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天界を追放された堕天使は、正体を隠して眠りたい  作者: 葱色信号
第一部三章:シトリウスのこどもたち

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【第四十八話 おはよう】

 閉じられた瞼がきゅうきゅうと押さえつけられるような感覚。

 陽光がわずかな隙間から瞳に侵入し、それが覚醒の引き金となった。

 

 じわじわと雪解けのように手先足先の感触がよみがえる。

 左手に、ロニアは知らない感触があった。


 窓枠から入り込む冬の冷気とは対照的な、春の花園のような温かさ。

 重々しく瞼を開き、にわかに痛む上体を起こす。


「……カレン?」


 自身の手を握ったまま、すうすうと寝息を立てるカレンがいた。

 寝床にいた自分とは違い、突っ伏するように彼女は眠っていたのだ。


「……ふふ、目覚めましたね。本当に、このコはアナタのことが好きなんですねえ」


 化粧台の鏡越しに起床したロニアへ笑いかけたのはラファエルだった。

 ドレッサーに置かれてある古い化粧品を指先でもてあそんでいる。

 どうやらここは、かつてのシトリウス夫人の部屋だった。


「ラファエル……さん? どうして人間界にわざわざ」


「どうしたもこうしたもありません。カマエルが失くしたといっていた試練の鍵は、まさかアナタが持っていたんですか」


「へ? カマエルさんがなんで?」


「知りませんよ。アナタをずっと監視していましたけど、まさかそれにはステルス機能があったなんて」


 ロニアは首をかしげながら、左手で首元のチョーカーに触れた。

 燦々(さんさん)と煌めいていたウリエルの金光はない。


 宝石たちが、ときどき陽光に瞬く程度だった。


「プライバシーとかないんですか?」


「堕天使にあるとお思いで?」


「ひぇえ」


 天界の天使どもは、やはり規律を重要視するせいで個々の意見を無視するきらいがある。

 特にガブリエルを除いた熾天使三人とザドキエルはマニュアル人間だ。

 いや、マニュアル天使だろうか。ミカエルは、それが顕著である。


「……あんまり、それを使わないでくださいね」


「ボクも、使いたくないです。泥酔した翌日みたいな不快感がずっとあるんですよ」


「それだけではありませんよ。使うたびに、アナタは()()に蝕まれる」


「過去、ですか?」


 ロニアはうつむき、皺の波が浮かんでいる純白のシートを左手で握りしめた。

 ひんやりとした感覚が、どうにも心地よかった。


「覚えていませんか? アナタの過去を」


「実は……あんまり。自分が何かであったことは知っているんですけど」


 ロニアは、ラファエルを絶望させると思っていた。

 だがその予想を裏切り、ラファエルの表情は綻んでいた。


「え……なんで笑っているんですか? いや、笑えたんですか? え、キモ」


「知らなくていいですよ。あなたの過去は。ああ、それと――」


 ラファエルが、突如ロニアの左側に移動した。

 瞬きすれば、そこにいたのだ。

 魚の生臭さが広がる。伝承でも、なにかとラファエルは魚に縁があった。


「忘れていませんよ? 赤髪の彼を鍛え上げていた時に、ワタクシの像を壊したの」


「げ」


「ふふっ、今日は見逃してあげますが、次会ったときは覚悟なさい?」


 心の中で、また会うことがないようにと願った。

 どんな理由であれ、熾天使が人間界に降り立つときは大抵ロクでもない理由がある。

 ウリエルもラファエルも、大罪が現れたせいで降臨した。


 なら次は、ガブリエルだろうかなどと考えてみる。

 ミカエルではないことを、心から願った。


「――では、ワタクシはここで失礼しますね。あんまり羽目を外し過ぎないように。ワタクシたちは、見守っていますからね」


「トイレとか寝てるときぐらいはほっといてくださいね」


「はいはい。――またね」


 言って、ラファエルは雲に包まれて消えた。

 昔なじみの顔が、今はほんの少しだけ恋しい。


 コンコンとした軽快な音が、マホガニーのドアを叩く。

 廊下から甲高い声が聞こえてきた。これは、マチィナだろう。


『えぇ~!? あの二人ヨロシクやってるのです!?』


 どうやらあらぬ勘違いをされているようだった。

 それを晴らすためにも今すぐに起き上がってドアを開けたかった。

 しかし、眠っているカレンを起こすわけにはいかない。


 こういうときにこそ、魔法の出番だ。

 緑魔法の衝撃(クェイク)により、ドアがゴンッと叩かれる。


『わわぁ! プレイが激しすぎるですよぉ!』


 桃色が、ついに脳みそまで達したかと笑うロニア。

 同伴しているであろうリウが、きっと彼女を宥めた。


