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天界を追放された堕天使は、正体を隠して眠りたい  作者: 葱色信号
第一部最終章:学院祭編

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【幕間その三 泥と白い無垢と鉄の女】

過去編です

 これほど車軸を流すような雨は久しぶりだ。

 屋根を、そして窓をバンバンと叩くようでは、私はおちおち寝ていられない。

 やかましい空間だと眠りが浅くなり、明日の授業に支障が出るからだ。


 しかし、かえって不眠のままでもいけない。

 だから、雨は嫌いだ。


 生徒たちの提出した砕獣学の課題を採点しながら、私――セス・アダマンティアは欠伸交じりに紅茶を口の中へ流し込んだ。

 まだにわかに温かいそれは、食道をまるで溶かすような熱で通過し胃に落ちる。

 じんわりと熱気が腹部に広がり、空きっ腹にはそれがむしろ痛いほどだった。


「不正解。不正解。ん、この解釈は好ましいな。加点しておこう」


 いつ生まれたのか、正確には解っていないのが砕獣という生き物だ。

 両親、祖父母、曾祖父母。それよりももっと前から存在していたと云う学者。

 地獄の王により作られたと宣う陰謀論者。


 死した生き物を模倣する()()は、やがて複雑さを帯びていく。

 鳥型砕獣は蹄を得る。馬型砕獣は鰭を得る。

 年々その奇妙な個体は増えていく。

 

 もはや原型がわからないほどに、それは形を変える。


 私は溜息をつきながら、カーテン越しに見えるクリスタリア魔術学院を眺めた。

 雨粒の白霧越しに見えるのは、夜闇に淡く輝く防護膜。


 遥か昔、この国を襲った大砕獣がいた。

 名を、伝承外典の終末戦争から引用し【ラグナロク】と呼んだ。

 奇妙なのは、私がまだ生まれてすらいないというのに、それは数多の生き物の生態を持っていたからだ。


 鳥類、魚類、哺乳類、虫。

 爬虫類、霊長類、貝類に微生物。

 

