【第五十一話 このエンブレムにかけて】
からん。
食器が食卓に落ちる軽快な音が、賑わうカフェテリアに響いた。
桃髪の少女マチィナは開いた口が塞がらなかった。
信じられないといった表情で眉間を指で押さえる赤髪の少年、リウ。
そして、時が止まったかのように動かなくなったカレン。
「ま、待ってくれよロニア……。えっと? 学院祭の実行委員長は誰がやるんだっけ?」
「ボクだね」
「実行委員長の意味は知ってるですか?」
「バカにしないでよ。知ってるさ」
マチィナとリウは互いに顔を見合わせ、再びロニアの顔を見る。
これを二度行った。
「……いやまあそれはいいんだけどさ、カレン? 意識飛んだ? おーい」
カレンの眼前で手を振ってみるも、ぽうっとした表情で唖然としている。
目を開けたまま気絶しているのかもしれないので、無礼を承知で彼女に触れてみるロニア。
肩を掴んで揺らしてみると彼女の茶髪の三つ編みが揺れ、石鹸の香りが鼻をくすぐった。
しばらくして、茫洋としていたカレンの蒼い瞳に光が戻った。
「……はっ! ごめんごめん、あんまりにも信じられなくって……」
「だろ。ボクも信じられないけどさ、先生の頼みだからって断れなくて。それに、キミも実行委員なんだろ? ボクも手伝いたいなって」
「おお、聞いたかよマチィナ」
「はいなのです。もう隠す気もないのですね」
相変わらず冷ややかな視線を浴びるロニア。
もはや慣れたもので、この冷ややかさはカレンの傍にいるときの熱で中和できることに気づいた。
いわば天然暖炉。
最近になって気づいたのだがリウとマチィナも同じような関係なはずだ。
なにせ、ロニアとカレンのそれと同じぐらいに距離が近い。
どちらも、そういった方面では枯れているのだろうか?
ロニアは頭の中でハテナを浮かべた。
ニンゲンの恋慕には非常に疎いし奥手である。
かつてセスは『人間の関係には無数の違いがある。それをしっかり学ぶんだぞ』とロニアの頭をわしゃわしゃと撫でながら言ったことがある。
無数の違い、というのがあまり理解できなかった。
ヒトはヒト。それ以上でも以下でもない。
確かに同一人物はこの世界に存在しないけれど、それでも何かしらは似ているものだ。皆同じなのではないかとすら思っている。
長らくニンゲンを見てきたが、どれも同じ道を歩み同じ結末を迎えていた。
古代文明の繁栄と衰退。
英雄王と呼ばれた男の凱旋。征服王の蹂躙。
どれも、似たり寄ったりだった。
「キミたちもさあ、ボクたちを『バカップル』だなんて呼ぶけど。そういうキミらだって熟年夫婦とかいうやつなんじゃ?」
今度はこの二人が固まって動かなくなった。
ロニアたちを揶揄っている表情のままだ。
しばらくすれば戻ってくるだろう。
彼らを放っておいて、ロニアは自分のチーズパンに齧りついた。
パンの表面には入念に塗られたバターが香り、まぶしてある塩により絶妙な味わいを保っている。
それだけではない。
パンの内からは、この寒さなのにも関わらず固まっていないチーズがとろりと流れた。
焼く前に、炎属性のエーテルを塗布したのか。
口いっぱいに広がる濃厚なミルクの風味と熱気。
これは、フォカッチャの次に好きな食べ物になりそうだ。
ロニアは美味しさに目を細めながら、小さな頬を膨らませている。
カレンが微笑みを向けてきているので、やはり寒くはない。
そんな時だった。
「あ、委員長!」
やはりこう呼ばれるのは慣れない。何せ、思わずカレンの方を見てしまったからだ。
自分に委員長という肩書がのしかかるとは思わなかった。
「……あ、ボクか」
「実行委員長の腕章、できましたよ!」
そう言った女子生徒の手には、仰々しいイラストと共に【実行委員長】とルーン文字で書かれてある青い腕章があった。
彼女はロニアの近くに駆け寄り、ロニアの右腕を持ち上げた。
