【第七十八話 ロムレス・ロンド】
目を細め、屋根の上にいる男を睨みつけた。
彼は飛び上がり、音もなくサタンの眼前に着地する。
サタンは、身の丈二メートルほどはあるだろうその男を見上げた。
「……何者です」
「イヤだなぁ。叔父の顔を忘れたのか、ローラちゃん」
「はぁ? ローラ……?」
白い頭髪に、真っ赤な瞳。
サタンや、かつてのルシフェルを彷彿とさせる外見の男。
ただの偶然とは思えないし、サタンはこの屋敷に確かに人ならざる何かを感じている。
「んだよ。マジで忘れてんの」
男は眉を顰め、胸元に掛けられたロケットペンダントを手に取った。
彼が開いて見せると、二人の少年少女の肖像画があった。
少女の鋭い目つきや不機嫌そうな眉は、確かにサタンと一致している。
それどころか、背丈までも同じだった。
隣でいかにも眠そうにしている少年は何者だろう。
サタンは首を傾げる。
もしや、この少年がロンド家におけるルシフェルに中る人物か。
「これは……?」
「俺たちロンド家の始祖だよ。目指すべきふたりって呼ばれてる」
「ですが、これとワタシに何の関係が」
サタンが一歩下がり、わずかに姿勢を落とす。
魔法を展開したところで、ロンド家に現存する傭兵の速さに敵うかどうか。
「だ~か~ら! おかえりを言いに来たんだよ、ローラちゃん。もしかして、記憶喪失?」
全く進展しない会話に、サタンの額に青筋が走った。
「さっきから意味の解らないことをゴチャゴチャと……。次おかしなことをいったら消し飛ばしますよ」
吹雪がより一層強まった。
男は、背中に氷を流し込まれた様に震えあがり、肌に粟が立つ。
「ちょ、ちょいちょいストップ! いったんさ、中で茶でもしばこうぜ? な?」
「……一段と寒くなってきましたしね。ほら、ワタシを当主だとか言うならさっさと案内しなさい。中でいくらでも妄言を聞いてあげます」
重々しい鉄の扉を男が開く。
ギギギと、錆びついているような音を立てていた。
内部では暖房が効いているのか、暖かな熱風をわずかに素肌に感じた。
数歩距離を保ちながら、サタンは男に追従する。
彼の背後には、何やら見慣れない魔道具があった。
天界のミカエルが使用しているような、銃と呼ばれる兵器にも似ている。
いや、これは弩だろう。
その証拠に、矢筒が本体に添えられている。
「なあ、ローラちゃん。俺の名前覚えてるか?」
「覚えているも何も、初対面ですが」
「マジかぁ。ガチでめんどくせぇことになりそうだ」
白い顎鬚を撫でるように手を添える男。
肩まで伸びた襟足が、まるで小動物の尾のように萎びている。
「俺ぁロムレス。まあ苗字はご存じの通りロンドだよ」
「流石にアナタがロンド家であることぐらいは知っています。バカにするのも大概にしてくださいこのバカ」
「言ったな? バカって言う方がバカなんだぜ?」
歯を食いしばりながら、ロムレスの首筋を睨むサタン。
今すぐに、この老獪な男を嚙み殺してしまいそうな勢いだった。
深紅のカーペットの上をを歩くサタンたち。
ふと頭上を見上げると、ガラス越しに満月が輝いていた。
もう、夜が更けていた。
等間隔に並ぶ白亜の円柱が、高い天井を支えている。
その柱の影には、かつてロンド家を統べた当主の肖像画が飾られていた。
灰のように白い頭髪で、死者の血のように淀んだ赤い瞳でサタンたちを見下ろしている。
窓を叩くブリザードが、二人の足音をかき消していた。
ロムレスが突然足を止め、他とはひと回り大きい絵画を見つめている。
「何かあったんですか」
「いや、つい懐かしくなっちまってな」
ロムレスの見つめる絵画にサタンが視線を注ぐと、ロムレスのペンダントに描かれてあったグレイト・ツインがいた。
しかし、どちらも剣を握り、背中には純白の翼が広がっている。
瓜二つな自分の姿には、あまりにも天使の羽根が似合わなかった。
サタンは思わず、鼻で笑った。
「しかし、どうしてワタシはローラなのです」
「預言者サマが言ってたんだよ。『新たな当主――ローラ・ロンドを迎え入れろ』ってな」
「はあ。で、ここに映っているのがワタシのご先祖と」
