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【第七話 こっそり抜け出そう】

 一つ。二つ。三つ。天井のシミを数えるのにも飽きてきた。


 横に目をやると、模型で建物を組み立てているネヴィルが映った。

 寝返りを打つ。ごちん。壁に頭をぶつけた。鈍痛が響く。


「どした、頭大丈夫か?」


「喧嘩なら買うけど」


「ちげぇよ、心配してんだよ」


「あぁ~、なら大丈夫じゃないかも。退屈で死にそうだよ」


「ま、無理もないよなぁ。しばらく校舎閉鎖だし、自主学習つってもエリートのロニアにゃあ、勉強したってすぐに終わっちまうだろ」


 試験日の襲撃から、協会はしばらくの調査期間を要することになった。砕獣の痕跡にしては妙だ、というのが協会の見解らしい。


 人型砕獣は、ロニアが仕留めた。奴はどろどろに熔解したものの、大した問題はないだろうとロニアは考えていた。


 普通の砕獣を炎魔法で熔かしても、同じような痕跡になる。人型といえど、構成する物質も、ありふれた個体と等しい。


 セスよりも位が高い人間が、そこまでの調()()を必要とするのには、何か裏がある。そう睨んでいた。


 襲撃から五日も経っているのに、まだ再開のめどは立っていない。そろそろ、ネヴィルの顔も見飽きた。なんだそのツラは。もっと何かを考えているような表情にはできないのか。心の中で罵るロニア。


「お前、もしかしてすっげえ失礼な事考えてねぇか?」


「いや別に」


「ほんとか~?お前って嘘つくときに必ず右方向に目を逸らすよな」


「そんなのでたらめだよ。ルームメイトにそんなことを考えるわけないだろ?」


 左方に目を逸らすロニア。


「実はさっきのは嘘だ。右じゃなくて、本当は左だ。さあ答えなさいロニア君!さっきなに考えてた、言ってみろ!」


 飛び掛かってくるネヴィル。彼はロニアの弱点を知っている。首元と、脇腹だ。


 節足動物が這うような手使いで、ロニアを擽った。黒い衣服が捲れ、白皙とした腹部がちらついている。


「ちょ……やめっ――」


「ほれ~?ここが弱いんだろ~?」


「そこはダメっ……」


 紅潮する。声を漏らせば、不貞を働いたと勘違いされる。決してロニアはそんなことをしないし、そもそも男色の趣味はない。


 ふとカレンの顔が浮かぶ。彼女は今、どうしているのかなと思いを馳せようとした。


 妨害。ネヴィルの擽りは、やがて首元まで迫った。

 ネヴィルが馬乗りになり、ロニアの自由は奪われる。彼の手が首元に触れた瞬間、電流が走った。ぴんと体が張る。


「おっと、やりすぎたか?」


 目に涙を溜め、頬を赤らめたまま顰蹙しているロニアは、手のひらで顔を隠しながら、隙間からネヴィルを睨みつけていた。


「ご、ごめんって」


「【緑魔法:小石の雨(ペブル・レイン)……!】


 こつこつ。降り注ぐ小石たちが、ネヴィルを襲った。


 ─────────◇─────────


「もご、もごごご」


「包帯越しじゃ、なんて言ってるか聞こえないよ」


 包帯でぐるぐる巻きになったネヴィルをよそに、ロニアは寝間着から私服に着替えていた。


 校舎が閉鎖され、外出もほぼ自粛されているというのに、どこに行くんだとネヴィルは疑問を呈している。


 行先は、朧気にしか決めていない。だが、誰と会うかだけははっきりさせていた。


 靴を履いてドアを開ける前に、ベッドに掛けてあった、五つの結晶が光る結晶の埋め込まれたチョーカーに一瞥した。


「もご?」


「あれ、持っていこうかな。ちょっとした外出だけど」


 あれは、【試練の鍵】。上級天使、カマエルにこっそりと渡された餞別で、万が一危機が訪れた時に使えばいいらしい。とはいうものの、カマエルは「くすねた」と言っていたので、使用を躊躇っている現状だ。


