【第八十八話 ヨハネちゃん】
「も、もとかの……?」
ロニアが、セスの顔を覗き込んだ。
セスは目を大きく見開き、口元を両手で覆っている。
「母さん、もとかのっていうのは……」
「ニンゲンっていうのはな、とっても複雑なんだ」
ロニアは首を傾げながら、ラティファと呼ばれた中年の女性を見る。
ラティファは笑顔を見せていたが、口元は痙攣している。
細められた左目には、凍てつくような冷気を放つ。
前髪により隠された右目にも、左目と同じような輝きを見た。
「あっ、あはは……、ラティファちゃんも来てたんだなぁ」
「あぁ、当然さね。ヨハネの子守りなんだわ」
ラティファが、膨らんでいる胸元を撫でる。
すると、もごもごと脈動しはじめる。
まるで寄生虫のようだと、ロニアは眉を顰めた。
肉体を縛るようにぴっちりとしたスーツから、金色の毛髪が零れる。
そして、子気味の良い音を立てながら、少女が飛び出した。
光のない、不気味なまでに黒い瞳がロニアたちを一瞥する。
「いぇい。ヨハネちゃんと~じょ~」
「……洗礼は引き継がれたのか」
遠い過去を回想するように、セスが姿勢を下げて目の前の少女を見つめた。
両手でピースをしたまま固まっているヨハネ。
「十二神徒が多いなあ」
ふと、ロニアが漏らす。
サイモン、星軒。
そして、ラティファとヨハネ。
知る限りでは、この四人とはもう顔見知りなのだ。
もはや顔が広いとかそういう次元ではない。
「んで、このガキがロンド家の後継ぎかい?」
ラティファが、ロムレスの喉元に突き付けていた剣を収める。
ロニアを見て、懐から葉巻を取り出した。
「後継ぎは妹です。ボクは、帰省してるだけの一般生徒ですよ」
隣のセスが、何かを言いたげに口元をまごつかせていた。
ロニアと目が合い、彼女の眉毛が上がる。
ロニアは微笑を浮かべ、やがてラティファとヨハネに視線を注ぐ。
「たぶん、アナタたちが預言者さんですよね。寒いから、入ってください」
「おや、ロムレスのやつに比べたらしっかりした子じゃないか。お前の血を引いているとは思えないね」
「いやボクが寒いんです」
ニヤつきながらロムレスの脇腹を肘で突いていたラティファが、その場で転倒するようにバランスを崩す。
その流れに従うように、胸元でラティファに抱き着いていたヨハネが着地する。
彼女は、身長が著しく低いロニアの、胸元ほどしかなかった。
「はぁ……。関心した矢先にこうだよ。これだからロンド家は嫌なんだ」
大人たちのゆるやかな歩みと対照的に、ロニアとヨハネは小走りで食卓へと走っていく。
足音に気づいたのか、カレンとローラはこちらを見ている。
ローラに至っては、隣で並走するヨハネを見るなり表情を歪めた。
「うげ。あれがもしかして預言者ですか? クソガキじゃないですか」
「えっ、ああ、うん」
「今、『お前が言うな』と思いましたねこの雌牛。脳にまで脂肪が詰まっているのでは?」
「思ってないもん……。もう、ローラちゃんはロニアくんに似て素直じゃないね」
一触即発。
ふたりの間に、稲妻が走っている。
ローラはまるで小姑のようだが、ロニアのことなどあまり気にかけていないだろう。
彼女は、どこまで行っても地獄の王――サタンそのものなのだ。
そう考えると、カレンの胆力は凄まじいと感じる。
一切臆さず、その上の反撃。
しかし、それを当然だとも思った。
暴走したロニアを二度も現実に引き戻したのは他でもない、カレンだったのだ。
「誰が、なんだって?」
ロニアが、カレンの隣へ滑り込むように座り込んだ。
カレンとローラの間に迸る電撃が収まったようにも見えた。
カレンはふと微笑みをこぼし、ロニアの頭を梳くように撫でた。
「ううん、なんでもないよ」
温かな愛撫に、ロニアは瞳を細めた。
「……ネコですか、アナタは」
ため息交じりに、立ち上がるローラ。
彼女は椅子を二脚抱え、空いていた食卓の隅に置いた。
「むむ。ヨハネちゃんは空席をはっけん」
「置いたんですよワタシが」
─────────◇─────────
来客の喧騒から一転。
ロニアたちは、すっかり片づけられた食卓に会している。
誰一人欠けることなく、全員がラティファを見ていた。
「さぁてとね。本題に入ろうじゃないか。私は別に痴話喧嘩をしに来たわけじゃない」
ラティファが、指を鳴らす。
火属性エーテルが、彼女の咥えている葉巻に熱を与えた。
