【第六十九話 守りきった動乱】
ロニアは、カレンから離れなかった。
黒の水晶が囁く声はもう聞こえない。
潤んだ瞳は、ボロボロになったカレンを見つめている。
傷つき血まみれになりながらも、彼女はロニアに微笑みかけていた。
心に棘まみれの茨が巻き付き、ロニアの罪悪感を加速させる。
「……ボクが、キミをここまで……」
「ううん。ロニアくんのせいじゃないよ」
「でも、傷つけようとした」
「本心じゃないんでしょ?」
ロニアは、喉元で空気が鋭く尖って突き刺さる感覚を覚えた。
何も言えない。ただ、自分が暴走していたという事実だけがある。
「母さ……先生も、アリスも、ごめん。迷惑かけた」
「この際母さんと呼べ。心配させるな、バカ息子が。カレンがいなかったら、いったいどうなっていたことやら」
「それに、ソレイユのことを忘れないでくださいまし」
アリスがソレイユを抱き上げる。
ソレイユは、眉間に皺を寄せ不機嫌そうにそっぽを向いている。
まるで、いつものロニアのよう。
「この子、何度も守ってくれましたのよ。ロニアさんの正体は気になりますが、それはそれ、これはこれですわ」
「さっさと医務室に行くぞ。私たちも同行するから、ゆっくり歩けよ。応急処置ぐらいはしてやるから」
セスがブーツの音をカツカツと響かせ、ふたりの肩に両手を添えた。少しだけ硬かったものの、その温かさには慈愛に満ちている。
肌だけでなく、心までもが陽気に包まれた。
外気の寒さとは打って変わって、この廃教会には春の麗らかさが漂っていた。
数十分後、テンプル協会の特別医務室。
白を基調とした殺風景な一室で、三台のベッドと仕切りのカーテンがあるだけだった。
鋭利な匂いが鼻を貫く。
それでも、ロニアはカレンから離れることはしない。
それどころか、「同じ寝床がいい」と言い出す始末。
どれだけセスが説得しても、ワガママさは勢いを増すばかりだった。
しかし、ロニアの精神的摩耗を考慮すれば、それが得策なのだろうとセスは許可したのだ。
これで大人しくなるかと思えば――
「……あの、少しはその甘〜いオーラをしまってはいただけませんこと?」
同じく負傷していたアリスが、隣の寝台から忌々しげに唸った。
診断結果は、三人とも二日の安静。祭りは最終日に楽しめば良いとのこと。
「ごめんね、アリスさん。ロニアくんったら、私にくっついちゃって……」
「ん。離そうたってムダだよ。ボクはカレンがいなきゃ今日は寝られないもん」
「はぁ……。これで付き合ってないなんて何かの冗談ですわね」
「告白してないだけだもんね〜だ」
それはもう告白と同義なのではないかと、カレンは苦笑する。
ロニアは、何度もしつこく「告白しなければ恋は始まらない」と唱えている。
最初は高尚なコトをとカレンは思っていたが、最近になってそれがただの強がりだということに気づいた。
「カーッ! そうですか! ではわたくしは寝ますので!」
仕切り越しに、アリスが乱雑に布団を被り、痛みに悶える音が聞こえた。
ロニアはカレンへ、互いの脈を感じるほどに密着した。
最初こそ驚いて声を上げたカレンだが、微笑を浮かべロニアの白髪を優しく梳くように撫でる。
彼女の甘い石鹸の匂いが、鋭利な部屋の匂いを上書きした。
「あっ、今ゴロゴロっていったね?」
「いってない。猫じゃないんだから」
「素直になれないトコロとか、面倒くさがり屋なところ、本当に猫ちゃんだよ。ソレイユって、実はロニアくんの弟だったりする?」
「まさか。ボクにきょうだいはいないよ」
カレンにとって、ロニアは最愛の恋人であるのと同時に、まるで弟のような存在だった。
簡単に臍を曲げ、そのくせ簡単に釣られるあっけなさ。
「仮にお前にきょうだいがいたら、会ってみたいよ」
医務室の扉から聞こえてくる声。セスだった。
「あ、母さん」
「……学院でそう呼んでいいのは今日だけだからな、言っておくが」
