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天界を追放された堕天使は、正体を隠して眠りたい  作者: 葱色信号
第一部最終章:学院祭編

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【第五十五話 獄囚】

 その人影から流れる音。いや、歌というべきだろうか。

 牧歌のようにも聞こえるそれが、まるで熊を導いているようだ。

 長閑さの象徴ともいえるメロディが、いまは迫りくる波のような焦燥感を掻き立てる。


 なによりもその異質さを強調させるのは、その歌詞にあった。

 普段、人間界でも一切使われないような、ひどく懐かしい言葉だったのだ。

 現に、アリスが耳元でロニアに囁いた。


「ロニアさん……あれ、なんですの……?」


「……オカルトの範囲だけど、あれはれっきとした言語のひとつだ。【エノク語】っていうやつ」


「えのく……?」


「天使の言語だ。とは言っても、ボクも小耳にはさんだ程度だけどね」


 まさか、ここでこの言語と出会うとは思わなかった。

 天使同士で使われるモノで、人間でこれを知るのは十二神徒でも初代の面々だけである。

 ロニアがかつて人間界に降臨した際にも、神徒たちとこの言語を介して話し合った。


「物知りなのですわね……」


「そりゃ、学年一位だから」


「……はいはい。悔しいですわ」

 

 やがて、ロニアたちの眼球が暗闇を捉え始めたころ。

 ついにその正体が見えた。


 跨がっていたのは、人間だ。

 頬はひどく痩せこけ、眼窩は窪んでいる。

 腕は枯れ枝よりも細く、ぼろぼろの布切れを纏っていた。


 あの姿は、まるで囚人のそれ。それも、重罪を犯した極悪人。


「……流刑か」


 なぜ、眼前の男がエノク語を知っている?

 眼前の男は、天界の聖性とはまったくの無縁に見える。

 それどころか、地獄にむしろ近い。


「アリスさん。これからあいつらが去るまで、息を止められる?」


「なんとか、頑張ってみますわ」


 大きく息を吸い、アリスは頬を膨らませたまま呼吸を止めた。


 熊の大群はいまだ終わることを知らない。

 のそのそと歩くその影は暗闇の中でひとつに溶け合い、黒い波となっている。

 地盤がわずかに揺れるのは、群れのせいだろう。


 エノク語とは言えど、男の歌は酷く訛っている。

 そのため、断片的にはこう聞こえた。


『角笛鳴らせ、琴を奏でて鼓に踊れ。弦を弾き笛を奏でよ。そして主を崇めよ』


『尊大に怒り、嫉妬に喘ぎ、止まらぬ慾をみな喰らい、岩のごとく眠れよ』


 かつて人間の歌った祈祷と似てたが、何かが違う。

 その違和感の正体を頭の中で列挙する。


 神――ありえない。

 ヒト――そんなはずはない。


 ならば最後のひとつは……。


「……悪王(サタン)か」


 そうだ。歌う男は、神ではなく悪魔の王に祈っている。

 知るはずもない言語を用いているのは、天啓か。


 しかし、ロニアの知るサタンは天啓を授けるような人物ではない。

 昔、地獄へ視察に行った際、サタンに軽くあしらわれたからだ。

 『ヒトのコトなんてどうでもいいです』などと言っているような女だ。


 今更、気が変わるということはない。

 

