王立魔術工学学院、404番は評価されない
「え?」
目の前の扉は開かなかった。
中には入れたのに、外へ出られない。
引いても、押しても、びくともしない。
取っ手が、じんわり熱を持っていた。
リトナは指を離す。
「……魔術干渉?」
熱は、まだそこに残っていた。
――封印。
リトナは、そこでようやく首を傾げた。
「……閉じ込められてる?」
背後で、悲鳴に近い声が上がる。
「ちょっと待って、なんで!?
もう、次の試験始まるのよ!?」
振り返ると、見知らぬ少女が青ざめていた。
整った服装。
焦り方。
たぶん、良いとこの子。
その隣では――
「いやいやいや、違うからね!?
僕、修理で来ただけだからね!?
ほら、ここの教員!」
猫背の”男”が、必死に両手を振る。
「女子トイレなのに?」
見知らぬ少女が、ぽつりと呟いた。
男は一瞬だけ言葉を詰まらせてから、すぐに言い返した。
「修理に男も女もないだろ!?
入学試験の最中だからな、緊急だ!」
「入口だって、封鎖してあっただろ!?」
その一言で、空気が止まる。
「……え?」
少女が顔を上げる。
「張り紙、見なかったのか?」
男が言う。
「“修理中、使用禁止”って――」
少女の顔から、血の気が引いた。
「……なかった」
「何も、貼ってなかった」
男の顔から、軽薄さが消えた。
「……おかしいな。
さっきまで確かに――」
リトナは、そのやり取りを聞きながら、
扉に触れる。
熱は、まだ消えていない。
「……ふうん」
軽く叩く。
音は返らない。
「閉じる準備は、してあったみたい」
ぽつりと呟く。
「あ、開けてください!?」
少女が、猫背の教員(自称)に詰め寄る。
「無理だよ!
扉なんか壊したら僕の給料飛ぶからね!?」
「そんなこと言ってる場合じゃ――!」
「この学園はね、例外なしなんだよ!」
「遅れたらそれで終わり!
追試も救済もない!」
ぴたり、と空気が止まる。
少女の顔が、すっと白くなった。
「……そんな」
「どんな理由も、ね」
男は一度、扉を見てから――少女を見る。
「……君、見覚えあるな」
少しだけ、声が低くなる。
「王子殿下の婚約者だろ」
息が詰まる音。
「才女って噂の」
一拍。
「……なら、まあ」
肩をすくめた。
「妬まれる側ってわけだ」
「違っ……」
「本人か、取り巻きか」
淡々と続ける。
「どっちにしろ、入試を潰すには十分だ」
少女の指が、ぎゅっと震える。
「そんな……!」
男はため息をついた。
「派閥だか嫉妬だか知らないけどさ」
軽く首を振る。
「一人で動いた時点で、負けだよ」
刺すような言葉。
「……どうして単独で来た」
「女子なら連れだろ。
君もそう思わないか?」
「なっ……!」
サンは言葉に詰まる。
乾いた現実だけが、落ちる。
リトナは、返事をしなかった。
白い陶器のような壁も床。
継ぎ目のない乳白色の空間。
隅の棚、その下に流水制御用の魔術具が並んでる。
全て最新式だった。
石英レバーを傾けると、水が静かに流れ出した。
その流れを見たあと、リトナは小さく息を吐く。
「……なんだ。
外と繋がってるんだ」
カチリ。
小さな音がした。
リトナの手元で、留め具が外れる音だ。
不明な音に、リトナの方を振り返った男が
ぎょっとした。
「え、ちょっと待って君、何を――」
男の声が裏返る。
いつの間にか、
彼女の指の間には細い工具が挟まれていた。
針のように細い先端。
術式を刻むためのカッター。
もう片方の手には、小型の分解工具。
ポケットから抜いた気配すらない。
カチリ、カチリ、と。
部品が外されていく。
ひとつ。
またひとつ。
男が青ざめた。
「待って待って待って!?
そこ校内設備!!」
リトナは答えない。
中を覗き込み、小さく頷く。
「……なるほど」
次の瞬間。
魔石に、直接術式を刻み始めた。
男の顔が引きつる。
「いやいやいや!!
なんで直書きしてるの!?
割れるっ、割れるからっ!」
「先生」
リトナが振り向く。
「試験会場、
一階の大教室Aで合ってる?」
「え、あ、うん……そうだけど」
「大教室Aって認識で、繋がる?」
「……ん?」
「場所じゃなくて、呼び方」
「……通じる、と思う」
「座標は知らないけど、
みんなそう呼んでるなら繋がってるでしょ……」
小さく頷く。
カッターをもう一度走らせる。
最後の一線。
それを、回路へ落とし込む。
「はい、できたよ?」
いまだ震える少女に軽く声をかける。
「なにが……?」
リトナは立ち上がると、
少女の涙をハンカチでそっとぬぐった。
そして、満面の笑みで事も無げに告げる。
「水はそのまま。
他は、教室に逃がしたよ。
放水路、ちょっと作ってみた」
「……え?」
「魔石、割れないといいなって思いながら」
くるりと振り返る。
「入って入って!
