【第七十三話 プレゼント】
皿に残った、スプーンひとつ分のクリーム。
油で濡れた七面鳥の脚骨。
空になった葡萄の果汁が入った瓶。
ロニアは、まるで体と心が軽くなったような感覚を覚えた。心ここに在らずといった顔で、どこかを満足気に眺めている。
その口元は綻び、真っ白いクリームが付いていた。
「まったく、ここは変わらないんだな」
セスが苦笑し、机上のナプキンを遣ってロニアの口を乱雑に。しかし滑らかに拭いた。目を細め、「んっ」と声を漏らし、ロニアはセスに委ねていた。
「ふふっ。ロニアくん、良かったね。みんなに認めてもらえて」
最初にロニアの正体に気づいていたのは、カレンだったのだ。
彼女もまた、ロニアの為に全てを秘密にしていた。
傷つく姿を見たくなかったし、言い訳が必要だと思ったから。
だが、もう口を噤まなくてもいい。
カレンの表情が和らぎ、彼女は目を細めた。
「……ボクだって、恐れることはあるんだよ。ホントに、怖かった」
「だからこそ、あの時は私の為に秘密を教えてくれたなのですね。でも、大丈夫なのです!」
「俺たちはいつまでもお前のダチだからよ。ちょっとぐらいは弱音吐いてくれたってもいいんだぜ?」
「そうですわ! どれだけ凄くても、結局カラダはひとつ! わたくし達、ロニアさんの頼みならすぐに駆けつけますわ!」
友らの言葉に、ロニアは目元の堰が緩むのを感じた。
しかし、ここで決壊させては面映ゆい。
喉元で思いっきり感情を飲み込む。
天界では一切知ることのなかった、幸せという感情。
それはこんなにも甘く、そして温かい。
この時間が永遠に続けばいいのにと、ロニアは心の中で願った。
「母さんな、実はお前に友達が出来たって聞いた時は泣いたんだぞ。心配で仕方がなかった。でも、もっとたくさんの人を知って欲しかった」
「だから、母さんはボクをクラブに入部させたんだね」
セスが頷いた。
「――先生がいなかったら、私たちはロニアくんと会えませんでした」
カレンは、すっかり暗くなった空を窓辺から見上げた。
過去を回想するような声色で、彼女はカーテンを閉じる。
「俺たちの問題も、ロニアがいたから乗り越えられたんだよな」
リウは、王朝の出来損ないだった。
マチィナは、被造物のホムンクルス。
カレンは、人類最強格の兄を持つ。
「ねぇ、ロニアくん。私、もう一度父さんと話してみる。サイモン兄さんとは違う生き方をして、夢を叶えたいって」
かつてカレンがロニアに語った夢。
砕獣学の研究者となり、教鞭を振るいたい。
「必ずなれる」と、あのときは無責任に言ってしまっていた。
だが、今は確信を持って彼女に伝えられる。
「絶対、なれるよ」
カレンは解いた三つ編みを揺らして振り返る。
サファイアよりも青い瞳が、ロニアの紅を見つめた。
そして、太陽が輝くように彼女はニカッと笑う。
答えるように、ロニアも目を細めた。
そしてしばらく、沈黙が続く。
セスが鼻をすする音だけが響いていたが、その静けさを破ったのは誰かの咳払いだった。
「けほん! 誕生日パーティでセンチになっては、せっかくのメインが台無しですわ。カレンさん? あれの用意を」
「うんっ! あぁ、ロニアくんは座ってて。大丈夫。ぜっったいにビックリするから!」
「そ、そう?」
首を傾げながら、ロニアは上げかけた腰を下ろす。
対照的に、ロニア以外の全員が針葉樹の足元へと向かった。時々、「誰から行く?」と話しているのが聞こえた。
五人は、色とりどりの包みを胸に抱える。
最初に前に出たのは、リウだった。
「まあその、ありがとな。お前がいなかったら、俺はあのとき死んでたかもしれねぇ。お前が何を好きなのかがまだわかんねぇから、煌王朝の名物を持ってきた。奶奶が送ってきてくれたんだ」
ロニアがリウから貰った手のひらサイズの包みを開く。
小さな音叉のような形をしていた。
指先で先を弾いてみると、軽快で民族的な音楽が流れる。音階から察するに、煌王朝の民歌だろう。
「好きな音楽、エーテル周波が分かれば入れられるからな」