 やがて扉が開かれると、やはり二人がいた。

 マチィナの手には、銀色の皿に盛りつけられたリンゴがある。

 普通、こういったものはウサギの形をしているが――。


「ねえ、なんで猫なの? てかだれが作ったの?」


「お姉ちゃんたちと作ったのです!」


 そこにあったのは、居眠りをする猫。

 ひとつのリンゴからは到底作り出せないようなそれは、もはやアートだった。

 わずかな毛色の違いすらも計算され尽くした傑作。


「ねえ一応訊くけどさ、これって食べ物だよね。『見てすごいでしょこれ』っていうために持ってきたんじゃないよね?」


「むぅ、ロニア君は疑り深いなのですね! 正真正銘、お見舞いなのですよ! それとも、()使()()は食べないのです?」


「あはは、だよね。ごめんごめん」


 頬を膨らませるマチィナの姿は、いつもの彼女のそれだった。


 マチィナは周りを見渡すと、首を傾げた。


「あれ、あのキレイな人はどこなのです?」


「ラファエルさんならもう帰ったよ。あのヒトも忙しいからね」


 天使の中でも、熾天使は特に多忙だ。

 ああして世間話ができたのは奇跡といっていいだろう。


 天使であるロニアが、奇跡を語るのもおかしな話だが。


「容態はどうだ、ロニア?」


「快調……ってわけでもないね。まだ身体が痛むよ。二日酔いみたいなね」


 マチィナがリンゴを差し出してきたので、ロニアはそれを口に含んだ。

 ほんわかと甘い香りが鼻腔を包み、咀嚼すると甘酸っぱい果汁があふれた。

 しゃりしゃりとした触感は、病み上がりの肉体にやさしく響く。


「飲んだことねぇから……わかんねぇや」

 

「気持ち悪いってコト。食道あたりでいろいろグルグル回ってる」


「うげ、吐くなよ」


「わかってるって。酒は飲んでも飲まれるな。いつかオトナになったら肝に銘じといてよ」


 ロニアの言葉に、マチィナは納得がいかないような表情を見せた。


「……てことは、ロニアくんはお酒飲んでるです? 悪い子なのです」


「あ~っとね、ボクって実年齢はウン万を超えてるんだあ。余裕で飲めちゃうんだよねぇ」


「でもその体は十七歳なのです!」


「天使だったときに飲んだってことなの!」


 ぎゃいぎゃいと騒がしくなってきた寝室。

 くだらないことで舌戦とも呼べないようなじゃれ合いを繰り広げるふたりに、リウは苦笑を浮かべた。

 彼は大きく伸びをすると、窓際へと歩いた。


 抜き足差し足。

 カレンが、微笑を浮かべながら眠っているからだ。


「しっかし、長い夜だったなあ」


「そうだね。もっと、このヒミツを隠していたかったけど」


 ロニアはやむを得ず、天使であることを晒したのだ。

 まだまだ先、できるならば永久に隠していたかった。


 だが、友達が泣いていた。

 ほっといているままだと、カレンが悲しんでしまう。

 そのためならと、今思えば後悔はない。


「ロニアくんのおかげで、私は生きてていいんだって思えたです。本当に、ありがとう」


 ベッドサイドテーブルに、かたんと皿を置いたマチィナは深く頭を下げた。

 

「勇気を出してくれてありがとう。ロニアくんも化け物だって教えてくれてありがとう」


「やめてよマチィナ。言葉でもうれしいんだけど、ボクのポリシーを忘れた?」


「『言葉には意味はなく、行動にこそ表れる』だったか?」


 リウが代わりに返答した。

 ロニアが首肯し、リンゴ猫を手に取ってかじった。


 果汁の荒波に、思わず溺れてしまいそうだったがなんとか飲み込む。

 ごくりっ、とロニアは喉を鳴らした。


「だからさ、礼を伝えたいならこれから受け取るよ。だから、よろしくね。()()()()同士さ」


 バケモノ同士。

 その言葉に、マチィナの目頭は急速に熱を帯び、彼女の頬を濡らすものがあった。


「え、あれ、ボク言葉間違えた?」


「ううん。そんなこと無いなのです……本当に、嬉しいのです……」


 あふれんばかりの笑顔を濡らす涙。

 昨晩流した悲涙とは違う。


 こねずみと呼ばれ虐げられてきた、過去というしがらみ。

 作られた存在という自己否定。

 そういった暗いものを洗い流す、浄化の涙だった。


 ロニアもリウも。


 そしてこっそり目覚めていたカレンも。


 大きな鎖から解き放たれた少女を、ひそかに祝福したのだった。

 窓から覗く大空は、雲ひとつない晴天だった。

最後までお読みいただきありがとうございました。

次回の幕間をもって、第三章完結です!


次章は、ついに第一部最終章!


お楽しみに!


(もしよろしければ、評価やブクマなどいただけましたらとっても嬉しいです……!)

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