濡れないから大丈夫。
まあ、大丈夫だと思う」
少女の顔が引きつる。
「ちょっと待って、それ――」
言い切る前に、背中を押された。
「え、ちょ、嘘でしょ!?」
白い陶器――
便器の縁に、足が引っかかる。
入るわけがない。
そのはずなのに。
――パシャン。
水音が、軽く跳ねた。
次の瞬間。
体が、するりと沈んだ。
「は?」
沈んだ。
膝まででもない。
腰でもない。
そのまま、全部。
「だいじょぶだいじょぶ」
後ろから、のんきな声。
男も巻き込まれる。
「いや待て待て待て!?
君それ人体――」
言い切る前に、視界が白に潰れた。
リトナが、自分も飛び込んだからだ。
水の感触は、一瞬だけ。
冷たさも、重さも、続かない。
落ちる感覚はない。
ただ――
押し出される。
細い管の中を、無理やり通されるみたいに。
一方向に。
――そして。
空中に、三つの影が弾けた。
どさっ。
遅れて、
どさ。
どさ、と音が重なる。
静まり返った空間に。
「……は?」
少女と男は顔を上げて、周囲を見渡した。
整然と並ぶ机。
間隔は正確に揃えられ、
床には薄く術式の線が走っている。
一人ずつ区切るための、監視結界だ。
並ぶ受験生の息を殺した空気が、
教室全体を満たしていた。
壇上の監督。
全員が、こちらを見ている。
ガン見、とも言う。
教壇の中央から監督の教師が、声をかけてくるまで。
「……何だ?」
静まり返ったままの教室。
視線が、一斉に集まったまま。
そして。
床に転がった二人の少女の一番下で、
ぺしゃんと下敷きになった同僚を見て眉が跳ねた。
「……モーヴ先生かな?」
一拍。
「あぁ、……女子トイレの術式、暴発でもしたのか?」
教室のあちこちで、笑いをこらえる気配。
だが当人は、それどころじゃない。
「いや違う違う違う!
説明させてくれ!」
叫びが響く。
さらに視線が集まる。
その中で、
監督は一度だけ深く息を吐いた。
思考を切り替えるだ。
「……君達、受験番号は」
リトナとサンを見る。
「持っているな」
「え、あ、はい」
「……なら」
「席につけ」
ざわめきが走る。
「試験は予定通り開始する」
冷たく、断定する。
リトナは、きょとんとした。
「間に合ったね」
その一言で。
空気が、完全に壊れた。
リトナは、席に座るとすぐに手を動かした。
周囲はしんとしている。
机の上に置かれた部品を一瞥する。
配置。材質。
刻まれている術式。
全部を、一度で飲み込む。
「……転移補助」
ぽつりと小さく呟く。
次の瞬間には、
手が動いていた。
カチ、カチ、と。
迷いのない音が続く。
周囲の受験生たちは、まだ設計図を書いていた。
理論式を確認し、
構築順を計算し、
慎重に部品を繋いでいく。
——その横で。
リトナの手だけが、もう止まっていた。
「……できた」
静かな声。
まだ三分も経っていない。
空気が、わずかに揺れる。
近くの受験生が、恐る恐る視線を向けた。
「へ……?」
完成している、ように見えた。
転移補助機構。
歪みも、ズレもない。
(……受験生のレベル、高すぎるだろ)
彼は唾を飲み込み、
また自分の机に視線を戻した。
リトナは、完成品を机の端に寄せると――
次に、紙を見た。
設計図と、要点記述欄。
ペンを持ち、
……………………止まる。
「……?」
少しだけ首を傾げた。
そして。
さらさら、と書きはじめた。
線は少ない。
説明も、短い。
書き終えると、
すぐに興味を失ったように顔を上げる。
試験終了の合図が鳴る頃には、
彼女は、ただぼんやりと天井を見ていた。
◆◇
数日後。
入学式の会場は、静かに満ちていた。
整然と並ぶ新入生たち。
その中で、サン・フィオルは小さく眉を寄せた。
リトナと女子トイレに閉じ込められた少女だ。
視線を巡らせる。
見間違いじゃない。
あの少女が、いない。
「……いない」
ぽつりと零す。
そのずっと後ろの教職員席でも。
あの日、壊れた術式便座を修理していた教員。
モーヴもまた、名簿を片手に固まっていた。
「……は?」
一枚、めくる。
もう一度、見る。
名前がない。
「いや待て」
低く呟く。
「そんなはずがない」
あの装置。
あの構造。
あれを見て、落とす?
