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天界を追放された堕天使は、正体を隠して眠りたい  作者: 葱色信号
第二部一章:スーノス地区編

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【第八十六話 笑顔の裏】

 「おや~?」


 【茨の劇団】の青年が、ゆっくりと振り返る。

 まるで軋む音が聞こえてきそうなその動き。

 張り付いた笑顔の青年は、目を細めてアリスたちに向き合った。


 とくんっ。

 心臓を握られ、徐々に圧迫されていく感覚をアリスは覚えた。

 

 かまびすしいほどに警鐘を鳴らす脳。

 逃げろと震える両足。

 

 ――何故だ。

 茨の劇団といえば、テンプル協会と同じように治安を守る市民の味方。それなのに、この青年から放たれているこのおぞましい気配とはなんなのか。


「見ない顔ですねぇ。旅行で、来られたんですかぁ?」


 清涼な声色には、どこか粘つくモノがあった。

 深く執着しているような、執念深い何かが。

 

「え、えぇ。昨日、こちらへ」


「ふぅん。ま、確かに何かが違いますねぇ。なんだろうなあ」


 嗅ぎ回るように、アリスを目で舐める青年。

 アリスは二歩、下がった。


 アマクサが前に出る。

 先ほどまで纏っていた柔らかい雰囲気は無く、トゲまみれのように見えた。

 瞳が再び開かれ、刃のように鋭い眼光を飛ばした。


「茨の劇団ともあろうものが、乙女に対し不躾とは思わんか?」


「あっ、これは失敬。いやあ、昔からニオイで人を判断する癖があって」


 青年は口元を緩め、ヘラヘラと笑いながら頭を掻いた。

 金色の双眸が、くすんだ陽のもと輝く。

 

 しかし、光はなかった。


「この方は、どうかなさったのでして? いえ、ほかの人も! 話ぐらいは通じたはずでしたのに……」


 アリスの趣味がひとつ、人間観察。

 道行く人々を眺め、ワンダラー家の新事業のアイデアを考えるというもの。

 それが幸いしたか、ここスーノス地区の特色を把握できた。


 狂信的でありながら、会話によるコミュニケーションを重要視している。

 ボディランゲージを極限まで排した交流。

 だからこそ、今日の人々は明らかに珍妙だった。


「う~ん。洗脳、っぽいですねえ。大罪か、その眷属か。少なくとも砕獣の仕業ではないっぽいですけど」


「洗脳とな。はて、如何様に」


「簡単ですよ。信仰心を捻じ曲げるんです」


 何でもないように、青年は言った。


「捻じ曲げる、ですって? ですが、人の心につけ込む魔法なんて開発されて……」


「誰も魔法だなんて言ってませんってば。()()()、ですよ」


 金色の瞳を細め、青年は人差し指を口元に運んだ。

 唇をつつき、強調するように「コトバ」という単語だけを繰り返した。


 アリスの肩に、屍のように歩む中年男性がぶつかった。

 だが、男性は意に介することなく引きずりながら歩いている。


「うん。これは厄介ですねぇ。この様子じゃあ、街のみんながやられたみたいです」


 青年がため息交じりに言った。


「わたくしたちは、どうすれば……」


「ん、そうですね。消えてくれませんか?」


 瞬時。

 アマクサが刀を構える。


「あ~っ、待って待ってごめんなさい、言葉を間違えました! 帰ってくれませんかって言いたかったんですよ! これからお仕事なので!」


「其方は、あまりにも胡散臭すぎる」


「あ、アマクサさん、落ち着いてくださいまし! 今はお屋敷に戻りましょう。ヴァレンさんには叱られますが、事情を話せばきっと――」


 アマクサが、横目にアリスを見る。

 目を閉じ、カシャンと、乾いた冬空の下に音が響かせた。


「致し方あるまい。帰るとしよう。ごはん、残ってるかな……」


 アリスを抱き上げ、アマクサは風のように走り去った。


「……いるね、あの様子だと」


 青年が、笑った。


 ─────────◇─────────


 手が震えていた。

 視界の両端に移る、差し出されたスプーン。

 

 右からは、パセリの散らされた魚のスープ。

 もう片方は、キノコのような得体のしれない紫色のスープ。


 カレンと、ローラだった。


「これ、食べてみてよ。あ~ん」


「ワタシがアナタを想って作ったモノです。四の五の言わずに食べなさい。ほら早く。さっさとしろっ」


 究極の選択と言っていいだろう。

 カレンを選べば、ローラは「上書き」と称して口の中に劇毒(スープ)をねじ込んでくる。

 ローラを選べば、再び天界で同僚たちの世話になる。


 リウは今、マチィナに背中を摩られながらバケツに頭を突っ込んでいた。

 逆カタツムリである。


 屋敷内に張り巡らされた暖房のせいか、ロニアの額から一筋の汗が流れた。

 心臓が早鐘を打つ。

 この選択が、これからを左右するといっても過言ではない。


 厨房で袖を捲ったヴァレンティノスが、眼鏡を上げてため息をついた。


「はぁ……。食を押し付けるの感心しませんね。自分のペースで味わい、自分の趣向で選ぶからこそ『おいしい』はあるのです」


 キラリと輝く眼鏡の光に、ローラとカレンは目を眩ませた。


「うぅ、仰る通りっ!」


「このっ、元()()の癖にっ!」


「え? 虚飾って……」


 ヴァレンティノスが咳払いを挟んだ。


「コホン。誰が()()ですか。失礼ですね。言葉ひとつで人の認識など容易く歪むのですよ。ほら、ロニア様が困っているでしょう」


「ありがとう、ヴァレンおじさん……!」


 その言葉に、ヴァレンティノスは大きく目を見開いた。

 おじさん……。おじさん……。

 振り返り、皿を洗っているロムレスの肩を力強く握った。


「ロムレス……。私、そんなに老けてますか?」


「皴が増えたな」


「なっ、取り消せェェェ! 取り消せよォオオ!」


 ロムレスに掴みかかるヴァレンティノス。

 冷や汗を浮かべ、腕にしがみつく彼を見つめる赤い目が細められた。

 

「ちょっ、言ったの俺じゃねぇよ!? キルちゃん落ち着けって!」


 この騒がしい朝食を静観していたセスが深く息を吐き、立ち上がる。

 目元を指で押し込みながら、厨房へと歩いて行った。


「ちょっと、あの男たち止めてくる……。子供に見せられんよあれは」


 そんな喧騒のさなか、食堂の大扉が開かれた。

 逆光に照らされた、ふたりの姿。

 

 アリスの腕から脱走したソレイユが、ロニアの腹に収まった。

 やはりそこが落ち着くのか、ゴロゴロと喉を鳴らして頬を擦り付けていた。


「む。買い出し担当が帰ってきたようですね」


 セスに組み付かれているヴァレンティノスが顔を上げた。


「けっ、けどよぉ――いててて! 袋、無くね?」


「その事は、拙者が」


 アマクサが空席に座り、紫色のスープを一口啜った。


「あっ、アマクサさんそれ……」


 ロニアが切実な瞳を向けて止めようとするも、アマクサは動じる様子もない。

 ただ、眉を顰めていた。


 ひとくち。ふたくち。


 いや、動じていた。

 口角が震え、顔色は青ざめている。


「は、はは……。とっても、美味しいでござる……」

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