【第九話 イヤなやつら】
「ヒキョウですね。あんただけじゃないなんて」
ロニアの軽蔑が籠った言葉を受け、クロウルは口元を歪めた。
クロウルの背後から、続々と生徒が現れる。どいつもこいつも、ロニアに対して劣等感を抱いていた烏合の衆だ。
嫉妬など、なんて情けない。それに、数で勝ったつもりでいるのが気にくわない。
「悪評のみならず、君は魔法の腕も優れていると聞いた。一人では太刀打ちできないだろうに」
「へえ。袋叩きですか。しょうもない。それに、規則違反ならソイツらはどうなんです。もしや、職権の濫用で特別に許可したなんて言いませんよね?」
「そのまさかだ。教師だからな。それぐらいは許されるさ。それに感謝しろよ。お前たちのような悪い子を、みんなで教育してやるんだからな!」
「ふぅん」
クズが。カレンにだけ聞こえるように呟いた。
「私たちをどうするつもりですか、先生!」
「まあそう喚くな。まずロニア学生には、【退学処置】を下す。カレン学生には、ふん。言わずともわかっているだろう」
クロウルの背後にいる生徒たちが、ネバついたにやけ顔を見せた。なんて悍ましい。カレンの背筋が震える。
「ボクを殺す気なんでしょう。戒厳令に従わず外に出てしまったがために、砕獣に襲われて不運にも……ってのがアンタらの策だ。違います?」
うるせえぞと、取り巻きが喚いた。ああ、喧しい。まだ人型砕獣の方が楽し気がある。こいつらは、ただ粘っこいだけ。
そのべたつく顔面を切り裂きかき混ぜて泥にしてやりたい。
「強気でいられるのもそこまでだ。俺には方法がある。これを見ろ。小賢しいお前なら知っているだろう」
クロウルが、思いっきり踏みつけた粘土細工のような笑みを浮かべ、身に着けていた黒い手袋を、ロニアの足元に脱ぎ捨てた。
決闘のつもりか。まずそう思ったが、彼の掌に刻まれていたそれを見て、ロニアは目を見開いた。
「レヴィ……アタン。人間の身で契約したのか」
黒魔方陣だった。
「ほう、やはり知っていたか。ただの学生とて、【嫉妬】の大罪には敵わない。あぁ~ん? そうだろう? さあ、許しを乞えよ」
「ロニアくん、あれは何!?」
「嫉妬大罪。レヴィアタンの力だよ。けど、あの様子じゃあ……、全然怖くないかな」
言いながら、足で何かを描くように床をなぞるロニア。
「そう云ってられるのも今の内だマヌケ! かかれお前たち!」
有象無象たちが、ロニアに襲い掛かった。鼻で笑う。カレンを背後に、緑魔方陣で応戦した。
「【緑魔法:衝撃】」
どむっ。鈍い音が空気を叩き、雑魚たちを一気に蹴散らした。暴風が部屋に吹き荒れ、髪をくしゃくしゃに遊んでいった。半数以上が吹きとび、残った者は逃走した。
「天才……ええい、緑魔法ですらこの威力か! しかし、俺に勝てるかよ! 来い、【レヴィアタン】!」
──何も起きなかった。
「……来い、レヴィアタン!」
同じ。
「何故だ、何故来ない! どれだけ贄を捧げたと思ってる!」
「答えは簡単さ」
ロニアが、勝ち誇った顔でクロウルを嘲笑った。トントンと、自身の足元をつま先で突いている。白魔方陣だった。
「第一ね、レヴィアタンとか、そういう黒魔法を知っている人間がさ、想定をしていないと思ってる? この魔方陣は、常日頃から対黒魔術用にボクが考えていた抑制・干渉魔法のプロトタイプだよ。名前はめんどいから決めてないけどね」
カレンは、ただ見ることしかできなかった。羨望の眼差しがロニアにはくすぐったが、カレンのものには他の生徒のような諦観ではなく、【いつかこうなりたい】という向上心が混じっていた。だから、向けられる視線も心地いい。カレンの為に、勉強会を開いてやろうか。余裕綽々だから、こんなのんきな考えもできてしまう。
目の前のクロウルという男は、あまりにも拍子抜けすぎた。クリスタリア魔術学院の教師というのは、優れた魔術師でなければその肩書を名乗ることを許されない。
少しは骨のあるやつだと思ったが、正直失望した。現に、奴は歯をかちかち鳴らしながら頭を掻きむしっている。ああいうタイプは、最後に自暴自棄になる。
「カレン。キミの知ってる赤魔法で、一番詠唱が短いものはなんだい?」
「えぇと、氷河の群れかな?」
「おっけ。詠唱の準備してて」
首肯したカレンは、上着に忍ばせてあった小さい杖を取り出し、意識を集中した。
「てめえ……クソ野郎が、殺してやる」
「おいおい、それはこっちのセリフだって。教師に逆恨みされた挙句、殺害予告だよ。みっともない。どうすんのさ、だらしなく逃げるかい? 多分アンタの教師人生終わるけど」