あり得ない。
「……誰が弾いた?」
声が、わずかに冷える。
この日の職員会議は、荒れた。
採点者を前に尋ねる。
「わが校の試験は機能評価が最優先だ。
なら、なぜこれを不合格にした?」
机の上には、受験番号札の貼られた転移補助装置が置かれていた。
「受験番号404番?」
教員は、選考書類をめくり、綴じていた解答を開く。
「みて下さい、製図が全く書けていない。
構造の計画の要点記述は”速い方でいいでしょ”とだけ。
話にならない」
「こりゃまた……。
記念受験する者でさえもっと勉強してくるな」
「現物を見るまでもないでしょう?」
淡々とした判断だった。
教員レクトは、書類を机へ戻す。
人も成果も、数値へ置き換える癖が染みついた目だった。
「……見る必要は、ある。
わが校の試験が機能評価最優先である以上。」
教員モーヴは、食い気味に返した。
猫背気味に机へ身を折りながらも、
目だけは妙に鋭い男だった。
整っているというより、
どこか軽く崩れた顔立ちで、
笑っているのか疑っているのか判別がつかない。
「……そうは言ってもな。」
「いいから」
短い言葉。
だが、目が違った。
レクトは肩をすくめ、
机の上の魔術具を手に取る。
「形になっていたとしてもだ。
記述内容がそれだぞ。
他の受験者の手をうまくまねただけだ、と
オレは判断するがな」
レクトはそれを受け取り、蓋を開けた。
中にあるのは、転移補助機構。
一見、普通。
(いや、多少うまくまとまってーー)
「……は?」
顔が歪んだ。
慌てて机の中からルーペを取り出し、見る。
接続が違う。
他の学生とは全く。
それどころか回路の流れが、既存理論と一致しない。
「なんだこれ……」
指でなぞりながら、ひとつひとつ丁寧に追う。
理解するために。
回路の接続。
魔力の分岐。
圧力制御。
どこかに、理論の繋ぎ目があるはずだった。
しかし。
「流れが……追えん……!」
思わず声が漏れた。
――試しに稼働してみれば。
「……なぜ、動く」
ぽつりと漏れる。
――滑らかに、応答する。
誤差がない。
異常なほど、安定している。
「……そうだ、効率は」
計測器を接続し、再び稼働。
レクトは、あり得ない数値に目をこする。
「……九十一?
この標準部材で!?」
レクトは計器を睨む。
あり得ない。
今回の実技試験は、特別な希少素材など使っていない。
学生の理論理解と、構築精度を見るための標準部材。
だからこそ。
九十を超える数値など、出るはずがなかった。
「……故障か?」
低く呟き、近くに積まれていた他受験者の作品へ、
無造作に計器を繋ぐ。
起動。
「……三十、二」
別の作品。
「二十九」
さらに別。
「三十一……」
沈黙。
レクトが、ゆっくり404番の機構を見る。
「……なんだ、これ」
あり得ない数値だった。
「ふざけてるのか……」
呟きながらも、手は止まらない。
構造を紙へ写し、解こうとする。
だが。
「……分からない」
結果、彼はそれ以上、言葉を続けられなかった。
レクトの様子を見ているとき、
ふと。
記憶が重なった。
乳白色の壁に水の流れ。
手際よく分解された魔術具。
そして――
迷いなく術式を刻む、一人の受験生。
「404番――平民。
保護者欄は父親のみ」
書類をめくる。
「筆記評価、0」
「実技評価――」
ゆっくりと息を吐き、箱を閉じる。
そして、書類を取り上げた。
雑な設計図。
意味をなさない記述。
「……確かに”評価不能”だ」
モーヴは静かに言う。
周囲が顔を上げる。
「理論で点はつけられない」
「だが」
「現物は、完成している」
「――入学させるべきだ」
モーヴの言葉に空気が止まる。
「は?」
「評価基準にないものは採点不能だ」
「前例がない」
ざわめきの中、モーヴは視線を上げる。
「“採点不能”じゃない」
「“減点不能”だ」
短く言い切る。
「理論点はつけられない。
だが機能点は満点だ」
「総合評価で落とす理由がどこにある?」
「……ですがね、
基準も一つの大切な指標のひとつです。
おろそかにするにも限度があるでしょう?