「ま、持って行ってもいいか」


 首に掛けると、蒼く光った。この色は、直属の上司だったラファエルの色だろう。

 淡々と、無機質に叱ってくるから、好きになれなかった。


 思い出に耽るのもこれまでにして、ロニアはドアノブを捻った。


 緑魔法でネヴィルの包帯も解きながら。


 件の襲撃から、学院の警護はいつもよりも厳重になっていた。各階に警備員が闊歩していて、外出を試みる生徒を取り締まっているようだ。


 幸い、ロニアの部屋周辺にはいない。だが、どこで開閉音を聞きつけたかわからない。今のうちに、身を隠すべきだろう。


「おい、【隠せ】」


 小声で精霊らを行使すると、ロニアの躰が赤い魔方陣に挟まれ、姿が消えた。


 透明になったとて、音までかき消せるわけではない。達人は、音で姿を見るのだ。


 もはや超人と呼べるような人物の魂を担当したとき、彼はよくそんなことを呟いていたから。

 まさか、夢見事だと思って聞き流していたことが、ここまで有力だとはロニアも思わなかった。


 しゃがみこんで、足音を消す。全ての動きを鈍重に、しかし滑らかに。


 廊下を渡り、階段を一段ずつ踏みしめる。遅い。しかしこれでいい。

 見つからなければ、どれだけ遅くともよい。


 長く感じた羇旅が終わり、やがて裏口が見えてきた。

 ここは、人通りがひどく少ない。だからこそ、ここは裏口としての体裁を保っている。

 勿論、警備の姿も見えない。音を立てぬよう、ゆっくりを戸を開けた。


 生け垣が視界に入った。寮を覆うように植えられているようだ。


 脆い壁のようなものだが、これが功を奏しているのか、侵入者を阻んでいる。

 しかし、そんなことはどうでもよい。ロニアの目的はただひとつ。


 彼女、カレン・フランカ・クリスティーナを一目見ることだ。


 まるでストーカーのように思われるかもしれないが、どうにも彼女のことが気がかりだった。

 何せ、人間界における数少ない友人の一人だから。


 何度も危ないところを助けてきたという事もあって、庇護欲のようなものがあった。

 徒歩でも女子寮へは行けるだろう。ロニアは未だに透明のまま。


 しかし、天使形態へと移行するには人気のないところがいい。


 あれは、どうにも派手すぎる。ぎらりと白光してしまうからだ。

 透明になっていようと、誰かが集まってしまえば見つかる可能性は高い。


 特に戒厳令が発せられている今は、外出している人間は何らかの理由で許可されている凡人ではない誰かだろう。面倒ごとになれば厄介だ。


 ならば、人間形態のまま飛んでしまえばいい。魔力を浪費するが、ほぼ無尽蔵のロニアには大して関係のない話だ。


 いざ、飛び立とうとしたその時。ロニアの眼に違和感が映った。


「あれ、あんな建物あったっけ」


 教会のような、白い頭の尖った建物は、この辺りで見なかったものだった。

 周りに興味のないロニアですら、この些細な違和感を拭えずにいた。


「ふぅん、ちょっと見て行ってもいいか」


 近づいてみれば、ゴスペルが聞こえる。歌われる側だったなと、軽く笑ってみた。

 やれ、神に感謝いたしますやら、尊き聖母やら。少しは、天使である我々にも何かひとつは歌ってほしいものだ。


 そう思いながら、中を覗いた。


「――は?」


 誰もいない。それどころか、教会にあるべき設備が何一つない。


 鍵盤も、椅子も、ステンドグラスも、何もかも。『教会』のうわべだけがあった。


 罠。ロニアの脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。しかし、誰が何のために。

 教会を釣り餌とするには、あまりにも杜撰すぎる。誰が引っかかるのだろうか。


 だからこそ、ロニアはあえて引っかかってやることにした。

 退屈さを紛らわせるのなら、それでいい。


「天使ってことがバレなきゃ、まあいいでしょ。ちょっとぐらい」


 悪戯気に笑い、音を立てないように戸を開いた。


 やはり、誰もいない。先ほど聞こえた歌声はどこに。

 青魔法に音を記憶しその場に設置できるものがある。


 意味や目的はひとまず無視し、恐らくそれの類だったのかもしれないと仮定した。


(見えるものだけ信じるなって、教えられたっけな)


 そう内心ボヤきながら、緑魔法を展開した。


「【探せ】」


 魔力探知の青魔法、【サーチ】。空間が僅かに揺れ、ロニアの瞳に魔力あるものを示した。


「う~ん、変なモノはなさそうだなぁ。鳥とか精霊どもぐらいしかいないや――ん、なんだあれ」


 何かが、この教会から離れて行っている。あの速度は、人間の女性の走行速度と同じだ。

 背丈はロニアと近しい。向こうが少し高い。


「追いかけちゃお」


 その影を追うために、教会を後にした。

 蛇が、天井からロニアを睨みつけていたのには気づかなかった。

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