「死ね! ロニア・ロンドォ!」
来た。クロウルがその手、刻まれた魔方陣を媒介とし、赤魔法を唱えた。触手。クロウルらしい。ロニアは笑みを浮かべ、僅かに横へとずれた。ここはロニアの出番ではない。
「赤魔法:【雲覆い、雹降らせ、氷河の群れ】!」
カレンの杖先、赤魔方陣から、冷たい氷河の嵐が吹き荒れた。それは、襲い来る触手を瞬く間に凍らせ、パリンと音を立てて砕け散った。
何が起きたかわからないといった表情をカレンは浮かべた。
「私、がやったの?」
「ああ。ボクの抑制魔法が効いてるみたいだ。キミひとりでも十分戦える、かも!」
後続の触手を脚でいなした。
クロウルの表情がさらに歪む。手も足も出ない。心にそう刻まれた。
「悔しいかい? 無理もないね。【禁忌】を犯してまで手に入れた力が、生徒たちに打ち砕かれたんだ。可哀そうだね。キミもそう思うだろ、カレン」
振り返ってカレンを見る。どう反応すればわからないといった表情で、苦笑を浮かべていた。
「……生意気。それが、ボクを殺す理由でしょう」
クロウルが、かたかたと歯を鳴らす。こちらを強く睨む瞳孔は震え、強く噛み締められた唇から血が流れた。
「でも、どうして嫉妬の力を……」
「簡単だよ、カレン。つけこまれたのさ。嫉妬や傲慢は、それだけじゃ罪じゃない。罪へと導くもの。それが正体だよ。あいつを見ればよくわかる」
「じゃあ、ロニアくんは怠惰につけこまれないようにね」
「うぅん、この状況でよく冗談言えるね。思ったよりもすごい胆力……」
自信。カレンからそれを強く感じた。激励と、ロニアの抑制魔法のおかげとはいえ、禁忌を打ち破ったのだ。
こうも簡単だと、むしろ心配になる。どこかで足元を掬われなければよいのだが。
「さあ、どうします? 教員であるアナタは、禁忌が禁忌と呼ばれる所以を知っているでしょう。自身の罪を認めて自首するか――」
指を鳴らすと、クロウルを囲むように複数の赤魔方陣が現れた。
「ここでボクに殺されるか。どちらにせよアナタの罪は深い。苦しい償いを一生か、それともいっそ楽になるか」
「逃げても無駄ですよ、出口は私が塞ぎました」
青魔法、土壁が確かに、出入り口を塞いでいた。
クロウルは、乾いた笑いを浮かべながら、天井を見上げた。ゆらゆらと立ち上がり、小声で何かつぶやいている。
「何が、何が天才だ。何が才女だ。クソが。クソッタレが。どいつもこいつも俺をバカにしやがって。バカじゃねぇし」
頭をがしがしと搔き毟りながら、彼は絶叫した。次第にそれは狂笑に変わった。
彼の掌。黒魔方陣が光り始めた。どこからともなく拍動が聞こえる。
「そうだよ! 俺はバカじゃねえ! 全部お前らが悪いんだ! 足蹴にして、見下しやがって!」
溢れる嫉妬。黒い感情。それは、この教会に張り巡らされた抑制魔法を黒く染め上げた。
その時、ロニアは初めて危機を覚えた。
「抑制魔法が、解けた……!?」
「じ、じゃあ!」
「あいつが来る……! 嫉妬の化身、比類なき海の砕獣が……!」
足元。ふわりと浮いた。いや、沈んだ。
息。続かない。塩っぽい。
暗い、暗い海だった。水の音。大きな影。自身を掴む手はカレンだった。息を止めている。
大きな、銀色の眼がこちらを見ていた。レヴィアタン。海を統べる嫉妬の権化。
隠してもどうしようもない。白魔法を展開しようとしたその時。
「【焔焼せよ】」
一閃。水中で燃ゆる焔が、レヴィアタンを斬った。最初からそこになかったかのように、水が消える。
背後でカレンがむせていた。背中をさすってやる。
ぼうぼう燃えるその剣先。金色の甲冑と翼。そして、その閉じた瞳。その容貌に、ロニアは見覚えがあった。ちょっと苦手だった。
彼女はへたり込むロニアとカレンを一瞥し、ボロボロの廃教会を見渡した。
クロウルは、その場に倒れ込んでいる。大罪の力を無理に使用したのだから、肉体が限界を迎えたのだろう。
あいつは放っておこう。
「マモンに引き続き、レヴィアタンまで。人間はいったいどうしたの」
「ウリエル……さん」
「ウリエルって、伝承の天使ウリエル様?」
「訂正させていただきたい。天使ではなく、【大天使】です。間違えないように」
「え、あっはい」
カレンにずいっと近づいてそう言った。気圧されたカレンは、ただ首肯するしかなかった。
「それに、久しぶりですね。ロニア」
振り返ったウリエルは、ロニアを見て閉じた瞳を開いた。
笑っているのか、判断に難しい表情だった。