力なく、まるでそれをただ受け入れるだけのロニア。
抵抗は無駄だと知っているからだ。
パチンという音を立てて、腕章がはめられた。
蒼魔石により作られた模様が、両端で結合し浮き上がる。
「……はいっ。これでオッケーです! では、これからよろしくお願いします、委員長!」
女子生徒が深々と頭を下げた。思わず、ロニアも軽く会釈を返す。
「あっ、すごいねロニアくん。なんだか似合ってるよ!」
「嘘つけ~。ボクが誰かの上に立って指示するのはとっても苦手なんだよ~?」
日向ぼっこをする猫のように、どこか間延びした口調。
「でもでも、ロニアくんは戦いになるとズバズバと指揮してくれるよね」
「油断して怪我でもしたら、ボクの目覚めが悪いの」
少しだけ、隣に座っている彼女に近づいた。
彼女も、ロニアに距離を寄せる。
「……ボクのいないところで、無茶しないでね」
「すぐに助けてくれるでしょ? 私の天使様」
「ねえ、カレン。ニンゲンから見た天使ってなに?」
猫のロニアを仕舞いこみ、真顔で彼女に問いかける。
なぜ、彼女は恐れないのか。なぜ、彼女は距離を置かないのか。
どうして、いつものカレンでいられるのか。
「……どうしたの、急に?」
きょとんとした様子で、ロニアを眼鏡越しに見るサファイアの瞳。
「いいから教えて。天使って、なんだい?」
「う~ん、そうだねぇ。伝承の大天使とかじゃなくて、ただの天使かあ。キューピットさまみたいに、カワイイタイプかな?」
「てことは……」
「あなたはキューピットってこと」
指先で、額をとんと突かれた。あぅっ、という情けない声が喉から零れる。
まるで体中の骨と脊髄を抜かれたように、がくんと脱力した。
嫌われたり、畏れられたり。
とにかく今までの関係が壊れるのが怖かったのだ。
しかし、自分の杞憂がこんな形で打ち砕かれるとは。
カレン・フランカ・クリスティーナ、恐るべし。
「えっと……イチャイチャしてるところ申し訳ないんですけど、委員長。カレン先輩。早速、準備室に来ていただいてもよろしいでしょうか?」
瞬間、ロニアの脳裏に電撃走る。
面倒ごとを察知すると、こうして鎖の代わりに稲妻が走ることがある。
そして、委員長としてのタスクというのは厄介で退屈だとも知っている。
さあ、どう抜け出そうか。
口元に手を当て、数式や魔方陣構築式を何重も組み立てた。
「あ、うん。わかったよ。でも、これから行くの?」
「はい。ちょっと、お二人の力をお借りしたくて……」
横目にロニアをちらりと見るカレン。
「おっけー。ほら、行くよロニアくん」
さあ、どう耐えようか。
カレンに引き摺られながら、ロニアは準備室へと向かった。
――リウとマチィナは、まだフリーズしたままだ。
踵が均されて平らになってしまう前には到着した。
入り口はいつもの教室となんら変わらない。
小さなドアが、手前と奥にある。
女子生徒がエスコートすると、数名の生徒といつになく微笑んでいるセスを見かけた。
彼女の足元には、不気味な生き物を模した看板が今まさに完成されようとしている。
鷹に、トラを足したような胴体。直翅目の虫のような脚部。
いったい、どこの時代のニンゲンがこんなものを作るのか。
カレンも、小声で『なにこれ』とこぼしていた。
「おお、ロニア! 見てくれ、今期のマスコットだ!」
「なにこれ。実験に失敗したホムンクルス? 今期は弔いがテーマなの?」
「違う違う。リウの故郷にな、為虎添翼っていう言葉があるんだ」
確か、強者がさらに勢いを増すときに使われる言葉だ。
虎が翼を得れば、何人たりとも敵わない。
ニンゲンらが魔法を手に入れる前の言葉だ。いったい、どこで覚えたのだろうか。
「じゃあ虎に翼つけなよ。なんで鷹の顔に虎の胴体なのさ。なにこれ、ケンタウロスの残った部品かよ」
「馬の顔に人間の下半身か。それもアリだな」
「ナシだよ」




