【第八話 みいつけた】
「報告。マモンを発見。是非を問います」
言って、神に訊ねる天使がいた。
六枚の翼のうち、二対で目を隠し、剣を握り鎧を纏っていて、その風貌は他の上級天使とは比べ物にならないほどだった。
まるで力そのものを纏っているようだ。ラファエルには微かに感情の波があったが、彼女はまるで凪のようだった。
淡々と、無機物のように言葉、いや、記号を陳列しているだけだ。
「左様か、ミカエル。ルシフェルのやつが遺した土産は、キリがないな」
神は頭を掻きながら、ゴウゴウ音を立てる機械を背に立ち上がった。
相変わらずその機械にはロニアが写っている。まだ寝ているようだ。
「判断を。お父様」
「そう急かすな。なに、マモン程度どうとでもなる。アークエンジェルを出せ」
「ウリエルに伝達いたします」
去ろうと背を向けるミカエル。視線を翻した際に、人間界で眠るロニアが横目に入った。
彼女は足を止め、じっとロニアを凝視している。
「……気になるか」
「否定。ありえません」
「そうか」
ミカエルは、やはり怒りといった感情を湛えることなく飛翔した。
「あれから、数万年か」
神はただそれだけ言い残し、遠い過去を慈しむような眼でロニアを見ていた。
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あの人影の正体に、ロニアは薄々気づいていた。
いや、気づくというよりも、当てずっぽうな予想が偶然的中していただけだった。
彼女は、何かを警戒しているように辺りを見渡している。日光が眼鏡のレンズが反射し、時折真白い光を放っていた。
それに、今日は三つ編みではないのか。腰まで伸びた髪を、結ぶことなく放っている。
ロニアの躰は、未だ透明のまま。魔力探知でもされない限り、空に溶け込み続ける。
彼女は足音を消しているようだが、ほぼ背後にいるロニアには丸聞こえだ。
少し驚かせてやろう。悪戯心が沸き上がり、口元をにやつかせた。
「ばぁ」
背中を軽く小突いた。瞬間、悲鳴と共に鉄拳が飛んできた。防護壁でなんとか防げたが、冷汗をかいた。
「はぁ……はぁ……びっくりした。って、ロニアくん?」
「殴らなくてもいいんじゃないかなぁ?いや、驚かせたボクが言うのもなんだけどさぁ……」
多少の申し訳なさを感じつつ、ロニアはカレンを観察した。
カレンだ。いつもの彼女だった。制服の時と違い、今の彼女はどこかの令嬢のように見える。
カジュアルな格好なのに、生地がどれも高価なものだった。
仕立て屋の女の魂に、口うるさく天使らの制服にいちゃもんを付けられたのを思い出した。
おかげで、どれが良い生地なのか、大雑把に判断できるようになってしまった。
「戒厳令出されてるんでしょ、なんで外いんの?」
ロニアが訊ねると、カレンはバツが悪そうに眼を足元に逸らした。
口を噤みながら、何かを伝えようとしているが、言葉の選別に手間取っているようだ。
「そういう、ロニアくんこそ」
そう来たか。恐らく、ロニアのを聞いてから体のいい理由を考えるつもりだろう。
だが、残念だ。ロニアには、【理由】と呼べるほど大したものはない。
ただ――。
「え、暇だから」
君に会いに行きたかったとは言わなかった。言えなかった。
試みたが、顔が熱くなる。熱、なのだろうか。
「私も……そんな感じかな」
「優等生なのに?品行方正で通ってるんでしょ、規則破ったらマズいんじゃないの?」
「……プレッシャーがあるの。私だって」
カレンの表情に影が差した。指をいじりながら、横目に俯いている。
眼鏡越しにみたその双眸。見たくないものを見た後のような、暗い目をしていた。
「ごめん、デリケートなとこ突いちゃったね。でも、ボクのようにしてるとさ、素行不良で叱られるよ」
「ロニアくんみたいに自由になれるなら、私はそれでいいよ」
「ボクみたいに、か。ああ、そうだ。ここは開けてるから、人気のないとこでお話ししようよ。丁度、廃教会みたいなのがあったし」
しばらく沈黙が続いた。ロニアは頭の後ろで手を組みながら、大足で歩いていたが、カレンは未だにトボトボと肩を落としていた。
罠かもしれないが、探知では何かを見つけることはなかったし、ただ単に移転途中なのだろうと、ロニアは思っていた。
天使形態にならずとも、魔法の威力は保証されているので、万が一があっても安心だ。
「ちょっとホコリっぽいけど、まあ座んなよ」