 謎が謎を呼び、調べるほどに輪郭が崩れていくのが砕獣。

 だからこそ、私は戦いを捨て学問の門を叩いたのだ。

 力だけでは勝てない。知恵こそが活路を拓くのだと。


「おっ、この生徒の指摘は良いな。『砕獣が模倣した愛玩動物を、果たして前と同じように愛せるでしょうか』か……。確かに、別物だからな」


 私の授業は退屈ではないと思っている。

 ただ、それは教師のエゴであり生徒がどう感じるかだ。

 私と子供たちの間では、世代間の隔たりがある。


 だが、この生徒は素晴らしい。眉目秀麗で、人付き合いがとても柔らかかった。


「名前は……カレン・フランカ・クリスティーナか。学院長のお孫さんね。加点っと」


 贔屓はしない。立場など、結局はただの道具に過ぎない。

 真に大事なのは、どのような生き様を目指しているかだ。


 28年生きてきたが、この考えに至るまで血に塗れすぎた。


 採点も区切りがつき、私は自室のソファに飛び込む。

 肩や腰が、パキパキと弾けるような音を響かせた。


「くっぁああ……疲れた……」


 眼鏡を付けたままだったが、仕方のないことだ。

 疲労困憊では、当然の事すらもこなせなくなる。


 このまま微睡みに落ちてしまいそうだ。

 そう思いながら瞼を閉じると、玄関のドアをノックされる音が響いた。


 「誰だぁ~? こんな時間に……」


 不機嫌さを顔に表しながら、私はガチャリと玄関のドアを開ける。

 室内で籠っていた雨音が鮮明に聞こえ始め、外で立っていたのはびしょ濡れのイザラム学院長と濡れ鼠の白髪の少年だった。

 少年はカタカタと震えていたが、その目には突き刺すような殺気で満ちている。


 自らの体を抱き寄せるその白い腕は、不健康すぎるほどにやせ細っていた。


「悪かったの。こんな大雨の夜に訪れて」


 表情を変えずに、学院長は隣の少年の肩に触れる。

 彼はビクッと縦に伸び、その手を力強く叩いて拒絶する。


 大雨にかき消されそうなほどにか細い声で、『触るな』と言ったのを耳にした。


「学院長……この子は……?」


「空が突然明るくなったじゃろ。儂は雷かと思ったんじゃが、それにしては眩しすぎると思うて。エーテルを辿ってみたら、この子がいたんじゃ」


「……誰が、ボクの姿を見ていいと言った……」


 顔を伏せながら、その少年は怒気のこもった圧を放つ。

 しかし、その声は震えていた。


「……奇妙な子ですね。ですが、どうして私に? 学院長のお宅でも良いのでは?」


「バカモン。うちにはカレンがおる。あまりあの子を振り回したくないんじゃ」


「ですが、クロウル君やセブチカ先輩もいるはずですが……」


「クロウルは性格に難あり、セブチカはカタブツだし酒臭い。君しか適任がおらんのじゃよ」


 釈然としないといった表情で、私は首を傾げた。

 だが、どうしてもこの少年を見ていると胸が痛む。


 きっと、この子は――。


「捨てられたんですね」


 私のその言葉に、少年はキッと鋭い眼光を向けてきた。

 だが、その目元は赤く腫れている。


「オマエに……ニンゲン風情になにがわかる……!」


「……人間不信のようじゃから。君は厳しいが、それでも若者の立場にいられるだろう。たのんだよ」


 言って、学院長は霞となりその場を去った。

 面倒ごとを押し付ける時は、いつもああやって逃げる。

 

