【第六十七話 白夜】
魔力が枯渇しかけている。
杖を振るう力もなければ、善戦していたセスですら押され気味。
魔法と格闘を絡めた、リウの戦法を極めたような動きなのに。
カレンは、震える脚を立たせるので精一杯だった。
お気に入りの丸眼鏡にはヒビが走っている。
それは、アリスも同様だった。
アリスは頭部から血を流し、その場で蹲っている。
「アリスさん、立てる?」
「いいえ……脚をくじきましたわ……。でも、動けなくても戦えるのが魔法使いの本懐でしてよ……!」
木製の小さな杖を振るうアリス。
背後に三つの赤魔方陣が現れたとしても、それはふっと消えた。
俯き、打ち上げられた魚のように息を求めるアリス。
鈍色の床に、赤い水玉模様が描かれる。
アリスから流れる鼻血だった。
「ダメ、もう無理しないで……! すぐにロニアくんを呼ぼうよ……!」
「あなたもわかっているでしょう……? あの人は、今も戦っているはず……! 今ここを離れたら、戦況が……、ゲホッ!」
必ず、ロニアが助けに来てくれる。
カレンも、アリスも、心の中ではそう願っていた。
だが、今はセスとソレイユが戦っている。
二対四。状況は劣勢。
光の剣で戦うソレイユの表情にも、疲れが見えている。
二対の砕獣を相手取るセスは、表情を歪めていた。
互いの隙を潰すような連携に、攻めを挟む隙が無い。
連続した攻撃が、やがて鈍痛による判断の劣化を招く。
このままでは、仮にロニアが駆けつけたとしても後の祭りだろう。
崩壊した十字架の上に、ベヘモットが余裕綽々そうに笑みを浮かべながら腰かけている。
あれは、勝利を確信した者の笑いだ。
もはや睨むことしかできないカレンたち。
アリスは戦闘不能。カレンは、体力があとわずか。
それでも、カレンは足を一歩踏み出した。
重い、重い足取りだった。
「ま、待ってくださいカレンさん! 今のあなたでは……!」
「……よくよく考えたら、無理をするのは私でいいの。私にできる最大級のコトを、ここで……!」
「わたくしでも敵わなかったのですよ! 学年八位のあなたじゃあ……」
「順位なんて関係ない。ロニアくんはずっと、私たちの知らないところで暗い闇と戦ってたの。なら、せめて私は、あの子を照らす光になる!」
遊びを邪魔された子供のように、口をすぼめるベヘモット。飛び降り、ため息混じりに肩骨を外すような勢いで解す。
「何をしようって? ここはエーテルポケット。まあ、気圧の谷みたいなもんかな。そもそもボクには魔法は効かないし、残ったエーテルもボクが食べつくした」
「それでも、私は最後まで戦い抜く」
白銀の杖に迸っていた蒼い結晶が一斉に輝く。
カレンの白い肌を照らし、キィンという反響するような音が鳴った。
これこそが、フランカ家の家宝でもあり――
「ウソ、まさか十二神徒の秘宝!? カレンさん、もしやあなたは!」
「いつも、私は親に怯えて生きてきた。いつも優秀なゼロテと比べられて、みじめな気持ちだった――」
カレンの杖先に、光が集約する。
枯渇したはずの大気から強制的にエーテルを吸い上げ、光球は脈打ちながら肥大化していく。
「でも、私にだって勇気がある! ここで負けちゃいけないっていう矜持がある!」
なんでもないように笑う彼の背中を回想する。
魔方陣が描かれる。
眩い閃光を瞬かせるそれは、白い色をしていた。
次々とルーン文字が刻まれる。
「カレン……! お前、ついに成ったか……!」
「あなたが……白魔法を……!?」
足が震える。どうしても怖い。
けれど、彼ならどう言うか。
どう敵を嘲り、誰のために戦うか。
考えても、答えは見つからない。
越えられない壁があるのだ。
それでも、背伸びをして向こうの景色ぐらいは目にしたい。
呼応するように、蒼水晶の輝きが、より一層強まった。
「ふぅん。そんで? 餌がなんて言おうと興味ないけどね。対象変更。アレをやれ、オマエたち」
セスとソレイユを相手取っていた砕獣が、カレンの方へ狙いを変えた。弱った獲物を見つけた捕食者のような視線。
