【第八十九話 雪を融かすほどの】
「ロニア坊、そっち行ったぞ!」
「わかってるよおじさん!」
ロムレスの指し示した先。
水面のように揺らめく空間が走っている。
それが踏みしめる深雪には、三叉の足跡。
「【赤魔法:吹き荒れよ炎槍】ッ!」
ロニアの背後に、赤い魔方陣が浮かび上がる。
本来ならば、この魔法は七つの炎槍を生み出すモノだ。
だが、カレンの贈った白銀の杖により、威力は細められた。
たったひとつの魔法陣。
分散された槍がひとつに結合。
今やそれは、大樹の幹ほどの太さを持ち、地獄すらも生ぬるいような熱を放っている。
狙いは、揺らめく空間。
周囲の雪を、かつての姿へと融かしながら槍が唸った。
キィイと音を立て、周囲の針葉樹を焼き焦がす。
大気中のエーテルと、木の葉の燃える臭いが鼻腔をくすぐる。
場違いな暑さに、ロニアは一筋の汗を垂らした。
そして、グジャリと揺らめく景色が捻じれる。
姿を現したのは、目玉をギョロリと浮かび上がらせた爬虫類のようだった。
岩のようにゴツゴツとした鱗。先ほどまで映っていた景色が、その爬虫類で点滅していた。
突き刺さった槍から、融解する鉱物のツンと刺すような刺激臭がした。
「砕獣ってことかい」
「みたいだね。これも持って帰るの?」
ロニアが、すでに動かなくなった砕獣を爪先で突きながら、ロムレスを見上げた。
黒い革製の手袋を装着したロムレスが、砕獣の岩肌から鉱石を引きちぎった。
張り付いた肉のような部位が、いまだに拍動している。
「ああ。キルちゃんが、サンプルを寄こせってうるせえから」
「ヴァレンおじさん、ああ見えて結構うるさいよね」
ロニアが青魔法を用いて、飛散した欠片を背負った籠に投げ入れた。
すでに、半分以上が同じような欠片で埋まっている。
「しっかし、こういう奴らしかいねぇのかよ」
「同じ種類の砕獣しかいないよね。それに、あれはここの気温に耐えられないし、日光にさらされても壊れない」
「ああ。昼間は砕獣の奴ら、ぐーすか寝てるはずなんだけどなあ」
砕獣の生態は、人型を除けばどこへ行っても変わらない。
岩を食い、岩を出す。日光の下では砕け、心臓を破壊すれば死ぬ。
熱帯の砕獣は寒さでは自壊するといった個体差こそあるが、本質はニンゲンと同じように変わらないのだ。
「はあ。ボクもそうしたいよ。まったくローラのやつ、母さんまで丸め込んで」
「いいじゃねぇか。たまにはこうして血の繋がった男同士、腹を切って話そうや」
「切ってどうすんのさ。アマクサさんに影響された?」
言って、ロニアは手元の杖を見つめた。
これの使用感は申し分ない。
だが、まだ慣れない部分もある。
今までの魔法がバケツの水をぶちまけるものだとしたら、これは管で繊細に流し込むようだ。
過去に、自分自身を杖にしろとリウに教えた。
皮肉にも自分は「力を抑えろ」と杖を振るうようになった。
どのような形であれ、ヒトであるうちは変化を強いられるのだ。
そう、考えることにした。
それに、まだランタン剣も試していない。
きっとしばらくは、天使形態にならなくてもいいだろう。
叶うなら、二度となりたくない。
ロニアはそう、心の中で願った。
「もうこれぐらいでいいんじゃないかな。おじさん、帰ろうよ。お腹すいたー」
「んっ、ああそうだな。確かに俺も腹減ったしな」
だが、ロムレスは片眉を上げた。
「ん、待てよ。食材が無ェ」
「えっ、ウソ……。断食?」
「いや、ホーラドゥナよりかは遠くなるが他に街がある。買い出しついでに、飯でもしばくか。俺が払うからよ」
「当然だよ? 甥っ子に威厳を見せてよね」
ロムレスが哄笑し、乱雑にロニアの頭をわしゃわしゃと撫でまわした。
「がっはっは! マジで生意気だなあ、ロニア坊! それでこそ俺の甥だ!」
陽気に走り出すロムレスを背中を、ロニアは追跡する。
これでは、どちらが年上なのかがわからない。
いや、精神年齢ではロニアが遥かに上回っている。
ロムレスは四十そこそこなのに対して、ロニアは数万年生きてきた。
明らかに成熟しているべきだが、どうにも人間界に来てから不必要だと切り捨ててきた感情を取り戻し始めていたのだ。
怒り、悲しみ、喜び、楽しみ。
そして、ロニアをロニア・ロンドたらしめる最大の感情。
――恋。
それのせいか、今の自分はひどく脆い。
そう、ロニアは自嘲した。
「どうしたよ、ロニア坊? 腹減って力が出ねぇか?」
「……ん。そんな感じ」
ロムレスが微笑み、ロニアへと近づいた。
いや、微笑んではいない。ニヤついている。
ロニアの懸念は現実となり、ロムレスがロニアをひょいと持ち上げた。
足がぶら下がり、まるで常に落ちているような感覚。
「は、放してッ! 服が伸びちゃうからッ!」
ジタバタして抵抗するも、ロムレスの怪力には敵わなかった。
この馬鹿力は、きっとマチィナに匹敵するだろう。
「今から、叔父さんの威厳を見せてやるってんだ」
言って、ロムレスは衣服を羽織るようにロニアを肩に乗せた。
下半身に伝わる、巌のようにゴツゴツとした筋肉。
クルクルと巻かれた、癖毛の襟足がくすぐったかった。
「どうだい、おちびちゃん。高いだろ?」
「う、うるさいっ! いいから早く行くよ!」
「せかすなって。お前には、親父がいなかったんだろ? 俺も子育ては苦手だけどよ。この瞬間だけはお前の親父代わりになってやるよ」
その言葉に、ロニアは心臓を射止められたような感覚を覚えた。
セスは、母親として育ててもらった。母さん、またはママと呼び、何度も甘えた。
天界では、神をお父様と呼んでいた。そこでは、どこか距離を感じていた記憶がある。
母性こそあれど、父性を知らなかった。
ロニアは両手をロムレスの頭に添える。
委ねるように、自身の頬をロムレスの白髪に置く。
酒のにおいはいまだ立ち込めているが、それでも入浴剤の香りがする。
ローラに、口うるさく言われたのだろう。
「……あんまり揺らさないでよ」
「おうよ。任しときなワガママボーイ!」
「――前言撤回。やっぱ降ろして」




