【第七十七話 吹雪景色】
青いクッションの施された座席。
天井に吊るされたランタンからはやはり、淡紅色の光が灯っている。
エーテルを焦がす甘い香りが、列車内を満たしていた。
ロニアがエーテル列車に乗るのは、シトリウス家に招待されて以来だった。
あのときは列車が線路から外れることはなかった。
クリスタリアから最寄りの停車駅、ケリドリヒから数駅でシトリウス領に行けたからだ。
しかし今回の旅においては、かなりの長距離移動となる。
事前に、客室乗務員の案内があった。
曰く、『ベルトをキチンと締め、大きな汽笛が鳴ったら座席に深く腰掛けるように』と。
「母さん、これちゃんと締まってる?」
「緩いな……。うっ、かったいなこれ。マチィナ、ちょっと手伝ってくれないか?」
「はいなのです!」
マチィナの小柄な体系からは想像がつかないほどに恐るべき怪力。
ベルトが唸り声を上げ、シュルシュルとロニアの下腹部を圧迫した。
まるで腸を押し上げるような感覚に、ロニアは呻く。
「ごぅふ……。ちょっとキツいかも……」
「あ、じゃあ緩めるのです!」
勢いあまって外れたベルト。
ブスッ!
蛇のように舞う留め具が、リウの頭頂部に突き刺さった。
燃えるような赤髪は、まるで血に染まっているようにも見える。
「……おい」
「ご、ごめんなのですぅ!」
「はあ……。全く、皆さんはどこでも賑やかですわね」
景色を眺めていたアリスが苦笑を浮かべる。
その隣で茶を啜るカレンは、まるで慈しむ聖母のような微笑みを見せていた。
駅で購入したものだ。広げられたテーブルの上には、ロニアがねだったスコーンが置いてある。
「でも、賑やかなのもいいでしょ?」
「そうですわね。やっぱり、笑っていた方が……」
アリスが再び目線を景色に注いだ。
高速移動する冬景色が、今や白い線を描いていた。
アリスの銀色の瞳に、それが焼きつけられる。
ロニアはそんなアリスの後ろ姿と、カレンの手元にあるスコーンを眺めていた。
視界の端でわちゃわちゃと動き回るセスとマチィナの存在は、あえて無視している。
「……もういい。私がやる。マチィナ。医者志望ならしっかりとリウの手当てをしておけ」
「あっ、俺は大丈夫っす。こんな傷、ぜんぜん」
「――航空したらその傷口から、血が溢れて止まらなくなるぞ」
「ありったけの包帯を頼むぜマチィナ」
下腹部で、カチリという音がした。
目線を下げれば、灰色の帯が巻かれている。
ほんのり抵抗を感じるだけで、これといって苦しさはない。
セスの手が、ベルトから離れた。
「どうだ、ロニア?」
「うん。ばっちしだよ」
ロニアは片目を閉じ口角を上げた。
少々キザかもしれないとロニアは思った。
ガタンガタンと揺れる車体が傾いた。
前方に座っているカレンが昇っていくようだ。
全身に重力を感じる。
「あっ、やば」
カレンはカップの紅茶を急いで飲み干し、スコーンを箱に仕舞った。
客室乗務員が、はち切れんばかりの声量で叫ぶ。
「乗客の皆様~! 当列車はこれより、航空状態へと移ります! ベルトを締め、お飲み物は足元にございます処理ダクトへお流しください!」
「……そろそろだね」
空を飛ぶことなど、ロニアにとっては造作もなかった。
翼があれば、魔力の消費は激しいけれど自由に飛び回れる。
ロニアがこうまで心を躍らせているのは、ひとえに家族や友人の存在が大きいのだろう。
まるで遊具で遊んでいる子供のよう。
非日常を楽しんでいるのだ。
身体中に、重しを乗せられている感覚がする。
テーブルの上に置いてあったチリ紙が、一斉にロニアの腹部へと落ちる。
横目に見ると、木々の間を走っていた列車が、今やてっぺんを見下ろしている。
村々が、あんなにも小さく見えた。
「クルねぇ、これ結構……」
「身体を鍛えていればこんなの屁でもないぞ」
セスが微笑をその表情に浮かべながら、ロニアの脇腹を小突く。
「んぐっ……! 鍛えるなんてヤダね。死んでもやんない」