殺意。三体が飛びかかってきた。
今すぐに逃げ出したい。
本能がそう叫ぶ。
だが、カレンの脳裏にロニアの顔が浮かんだ。
「先生! 私、逃げません! この命が尽きるまで、最後まで戦います!」
「こんのバカ……! 死ぬんじゃないぞ! ロニアが悲しむからな!」
呆れながら、セスは音よりも素早く砕獣の一体の顎を蹴り上げた。
ゴキリという、頚椎が折れる音。
脚元で、それは斃れた。
セスが、庇うようにカレンの前に出る。
砕獣たちの動きがわずかに止まった。
様子を伺っているのだろう。
「こいつらは、どれだけ傷を与えても再生する。それは知っているな」
「はい。ベヘモットがそうでしたね」
「再生の理屈はわかった。私が肉壁になって時間を稼ぐ。一撃必殺を目指すなよ。白魔法、上手く使え」
セスが胸元で腕を交差させ、左右に振り払う。
極小の赤い魔方陣が指先から上腕にかけて展開される。
彼女の両腕は、彼女の性にふさわしい鋼鉄で覆われた。
まるで伝承の悪魔のように鋭い爪先は、カレンに襲い掛かっている砕獣のもう一体を微塵切りにした。
「カレンッ! 集中を切らすなよッ!」
「はいっ!」
カレンの魔法の本懐は、最後までチャージすることにある。
ルーン文字による魔法展開を最大限まで引き上げ、その魔法の本当の威力を放つのだ。
隙の多さが弱点だが、それを補って余りある強みがある。
その力は、時にロニアのモノを超えることもあるのだ。
白魔法の魔力負荷は、赤魔法とは比にならなかった。
血管が押しつぶされ、脳が頭蓋骨を押し出すような鈍痛が走り、肺に穴が開くようだった。
何よりも、エーテルを魔力に変換する器官――鍛臓が振動している。
体内の水分がまるで蒸発するような熱量。
カレンの唇から、うめき声が漏れた。
カレンのサファイアのような瞳から、生温かい真っ赤な川が流れる。それでもなお、ルーンは刻まれる。視界が紅に染まった。
彼女を護るように、ソレイユがふらつきながら眼前に立つ。か細く鳴きながら、カレンの眼前に光の壁を形成した。
血の涙を流すカレンを、まるで心配するように見つめるソレイユ。その表情は、まるでニンゲンのそれに近かった。
「……ミャ」
振り返り、セスと共に残った砕獣に斬りかかる。
波打つ光剣は長さを増し、まるで鞭のように振るわれる。
「……お付き合いしますわ、カレンさん。あなたの恋人に似て、度胸はケタ違いですわね」
脚を引きずり、アリスは足元出現させた青い魔方陣を、カレンのモノに連結させた。
徐々に、白魔方陣が成長していく。
「わたくしの魔力をお貸ししますわ……。これで――決めてくださいまし」
魔力充填に全神経を注いでいるカレンに、もはや自分らの行動は目に入らなかったが、それで良いとアリスは思った。
余計な気遣いよりも、今は敵が最優先なのだ。
『枯れた骨よ、主の声を聞け』
大気が揺れる。
空間が軋む。
カレンの命を灯火とした白い輝きが、教会を白く染め上げる。
「ちょっ……! ちょいちょい、あれヤバいんじゃないの!?」
ベヘモットが後ずさりし、背を向けて逃げようとしていた。
「……逃がさない」
カレンの杖から、閃光が爆ぜ走る。
稲妻をも凌駕する熱量が放たれた。
四つに分かれ、怪物達を追尾する。
「ソレイユッ! 避けろッ!」
身を捩り回避するセスとソレイユ。
光線は刺繍のように、砕獣らを何度も穿っていた。
最後の一本がベヘモットへ追いすがる。
だが、その瞬間だった。
音よりも速く、一閃の漆黒が黒く濁った曇り空から舞い降りた。
それは、この場の誰よりも禍禍しく。
それでいて、神々しいほどに白い雷鳴を纏っていた。
ドォォォォン!
着地の衝撃だけで、ベヘモットの眷属たちが紙吹雪のように吹き飛ぶ。
土煙の中から現れた、十二枚の黒翼。
十字に裂けた瞳孔。
その姿に、カレンは見覚えがあった。
けれど、知っている彼とは劇的に何かが違った。
そこには護るべき少年はいない。
すべてを傲慢にも蹂躙するために舞い降りた、王がいた。