ここはルクスの塔の中枢へ人材を送り出す、
国内最高峰の教育機関だ。
こんな答案を通せば、
落第した学生に私は二度と顔向けが出来ませんよ」
「……」
高位魔術具開発局――通称ルクスの塔。
この国で、
その名を知らない者はいない。
魔術具技師なら、
誰もが憧れる場所だった。
レクトの尤もな意見に、
今度はモーヴが黙るしかなかった。
(404か……まるでこの子そのものだな)
◇◆◇◇
入学式が終わる頃には、空は薄青く曇っていた。
吐く息が白い。
雪こそ積もっていないが、オルディアの春はまだ寒い。
王立魔術工学学院の正門から、
新入生たちが次々と出ていく。
「今年のルクスの塔、開発局採用やばいらしいぞ」
「中央工房の倍率、去年の四倍だって」
そんな声が、あちこちから聞こえていた。
サンは、その流れから少し外れて歩く。
気分が重かった。
入学式の間も、ずっと探していた。
けれど、あの少女はいなかった。
サンには、どうしても納得できなかった。
あの転移補助機構。
あの女子トイレ。
あんなものを即興で作れる人間が、
落ちるなんて考えられない。
「……欠席かしら?」
小さく呟いた時だった。
正門脇の石畳を、二人の教員が早足で横切っていく。
「都市暖房設備管理局との更新会議、今日だったな」
「ああ。
北区の基幹循環路、今年の冬で限界が近い」
ふと。
少し離れた通りの向こうで、
見覚えのある黒髪が揺れた。
「……あ」
リトナだった。
「あ、サン!」
間の抜けた声。
振り向く。
道の向こうで、リトナが手を振っていた。
なぜか、大きな工具箱を抱えて。
淡い青に塗られた箱の角には、
小さな金属花まで付いている。
「……え?」
サンの口が止まる。
学園の制服じゃない。
濃紺の厚手外套。
首元まできっちり留められた
防寒衣に、擦れの少ない革靴。
少し大きめなのに、
妙に丁寧に整えられていた。
そのくせ。
片手には、場違いなくらい大きな工具箱。
「あなた、その格好……」
「面接」
即答だった。
「学校に落ちたから就職するの」
それから、ふっとサンの制服を見る。
「あと、合格おめでとう」
素直な声だった。
その時、リトナの視線が下がる。
「……あれ」
「え?」
「鞄、濡れてる」
サンは反射的に、右手の鞄を引いた。
革鞄の端が、じっとりと水を吸っている。
左手には、教本や筆記具が抱えられていた。
本来なら、全部鞄へ入っているはずのものだ。
入学式の帰り道。
階段脇に置いていた間に、
誰かに水を掛けられていた。
濡れたままでは、教本まで駄目になる。
だから、中身だけ取り出していた。
「……別に、大丈夫」
短く答える。
だが、抱えた教本の角は、
冷えた指先で少し湿っていた。
リトナは、濡れた鞄をじっと見たあと。
サンの制服へ視線を移した。
「その制服、内側の断熱術式すごいんだね!」
「え?」
「コートこんなに薄いのに、
熱が逃げにくい構造になってる」
さらに、胸元へ顔を寄せる。
「あ、校章の術式知ってるやつ!
魔力拡散避けるやつだ!」
サンは、一瞬だけ言葉を失った。
風が吹く。
冷たい空気が、髪を揺らした。
だが、リトナはまるで気にしていない。
むしろ少し楽しそうだった。
「今日の面接は寒冷国家オルディアを
支えてる暖房設備に触れるところ!
都市暖房設備管理……機関?だったかな」
目がきらきらしている。
都市暖房設備管理局。
オルディア全域へ熱を巡らせる、
国の心臓みたいな施設だ。
雪国では、そこが落ちれば即、災害だ。
学院街中央区には、
管理局本部と、
基幹循環路中枢施設が併設されている。
国内全域の地下を走る循環路へ、
この施設から昼夜を問わず、
膨大な熱と魔力が送り込まれていた。
「地下の循環路、見学できるかな」
そっちか。
サンは頭を抱えそうになった。
「……あなた、本当にそれでいいの?」
「うん?」
「王立よ!?
オルディア最高峰の――」
言いかけて、止まる。
リトナは首を傾げた。
「でも、設備管理も魔術具いっぱい
あるでしょ?」
会話が噛み合わない。
サンは数秒黙り、静かに空を見上げた。
「……私も行く」
「面接?」
「違う!」
即答。
「あなたともっと話がしたいの!
面接が終わるまで待ってるから」
リトナは、よく分からないまま頷いた。
二人は並んで歩き始める。
石畳の道。
頭上には、白く細長い街灯が並んでいた。
淡い青と白い光。
星光式という。
古代魔術具を基礎にした、オルディア旧式照明。
リトナが、ふと足を止める。
「……あ」
見上げる。
「これ、まだ現役なんだ」
「知ってるの?」
「うん」
目を細めて見上げる。
「星の位置で光量を変える型。」
白い光が、雪へ淡く滲んでいた。
「古い型だけど、これ好きなんだよね」
「好き?」
「うん。
よくないのが近づくと、少し光り方変わるから」
サンが瞬きをする。
「……え、それ防犯機構?」
「たぶん。
昔のって、こういうの多かったし」
リトナは、並ぶ街灯を見上げる。
「なんか、ちゃんと見てくれてる感じするんだ」
さらりと聞こえた内容にサンが瞬きをした。
そんな知識、学園の予習課程でも触れられていなかった。
なのに。
「……左側、ちょっと遅れてる」
「え?」
「光」
リトナが指をさす。
「補助環、1個弱ってる」
言われて見れば、確かに左側だけ、
わずかに明滅が遅い。
リトナは、青い工具箱を地面へ置いた。
かちゃり。
慣れた手つきで蓋を開ける。
「ちょうどいいかも」
「……なにが?」
「星光式って、光量を熱へ変換しやすいの」
リトナは、折り畳まれた薄い金属板を取り出した。
「しかもこの熱、少し動くんだよ。
星みたいに」
意味が分からない。
金属板を、
街灯の下へ滑らせる。
その瞬間。
白い街灯の光が、
水面みたいに揺れた。
淡い青白い輝きが、
細かな粒になって零れていく。
雪だった。
そう見えた。
だが、落ちてきた光の粒は、
地面へ触れる前に、ふわりと軌道を変える。
星屑みたいな熱だった。
ゆっくりと流れ、
サンの濡れた鞄へ集まっていく。
じんわりと、
革の表面から水気が消えていった。
冷えていた指先へ、
遅れて柔らかな熱が届く。
白い吐息が、
少しだけ薄くなる。
「……乾いた」
リトナが満足そうに頷いた。
サンが絶句した時だった。
――ブォォォン!!