「……うん。わかってる。たまには帰るよ」
仕切りがガラッと開き、目を大きく見開いたアリスがロニアたちを見ていた。
セスとロニアを何度も見比べ、怪訝な表情をしている。
「……え、ロニアさんと先生って、親子だったのですか!?」
「義理だよ。えっと、引き取られたんだ」
「もう、四年ぐらい前か。当初は今以上にツンケンしてたんだぞ〜?」
「ちょっ、やめてよ母さん!」
「あの時みたいに『ママ』とは呼んでくれないのか?」
ロニアの白皙とした肌が、みるみると紅潮する。
彼の喉から、絞り出すような声が漏れた。
「あぁっ……! ちょっ……! それはナシでしょ!」
「ロニアくんが、『ママ』って……?」
「まあ! これはなんてギャップ……!」
「――ッ! リウとかマチィナには言わないでよね! アイツら絶対からかうから!」
抱き着いていたはずのロニアが、カレンに抱かれている事に気づくのはすぐだった。
飄々としていて、どこか冷ややかな彼が育ての母親を「ママ」と呼ぶ。
恋人のより可愛らしい姿を見せられて、理性は更に砕けそうになっていた。
「ねえ、ロニアくん……。私をさ、先生だと思って、『ママ』って呼んでみてよ、ね? ね?」
ロニアを胸元に押し付け、天使か、あるいは悪魔のような甘い声色でロニアに囁く。
「う……。いくらカレンでも呼んでやるもんか」
ロニアは、更に顔を赤らめ、布団の中に潜り込んだ。
次に暴走するのはロニアではなく、カレンだった。
─────────◇─────────
ミカエルが歩む度に、翼は黒く染まっていく。
毛先から焼かれていくような痛みに、歪まる表情。
ロニアの持つ試練の鍵の五番目――黒水晶により引き起こされた暴走。
それは、ミカエルの持つ新型の試練の鍵とは異なるものだった。
暴走は旧型ゆえのエラーか、それとも。
「……疑問。これは……?」
ミカエルが、ぐにゃりとしたものを踏みつけた。
ヒールを上げてみると、半分に引き裂かれた男の顔面が落ちている。
クロウル・マウスフィールドのものだった。
ロニアの聖鎧:ミカエルにより引き起こされた虚無。
それに運良く吸い込まなかった箇所。
「哀悼。やっぱり、アナタはヒト。あの子を刺激してはいけない」
頭部の翼で目を隠しながら、ミカエルはその場にしゃがみ込んだ。そして、喉元の試練の鍵を押し込む。
「報告、こちらミカエル。作戦に失敗しました」
《……まったく、情けないですね。それでも熾天使のトップですか? こんなんじゃ、ワタシの配下にも敵いませんが》
「――疑問。なぜアナタがいる? ウリエルやガブリエルは……」
《ちょうど席を外しています。神に、せっかくならどうだ、だなんて言われまして。まったく、管理体制どうなってるんですか》
応答したのは、地獄の王でありルシフェルの妹、サタンであった。
「憤慨。アナタにとやかく言われる筋合いはない」
《それはワタシだってそうですよ。何をどうしてこんなカラクリみたいなアナタと一緒くたに『妹』と呼ばれなきゃいけないんですか。ルシフェルの妹はワタシだけで十分です》
「嘲笑。傲慢も司るようになったせいで、性格も変わった?」
どれほど負傷していようと、妹と出会えばひとたび口論に発展する。まだサタンが産まれたばかりのときから、これは変わらなかった。
《ま、それよりも。随分とこっぴどくやられましたね。アナタをここまで懲らしめるなんて、それこそお兄様レベルでは?》
「――肯定。でも、ちょっと違う」
通信越しに、サタンが首を傾げているのがわかった。
この話題は、天界でも随一の厄介な種である。
「試練の鍵。それを使ったロニアが暴走した」
《ロニア? 誰ですかそれ》
ミカエルは、ことの経緯を全て話した。
サタンが言葉を失い、何度もミカエルに問いただした。
それは事実か?
いや、ありえない。
そんなはずはない。
「事実。今から天界に戻る。その時にまだいれば、もっと詳しく話す」




