【第七十九話 片割れの星】
ロニアは曇り空の下、めいっぱいに背を伸ばした。
凝り固まった筋肉がほぐれ、絞られたような声が漏れる。
連鎖的に生まれた欠伸が、旅の長さを雄弁に語っていた。
籠を開けられたソレイユですら、外に出ようとしない。
ケリドリヒの駅とは違い、ここスーノス地区第一ステーションは質素であった。
弧を描くような造りのケリドリヒだったが、ここはまるで箱型。
設備もどこか古びており、チケットは手動で処理されている。
印鑑証明、個人情報の照合。どれもが鈍くさい役人のせいで長引いた。
ロニアたち六人が通過できた頃には、既に指先の感覚が寒さで麻痺していた。
都会の魔法システムがあまりにも恋しかった。
「んっぐぐ……。疲れた……。母さん、次はホウキで飛んで帰らない?」
「いいんじゃないか? 牢屋のベッドで眠りたいならな」
私有地でない限り、ホウキなどでの飛行は禁止されている。
それこそ、エーテル列車のように公共交通機関でない限りは。
「先生、ロンド家までどれぐらいかかりそうですか?」
セスが手にしている地図を覗き込むカレン。
校内でもよく使用している羽ペンを片手に、セスが青い印を書き込む。
それが現在地だった。
「う~む、ここから馬車を拾えれば夕方には着きそうだが」
「馬車ですか……。エーテル列車みたいなのがあるのに、鉄の馬車みたいなのは無いのですか?」
銀縁メガネを整えながら、アリスがぼやいた。
「色々と面倒な法律があるんだ。『馬と牛以外の四つ足は、車輪を曳いてはいけない』というような」
「な、なんでなのです!? 鉄の馬車、絶対おしゃれなのです……!」
かつて技術者であった父の性を受け継いだのか、マチィナが頭頂部の毛をブンブンと振るわせていた。
「青の道ってさ、摩擦係数をメッチャ減らしたんでしょ。エーテル列車みたいなのが生まれたとしたら、スリップばかり起こして大変じゃないかな」
ロニアが目元をこすりながら言った。
煌王朝の青の道は、砕獣を寄せ付けないだけでなく、馬への負担を極限まで減らしたもの。
馬車に成り代わる何かが生まれたとしたら、事故が多発する。
そして、撤去せざるを得ない。
エーテル列車の元締めは、名前は知らないがある大貴族なのだ。
大きな利権の間に軋轢が生まれ、きっと戦火の火種になる。
昔からヒトは、金で争う生き物なのだ。
ロニアは、それをイヤというほど見てきた。
前髪を指でいじりながら、ロニアは目を細めた。
森沿いの線路を走るエーテル列車を見つめ、ロニアはソレイユを抱き上げた。
クリスタリアの、まだ淡い冷風とは違う。
肌に突き刺すような、殺意のある冷気だ。
本来ならば温もりとは犬の役割だが、それでも毛皮がある。
ソレイユは抗う気力もないのか、その身をロニアに委ねていた。
ロニアもソレイユも目を細め、互いの体温を分け合っている。
「どっちが猫かわかんねぇな……」
「火魔法は使いませんの?」
「ん。魔力の消費は体力の消耗」
「……お前の魔力はほぼ無尽蔵だろうが」
呆れるセスは、羽織っていたカーディガンのボタンを閉じた。
辺りを見渡し、『おっ』という声を漏らした。
小さな街へと続く看板を見つけたようだ。
セスはロニアたちを促し、降り積もった雪のカーペットを踏みしめた。
ホーラドゥナという街だった。
クリスタリアから外れにある小さな町イクリミルともよく似ており、純白の雪に赤レンガの街並みがコントラストを生み出していた。
厚着をしている通行人は、誰もが片手に湯気の上がるカップを持っていた。
痛烈な、しかし垂涎モノの香ばしい匂いだった。
ニンニクと、鼻腔から喉の線毛を撫でるようなこの香りは何かしらのスパイスだろうか。
「長旅だったし、少し休憩していこう。座って休みたいやつは、あそこの広場で座って待っていろ」
セスが指し示した先には、噴水の中央にある鈍色の天使像が純白の積雪を羽織っていた。
その周囲に、赤みがかった黄褐色のベンチがある。