低い警報音に空気が震える。
そして、次の瞬間。
ドンッ!!
地面が揺れ、近くで黒煙が噴き上がった。
リトナの目的地の方角から。
「……っ!」
通行人たちがざわついた。
「循環路の施設だ!」
「邪魔だ、どけっ!!」
「爆発したって!?」
「逃げろ!!」
悲鳴と怒号で満ちる。
リトナとサンが到着した時、そこはすでに、
雪を踏み荒らす音と怒号で混乱に包まれていた。
都市暖房管理局に併設された施設から、
黒煙が噴き上がっている。
リトナが面接を受けにきた場所だった。
作業服の男たちが、
雪を蹴り散らしながら走っていく。
「冷却が追いつかない!」
「圧縮室、閉鎖しろ!」
「誰か停止術式を――!」
飛び交う怒声。
避難を叫ぶ声。
泣き出す子ども。
一般人まで、
建物から離れるよう押し出されていた。
サンの顔色が変わる。
「そんな……!」
けれど。
リトナだけが、
じっと煙を見上げていた。
「……変」
ぽつり。
「煙の色、
違うのが混じってる」
リトナは黒煙を追う。
その中で。
一筋だけ、
白っぽい煙が沈んでいた。
空へ上がらない。
重たいみたいに。
「サン!
こっち、白い」
言うなり、
リトナは煙の方へ駆け出した。
「……水蒸気じゃないの?
って、ちょっとリトナ!?」
石段を上がってきた二人の教員の視線が、
走っていく学院の制服へ止まった。
「……は?」
モーヴの目が見開かれる。
厚手の外套を翻しながら、
黒髪の少女が白煙の下へ向かっていた。
「どうかしました?」
レクトが眉を寄せる。
「いや、今の――」
低く呟く。
「……404番?」
「404?」
レクトが聞き返した直後。
施設側から怒声が響いた。
「主管循環路が止まったぞ!」
「圧力落ちてる!」
「第三熱導路、凍結しかけてる!」
空気が変わる。
レクトの顔色も、そこで初めて変わった。
「……おい、うそだろ」
基幹循環路。
オルディア全域へ熱を送る、都市暖房の心臓部。
そこが停止すれば、街そのものが止まる。
空へ吹き出す黒煙に混じらず、
白煙はゆっくり沈む。
風に煽られた煙が
リトナ達の方へ流れてきた。
その中に。
きらきらと、細かな粒が混じっていた。
リトナは、落ちてきた粒を指先で受ける。
冷たい。
「……凍ってる」
サンが白煙を見上げる。
「やっぱり水蒸気じゃないの?」
リトナが指先の粒を潰す。
ぱき、と
小さく乾いた音がした。
「これ、白い煙に見えたやつ。
代替魔石の結晶だ」
「結晶……?」
サンは、指先の粒と白煙を見比べた。
「え、これが……?」
その直後、
ズン――ッ!!
腹に響く衝撃。
施設の窓が、一斉に光った。
「やばい!」
近くの技術員が叫ぶ。
「第三圧縮槽が限界だ!!」
誰かが走る。
「熱導路が飽和してる!」
「中央環流まで飛ぶぞ!」
「ルクスへ連絡しろ!」
低い警鐘が、建物全体へ響いていた。
その騒ぎの中へ、
モーヴ達も駆け込んできた。
「何が起きてる!」
レクトが声を張り上げる。
二人とも、教員である前に技術者だった。
飛び交う怒声。
蒸気。
焼けた魔力の臭い。
その中で、
モーヴの視線が止まる。
幾人もの作業服に混じって、明らかに場違いな少女二人。
「……404番?、……と」
「なんでこんな場所に、うちの生徒が!」
レクトが頭を抱えた。
だが。
当のリトナは、
配管脇に張り付いた白い結晶へ手を伸ばしていた。
ぱき。
薄い音。
指先で転がし、光へ透かす。
「……やっぱり」
さらりと呟く。
「この代替魔石、低温域で循環式に混ぜたら、
魔術式食べて固まるの」
現場の空気が止まった。
「え……、なんでこんな子供がここに?」
技術員が振り向く。
「……そんな報告、聞いたことがないぞ――」
呟きを拾ったレクトの顔色が変わった。
「冷えた魔力が、循環路の中で結晶化してる」
黒く焼けた術式。
熱暴走じゃない。
「通り道狭いね……」
リトナは、
納得したみたいに頷く。
「それで動かないんだ」
二人の教員は、リトナの手の中にある
砕かれた白い結晶を凝視する。
そして。
煙を見上げながら、
当たり前みたいに原因を口にした黒髪の少女。
レクトが眉をひそめる。
「……誰だ?」
モーヴだけが、頭を抱えるみたいに目を閉じた。
「いや、だから……404番なんだ、これが」
「……は?」
レクトの視線が、黒髪の少女へ戻る。
あの答案。
理論0点。
だが。
教員である自分でも理解できない
転移補助機構を組み上げた受験生。
その印象と、目の前の少女が結びつかなかった。
レクトが、はっとしたように顔を上げる。
「……いや、待て」
男は険しい顔になる。
「……もう遅い」
「主管路の破裂は止められん。
うちの生徒とそこの黒いやつ、今すぐ建物から離れーー」
その言葉を遮るように、
ごうっ、と。
配管が震えた。
周囲に悲鳴が走る。
だが。
リトナは、周囲に転がる予備部材。
交換用の補助環。
冷却板。
廃棄予定だった細い銀線。
それらを拾い、淡い青の工具箱を床へ置いた。
角には赤い小さな花飾り。
蓋の縁には、星型の硝子片がぐるりと埋め込まれている。
こんな事故現場に、まるで似合わない箱だった。
だが。
蓋を開くと内側には、
用途ごとの工具が寸分の狂いもなく並んでいた。
術式カッター。
魔力測定針。
刻印用ビット。
補助環固定具。
カチ、カチ、と。
リトナは迷いなく部品を外していく。
「何をしてる!?
