【3‐1】 サブタレイニアン
この物語は、ある程度の史実を織り交ぜながらも完全にこの現実世界とは完全に別の未来を歩んでいる別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家とかその他固有名称で特定される全てのものとは、何の関係もありません。何も関係ありません。
つまり、この物語はフィクションです。
【3‐1】 サブタレイニアン
五月十三日。
「んん……」
午前八時に栂村啓介は目を覚ました。
啓介は地中海辺りにあるホテルのスイートルームの様な部屋で目を覚ました。
「……」
一人で眠るには大きすぎるフカフカのベットから啓介は起き上がると目を擦ってぼんやりと部屋を見回す。
隣にあるもう一つの同じベットにはアリエルが眠っていた。
「……」
黒色のジャージを着ている啓介は布団をどけて、ベットから降り立つとすぐそばの壁に設置されているスイッチを押して部屋の電気をつける。
天井と壁の間にある間接照明にオレンジ色の灯りがつく。
啓介は自分の髪を掻く。
そこには女性よりも長かった髪はなかった。
しかし、以前と髪形は違っており、首の後ろでダークブランの髪を束ねていた。
女性ほどの長さは全くなく、わずか十センチくらいの長さだったが今までの啓介とは別の雰囲気を感じさせた。
「……」
啓介は黒色のカーペットの上をペタペタと歩いてカーテンがされている窓へと向かう。
そしてカーテンを掴むと窓の端へと引っ張った。
「…相変わらず、不気味な街だな」
啓介の目に移ったのは太陽の明かりも月の明かりもない真っ暗闇の都市。
街を彩るネオンだけが辺りを照らす世界。
「……ジオフロント」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ここはジオフロント。通称、“常夜の街”」
啓介は理奈の隣を歩いていた。
時刻は朝だというのに空は真っ暗である。
「第三次世界大戦後の経済的に弱った状態かつ革命後に発足された新政府だった日本にスレイヤーズギルドは擦り寄った。『資金や世界中の国の情勢を操作して日本を有利にするから土地をくれ』ってね。その結果、新日本政府は旧日本政府がバブル経済期に極秘裏に進めて開発失敗したここ──帝都・神戸の地下にある巨大ジオフロントをスレイヤーズギルドに譲渡したの」
つまり、この街は帝都・神戸の地下に存在する巨大な空間だということになる。
「ギルドは構成員の七割をこの都市に住まわせている。残りの三割も地上の帝都・神戸で暮らしている。つまり、ギルドの構成員は必ず神戸に集められるわけ」
二人はネオン街を歩いて通り過ぎる。
「それにしちゃ…暗部の構成員っぽくないものもチラホラ見るが」
「この都市は自給自足で生きていけるように作られている。だから地上に赴かなくてもこの都市だけで全てが揃うの。…その為には、構成員以外も必要でしょ?」
「…マジかよ」
「…えぇ。でも心配は無用よ。この都市にいる暗部のヤツら以外も地上では生きていけないようなやつ等ばかりだから同情の余地は無いわ」
理奈はナンパをスルーしながら通り抜ける。
啓介は後ろから聞こえてくる怒鳴り声に怯えながら理奈の後に続く。
「この町のヤツってほとんどが武器持ってんな」
「暗部の一員として武器もないようじゃ…死ぬわよ」
「うへぇー…俺丸腰だぞ」
啓介は空を見上げる。
そこには雲も月も星も無かった。
「そのうち、武器屋で買えばいいわ。…あとで案内してあげる。それよりも今は──」
理奈は踏み切りの前で止まる。
踏み切りを電車が通過する。
理奈は電車が通り過ぎるまで喋らなかった。
啓介はそんな理奈を見つめていた。
「案内するべきところがあるわ」
理奈は電車が通過すると同時に開いた踏み切りをスタスタと歩き出す。
啓介は慌ててついていく。
「…それにしても、相変わらず真っ暗だよな」
ここ、ジオフロントは帝都・神戸の地上部分から地下に百八十メートル潜った部分を天井とした巨大な地底都市であり、空間内部は直径三十八キロメートル・高さは約一キロメートルの巨大なドーム状空間である。
