闇に喰われたのかが」
「………ここに落ちてきた人間は皆、個性的であろうとする。だから、君が見ている個性というのは前から持っていたものじゃないんだよ。暗部で人を殺して生きていく…そんな生活から心を守るためにつけたペルソナだよ」
啓介は理奈が京都駅で言った台詞を思い出す。
「(アレはそういう意味だったのか)」
「栫さんや不知火さんは稀な例で、仮面をつけていないんだけどね。…でも、必ず心のどこかが壊れているんだ。だって、栫さんだって家族を失って復讐心でこの場所まで堕ちて来た。…不知火さんも似たようなモノだし」
紗音瑠の過去を聞いた啓介は少し驚いた。
あのイケメン女にそんな過去があったとは。
「…あいつらって、同族嫌悪で嫌い合ってるのか?」
「微妙に違う。互いに親の敵なんだよ」
啓介は更に驚く。
「栫さんの家族を殺したのはテロリスト。…そのテロリストだって人間だ。家族や友達がいるだろう。…栫さんはテロリストへと辿り着く過程で色んなクエストに参加して手を血に染めてきた。…テロリスト共の情報を得るために片っ端から自分の身体も省みずに参加してたね」
水晶は当時のことを知っているようだ。
理奈が5年前に暗部堕ちしたと聞いているので、目の前の男はさらに昔に落ちてきたことになる。
「(こんな善人みてぇな性格のヤツがねぇ)」
「…不知火さんの家族は“貿易商”だったんだ。まぁ、母親は麻薬の密売人で兄は他国に日本の情報を売り渡すスパイ、父親は違法物の貿易商…と厄介な家族だったんだけどね。…彼女の父親は栫さんの家族を殺したテロリストと繋がっている人間だったんだ。彼らに居所や武器を提供する死の商人的な存在だった」
ここまで言われればアホの啓介でもすぐに理解できた。
理奈は紗音瑠の家族を殺したのだ。
クエストなのか私怨だったのかはともかく。
「…成程ね」
「不知火さん自身は普通の女の子だったからね。…驚いただろうよ。…家に帰ってきたら同年代の女の子が家族を血祭りにしていたんだ」
「…胸糞悪いな」
どちらが正義で悪なのかなんて言い切れない。
人殺しという一点で見れば、理奈が悪だ。
しかし、結果という点で見れば、紗音瑠の家族が悪だ。
「…その後、栫さんは無事にテロリストを皆殺しにして復讐を遂げた。だけど、それで解決とはいかないんだよ」
「…不知火が暗部堕ちしてきたのか」
「そう。…栫さんはテロリストの家族を殺さなかった。…それが不味かったんだ」
復讐は復讐を生む。
「…不知火以外にもいるのか」
「いるね。…ギルド内部にも何人かはいるみたいだけど、詳しい事は知らない。ただ、彼らは栫さんを殺せないんだ」
「力的な意味で?」
「政治的な意味もある」
理奈は最上位能力者であり、地位は絶大だ。
そんな彼女を1人の私怨で殺すわけにはいかない。
誰だって自分の命は惜しい。
「…自分の命を顧みずに殺そうとしても力量差があり過ぎる。だから、復讐者たちは八方塞なわけだ」
「…ふぅん」
水晶は天井を見上げると呟く。
「…さっきの君が成長しているという話も含めてだけど、君は強くなる必要がある」
「……」
「栫さんは君の幼馴染なんだろ?…固い絆で結ばれた信頼関係を持っているが、君は彼女を理解できていない」
「どういうわけだ、コラ」
「彼女が君にどれだけ依存してるか分かるのかと聞いているんだ」
「……」
理奈は言った。
啓介が自分に残された唯一の存在だと。
友人は引越しで失い、家族はテロで失った。
そんな彼女に残ったモノは“幼馴染”という絆で結ばれた啓介だった。
「……恋慕の縺れっていう訳じゃないだろう。…友情以上恋愛未満の絆っていう歪なモノで結ばれてるっていうのは俺でもわかるけどよ」
「…常に危ないんだよ」
「俺に守れってか?」
「そこまでは言わない。自己防衛は暗部では最低限のことだから。…精神的な支えとしてちゃんとしてあげるんだと僕は言っているんだ」
「…どうしてそこまで関わろうとするんだよ」
啓介は長門に尋ねる。
啓介と理奈の関係に第三者が首を突っ込むのはどうかと思う、と啓介は批難しているのだ。
「まぁ、昔の僕が君と被って見えるだけだよ。精神的な意味での人生の先輩からのアドバイスだと思ってくれ」
水晶は啓介の肩を叩くとイスから降りる。
「…身体を酷使するだけじゃなくて休むことも立派な修行の一環だよ。無理はしないでね」
「…あぁ」
それだけを最後に伝えると、水晶は啓介に手を振って人ごみへと消えていった。
「(…精神的にも成長しろって俺に言いたかったのかもな)」
啓介はそう結論付けるとカウンターのほうに振り向き、マスターに昼食を頼むことにした。
「(今日も世界は歪でドス黒くて…汚い)」
今日も世界は動く。
白く清らかな表と黒く汚らわしい裏に分かれて─