すぐに離れろとーー」
「代替魔石を選別して、冷やさないでいい炉の方に
転移させる補助環足すだけ」
即答だった。
「流れ直すだけの単純作業だから間に合うよ」
術式カッターの先端が光る。
導管へ、さらさらと線が描かれていく。
問題のない魔石は既存の循環路へ。
損なわれた魔術式の補強には、
外付けの補助経路を追加している。
しかも。
術式が焼けて負荷が集中している箇所を避けて。
熱圧を分散するように。
その場で。
即席で。
あろうことか、
彼女は鼻歌を歌いながら手を動かす。
レクトの息が止まった。
「……まさか」
目が、歪み一つない補助環の構造を追う。
魔力の流れ。
圧力配分。
冷却分岐。
全て、成立している。
しかも――
「こんな短時間で負荷分散まで……?」
技術者が呆然と呟く。
リトナは顔も上げない。
「止まってる場所、迂回するだけで動くよ」
そして。
最後の一線を刻む。
かちり。
補助環が接続された、直後。
ごぉ……っ。
止まっていた循環音が、
ゆっくりと戻る。
暴走していた魔力が、
街全体の低出力系統へ分散されていく。
時計塔の針は勢いよく回り始め、
鐘が幾重にも 美しい音を街へ響かせる。
公園の噴水は虹色の光を滲ませる。
昼間だというのに、
街路の《灯》が淡く点灯した。
幻想的だった。
まるで都市そのものが、
ゆっくり呼吸を取り戻していくみたいに。
その頃。
レクトとモーヴだけは、息を呑んでいた。
理屈は、通っている。
白煙が薄れていき、警鐘が止まった。
しん、と。
現場が静まり返る。
技術者の一人が、震える声を漏らす。
「……動いた」
計器を見る。
「主管路の圧力が下がってきた!」
「循環率、あがってきた!」
「やった……!」
その横で。
レクトとモーヴは、導管へ刻まれた術式から目を離せない。
既存理論から逸脱した流路。
だが。
成立している。
どころか。
流れが、異様なほど滑らかだった。
無理がない。
本来なら複雑に絡み合うはずの術式が、
一筆書きみたいに繋がっている。
――美しい。
レクトとモーヴの喉が、同時にひくりと動いた。
見たのは、これで二度目だった。
一度目は――
入試実技で提出された転移補助機構。
「……ふざけていたわけじゃないのか」
掠れた声が漏れる。
「……はは」
採点担当だったレクトが、震える声を漏らす。
「これは……、
理論を分かってない人間の技じゃないぞ……」
リトナは、そんな視線に気づきもせず、
導管をぺたぺた触っていた。
「あ、でもこれ。
導管交換と術式貼付しなおしたら、元通り直結してね」
軽い口調だった。
「今回は速い方がいいから転移術式貼付させたけど、
直結の方が修理も点検も楽。」
現場の技術員たちが、一斉に導管を見る。
そして、青ざめた。
今さら気づいたのだ。
爆発寸前だった設備を、
目の前の少女が、数分で延命させたことに。
レクトの脳裏に雑な試験答案が蘇る。
『速い方でいいでしょ』
ふざけてると思った。
だが違った。
こいつは――
“分かっているから、説明を書かなかった”。
レクトの眉が引きつる。
「……解ってるじゃないか」
低く漏れる。
「全部」
リトナは振り返り、
額を抑える1名とその隣で慰めるように
肩をポンポンとたたく男を見た。
「?」
彼らは心の底から確信した。
――あの答案は、
問題が簡単すぎてふざけた解答をよこした、と。
「循環率安定した!」
「第四経路、復旧しました!」
張り詰めていた空気が少しずつほどけていく中で。
リトナは、床に散らばった工具を拾っていた。
カチ。
カチ。
使い終わった術式カッターを畳み、
青い工具箱へ戻す。
それだけ。
まるで壊れた棚を直した後のように、
リトナは満足した顔をしていた。
現場責任者らしい男が駆け寄ってくる。
作業服姿ではあるが、
髪も外套も妙に整っている。
現場叩き上げというより、
管理局の会議室にいそうな男だった。
「君、誰!?
