【第八十二話 痕】
セスの問いかけに答えたのは、ローラではなくロムレスだった。
ソファに腰掛けながら、大きく伸びをする。
横目に、ルビーのような真っ赤な瞳でセスを一瞥。
「それを語るにゃあ、ロンド家の歴史を語らねぇといけねえな」
ローラは腕を組み、壁を背にもたれかかった。
片目を閉じ、アーマーリングに覆われた指先で上腕をトントンと叩いている。
「客人を退屈させないでくださいね。アナタ、どうせ話を纏めるの苦手でしょう?」
「バァッカ言うんじゃねぇよ。傭兵稼業でもクライアントとのお話は重要なんだよ」
ロムレスがサタンの毒を笑い飛ばし、身に纏っていた黒い衣服とマフラーを脱ぎ捨てた。
見せつけるように、ロムレスは背中をセスへ向ける。
彼の背に刻まれたモノ。セスは目を見開き、息をのんだ。
「それは……聖痕?」
翼の付け根のような、真っ赤な痣。
祝詞のような何かが色濃く刻まれ、ときおりそれは拍動する。
人間態のロニアにも、この聖痕は見られた。
「ああ。よく知ってんな。かつてロンド家は、聖なる者の器だった。そして、そのオリジナルにめちゃ似てんのがロニア坊とローラってこった」
「見せなくてよいのですか、その……ワタシたちの始祖とやらを」
廊下に飾られた、ローラとロニア。
いや、サタンとロニアにひどく酷似した二人の絵画を、ローラは思い出した。
ロンド家の始祖であり、聖痕の元凶。
神の御子。新しき双子。
目指すべきふたり。
「ぜひ、見せてくれ。私はロニアの母親として、もっと知っておきたい」
「殊勝なこったね。でも、いいのかい。オタクの息子さん、人間じゃないかもしれねぇぞ」
口元をニヤつかせるロムレス。
出まかせを言っているのだろうが、セスにとっては無意味な脅しだった。
「知っているさ。すでに」
暖炉の薪が、重々しい音を立てて爆ぜた。
吹雪の勢いが弱まる。
ロニア。自慢の息子は、天使なのだ。
しかし、何かがおかしい。
ロンドという姓は、ロニアが勝手に名乗ったものだ。
なぜ、ロムレスやローラのように似通いすぎている人物がいるのか。
なぜ、ロニアの存在を認知し、あまつさえ兄としてローラは待っていたのか。
セスは、かつて暴走したロニアの姿を思い出していた。
十二枚の黒い翼。十字に走る瞳孔。
そして、召喚された悪魔――ルキフグス。
セスの知識はあくまで伝承から読んだにすぎない。
だが、その正体に近しい存在がいた。
「ルシフェル……」
アーマーリングが腕を叩く規則的な音が、鳴りやんだ。
「はい? アナタ、今なんと?」
セスの呟きに、身を乗り出したローラ。
いつも曲がっていた眉は、より八の字を強調。
紅玉の瞳は震えていた。
ただのニンゲンであるはずのセスが、どうしてルシフェルまで辿り着けたのか?