 ロニアの言いつけを正直に守っているアリスは、何も言わずに首を傾げた。

 その目は、『サタンとあれに何の関係がありますの?』とでもいいたげだった。


「そのことはいい。とにかく今は、あれが過ぎ去るまで待とう」


『ああ、十二の翼。神に似たる美しきわが君。今戻れよ。今帰れよ』


 事態が変わった。彼が歌っているのはサタンではない。

 いや、正確にはサタンではあるのだが、それの原型。

 ルシフェルだった。


 突然、洞窟内がぱあっと明るくなった。

 空間中に張り巡らせていた、黒と白の魔方陣だった。

 交差するように展開されている。


 熊の大群が、みなロニアたちに視線を注いでいた。

 生気のない無数の相貌と、熊に跨る骨のような男。


『して、堕天した愚か者には裁きと光あれ』


 三百を超える熊型砕獣の咆哮が、腹部と鼓膜を揺らした。


「……ぷはぁっ! ロニアさん!」


「チィッ! アリスさん、戦うよ!」


 アリスが、懐から銀製の杖を取り出した。

 手のひらサイズの小さなものだが、秘められた蒼魔石によるエーテル数は多大だった。


 アリスの背後に赤い魔方陣が4つ並ぶ。

 彼女が杖を前方に突き出すと、そこからは星のような岩石が降り注いだ。

 赤魔法の無詠唱。熊型砕獣は頭部と前足を抉られ、崩れた。


 男が首を骨をすり潰すような音を鳴らして捩じり、ロニアたちを窪んだ眼でにらんだ。

 口元からは涎が垂れ、理性は残っていないようだったが、それでも会話はできるようだ。


「生きている、子供? 見ている。俺? 罪がある? 俺はある」


「何言ってんだあいつ。罪? そんなもの、知らぬ間に積み重ねているもんさ」


「ちがう。違う? それは罪じゃない。俺は罰」


 言葉は通じるが、話は通じない。もっとも厄介なタイプだ。


「教えろ、アンタはどうしてここにいる?」


「罪。麻。あったかい寝床。暗い下。石畳」


 罪。石畳。あったかい寝床。つまりは、牢屋のことだろうか。

 罪を犯し、石畳の上に敷かれた麻の寝床はやつらにとってはあたたかい。

 ならば、暗い下の意味が分からない。


 アリスは、ロニアの隣で迫りくる熊型砕獣を次々と粉砕していた。

 さすが学年二位だと感嘆する前に、ロニアの前にも熊がとびかかる。

 ロニアがそれの存在を確認すると、足元の岩肌が隆起し熊を串刺しにした。


 ロニアの右つま先に展開された、超微小の青魔方陣。

 物体の性質を移動できるのが青魔法の特徴であり、今まさに足元の岩が槍となったのだ。


 左足にもそれを展開すると、もはや洞窟の岩肌は生命を得たように動き出す。

 ロニアを主とし、岩の熊を並べて砕いた。


「さすがロニアさんですわね!」


「アリスさんも、四台並べての無詠唱なんてスゴイね」


 だが、敵の軍勢は十重二十重。

 狩っても狩っても、熊は尽きない。

 それどころか、仲間を食らい巨大化しているモノもいる。


 余裕そうに見えているアリスだが、じんわりと冷や汗が垂れている。

 魔力切れか、それとも悪環境のせいか。

 どちらにせよジリ貧だ。


 ――彼女だけならば。


「アリスさん。ボクの魔力貸そっか?」


「いいえ、まだ戦えますわ。それよりもあの男、逃げようとしていますわよ」


 熊の群れに隠れて、男は背を向けて跨っている熊を走らせた。

 一説には、熊は馬よりも速く走ることができるという。

 今動き出さなければ、きっと謎は暗い坩堝(るつぼ)の中で眠るまま。


「行ってくる。ちょこっとこいつらを片付けながらだけどね」


 つま先で地面を叩く。

 岩。抉れて広がった。

 八叉に割れ、熊の波を押し出す。


 ロニアは抉れた地盤に飛び乗る。

 押し出すような風が頬を撫でた。


 翼がなくとも、環境を利用すれば飛ぶよりも有用なことがある。


 天井スレスレに広がった地面は隆起し、やがて男に追いついた。

 上空。飛び降りる。青魔法で、跨っている熊型砕獣の皮膚を変形させた。

 それはひも状に変わり、男に巻き付く。

 

 ロニアがひもを引っ張ると、男は転倒した。

 彼はその場で転がり、熊はどこかへ逃げて行った。

 大きさからみるに、あれは群れの長だったのだろう。


「赤。針。岩。痛く痛い」


「普通に『痛い!』って言えないのかね」


 言って、ロニアは男の顔を眺めた。

 まさしく極悪人といった顔つきだが、一切の表情が消えている。

 笑いもしない。怒りも、悲しみもしない。


 まるで、ただの()()である。


 ロニアに紐で巻かれたままの男は、それでも尚どこかへ向かおうとした。


「どこ行くんだよ」


「帰る。暗い下。俺たちの家。午前二時。工場。仲間たち」


「また、暗い下か。それはどこにあるんだよ」


 男は、振り返って人差し指を足元に向けた。


「……ここにあるっての?」


 男はうなずいた。


「待ってる。空の星。俺たちの俺」


 埒が明かない。そう思ったロニアは、アリスから離れているので母語で話すことに決めた。


『ヒトの言葉を忘れたようだな。もう一度聞くが、どこに行くんだ』


 男は、陰に隠れた瞼を大きく見開いたようにも見えた。

 やがて、ずれた衣服を整えてロニアを見た。


『俺たちは罪人。今から、牢に帰る』


『その牢は、この下にあるんだな』


『然り。主が待っている。友が待っている。新たな仲間を待たせている』


『新たな仲間?』


 男は振り返り、よろよろと歩き始めた。

 下がっている肩により、彼の衣服がずれる。

 ロニアは思わず息をのんだ。


 彼の背中にあったそれ。


『翼……? 未成熟だが……ヒトの身で?』


『俺たちの印。【午前二時の人形】たちの証。さて、クロウルの坊主を待たせている』


 クロウル。収監されていたはずの、クリスタリアの教師。

 かつてロニアたちを陥れようとした、嫉妬にまみれた卑劣な男。

 奴が、この腹減りの翁の地下深くにいるのだそうだ。


 男は、目の前に広がる大きな洞穴へと足を踏み入れようとしたその瞬間。


 がららと音を立てて、砕獣のように砕け散った。

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