何したの!!??」
リトナは顔を上げる。
「えっと、地下の循環路の見学に……
じゃなくて、
隣の都市暖房設備管理???の面接に」
「どっち!?」
鼻息を荒くした男に両肩を掴まれたリトナは
縋るようにサンを見る。
「困るの……今更っ!?」
サンが両手で頭を抱える。
さっきまでの状況の方がどう考えても深刻だった。
サンは未だ現実の処理が追いついていない。
男はさらに一歩踏み込んだ。
「そうじゃなくて!
今何したの!?
え?
うち来るの?
管理局に来るの!?」
リトナは首を傾げる。
「詰まってたからーー」
「流れる道、増やしただけ」
「違う……リトナ、そういう話じゃなくて……!」
サンが更に頭を抱える。
男の呼吸が止まる。
(……増やした?)
その意味を理解した瞬間、顔色が変わる。
「主任……この子、
あっという間に主管路の負荷再設計まで
組んでくれて……」
周囲の技術者の声が震える。
「え、何この子……天使様?」
リトナは、ぽかんと口を開けた。
「……へ?」
次の瞬間。
ぶんぶんぶんぶん、と首を勢いよく横に振る。
「ち、違っ!」
だが、責任者の男は真剣な目をしていた。
もし主管路が破裂していたら。
この工場だけでは済まない。
都市暖房が止まる。
外気温が氷点下のオルディアで、それは死人が出る事故だ。
責任問題では終わらない。
男の背中を、嫌な汗がつうっと流れた。
遅れて、膝から力が抜けそうになる。
――助かった。
ようやく、そこで理解した。
自分たちは今、この少女一人に救われたのだと。
男はゆっくり、リトナの両肩を掴む。
「……採用!」
見た目にそぐわない野太い声が、現場へ響いた。
その直後。
「待て」
低い声が割って入る。
責任者の男は、そこでようやく顔を上げた。
……学院の教員。
今日、更新会議が入っていたことを、遅れて思い出す。
「先生……」
掠れた声だった。
「これが止まっていたら、終わってました」
教員二人は無言だった。
代替魔石。
コスト削減の切り札として、
近年急速に普及した新素材。
だが、
新素材には未知の特性がある。
魔術具の製造と研究を国家の主産業とするオルディアでは、
そうした事故は、決して珍しいものではなかった。
もちろん、仮に暖房施設が停止しても、
他区画からの支援は入る。
都市そのものが即座に崩壊するわけではない。
それでも。
この外気温で、被害がゼロで済むはずもなかった。
だからこそ。
教師たちがリトナを見る目は、
先ほどまでと少し違っていた。
「……受験番号404番」
呼びかける声も、わずかに柔らかい。
肩を掴まれたまま、リトナがそちらを見る。
見たことがある気もするが、知らない男が二人。
技術者の服装ではなかった。
現場の技術者たちが、
油と魔力の匂いを纏っているのに対し。
彼らの外套だけは
一切の汚れを拒絶しているように見える。
制度そのものを着ている、とでも言うべき姿だった。
(も、もしかして面接官!?)
リトナの背筋が伸びる。
「お前、どうして普通に就職しようとしている」
猫背の男が尋ねた。
(は、はじまった!
面接ってこんな急に始まるの!?)
だが、
質問内容は知っている。
定番だ。
「学校に落ちたから、です」
即答だった。
若干、肩を掴んでいる男が邪魔だが。
「学校は他にいくつでもあっただろう。
全部落ちたのか?」
「落ちた学校は家から一番近くて」
リトナは真面目に答える。
「でも結局、
就職した方が魔術具にいっぱい触れるし」
次の瞬間。
ぱっと目が輝く。
「あと、
地下循環路見たいです!!」
現場の技術者たちが、ざわりと反応した。
「いや待て」
「ちょっと待て」
「マジで来るのか?」
誰かが口火を切った。
「採用!」
「「「「採用!」」」」
一拍置いて、
追従する周囲の技術者たち。
「……っ、だめだっ!!」
出遅れながらも、
“面接官”らしき男が遮った。
全受験生の憧れ。
国最高峰の教育機関に対する志望理由としては、
あまりにも生活感が強すぎた。
「志望動機の温度が低すぎる!
0点だ!」
「最低の返答だ!
それは心に秘めるものだ!
世界の常識だ!」
びしっと指を突きつける。
「くそっ……
なのに落とせん!」
「「「「えぇ……!?」」」」
技術者たちが、露骨に嫌そうな顔をした。
「「「「なんでです!?」」」」
「学院へ入学させるからだ」
「「「「ずるい!!!」」」」
技術者たちが教員側に食って掛かる。
サンが勢いよく振り向く。
「……え?」
リトナも瞬いた。
「学校ぉ?」
レクトのこめかみに、ぴき、と青筋が浮く。
「記述が成立していない、
あの答案に点数がつくと思う方がおかしい!」
初めて感情が爆発した。
現場の技術者たちがびくっとする。
「“速い方でいいでしょ”とは何だ!
評価以前の問題だ !」
「……え?
え?」
リトナが目を瞬かせた。
「理論を書け!
構造を書け!
