【第六十五話 食え。喰え。貪え。】
「うっひゃあ~。コレは随分と効くねえ。キミたち、ナニモノ?」
刀身が中央でへし折られ、ソレイユが吹き飛ばされる。
しかし、落下の途中で体を捻り衝撃を和らげた。
「ソレイユッ!」
「アリスッ! 陣形を崩すなッ!」
眼前の男の右手からは、緑色の粘着質な液体が垂れている。
飄々としてはいるが、ダメージは入っている。
けれど、ボコボコと男の肌が泡立つように肥大化すると、漏洩は収まった。
「なんなの、あなた……」
「う~ん、質問してるのはボクなんだよなあ。参ったな、ニンゲンってこんなにも話が通じないの?」
男は皮肉気に笑い、棍棒のような右手を振り下げた。
空気を押し出す感覚がカレンらを襲う。
咄嗟にアリスが生み出した土の壁ですらも、それは易々と砕いてしまった。
瓦礫が目をくらませ、棍棒は気づけば眼前に迫っている。
「チィッ!」
セスが前に出た。
荒波のように迫りくるそれとは対照的に、彼女は拳を釣り餌のように伸ばす。
やがてそれがセスの拳に触れるとき――
全身。踏み込んだ。
肥大化した肉の棍棒、その皮膚が、あざ笑うように揺れる。
空間にひびく籠った衝撃音。
セスは、わずか数ミリしか拳を動かしていない。
肉塊ごと、男は左後方へと吹き飛ぶ。
壁に激突し土煙を上げたが、男は無傷だった。
土ぼこりを払い、立ち上がる。
「アリス。カレン。立てるか?」
首肯。
ソレイユがカレンの足元に走り寄る。
ひげをぴくぴくと動かし、カレンの瞳を見つめている。
「ソレイユ?」
「……ミャ」
鳴いて、彼はカレンの右肩に飛び乗った。
甘えるのかと思いきや、ソレイユの瞳は眼前の男を睨んでいる。
「わかった。しっかり捕まってて」
男は大きく伸びをして、首骨をゴキゴキと鳴らす。
何度もそれを繰り返していると、彼の首がもたげた。
まるで枯れた花のように。まるで、吊られたヒトのように。
「あ~あ。このカラダもダメかあ」
顔面に及んでいたヒビが、身体に走る。
男がうなり声をあげ、爪先を伸ばし俯いた。
背中から伸びる二本の腕。腹を突き破る羽根。
男が正体を現すごとに、腐った獣肉のような喉元をかき乱す臭いが充満する。
その様は、まるで孵化のようだった。
内に秘めていた悪辣な本性が湧き上がる。
逆光により影となっていたその姿は、どんな言葉でも記せないとアリスやカレンは思った。
アリスはともかく、カレンは数々の修羅場を巡っている。
それでもなお、目の前の怪物を見ると、脳が揺さぶられるような感覚に陥るのだ。
一歩、こちらに近づく。
どしん、ぐちゃり。
どしん、ねちょり。
接近するたびに、男は巨大化する。
成人男性の背丈から、巨漢へ。
巨漢から、怪物へ。
ようやく姿の全貌を目にする一行。
五つの眼でこちらを睨む顔面。
頭頂部から伸びる槍のような角。
そして何よりも、おぞましいものがあった。
「あ……ありえませんわ……!」
「この造形、まさか、嘘だろ……!」
「人型砕獣……?」
二足で立っているのに、腕は四つある。
地を踏みしめているのに、魚のエラがある。
重さに押し付けられているのに、翼がある。
「滅びの大砕獣に近い……だと?」
セスが、初めて恐怖の声を浮かべた。
最初は、ただの黒魔法使いだと思っていた。
悪魔と契約をした、狂った男だと思っていた。
しかし、それが間違いだった。
この男こそが、悪魔なのだ。
「教えてあげよう。ボクたちの名前を。ベルゼブブさまの忠実な僕にして天使の使徒がひとり!」
ベヘモット。男はそう名乗った。
己の権威を誇示するように、ベヘモットは雄たけびを上げる。
ステンドグラスが割れ、色とりどりの血飛沫のごとく飛び散った。
「ベヘモット……。そんな、大罪レベルではありませんの……!」
「レヴィアタンと対を為す、地の獣……!」
「でも……戦わなきゃ!」