「ふふ、面白いねコレ。ありがと」
次に、マチィナ。
「えへへ。私、まだ覚えてるです。ロニアくんが、初めてエーテル列車を見た時のあの反応。ロニアくんも、ああいうのが好きなのですね。ちょっと高かったけど、アポテオシス協会から買った魔道具をマチィナ印に改造してみたなのです」
「え、大丈夫なのそれ。規格とか、色々あるはずじゃあ……」
「細けえことは気にするな、なのです」
マチィナの自由奔放ぶりは相変わらずだった。
いつも振り回されているが、むしろそうでなければ。
「では、次はわたくしが。ワンダラー家は新事業を始めまして。コドモ向けにプラッシュを作り始めましたわ。堂々の第一作目は、ロニアさんの為だけに造ったオーダーメイド品ですわよ」
包みをロニアが開くと、動きがピシッと止まった。
中にあったのは、あまりにも見覚えがある姿。
「第一号。その名も【どこでもフィアンセ】ですわ。わざわざ、カレンさんに来ていただきましたの。どうです? 素晴らしい出来でしょう!」
カレンに比べて薄めな胸板を張るアリス。
「アリスさんったら、つい張り切りすぎちゃっててねぇ……。でも、本物の私よりちょっと可愛くなってるかも?」
カレンが、小さなカレンの丸い手を握った。
羽毛の生地が、ふわりとカレンの手を温める。
「でも、嫉妬しちゃうなぁ。ロニアくん、ちっちゃい私ばっかりかまけて、私を放ったらかしにしちゃやだよ?」
カレンの悪戯げな笑顔を見つめながら、ロニアは小さなカレンを抱きしめた。
「カレンしだい。ボクを放ったらかしたら、この子にゾッコンになるから」
「もうっ、ばか」
「冗談だよ。家に置いとく。流石に、ネヴィルには見せられないから」
まるで子供のように無邪気な笑みを浮かべる小さなカレンの青い瞳。
見つめていると、カレンの声が聞こえてくるようだ。
もう一度、それを抱きしめた。
「これで、帰る口実ができたね。母さん」
「だな。さて、私だが……」
ロニアに渡す前に、包みを開き始めるセス。
彼女の手元と顔を、ロニアは何度も見比べた。
「えっ、なにしてんの?」
「これは私の手から直接渡すことに意味があると思ってな」
黒い包みからは、銀色の細長い箱が現れた。
ロニアは、それに見覚えがある。
「あっ……これって……」
「開けてみろ」
セスに促されるまま、ロニアは恐る恐るそれを開く。
すると、彼は目をキラキラと輝かせた。
「母さん……! いいの……!?」
取り出したのは黒い、古びた万年筆だった。
装飾は所々剥げているが、筆先はいまだ金色に輝いている。
「ずっと、欲しがってただろ。お誕生日おめでとう。私の可愛いロニア」
セスは、ロニアの頬に軽い口付けをした。
人間界の親子が頻繁に行うスキンシップであり、愛情表現のひとつ。
「……うれしい」
このまま、宙に浮かび上がってしまいそうな気分だった。だが、ロニアはひとつだけ違和感を覚えている。
ひとつ、足りない。
「あれ、カレンのは?」
「私のはねぇ、2人きりになったときにあげる」
「もう。勿体ぶらないでよ」
「ロニアくんの情けない姿、見せたくないでしょ?」
「え、そんなに」
やや身を乗り出していたロニアは、思わず深く腰を下ろす。カレンは、やる時はやる女だと知っている。
戦闘でも、それを嫌というほど痛感した。
「……じゃ、ここでお開きかな。改めるが、お誕生日おめでとう、ロニア」
セスたちが、皿を抱えて部屋を退室した。
去り際にマチィナは手を振り、アリスはウィンクを見せる。リウは、親指を立てた。
そして、ロニア達だけが、カレンの自室に残された。
やけに、心臓が早鐘を打つ。
組まれた指先は忙しなく、くるくると縁を描く。
「その……プレゼントっていうのは」
横目にカレンを見る。
すると、ロニアの柔らかな頬が彼女の両手に挟まれる。
「むぐっ……! 何するんだカレ――」
「お誕生日おめでとう。ロニアくん」
至近距離にカレンの顔。
濃厚な、牛乳石鹸の香り。
言葉を紡ごうとするその唇を、温かくも湿ったモノが塞いだ。カレンの息が、ロニアの中に流れた。