嫌がらせか!?
試験官に何を評価しろと言うんだ! 」
怒涛の勢いに、リトナは一歩だけ下がる。
そして、自然にサンの背後へ移動した。
サンの影から顔だけ出す。
「あの……、あなた誰?」
「「「「今!!??」」」」
サンが思わず吹き出した。
緊張が切れたみたいに。
くすくす、と。
隣で、モーヴがとうとう吹き出した。
「はは……っ。
そう来るか」
初めてだった。
隣の教師が、完全に調子を崩されていた。
理解不能な怪物を前にした顔じゃない。
意思疎通のできない天才児に、
本気で説教している顔だった。
それを見て、レクトが止まる。
サンは口元を押さえながら、肩を震わせた。
「……ふ、ふふっ……」
「サン?」
「ご、ごめんなさい……でも……っ」
笑ってしまう。
だって。
この少女は、本当に分かっていないのだ。
自分がどれだけ異常なのか。
どれだけ、とんでもないことをしているのか。
レクトは深く息を吐く。
そして、静かに言った。
「……入学処理をやり直す」
「え」
「試験官全員の前で、もう一度評価する」
リトナは目を丸くした。
「いや、だからあなた誰?」
「お前が受験した王立魔術工学学院の教員だ。」
レクトが、隣を親指で示す。
「そっちの猫背は試験開始直前に、
お前達と一緒に教室に落ちてきた教員だ。」
「普通忘れるか? 」
リトナは、モーヴを見る。
数秒。
ぱっと顔が明るくなった。
「女子トイレの変質者!」
「違う!!」
即座に叫ぶ。
「壊れた術式便座を修理してただけだ!」
「女子トイレで?」
「緊急だったんだよ!」
サンが吹き出した。
「あはははっ……!」
さっきまで張り詰めていた空気が、一気に崩れる。
モーヴは額を押さえた。
「なんでこうなる……」
それでも、口元だけは少し笑っていた。
「面接じゃなかったの?」
レクトはこめかみを押さえながら、
追い払うように片手を払った。
「お前はもう帰れ」
「私、ここも落ちたの!?」
リトナの顔が、目に見えて曇った。
「思考判断も0点か。
誰がそんな国難みたいな判断するか!」
「ガーン!!」
工場内が、一瞬しん……と静まる。
(((((声に出す!?)))))
リトナを除く、その場の全員の心が、
綺麗に一致した瞬間だった。
数秒後。
現場の技術者の一人が、ぼそっと呟く。
「……経歴は嬢ちゃんに大事だから
今はあきらめるけど。
卒業したら、絶対うちにカムバック」
「どう考えてもルクスの塔へ入れる素材だろ」
だが、レクトは即答した。
その後ろで。
春の薄曇りの空へ、
都市暖房の白い蒸気がゆっくりと流れていく。
遠く、ルクスの塔が霞むように立っていた。
後年。
「王立魔術工学学院入試の技術理論問題は、
ある年を境に急激に難化した」
「理由は不明」
しかし解答用紙には”文字数最低八百字以上”と
指定されていた。
なお、当時の採点担当者は退官まで
「速い方でいいでしょ」を悪夢のように語ったという。
◆◇
入学式から1週間後、
少女が一人遅れて入学してきた。
整然と並ぶ新入生たちの列の中で、
ひそひそとした声が広がっていた。
「あいつ知ってる?」
「補欠だろ」
「ギリで入ったやつ」
「運いいよな」
軽い笑い。
その視線の先にいるのは――リトナだった。
本人は、気にした様子もなく、
きょろきょろと周囲を見ている。
「国で一番の人気の学校だけあってキレイだね
ほら、天井の照明、目が疲れないやつ」
天井を見上げて……口が開いてる。
隣に立つサンが、少しだけ顔をしかめた。
「……あなた、気にならないの?」
「なにが?」
「補欠って……」
リトナは少し考えて、あっさりと答えた。
「入れたならよくない?」
あっさりした声だった。
まるで、
周囲の噂も、
順位も、
誰かの悪意も、
最初から存在していないみたいに。
サンは、
濡れた鞄を抱えていた入学式の帰り道を思い出す。
陰で笑っていた声。
気にしないふりをして、ずっと気にしていた。
けれど。
視線の先で、
リトナは床を何度も踏み鳴らしていた。
「この床、足音あんまり響かないね?」
きらきらした目だった。
――ああ。
私は、
魔術具が好きで、
この学院に来たんだった。
サンは、小さく息を吐く。
「……変な子」
その視線の先で、
リトナは床にしゃがみ込み、
何度も床を叩いていた。
「……足音だけ?」
などと言っている。
その少し後ろ。
モーヴが、頭を抱えていた。
「……補欠じゃない」
そして遠い目で呟く。
「あれは、
採点側が敗北した結果だ……」
(“採点不能”の……404番)
その番号を見るだけで頭を抱える教員は、
きっと今後増えていく。
だが。
“404番担当” として、
最前線に立たされるのは、なぜかいつもモーヴだった。
今日もモーヴは、
床を執拗にたたくリトナを見ていた。
(……次は何をやらかす気だ、404番)