裏世界でも巨大勢力として覇権候補に数えられる組織『スレイヤーズギルド』の本拠地であり、人口は約二百万人で、全員がギルドの構成員か関係者または太陽の光を浴びられない様な存在である。
これが啓介の理奈から受けた説明だ。
「地上からの光が一切射さず、常に闇の中。しかも私達が今いる層よりも更に下にも居住空間があるの」
「デカいなぁ……」
啓介の印象としては東京のような大都市の夜の喧騒や雰囲気が常に続いている場所だった。
「ずーっと夜なんだな…。太陽の光をしばらく浴びてないと死ぬかも」
銀座や歌舞伎町、渋谷、秋葉原といった大都市の派手っぷりが混ざったような街並みに啓介は目の奥がチカチカした感じの痛みを覚える。
「…これから私達は、ギルドの命令に従って外の世界へと出て行かなくちゃならなくなる。…忙しいヤツの場合だとこの町に滞在している時間より外で工作している時間のほうが長かったりするわ」
「破壊工作…。オレ、何も出来ないぞ?」
啓介はこれといって特徴的な能力を持たない人間だ。
ハッキングができる程にパソコンの扱いが上手なわけではないし、爆弾や銃器を取り扱えるほど軍事知識に長けているわけでもない。
「これからイヤでも覚えていくことになるわ。生きるためにね」
理奈は町の中心地に向かって歩いているようだ。
人の数が徐々に多くなっている。
「…何処に向かってるんだ?」
「酒場」
「はぁ?」
啓介は理奈の言葉が理解できずに聞き返す。
「あぁ、言い方が悪かったわね。…酒場って言ってもそれはただの俗称。正式名称を言えば、“クエスト受注所”かしら」
「クエスト…?」
「着いたら説明するわ。もうすぐだし」
理奈は進路方向に向かって指を差す。
理奈の指先には白い建物が見えた。
「…宮殿?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それは、数日前のことだった。
啓介は敗れ、理奈とアリエルが回収されたあの日の夜のことだった。
「ぐっ……」
啓介は自分の上に大の大人が五人乗っていることに気がついた。
戦闘に敗れて自分は銃弾をいくつも浴びて、アリエルを庇って…
「(死ななかったのか…)」
啓介は自分を地面に押し付けて押さえ込んでいる武装兵士達を睨む。
しかし、彼らの顔はバイザーや防具で見えなかった。
そんな時、啓介の前に一人の武装兵士が近寄ってきた。
武装兵士は先程のスピーカーと同じものを持っていた。
『目覚めましたか』
聞いたことのない声がスピーカーから聞こえてきた。
先程の理奈を何処かへやった少女の声ではなかった。
10歳くらい年上の男性っぽい声だった。
「………」
『ご機嫌麗しゅう…とはいかないようですね。気分は最悪でしょう』
「うるせぇ!誰だよテメェ!!」
啓介が今にも飛び掛りそうなくらいに激昂して暴れようとするが、取り押さえられているので動けない。
通信相手の男ははっはっはと笑うと啓介に自己紹介する。
『初めまして。私はスレイヤーズギルドに所属する普通の暗部の人間です』
「暗部…?」
啓介が口から血を流しながら初めて聞いた言葉を呟く。
「血で血を塗るような世界のことです。私達は日夜、様々な国家の極秘組織やテロ組織と対峙したり、破壊工作を行ったりしているのですよ」
男はゆったりと啓介に語りかける。
「このような形でご挨拶するのはどうかと思ったのですが、事情が事情なのでね。…単刀直入に言います。我々の仲間となりませんか?」
「断る」
その返事は男も予測していたであろうモノだった。
「即答ですね」
「うるせぇ!誰が好き好んで闇に落ちるかよ!第一、なんで俺なんだよ!」
啓介は吼える。
「【現実逃避】は過去数千年の記録にも載っていない“新世代の力”です。貴方は暗黒種という言葉をご存知で?」
「それがどうしたんだよ…!」
「暗黒種は“新世代の力”。地上のありとあらゆる法則に縛られず、地上のありとあらゆる法則を支配する力。…他の超能力に比べて価値は非常に高い」