「これ以上ロニアさんに強くなられたら心が折れてしまいますわ!」
いつか追いつこうと野心を燃やすアリスにとって、ロニアの成長は危惧すべき事態だった。
それによって、彼女の組み立てた特訓プランが崩れるとか。
垂直に傾いている列車が、雲を突き抜けた。
そして、カレンを捉えて離さない視界が下がってきた。
重石のような重力は去り、文句を連ねる筋肉がいた。
「大丈夫だよアリスさん。ロニアくんはホントにめんどくさがり屋なんだから。私がいないと、何もしたくないんだよね~?」
「最後のは余計でしょ。ボクはただ、カレンが行くところに行くだけ」
「ね、猫かと思ったら犬なのです……」
マチィナは、ロニアの足元で丸くなっているソレイユを見下ろしていた。
格子状の籠の中で、さながらその中が聖地であるかのように。
クラブのマスコットとして。ロニアのペットとして。
何気なく可愛がられているソレイユだが、未だ謎が多い。
何せ、ミカエルから譲り受けたのだ。怪しくないはずがない。
眠っているソレイユがくしゃみを零した。
「……なんとでも呼びなよ。ワンちゃんでも……猫の場合って何て言うの?」
「ミャ」
─────────◇─────────
黒龍が降り立った。
頭に降り積もった雪を払い、サタンは館を見上げていた。
雪原の白を拒絶するような、琥珀色の外壁。
曇った霧の中で、それは悠然と存在感を放っていた。
正面玄関には、まるで巨人の脚を思わせるペディメントが威風堂々と君臨している。
サタンは、あることに気が付いた。
「屋根に雪が積もっていない……? それどころか、気温が上がってきましたね」
サタンの眼に、真っ赤なエーテルが映った。
火属性のそれは、屋根や外壁に張り巡らされている。
空気中のエーテルに属性を付与し、一定の場所に固定されているのだ。
「なんと……。ニンゲンはここまで来ましたか……」
顎に手を当て、何度も頷くサタン。
気の遠くなるような時間、彼女は地獄で王としての業務に追われていた。
その為、こうしてニンゲンへ関心を向けられる時間がなかった。
「これは、真似すべき事項ですね。レヴィがサボろうとしたら、電撃が走るトラップ。使えそう……」
サタンが口角を上げながら、格子の間をすり抜ける。
細身の肉体では造作もないことだった。
通り抜けた先一寸。
サタンは雪を踏みしめると、カチリと何かが押される音がした。
瞬間、サタンの肌に粟が立った。
「……む。随分と用意周到ですね」
右手に黒炎を纏わせる。
それは腕から手先を覆い、掌で形を成す。
そして、サタンはそれを握った。
風を斬るように現れたのは、黒い水晶の埋め込まれた漆黒の鎌。
そして、睨みつけるような装飾の施された籠手。
白魔法の反対。黒魔法。
アスモディウスやレヴィアタンですら、詠唱の必要があった。
しかし水を飲むように。
なんでもないように、無詠唱だった。
サタンの視界に、無数の灰色エーテル光弾が現れ始めた。
それがやがて、彼女に狙いを定める。
「さすが傭兵の一家。それに、ここまでできるのはあのヒトしかいない」
音よりも速く、光弾が飛ぶ。
舞踏のように、サタンが鎌を振るった。
刃先に追従するような黒炎が、まるでドレスのように翻る。
目も眩むような黒色のスポットライト。
眼前に迫る光弾。
でろりっ。
萎びるように、光弾は溶け落ちた。
死骸の如く足元に転がっている。
サタンは軽くため息をつきながら指を鳴らすと、鎌と籠手は黒炎に飲まれ消えた。
「他愛もない。いえ、攻撃の手を止めた……?」
気配を感じたサタンが見上げると、屋根の上で誰かがしゃがみ込んで彼女を見つめていた。
頬杖を突き、状況を楽しんでいるような笑みを浮かべながら。
「おっ、マジかよ。当主サマ、めちゃくちゃ強ぇじゃねえか」
吹雪に遮られ、その表情は見えなかった。
だがしかし、サタンは目にした。
闇に煌めく赤い目と、真っ白な頭髪。
自分と同じモノを、その男は持っていた。