「ここ、前までなかったけど……」
「いいのさ、細かいことは」
カレンを促しながら、自身もその場に腰かけた。教会の入り口から見て、南東にある角だ。
「ねえ、ロニアくん。私の話を聞いてくれる?」
「ん、いいよ」
「私のおじいちゃんは、学院長なんだ」
堕天したての頃を思い出す。泥水に濡れ、凍えていたところをあの爺に拾われた。
ロニア・ロンドという名前が口から零れ、トントン拍子で学生登録まで進んでしまい、学習の遅れを取り戻すという名目での補修は地獄に近しかった。
「イザラム院長か。フルネームまでは知らなかったな。ん、てことは、あの人もクリスティーナ性?」
「クリスチャンだよ。それに、私たちの性はフランカ」
「そう。じゃあ、カレンはかなりの名家なんだね」
「私だけじゃないよ。マチィナは貴族騎士の家系だし、リウは東方の血を継いでるんだよ」
「へえ、ボクの周りは金持ちに囲まれてるんだね。じゃあ、将来は安泰じゃないの?」
カレンの眼が光った。眼鏡のせいか、はたまた彼女の眼に潤ったそれか。
「そんなわけないよ……。後継ぎに相応しくならなければ、出来損ないって捨てられるの」
怖いね。怖いよ。それを最後に、会話が続かなくなった。
「カレン。もしも、もしもさ」
ボクがいなかったら。そう言いかけたが、思考に靄がかかった。砂嵐にも近い。
微かに、何かが見える。カレンじゃない。別の誰か。とても古い、知っている誰か。
首を傾げるカレンに、何でもないとかぶりを振るロニア。人間というのは、なんてめんどくさいんだ。
なんて難しいんだ。なんて脆いんだ。やはり、この種族は変わらない。
だが、彼女は違うと信じたい。洞窟でのあの一件から、二人は奇妙な縁で結ばれた。ほぼ毎日顔を合わせ、そうでなければ自ら会いに行く。
だからこそ、この持論を否定したかった。庇護欲に似た何か。救済を差し伸べたいという傲慢。自分は堕天使だろうが。
紅い眼が、カレンの蒼い瞳を見つめ続けている。そのサファイアは僅かに震えていた。
「そんなに見つめられると、照れちゃうよ」
「……もっと見させてよ」
「えぇ!?」
「こうして、カレンの憂鬱を今は忘れようよ。今は今。それはそれ。外にいたのも、小さな箱庭から出たかった。違う?」
安心させるために、微笑した。カレンの顔が暗いと、何故かロニアの気分も下がってしまう。
だから、笑ってほしい。傲慢だと自嘲する。心中で、鎖がじゃらりと鳴った。押し戻されるような感覚。
大きな違和感。でも、彼女を見つめつづけた。
「全部バレてるんだね、私のことは。ずるいなぁ」
ずるい。カレンは、彼女の救世主の正体を掴めたのだろうか。あれがロニアだと仮定してのずるいか。
恐らく違う。そうであれば、何かしらに言及する。では何だ。嗚呼、やっぱり人間はわからない。
口が勝手に動き始める。これは、自分の言葉か?
「いいさ。自由を求めたいのなら、そうすればいい。拒むのなら、抗っちゃえばいい」
鎖が鳴る。締め付けてくる感覚。それでも、舌は止まらない。
「ヒトは元来、自由なんだと思う。勝手に生まれて勝手に死ぬ。勝手に笑って勝手に泣く。そこに誰かの介入はない。そうしたいからそうしているんだ、とボクは思う。ボクだって、何もしたくないから、何もしないをする。じゃあ、重圧に震えているのは馬鹿馬鹿しいと思わないかい」
痛い。これ以上喋るな。そう、鎖が言った。うるさい黙れ。しつこい一本。それを引きちぎった。
もう満足だ。強張っていた口元が緩んだ。
「……なんだか、ロニアくんらしくないね」
「まだ、キミのことをよく知らないんだ。変なことを言ったら謝るけど。でも、落ち込み続けることに意味はないんじゃない?」
「うん……うん、そうだね。ガツンと言われて、なんだかスカッとしたよ」
賭けに勝ったような気分をロニアは覚えた。あの発言で嫌われても、心は痛まない――はず。好転したのは僥倖だった。
幾分か明るくなった彼女の表情を見ると、自分も温かい気分だ。
もうちょっと話していたい。そう思った瞬間。
「生徒二名。規則違反とはな。ロニア・ロンド学生と、院長先生の御令嬢か。よくもまあ、こんな見え見えの罠に引っかかってくれた」
黒髪の男。嫉妬深そうな顔つきの彼に見覚えがあった。廊下ですれ違った程度だが。
「クロウル・マウスフィールド先生……!」
「罰を与えんとな。特にロニア学生。君の悪評は、聞いているよ」