「……俺を解剖して研究材料にでもするってか?」
啓介は理奈から裏世界の科学技術は表世界よりも発達しているということを聞かされている。
恐らく、超能力に関連した技術も発達しているだろうと推測したのだ。
「確かにアナタの力は研究材料としては至上のものです。その技術を通常兵器に取り入れる事が出来たら間違いなく対超能力者の兵器としては最強となる。…ですが、我々はそんな曖昧な可能性にかけるより、確実な可能性にかけたいのです」
「……それが、テメェらの仲間になるってことか?」
啓介は暴れるのをやめる。
疲れたのか、諦めたのか…いや、その両方かもしれない。
「ふざけんなよ!…仮に俺がお前らの仲間になったところで素直に従うとでも!?」
「仲間にならない場合、武装兵士達の欠損人員の補償・明石海峡大橋の修繕費用・一般人への情報操作費用などを負担していただく事になります」
「!」
「アナタは既に無免許運転・交通違反・公務執行妨害の件で犯罪者の仲間入りをしています。…更に言えば、アナタの契約主や栫理奈も既に回収されています」
それは交渉ではなかった。
提案でもなければ、取引でも契約でもない。
「……」
唇をかみ締める啓介に男は宣告する。
「我々と共に行動するというのならば、我々はアナタの要求を出来る限りの範囲で呑ませていただきます」
それは、つまり─
「アナタが一生遊んで暮らせるだけの金を要求すれば用意させていただきますし、殺したい人間が居ると要求すれば殺しても罪を帳消しにすることもできます。はいて捨てるくらいに美女がほしいと要求すれば、お望みどおりに世界中から集めてきますよ?まぁ、代償として二度と日の当たる世界には戻れませんが」
「……」
「アナタが“妹を神戸に引越しさせたいから妹の友人も全員つれて来い”と望めば、情報操作なり何なり行ってその通りにさせてみますとも」
チッ、と啓介は舌打ちする。
この話し合い、初めから結果がわかっているじゃないかと啓介は思った。
「アナタの力はまだ弱いですが、研磨すればそれは人の手に余るほどのモノとなる。研究材料にするより、軍事方面に生かすべきなのです。ギルドは世界最大の暗部組織。そこに所属するということはアナタの家族のいる世界を守ることにも直結します」
「…わからねぇな。暗部は何を考えてやがる。世界を平和にしたいために活動してますってんならとっくに平和になってるはず。…何が目的だ」
「上層部に聞いてください」
それは答えられないということか、と啓介は歯噛みする。
「ただ、一つだけ言えることはあります。世界はまだ平和ではない。…いるんですよ。世界が平和になられては困る連中が」
「テメェらのことかよ」
「違います。我々とて好き好んでこんな世界に残りたいとは思いませんよ。…我々はその“平和を拒む連中”を駆逐したいのです」
─その為に、アナタの力が欲しいのです。
「………」
啓介は溜息をついた。
「(……クソッタレが)」
刑務所よりも酷いであろう豚箱にぶち込まれるのは癪だ。
このクズ共の思惑にまんまと乗るのはもっと癪だ。
「(だけど、今の俺にそれを破る力はない)」
枷を嵌められた状態でどこまで動けるかは疑問だが、そんな些細なことを今は気にしている暇ではない。
「……ご返事は?」
男の声が啓介の鼓膜を刺激した。
「…どうせ、俺の言いたいことなんざわかってるんだろ?」
「さて?」
「……その条件をクリアするっていうんなら、社畜の如く働いてやってもいいぜ」
男はフフッと笑う。
「わかりました。アナタの要求を呑みましょう。力を持たない人間と力を持った人間の価値を考えればそうなりますね」
すると啓介の上に乗っていた武装兵士が注射器を取り出す。
そして啓介の首に針を刺し、中身の赤い液体を注入する。
「ぐっ…!?」
体の内側からの衝撃に啓介の意識が急速に薄れ始める。
「ようこそ、血も涙もない世界へ」
最後に聞いた言葉は、男の楽しそうな声だった。