 私は頭を掻きながら、目の前の少年の泥だらけになった服に触れた。


「……変な装飾だな。どこかで見たことがあるが……まあいっか。君、名前は?」


「……教える道理はない」


「はあ……。こっちも困るんだよね、教えてくれないとさ」


「知らなくていい」


 頑固だな。

 昔の、反抗期時代だった私を思い出す。

 しかし、泥だらけで震えたまま立ち話をするのもかわいそうだ。


 私は、彼の手を握って部屋に招き入れた。

 後ろでギャイギャイ何かを叫んでいるが、聞き入れることはしない。


 行く先は浴室だ。

 採点が終わったら入浴するつもりなので、ちょうどよい。

 いちいち着替えるのを待っているだけでは必ず脱走される。


 私は、互いに着衣のまま浴室に入った。

 シャワーヘッドを掴み、温水に設定。


 蛇が舌を鳴らすような音を立てて、温かい水が放たれる。


「うわっ! やめろ! それを止めろ!」


「止めない。まずは、その()を洗い流してからだ」


 思えば彼は裸足だった。

 頭寒足熱とはよく言うが、これではひどく寒い思いをしたのだろう。


「放っておいてくれ! ボクはもう何もないんだ!」


「そんな悲しいことを言うな。こんなに綺麗な肌と髪を持ってるのにな」


「そんなモノ、欲しけりゃいくらだって!」


「これは君だけのアイデンティティだ。誇りなさい」


 誇るなんて。そう言って、彼の言葉は小さくなっていった。


 子犬のように吠えていた少年は、やがて小さく縮こまった。

 自身の足元に、泥が溶け落ちていくのを見ている。


 その様に、私はどうしようもなく愛おしくなった。

 彼の綺麗な白髪を。彼の白磁のような肌を。

 さっぱりと洗い流し、彼は私の方へ振り向いた。


 紅玉のように真っ赤は瞳は潤んでいる。


「……ロニア」


「え?」


「ボクは、ロニアだって言ったんだ」


「そうか、いい名前じゃないか」


 私は、雨水ではなく温水に濡れる彼の頭をぽんと叩いた。

 撫でてやると、彼は目を細めてそれに委ねている。


 すると、低く響く音が鳴った。

 ぐぅうという音が。


 私の物ではない。何せ、夕飯は二時間前に済ませたから。

 であれば、この悪魔の唸り声のような音は彼からだろう。


「お腹すいたのか、ロニア?」


「うるさい……気安く呼ぶなっ」


 ぷいっとそっぽを向く彼だったが、耳元が紅くなっていた。


 私の服ですらも、彼にとっては大きいようだ。

 155cmの小さな体。ならば、食べ物もそこまで多くない方が良いだろう。

 ロニアは、私のふかふかなソファに我が物顔で座り込んでいる。


「何が食べたい?」


「別に。ヒトの食べ物なんて……」


 私は夕食で残ったパンの残りをバスケットから取り出した。

 ニンニクとバターをしみ込ませ、サラミを乗せて軽く炙ったものだ。

 少し冷めている。飲み物の準備をするついでに、炎属性のエーテルでパンを温めた。


 こっそり、彼のものにはチーズを挟んでおいた。

 だいたいの子供はチーズが好きだから。


 ――多分。


 香ばしい匂いが部屋を満たす。

 食事を済ませた私ですら、腹の虫が目覚め始めた。


 ロニアと名乗る少年も鼻を鳴らている。

 私は見逃していない。彼の口元に流れる涎があったのを。


「……それ、食べる」


「はいはい。今準備しているからな」


 エーテルが私の耳元に完成を伝えると、確かにパンに触れたら温まっている。

 これならば、傷心した少年の心を少しぐらいは癒せるだろう。


 皿に盛りつけると、気づけば彼は私の足元にいた。

 たわんだズボンの生地を掴み、物欲しそうに私の顔を覗き込んでいる。


「こらこら、食べるならテーブルに座ってから」


 私がそう言うと、彼は本当に食卓の上に腰かけた。


「そっちじゃないってば。椅子ってこと」


「……ちゃんと言わないから」


「はは、すまないね」


 この子は、いったいどんなところから来たのだろう。

 白髪で赤目。忌避されているような口ぶりだった。

 北部に、同じような特徴を持つ傭兵の一家がいた。


 それの末裔だろうか?


 しかし、考えていてもわからない。

 彼は椅子の上で、はやくはやくと足をぶらぶら揺らしている。


 私が皿を食卓に置く前に、ロニアはパンにがっついた。

 彼のその表情は、とても幸せそうに映った。


「はふっ……んぐっ……! あふッ……! あふいッ!」


「ゆっくりでいいからな。誰も君から逃げない」


 守ってやりたい。そう思った。

 私は、この孤独な少年の母になろう。そう決めた。


 そのためなら、どれだけ差し伸べた手を振り払われたり噛まれようとも、この子を肯定してやれる存在になる。


 きっと、ひどく傷ついたのだ。


「私はセス。セス・アダマンティアだ。君の、母になってあげよう」


    ─────────◇─────────


 四年ほど経っただろうか。

 世間知らずだったロニアをみっちり鍛え上げ、いよいよクリスタリア魔術学院高等部への入学の日。

 書類上では、高等部二年生での編入という形だが、学院長が根回ししてくれた。


「母さ~ん、ネクタイ苦しい~」


「わがまま言うな。今日から学生だろ? しゃんとしろ」


「もう……。頑固さんなんだから」


「頑固で結構。それに、変な勘違いされるから学院内では【母さん】と呼ぶなよ。敬語でも接すること」


 まだ人付き合いには早い。

 この子を男子寮に入れるには、学校という雰囲気に慣れてからだ。


 もしもこの子に友達ができたら、私はこっそり家で泣くだろうな。

 そう思いながら、制服を着た()()の背中を先に見送った。


「じゃあ、行ってくるよ。母さん」


「ああ。何かあれば、すぐ私を頼れよ。私もこれから向かうから」


「あ、じゃあさ。おんぶしてってよ。ボク、疲れるの嫌だし」


「バカ言うな。疲れただなんて言った日には、私はお前を引きずって通勤するからな」


 鬼教官とロニアが言った。

 なら、鬼教官のままでいい。


 息子が、しっかりと巣立てるようになるまでは。

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