【第五十六話 臭いモノには蓋をしよう】
さっきまでヒトの形を保っていた残骸に触れる。
触れると砂になってしまうカコクセナイトのよう。
顆粒はロニアの指の間から、サラサラと流れ落ちた。
これでもかつてはニンゲンだったのだ。
こんな死に方はあっていいはずがない。
たとえ、それが罪人であっても。
ロニアはそう思いながら、ジャリジャリする手を握り締めた。
どうすべきかとロニアは考える。
ロニアの実力では、恐らく更に地下にある牢獄かナニかもあの鳴き声の主も瞬殺できる。
だが、今はアリスがいる。彼女を連れて回るのは、いくら実力者であれリスキーだ。
足元に積まれた顆粒の山を一瞥する。
その中に、奇妙なエーテルの流れを見た。
ロニアの持つような魔力が混じっていたのだ。
「……これは、天界の?」
白く、しかし無垢なモノ。
ロニアの力の源でもあり、天使たちの細胞と言ってもいい。
「けど……なんでここに? いったい誰が……」
もはや、一介のニンゲンである【ロニア・ロンド】がどうこうできる問題ではない。
レヴィアタンやアスモディウスのときのように、天使として対応しなくてはならない案件だ。
だが、シトリウス家での戦いではロニアの力が暴走していたとカレンに告げられた。
何かを隠していたような素振りだった。
ロニアの首筋にあるチョーカー、試練の鍵を見ていたのだろう。
そのため、あまり天使形態には移行したくないのだ。
迷いが生じたその瞬間。
背後で爆発が起きた。洞窟中に響くような衝撃波が、ロニアの腹に重低音として響く。
振り返ってみると、熊型砕獣が砲丸のようにロニアのもとへと吹き飛んでくる。
右脚。動き出した。体を屈め、前方に回転。
打ち返すように、蹴りを叩きこんだ。
まるで、未来への視察で見た球技のように。
生身の肉体と鉱物が触れたとは思えない破裂音。
その衝撃で、熊がバラバラに砕けた。
石を砕く獣ではなく、石のように砕かれた獣だ。
こちらに駆け寄ってくるアリスがそれを見て、かすかに唇を嚙む。
「も、申し訳ありませんわ~! 私の攻撃のせいで、そちらへ吹き飛んでしまいましたの!」
アリスは砕獣による粉塵により、まるで乾いた泥のような汚れを浴びていた。
「問題ない。アリスさん、タイミングを見て帰投しよう。これ以上は学生が踏み込んじゃいけない」
「え? どうしてですの?」
「まだ見えてるだろ。あの魔方陣」
言って、ロニアは部屋中に展開された無数の白と黒の魔方陣を指した。
唇を噛み締めながら、アリスもその方向を見つめる。
「……ええ。確かに、タダゴトではありませんわね。けれど、私たちなら対処できるのではなくて?」
「死にに行くのと同じだよ。相手はもはや砕獣とか魔法使いとかの領域じゃない。十二神徒か、伝承にも出てくるような天使かもしれない。信じてくれ。ボクは、誰も死なせたくないんだ」
まっすぐに彼女の銀色の瞳を見つめながら言った。
「……逮捕されていたはずのクロウルがここにいるそうだよ。テンプル協会の牢獄の厳重さはキミも知っているだろ」
「ええ。三重にも渡る防護壁と、看守全員が赤魔法のプロ。並大抵の人間は脱獄できるはずもありませんが……」
クリスタリアの教師といえど、ロニアが見た限りではクロウルよりも生徒であるアリスの方が魔法の扱いに優れている。
レヴィアタンと契約する前の彼に対してなら大した問題はない。
しかし、先ほどの男に混じった天界のエーテル。
状況が状況だ。
「行こう。この先は、ボクでも厳しいかもしれない。キミを危険に晒すと、カレンになんて言われるかわからない」
その言葉に、アリスは眉を下げて俯く。
「ですが……このままでは」
唸るような声が、彼女の喉から聞こえた。
「なにがあるのさ。どうしてアリスさんはここまで命を投げ出そうとするの?」
歯を食いしばる音が聞こえ、アリスが短く呼吸をした。
「私だって、あなたのように輝きたいのですわ! ロニアさんという眩しい太陽に隠れて、私という暗い影が伸びるだけ!」
雨が降った窓のように、アリスの頬を濡らす涙。
彼女の胸に当てられた左手は、感情の昂りをどうにか抑えようとしているようにも見える。
そして、杖を握っている右手はぷるぷると震えていた。
「どれだけ頑張っても、誰も見向きはしない……! だから、私は何かを成し遂げたいのですわ!」
「だからって、死んだら何も残らない。ワンダラーという姓は、禁足地に足を踏み入れるという意味なのかい? 違うでしょ」
「あなたには何もわかりませんわ!」
「わからないよ。わからないからこそ、死なせたくないんだよ。頼む、ボクの話を聞いてくれ」
アリスは破顔し、もはや悲しみを隠すことはしなかった。