セスが横目にロニアを見た。
ロニアは口角を上げ、まるでセスの思惑を打ち砕こうと考えている。
「ふっふっふっ、ダマされたね母さん。今回のボクは座って休むことはしないよ」
「……は? ダマされた?」
「だって、どうせカレンも先生に着いていくんでしょ。ならボクも行くよ」
セスが明後日の方向を見ながら肩を落とし、濁ったため息を吐いた。
隣にいたカレンが口元に手を当て、クスクスと笑っていた。
「じゃあ、一緒に行こっか」
「うん。手、離さないでね」
言って、ロニアは自身のではなくソレイユの前脚をカレンに突き出した。
変な期待をしていたかのようなカレンは目を閉じ、しかし微笑みを見せながらソレイユの肉球を握った。
「……んじゃ、俺たちは休んでっから」
「できるだけ早く帰ってきてなのです」
「……この二人だとなんだか不安ですし、わたくしも待っていますわ」
リウとマチィナがアリスの顔を信じられないような眼で見ている。
『不安とはどういうことだ』と訴えているようだった。
三人と一匹になったロニアたちは、匂いの元を辿っていた。
やはり、すれ違う誰もがカップを片手に持っている。
「お祭りなのかな?」
「どうだろうな。スーノス地区はもう外国だ。クリスタリアの常識が通じると思うなよ」
セスの言葉に頷いたカレンが、駆け足気味に通行人へと近づいた。
流石に、外国の見知らぬ人間に話しかける元気は今ない。
ロニアは、隠れるようにしてカレンの後ろにいた。
「あの、すみません! ちょっといいですか?」
「あえ? なんですか」
クリスタリアとは違う、巻き舌の多い訛りがあった。
「それ、街のみんなが持ってますけど、なんですか?」
「あ~、お嬢さん外国のヒトね。多分クリスタリア?」
カレンと、その背後にいたロニアたちを値踏みするように眺める通行人の男。
クリスタリアとスーノスでは、明らかに装いや肌の色が違う。
「あっ、奥の男の子はウチの人かも?」
ロニアの紅の瞳を一瞥すると、男は胸元で十字を切った。
「はい。ロンド家っていう所で産まれたそうなんです」
瞬間、男は目を大きく見開き、手に持っていたカップを落とした。
湯気を上げる赤いスープが足元に血だまりのように広がる。
雪を溶かし、黒みがかった土壌が顔をのぞかせた。
「ろ……ロンド家だって……!? それにその顔……帰ってきたのか、新しい双子が……!」
「へ? 新しい双子?」
ロニアの脳が、やかましく警鐘を鳴らす。
振り返って、セスに目を潤ませるふりをして視線を送った。
セスが肩をすくめ、カレンたちに接近する。
「すみません。この子の養母です。こいつ、ロンド家がどんなところか知らなくって。その、双子? ってのにも多分無関係かと」
苦笑しながら、セスがロニアの頭を撫でた。
彼女のその眼は、教師ではなく子を護る親の光が灯っていた。
セスの口角が曲がっていた。
何かに疑惑の念を覚えている証拠だった。
男は、怒っているのか笑っているのか判別がつかない表情を浮かべている。
口元はヒクつき、眉は上がっていた。
「し、しかし! この子はあまりにも似通っているんです! 伝承の子と!」
「え、えと……ロンド家が凄いっていうのは文献でも拝読しました。でも、伝説を残すって……」
「伝説さ、そりゃあ! だって、神の御子なんだぜ!?」
「神の……?」
突然、ロニアの首元に鎖が巻き付いた。
いつもと同じような、あの煩わしい鎖。
頭の中で、悪魔たちの断末魔とミカエルの冷たい視線が蘇った。
ロンド家に、いったい何が隠されている?
ロニアは、寒さの中で汗をかいた。
ソレイユも目を開き、ロニアを見上げている。
「ああ、こりゃあ早くみんなに知らせねぇとな!」
男が、ロニアたちに背を向けて走り出した。
「ロンド家って、いったいなんなんだろう……」
「……わかんない。何が起きるんだろう、これから」
試練の鍵の黒い水晶が、再び黒く輝いていた。