ここにいるのは、ロニアを除いた学院最強クラスの戦力。
けれど、彼とカレンたちの間には越えられない壁がある。
セスの実力は未知数だ。計算に入れるべきではない。
脳内で打開策を巡らせながら、カレンは震える手で白銀杖を握りしめた。
手に汗がじんわりと滲む。心臓が早鐘を打ち、静寂が訪れる。
一寸でも誰かが動けば、第二波が来る。
刹那の油断も許さない、命のぶつかり合い。
最初に動いたのは、ソレイユだった。
白い魔方陣を上空に展開。
光弾の雨。降り注ぐ。
肉の翼。ミチミチと繊維を断たせながらも、胴体への攻撃は防ぎ切ったようだ。
翼を畳むベヘモット。緑色の血液が足元に飛び散る。
開戦。
先鋒はセス。音もなく地面を蹴り、滑るように懐へ潜りこむ。
振りかぶる動作は無い。放たれた矢のように、セスの指先がベヘモットの腹部に付着する。
距離、一寸。
セスの右手に、赤い魔方陣が浮かび上がる。
空間に、熱の波が生じる。カレンらの頬を、熱せられたエーテルが撫でた。
それはやがてセスの手元に集約し――
「【破裂し、炸裂し、爆裂せよ。赤魔法:ボルケイノ】」
ズガンッ! 焔の大花が咲いた。
至近距離の爆破。小規模ながら、威力は圧縮されている。
わずかに空いた穴から、爆破はベヘモットの体内で連鎖した。
まるで踊るように、衝撃に身を震わせるベヘモット。
口腔や耳から黒煙と収まりきらなかった炎が溢れる。
毒物のように鼻腔を突き刺す、喉にこびりつくような腐臭。
しかしそれにも臆さず、アリスが間髪入れずに飛び上がる。
セスが距離を取り、三角形の布陣を維持。
アリスの背後に赤い魔方陣が六つ展開される。
隕石のように降り注ぐ大岩。
ひとつだけでも、数百トンはある重さである。
ベヘモットと言えど、これには耐えられない。
そう、誰もが思った。
棺にしては不格好な見栄えだったのだ。
「やったか!?」
大岩が、雪玉のようにガララと崩れ落ちる。
拳が、天を衝いていた。ベヘモットが、その中から起き上がる。
「……やって、ない!」
「肩がねえ、凝るんだよこの姿。マッサージありがとうね」
ベヘモットが表情を歪める。
それに応じて、彼の顔面を絶え間なく濡らしていた粘液がねちゃりと音を立て糸を引いた。
先ほど受けた爆破のダメージも、アリスの岩雪崩も、一切の痕を肉体に残していない。
「くっ……どうしよう……」
「どれだけ攻撃しても、ボクの身体は再生するようにできてるんだ。じゃ、今度はボクから行くよ」
ベヘモットが大きく口を開けた。
そして、まるで獣のように地に手を付けた。
「おぐっ……おぇっ……」
「これは……まずい、お前ら避けろ!」
セスが叫ぶ。
しかし、一秒遅かった。
ベヘモットの喉奥から、滝のように何かが溢れ出る。
酸のように、酸っぱい臭いだった。
吐瀉物であった。
「ミャ!」
ソレイユが、カレンの杖の上を走り、跳ぶ。
白い防護膜が展開され、あと僅かのところでカレンたちを覆った。
緑色の液体が、ガラスへぶちまけられたように滴り落ちる。
その中には、何の生き物かもわからない骨が混じっている。
「オヴェッ……。ゲホッ……。なんだよ、その猫。意味がわかんない」
「私たちにもなんだかわからない。今はただ、あなたを倒す」
「こんなに防戦一方でかい? これじゃあいつか、ジリ貧になるんじゃないかなッ!」
四本の腕を、空に掲げる。
ベヘモットの背後に、黒い魔方陣が浮かぶ。
ひとつ。ふたつ。みっつ。そして、よっつ。
這い出るように、化け物たちが姿を現した。
ひとつは山羊の頭部、蛸の胴体。
ふたつは獅子の身体に蜘蛛の眼。
どれも、背を震わせる姿をしてる。
「ボクはベヘモット。ある人はボクを獣王と呼ぶ。悪しき獣たちの……ね」
汽笛のような咆哮が、カレンたちの鼓膜を揺らした。
これで、四対四。
戦況が、引っくり返ってしまった。