泣きわめくことはせず、自己を保っているよう。
けれど、溢れる涙は隠しきれない。
「……おねがい、焦らないで。ボクが言ってもイヤミにしかならないかもだけど、二位でも十分じゃないか。ボクは、自分のせいで誰かが死ぬところをもう見たくない」
「なら……私はどうすれば良いのですの……? どうすれば、ロニアさんに近づけますの……?」
アリスはロニアに近づき、やがて彼の足元へ縋りつくようにしてへたりこんだ。
「逆に聞く。本当に、これが正しいコト? 命を賭して、もしも重体を負ったとして、与えられるコトバはどんなの?」
――きっと、賞賛ではなく叱咤だろう。
よくも無茶をしたな。よくもボロボロになったな。
「これが正しいとは思えない。家族は、どんな顔をすると思う? 死にかけの娘を見て、『よくやった』というような人なの?」
アリスは首を振った。
彼女の後頭部で結ばれた金糸のような髪が、犬猫の尻尾のように力なく揺れる。
「いっこ、教えてあげる。ボクは、本当の家族から捨てられた。追い出されたんだよ」
「ロニアさんが……?」
昔は、きっと目の前で泣かれても知らない顔をしていただろう。
たとえ、それがカレンであっても。
自分勝手で、傲慢なニンゲンだったのだ。
やはり、自分は変えられた。
母に。恋人に。友に。
これで、胸を張って自分はニンゲンだと言えるだろうか。
「でも、母さん。ああ、セス先生に引き取られてから、色んなヒトと出会ったんだ。みんなそれぞれ悩みを抱えている。でも、毎日をしっかり生きているんだ」
リウも、マチィナも、カレンも。劣悪な家庭環境に身を置いていた。
出来損ないと罵られた弟。
造られた存在と拒まれたこねずみ。
何も知らぬ父からのプレッシャーに怯える妹。
そして、かつての居場所を全て喪った天使。
奇妙な縁で絡み合い、今や生涯の友として、そして互いを愛し合う恋人として日々が流れている。
「ボクがどうして実行委員になったか。笑ってほしいヒトがいるからだ。そうでなきゃ、ボクはココにいない。今頃、キミは死んでいる」
「私は……もっとパパやママに喜んでほしいのですわ……。誇りの娘として、二人を安心させたい……」
「親からしたら、キミがひどく傷つくことのほうが嫌がる。大丈夫。今のキミでもじゅうぶん輝いているし、撤退した後のことは考えてあるから」
「あとのこと……?」
濡らした顔のまま、アリスは首を傾げた。
「よく聞いてて。ちょっと派手に行くから」
ロニアは、アリスの耳元で作戦を囁く。
アリスが目を大きく見開き、ロニアの腕を掴んだ。
「む、無茶ですわ! ロニアさんひとりが残るなんて!」
「まさに、キミがやろうとしていたこと。でも大丈夫。ボクはちょこっと頑丈だしすぐ戻るから」
強張っていたであろう表情をほぐし、微笑みを浮かべるロニア。
納得がいっていないようすのアリスだったが、ロニアの表情を見つめ深くため息をついた。
「……ありえませんわ。どうして、自分をそこまで盾にできますの?」
「ボクの行動指標にはカレンがいる。あの子が悲しむことはしたくない。それだけだよ。それに、アリスさんとも友達になりたいなって」
「わたくしと……」
「せっかく新しい友達ができそうなのに、すぐにいなくなっちゃったら悲しいんだ。ボクだって、泣くことはするよ」
アリスは拳をぎゅっと握りしめている。
ロニアが泣く姿を想像しているのか、彼女は天井を見上げていた。
涙に濡れた彼女の表情が、微笑により和らいだ。
彼女が袖で涙をぐしぐしと拭き、次に見えたのは高飛車な表情のアリスだった。だが、目元だけは赤く腫れている。
「……わかりましたわ! では、私は先に脱出します。どうか、おケガの無きよう!」
アリスが全力疾走をして去ってから数分後。
ダンジョンの入り口から、大岩が転がってきた。
質感が、この洞窟のものとは違う。
彼女からの合図だ。
「……さてと。じゃあ工事着工っと」
言って、ロニアは制服のボタンをひとつだけ外した。
息苦しいままでは、これからの作業に集中できないからだ。
とはいっても、短時間の簡単なものだ。
ロニアが、天界の魔法を使用することでこのダンジョンを内側から潰す。
その後、入り口を結界で幾重にも塞ぐという作戦だ。
「一節部分解錠。鍵は『ナウム-その1』」
ロニアの足元に広がるのは、歯車状の魔方陣だった。
ギギギという音が響き、やがて機械的な声が鳴る。
【認証。仮定的赤魔法:誰が抗えようか。主の怒りに、岩は砕け散る】。
ロニアが指を鳴らすと、閃光がパチっと走る。
それを最後に、ロニアの視界は白熱に覆われた。
耳をつんざくほどの轟音と衝撃。
燃えるガスの、灰のような臭い。
地盤が揺れ、頭上から崩れた岩が落ちてきた。