サタンは、そう瞳で訴えていた。
「いや、なんでもない」
「俺も詳しいことはよくわからんが、どうも二百年前かららしいな。ロンド家の歴史が……狂ったのは」
言いながら、ロムレスは立ち上がった。
鼻をすすり、脱ぎ捨てた衣服を身に着ける。
「二百年前……? それは、【大戦争】があった時代ではないですか」
かつてのスーノス連邦とクリスタリア王国の間で勃発した戦争。
死者は数十万人。十二神徒であっても、歯車の狂った人類を抑えることはできなかった。
「ああ、そうだな。俺たちロンド家も、それに参加していたっぽい」
ローラが固唾を呑み込み、口を曲げて俯いた。
「その話は、いいですよ。話ばかりでは、客人が退屈すると言ったでしょう……?」
部屋中に広がる、内臓を押し下げるような重々しい空気。
だが、その重さをぶち壊しにする二人がいた。
勢いよくドアが開かれ、ボロボロになった少年を背に抱えた少女が。
「か、カレン? 何をしてたんだ……?」
「いえ? ロニアくんと、ちょ~っとお話ししてただけです!」
ロニアの髪はボロボロに飛び跳ね、口元からはよだれが垂れていた。
「も……もう無理……」
「カレン、と言いましたか。アナタ、何者です?」
ローラが一歩あとずさり、口元を震わせながらカレンを睨んでいた。
肌に粟が立つ。
「ただの、オ・ト・メっ!」
ただの乙女が、堕天使と地獄の王を震えさせられるものか。
ロニアとローラは、内心そう思っていた。
「んじゃまぁ、ロニア坊たちも来たみたいだし、さっそく見に行くか」
ロムレスに連れられ、一同は件の双子たちを見物することになった。
その双子は荘厳で、神々しい。
剣は雄々しく、しかしその美貌は息を呑むほど。
セスとカレンは大きくため息を漏らし、瞬間的に沸き上がった疑問を投げかけた。
「……どうして、ロニアに似ているんだ?」
「妹ちゃんともそっくり……」
カレンは、絵画のふたりといま隣で息をする双子を見比べている。
異なる個所を探すほうが難しい。
どうにもそれは他人事とは思えないようで、ロニアは眉を顰めた。
「色々と込み入る事情があるみてぇだが、ロニア坊とローラちゃんは確かにここで産まれた。突如失踪したことは、ローラちゃんには話したよな」
「ええ。十数年前に赤ん坊のワタシがどこかへ消えたらしいですね」
自分もきっと、ローラ。いや、サタンと同じ境遇だ。
そう、ロニアは思った。
なら、いま脈を打つこの肉体は誰のものだ?
天界から、ロニアはずっとこの姿だったはず。
それなのに、どうして目の前の少年は自分にここまで似ている?
ロニアは、目の前で剣を構える自分が、瞬いたのを見た。
息が突如として詰まり、耳元で鎖が鳴った。
酸素を求め、眼が大きく見開かれる。
それだけでなく、脳内に砂嵐が走る。
ジジジという音を立てて、知らない光景が広がった。
ロンド家であることは確かだが、ロニアはおろか、リウよりも背丈が高い視界。
片手には愛剣エレクシアを携え、眼前に迫りくるニンゲンたちを薙ぎ払っている。
その中に、ミカエルが映っていた。
涙を流しながら、何かを訴えている。
しかし、視界の主は剣をミカエルに突き立てた。
耳元の鎖が心臓まで及んだ。
鎖の隙間から、肉の浮き出る痛みが全身に伝わる。
奥歯を噛み締めるが、どうやら膝を突き項垂れているようだ。
知らない光景を、カレンの声が壊した。
「――くんっ! ロニアくん!」
垂れ落ちる汗が、深紅のカーペットに黒い斑点を描いていた。
背中にカレンのぬくもりを感じる。
頬を撫でる、彼女のせせらぎのような茶髪。
「……見えた」
「見えた? 何が見えたのっ!?」
ロニアは振り返り、ロムレスを睨みつけていた。
眉は垂れ下がり、その様はまるで醜い真実を知ってしまったように。
「……おじさん。この子たちは、作られたんでしょ……?」
ロニアは、震える右腕で双子たちを指さした。
「造られただぁ? 誰にだよ」
セスが深く息を呑み、瞳孔を震わせている。
ロニアと同じように眉を垂れ下げて、口元を両手で覆っている。
「……やめろ、ロニア。言うな……。言ってしまったら……」
「おやめなさい、クソ兄貴。ロンド家の培ってきた歴史を全てぶち壊すおつもりですか」
心臓。首。
鎖が、今やロニアを繭のように包んでいた。
それは抱擁の如く、温かい。
しかし、実際は束縛だった。
口を。そして、瞳を。
見るな。話すな。
鎖が、耳元でささやく。
「――ボクたちは、この体は、ルシフェルの生き写しなんだ。そう、だよね? だから、背中にも痕があるんだよね……?」
無理やり表情を緩めて、笑顔を見せるロニア。
吹き荒れていた大雪の音が止まった。
窓を叩く者はいない。ならば、このドンドンと叫ぶ音はなんだ。
――それは、ロニアの心臓だった。
「んだよ、それ。俺たちは、コピーだったのかよ」
「クソ兄貴……。だから言うなっていったのに」
カレンはサファイアの瞳を震わせ、口元から絞り出すように「……え?」と漏らす。
セスは、壁に項垂れて拳を叩きつけた。
「ねえ、教えてよローラ。キミなら、何か知っているんでしょ。ボクたちの過去を」
――二百年前に、何があったのかを。




