【第七十四話 取り扱い注意】
身体中が熱い。頬から耳に至るまで、まるで焼けるような熱を帯びている。
唇はいまだ柔らかく湿っており、ロニアの身体には牛乳石鹸の香りが付着していた。
男子寮ではなく、久しぶりに実家へと帰宅したロニアは、テーブルの上に置いてあるカレンからのプレゼントを見つめている。
開けられずに唸ること、数十分。
「うぅ……」
「どうした? 開けないのか?」
セスが口元を綻ばせながら、白い湯気をあげるカップを手に持っている。漂ってくるこの匂いは、煌王朝から取り寄せたショウガだろう。
「開けられないんだよお……」
ロニアの持つ紅の瞳と同じように赤く染った表情。
あのときの感触を確かめるように、ロニアは唇に指を添えた。
「私が開けてやろうか?」
「やだ! カレンから貰ったんだもん、ボクが開ける!」
椅子を蹴り飛ばすように立ち上がったロニア。
ガランッ! という音に、ソファの上で丸くなっていたソレイユは飛び跳ねた。「安眠を邪魔しやがって」とでも言いたげな顔で、ロニアを睨みつけている。
「わかったわかった。しかし、マチィナはこんな改造を施していたのか。バレたら大変だぞ」
セスは、数刻前にロニアが包みから取り出したランタンを見つめる。スタッグビートルの大顎のようなモノが張り巡らされ、点灯すると部屋全体を光が白く満たす。
「はぁ、なるほど。ここに蒼魔石を。規定を大きく上回っているな。しかし、ここの穴はなんだ?」
指を入れるにしては小さい。取扱説明書が無いため、セスは首を傾げていた。
「……よし! 開ける!」
深く息を吸って、ロニアは自身の頬をペチンと叩く。
目の前にある、最愛の人から受け取った贈り物を再び見つめ、手に取った。
リボンを摘み、ゆっくり引き抜く。
はらり、と衣服のようにはだけた包み紙の内には、黒くシックな箱が入っている。まるで、セスに貰った万年筆のようだった。
だが、彫刻がなされている。
「えーと、『親愛なるロニ……』」
読み上げている内に、あの接吻を思い出したロニア。
喉元で言葉が詰まり、声にならない声が漏れた。
「どれ。ほぉ、このメーカーのは高いぞぉ。なになに、、『親愛なるロニア・ロンドへ』だってさ」
曰く、アリスが使っている杖よりも一ランク上の超高級品とのこと。クリスタリアの王か、それに準ずる大貴族しか手に入れられない。
「手紙もあるじゃないか。自分で読めるか?」
「お願い……。母さん、読んで?」
「仕方がないなぁ。なになに、『ロニアくんへ。あなたが、黒い翼を広げて苦しんでいるのを見て、私はとっても心が痛くなりました。こんなことを言うのはわがままかもしれないけど、できるなら、天使にはならないでほしい。これは、私のほんの気持ち。受け取ってくれたら嬉しいな。恋する乙女、カレンより』だってさ……って聞いてるか?」
ロニアは、力なく机に突っ伏して唸っていた。
流れるような白髪からは湯気が上がっている。
鬢からチラリと覗く耳は、茹で上がったように赤かった。
「ズルいよぉ……。やられてばっかじゃんかぁ……」
「ははっ。強くても、恋愛には奥手なんだな」
「しょうがないだろっ……。天使に恋愛なんてなかったんだから!」
かく言うロニアも、熾天使に昇格する前はキューピットをしていた。業務が終了すれば見守ることなく帰還していた為、耳年増という訳でもなかった。
「まあ、これからゆっくり学べばいいさ。私だって、お前ぐらいのときは恋愛のれの字も無かったからな」
「今、何歳なのさ」
「ヒミツ」
「年増」
「あ? またゲンコツを喰らいたいか? まだ二十八だが?」
笑顔のセスに青筋が浮かんでいる。
握られた拳はふるふると震え、今にもロニアの頭部に落ちてきそうだった。
「ヒィッ! ごめんなさい〜!」
「……まあ、それはそれとしてだ」
セスが、杖の入った箱に目を向ける。
つや消し塗装を施されたそれは、照明を受けても下品に光ることはしなかった。
「ここまでやったんだ。開けないと男が廃るぞ?」
「わかったよぉ……」
ロニアが黒箱に触れると、手のひらを通じて神経に伝わる冷気を覚えた。外は寒いから、そのせいだろうか。
ゆっくりと、割れ物を扱うように手首を曲げる。
カチャリと音を立てて、中に入っていたモノが姿を現した。
「わぁ……!」
カレンの使う、白銀で蒼魔石の奔流が杖先の球体に迫るような杖。あれは彼女の背丈と同じぐらいの大きさだった。
しかしこれは、全長およそ二十センチほどの手のひらサイズ。
形状はむしろアリスの使う銀製の杖に似ていたが、材質は白銀で造られていた。
何より、持ち手には何かの紋様が象られている。
「これは……?」
「ふむ、懐かしいな。ロンド家の紋章だよ。後ろ側のこれは……フランカ家かな? まったく、プロポーズにしては大胆すぎるだろ」
天井からの光を受け、埋め込まれた青い水晶をキラリと瞬かせるその杖。
ロニアはそれを、赤子のように抱きしめていた。
テーブルに置いてある、小さなカレン人形に見せつけるように。
ロニアの目は、この杖に秘められた圧倒的なテクノロジーを見抜いた。アポテオシス協会のような、一般層向けの造りではない。
魔法に精通した者。特に、白魔法の心得がなければ、この小さな造りの中に眠る技術を作り出すことは難しい。
「……凄いね、この杖。どんな魔力も小さく収束させられるんだって。」
「お前の魔力は規格外だからな。そこまで案じたのか、流石だ」
「流石、ボクのカレン。大事にする。ずっと」
愛すべき者たちから貰った贈り物を眺めながら、ロニアは蕩けるような表情で微笑んでいた。
マチィナのランタンに空いた穴が、ふと目に入った。
ロニアは、手元の杖とその穴を見比べる。
――直径が一致していた。
マチィナのことだから、ただ「より明るくしました」ではすまないだろう。
もしやと、息を飲む。
そして、恐る恐る、白銀の杖をその穴に近づけた。
すると、杖が飲み込まれる。
【承認。戦闘モード移行】
「えっ、ちょっと待っ――」
スタッグビートルの歪に巻き付かれた大顎がガシンと音を立てて起き上がる。
黒曜石を思わせる湾曲した三日月が、左右から噛み合っていた。
ランタンの光源部分が押し出され、柄へと変形。ガラスのような物質の中に、あの杖が収められている。
いつの間にか現れた引き金を、危うく引くところだったロニアは、背筋に冷や汗が何滴も伝った。
獲物を狙うような大顎の隙間から、青いエーテルの刃がズンと飛び出した。
身体から、何かが流れ出ていく。
【エーテルバイパス展開。戦闘、開始】
「待って待って待って! ここまでしろって言ってない!」




