【第七十六話 ごあいさつ】
「帰省するぞ、ロニア」
「ふぇ?」
ロニアの誕生会から二日。
穏やかな冬のクリスタリア、セス・アダマンティアの邸宅で、少し焦げたパンをかじっていたロニアは目を丸くした。
膝の上で丸まっていた白猫のソレイユが、鬱陶しそうに尾を振ってロニアの太ももをペしりと叩いた。
「帰省だよ。実家へ帰るんだ」
「アダマンティア家に?」
「ロンド家に、だ」
セスは何でもないように、手元のカップからたちこめる蒸気の向こうで目を細めた。
咀嚼していたパンを飲み込み、ロニアは怪訝そうに眉を寄せた。
「なんで藪から棒に……。母さんも知ってるでしょ? ロンドっていう姓は隠れ蓑だって。今は没落した、傭兵の一族なんでしょ?」
【ロニア・ロンド】。
天界を追放され、行く当てもなく彷徨っていたとき。
学院長、イザラム・フランカ・クリスチャンの前で零れた名前だった。
運命のいたずらか、家系の特徴と一致している。
雪のように白い毛髪。
燃えるような紅の瞳。
最強の傭兵一家、ロンド家の証そのものだったのだ。
「しかし、カレンから貰ったあの杖にはロンド家の紋章が彫られていた。お前は今、対外的にも、そしてあの子の心の中でも『ロニア・ロンド』として生きているんだろ? なら、筋を通しておく必要がある」
「筋って……。ナニソレ」
「身を固める時の準備だよ。親族の調査や墓所の管理が必要だ。フランカ家は大貴族だし、杜撰だとカレンと結婚する時に苦労するぞ?」
「けっ――!?」
ロニアが、咥えていた食パンをポトリと落とす。
ソレイユの頭部に落下し、彼は牙を見せて唸った。
「け、けけ、結婚だなんてそんな! ボクらはまだ学生で……!」
「変か? だってお前、カレンのことが大好きなんだろ? なら、未来設計をしておくのが普通だろ」
ロニアが口元をまごつかせ、セスの細められた眼を睨んでいる。
「……それに、ロンド家のご子息を勝手ながら養子にしているんだ。お前だけじゃなくて、私も挨拶に伺わねばならない」
養子縁組の手続きなどは、全て学院長のイザラムが済ませていた。
そのため、セスもあまりロンド家のことを知らない。
学院長はなにかと顔が広いせいか、あらゆる分野をあっという間に片づけてしまう。
「……なに、一緒に来てほしいわけ?」
「かもな。どうせ、長期休暇はまだまだある。多少遠出してもなんとかなるさ。アーランヤに行かない限りはな」
「じゃあ、いつ行くのさ」
ソレイユの毛皮に落ちたパンくずを払い落としながらロニアは言った。
大きな欠伸をこぼすソレイユ。
ロンド家がスーノス地区にあるということは、昨日の晩にセスから聞いた。
クリスタリアから更に極北。四六時中、雪が降りしきっているそうだ。
ここ最近、ずっと寒い。今更、極寒の地なんて変わりはない。
それも、ロニアは天使だった時代に地獄のコキュートスの寒さを知っている。
ウリエルですら、寒さに体調を崩したほどだ。
あれに比べたら、並大抵の寒さには耐えられる。
寒がりなのは、ニンゲンの身体で耐えようとしていないだけだ。
「そうだな。明後日の早朝だな。カレンたちにも伝えておけよ。実家に帰るって」
「ボクにとっての実家はここなんだけどな」
「あくまで便宜上の帰省だ」
ロニアは溜息をつきながら、整頓されてある自室から、片手で持つには些か大きすぎる水晶を持ち出す。
表面をさらりと撫でると、頭をキンと突き刺すような高音が響いた。
ソレイユが低く鳴き、セスが苦笑いしながら別室へと抱きかかえていく。
《あれ、ロニアくん? 珍しく早起きだね》
水晶に浮かんだ、友たちの名前。
今は、カレンのモノが映っていた。
「……うん。母さんに起こされたから」
《……で、なんだよ。朝っぱらから俺たちを呼びだして》
水晶越しに、リウが大きな欠伸を上げていた。
背後からクジラのような鳴き声が聞こえる。
彼のルームメイトのイビキだった。
「ボク、明後日から実家に帰るから。用事があっても行けないってことを伝えとかないとなって」
素っ頓狂な声を上げるのはマチィナだった。
《じ……じじ、実家なのです!?》
《ロンド家、ということなのですわね?》
「ま、そんなとこ」
《そっか……。寂しくなるなあ》
絞り出すように、カレンが呟いた。
─────────◇─────────
いよいよ帰省の日。ロニアは、最後の持ち物確認を済ませていた。
赤いコートの上に鞄を背負い、ソレイユが微睡む籠を右手に持っている。
「……で。なんでみんなもいるワケ?」
ロニアが呆れたように白髪をかいた。
鞄を背負い、苦笑するセス。
実家の玄関に、カレンたちが待ち構えていたのだ。
それも、ずんぐりとした鞄を各々が持ちながら。
「考えてみたけど、ロニアくんって私たちの実家に来てくれたじゃん?」
リウの煌王朝。マチィナのシトリウス家。
カレンのフランカ家。
確かに、全てに訪いを入れていたことがあった。
どれも、やんごとなき事情があったのだ。
命を奪い合う継承戦。マチィナの母の正体。
どれも、ロニアの助けがあってこそ解決できた問題だ。
放っておいては、リウも、マチィナも。
そしてカレンも死に、アリスと出会うこともなかっただろう。
「まあ、そうだけど……」
「なら、今度は俺たちがお邪魔する番ってことだ!」
白い歯を見せ、親指を立てるリウ。
その髪色にふさわしい暑苦しさ。
根雪残る寒さにも関わらず、ロニアは汗を浮かべていた。
「……母さん。ウチまでは列車だよね?」
ロニアが、脱力しきったように溜息を交えながらセスの方を向いた。
「そうだな。あいにくチケットは私たちの分しか買っていないんだが……」
そのとき――
待ってましたと言わんばかりに、カレンの眼鏡が光った。
ロニアは目を細めながら、手の甲で自身の視界を覆う。
「うわあまぶしっ」
「ふっふっふっ……。こんなこともあろうかと、皆の分も買っておいたんです!」
カレンら全員が、懐から銀色の札を取り出した。
列車の意匠が施され、陽光を受けてそれはキラリと光る。
一枚だけで、一般的な農夫の五か月分の稼ぎだ。
フランカ家の財力恐るべし。
ロニアは、口元を引きつらせて苦笑を浮かべた。