香しくも、煙たさが一室を満たす。
「ラティファさん。喫煙はこの後でもいかがでしょう。子供もいます」
「ああ、そうだったね。すまないねぇ」
忌々し気に重い息を吐き、ラティファは葉巻を水晶の灰皿に押し付けた。
生傷の残る額に被さった髪をかき上げ、ロニアたちを見回す。
「十二神徒、第六席。地主のミケが何者かに殺された」
言って、ラティファは隣に座って本を噛り付くように見入っているヨハネに目を向けた。
「そ、そんな……ミケさんが!?」
カレンが身を乗り出すように、立ち上がった。
椅子がガタンと悲鳴を上げ、カレンの足元に倒れる。
「え、知ってるの?」
「うん。兄さんのよしみで、お勉強を教えてもらったことがあったの……」
俯くカレン。
十二神徒の、しかも第六席。
つまり、相当な実力者だ。
それが、何者かに殺された。
ロニアはふと、アリスの話した男を思い出した。
「ヨハネたち、それでここに来た。ミケはスーノスに来てたし、預言で見たことが気になる」
ヨハネが読んでいた本には、何も書かれていなかった。
しかし、彼女が懐からペンを取り出して筆を走らせると、ある景色が浮かんだ。
翼の生えた男。そして、雪景色。
「これは天使か?」
リウがそれを覗き込む。
カレンやアリスたちのように、ロニアの正体を知る一行はロニアの方を横目に見た。
「わからない。天使が堕天したというのはあまり確認できてない。多分、人型砕獣かもしれない」
「どちらにせよ、バカみたいに強いってことだ。そこでだよ、ロムレス。私が、お前なんかを頼るのは。傭兵なんだろう?」
「狩りの心得はあるにはあるけどよ。俺が出たところでなあ」
どこの誰がどうなったか。
そんなことなど一切関心を示さないようなヴァレンティノスが、ロムレスの背後にあるクロスボウを指先で触れている。
そして、胡乱に眼鏡を輝かせた。
「私の開発したこの武器。その威力を忘れましたか?」
「でもキルちゃんんは魔弾をケチるだろうがよ」
「秋を待っていたのです。サンプルとデータを同時に採れるように」
ロニアは、腰に携帯しているランタンに触れた。
下部にある窪み。カレンから貰った白銀の杖を差し込むことで、変形する。
いまだ、その威力を確かめることはできていない。
平和であるならば最良なのだが、宝の持ち腐れにも感じている。
「……しゃあねぇなあ。でもよラティファちゃん。さすがに払うもんは払ってもらうぜ」
「私はお前と比べて約束は守るさ。そこらへん、弁えているんでねぇ」
胸騒ぎが鳴りやまない。
自分がロンド家に帰省したのも、こうして実力者が何人も集ったのも。
なんだか、出来すぎていると感じたのだ。
まるで、何かの釣り餌か。
茨の劇団の男。一体、何を企んでいる。
ロニアは、額に冷や汗を伝わせた。
鎖が耳元でささやく。
『いいじゃないか。ほっとけ』
『オマエは、ただみんなとゆっくり暮らしていけばいいんだよ』
あまりにも甘美な誘い。
ロニアの怠惰な性格を、この鎖はよく知っている。
だからこそ、静観を選択させるのだ。
たとえそれが、後悔を招こうとも。
ローラとカレンからの視線を感じた。
片方は冷たく、もう一方は暖かい。
しかしどちらも、包み込むような感覚があった。
「ラティファ、と言いましたね。その仕事、我がロンド家が全霊を持ってサポート致します。当主として、この地区を統括する責務がありますので」
ローラが、カップで湯気を上げる紅茶を啜る。
かつてサタンであったはずなのに、なぜここまでニンゲンの肩を持つのだろう。
ロニアはそう疑問にも思ったが、きっと自分と同じ理由なのだろうと考えた。
どちらにせよ、今はニンゲンの社会にいる。
「お兄様。アナタにも働いてもらいます。自室で腐っているだけのやつに食わせてやるほど、ロンド家は甘くありません」
「えっ、マジで?」
ロニアが素っ頓狂な声を上げる。
実のところ、本心では少しだけ面倒だと思っていたのだ。
「おお。ローラちゃん、ロニアの使い方をよくわかっているじゃないか」
「当然です、お義母様。伊達に妹をやっていませんので。むろん、お友達も同様です。みっちり働いてもらいますからね」
「きゅ、給料は請求するからなっ!」
一同の微笑と共に、日差しはさらに強まった。
「ええ。働いてもらいましょう」
ヴァレンティノス。ローラの、いや、サタンの言葉を復唱した。