「一族の中でな、この二人に生き写しの子供が生まれたら、そいつが自動的に当主になるのが我が家のルールなんだ。ローラちゃん、お前が生まれた時、先代は泣いて喜んだんだぜ。……まあ、ローラちゃんごとすぐに失踪しちまったけどな」
哄笑を上げるロムレス。サタンは、言葉の節々にある大きな違和感を、拭えないでいた。
あまりにも出来すぎていると感じたのだ。
剣を握る少年と目が合った。
やはり気だるげにも見えるその瞳だったが、目を凝らしてみればその瞳孔は十字に裂けている。
絵画の劣化なのだろうか。それとも、実際にその瞳をしていたのか。
彼が何を見つめ、何を想い剣を振るっていたのか。
少年を見ていると、サタンが地獄で生を受けたばかりのことを思い出す。
サタンは知らず知らずのうちに胸元で手を握り、浅くため息をついた。
「……そうかもしれませんね。ですが、ワタシもワタシで仕事があります。ここには長く逗留できませんので、悪しからず」
「えぇ~!? そうは言わずにさあ! ベッドとかマジでふっかふかだぜ!?」
「ぐっ……。ベッド、ですか……」
嵐のように押し寄せる書類作業に、サタンはここ最近まともな睡眠を摂ることができていない。
いくら悪魔であろうと、睡眠は古びたエーテルを処理するだけでなく、心のリラックスにも繋がる。
サタンの、数少ない趣味のひとつでもあった。
「へぇ? 揺らいでんの」
「ふ、ふざけないでください。誰が寝床なんかに! それに、ワタシはヒト探しをしにココへ来たんです!」
ロムレスが振り返り、右眉を上げた。
目を細め、腕を組みながらサタンを見つめている。
「ヒト探しぃ? 今この館に残ってるのは、どいつも訳ありだぞ?」
「ええ、その訳ありの男がきっとここにいるはずなんです」
「そうかい。でもな、焦りすぎても躓くだけだぜ。まずは冷えた身体でもあっためようや」
言って、ロムレスがドアを開いた。
壁の角には、天井まで届くほどの巨大な陶器製の暖炉が組み込まれている。
絶え間なく、火属性のエーテルが注入されていた。
また、それに凭れかかる女性剣士がいた。
彼女は、この雪国には不釣り合いな東方の装束を纏い、編笠から漏れる銀色の髪を筆の先のように鋭く結んでいる。
ロムレスが『アマクサちゃん』と呼ぶその女は、目を閉じたまま、だが確実にサタンの存在を視ていた。
「アマクサちゃん、当主サマのご帰還だ。景気づけに何か気の利いたことでも言ってやれ。得意の『ワサビ』でも披露するか?」
「……ロムレス殿、それを言うなら『ワビサビ』でござる。ワサビは鼻を突く毒薬の類い……拙者を食通と勘違いするな」
「ん? ああ、そうだった?」
アマクサが心底呆れたように溜息をつく。
被っていた笠を外すと、後ろで結ばれた髪先は墨を吸った筆のように黒く染まっている。
アマクサもロンド家かと思っていたが、彼女の頭髪を見てその仮説を撤回したサタン。
アマクサがサタンに音もなく接近する。
「……そろそろ首が痛くなってきました。どいつもこいつもデカすぎるんです」
「これは失敬」
アマクサが跪き、彼女の閉じられた瞳がサタンの紅の瞳を見つめた。
そして、口元をほころばせるアマクサ。
「おかえりなさいませ、主様」
「……ま、そういうことにしておきます。タダイマ戻りました」
サタンを抱きしめるアマクサ。
衣服越しに、まるで巌のような筋肉がゴツゴツとサタンを押しつぶさんとしていた。
「うぐっ……苦しいです。離れなさいこの筋肉ダルマ」
その光景をロムレスが苦笑いしながら、暖炉の引き戸を引いた。
緑茶と呼ばれる茶の一種が、温められていた。
あちっといいながら、ロムレスはそのカップをひとつだけ取り出す。
かぐわしい香りが、部屋中に広がった。
「ま、ローラちゃんがどれだけいるかわかんないけどよ。久しぶりの実家だ。肩の力抜いてけ」
サタンがそれを手に取ると、冷え切った掌からじんわりと温まっていく。
それどころか、張りつめていた心が緩んだような気すらもした。
よく冷ましながら、サタンは緑茶を啜った。
最初に舌を焼くような熱さに眉を顰めながらも、渋味とコクが口内に広がった。
「美味しくないですけど、まあ、悪くありませんね……」
その呟きは、外の猛吹雪にかき消され、暖炉の火だけが静かに爆ぜた。




