【第四十五話 機械仕掛けの神】
炎の荒波がアスモディウスの閨を一直線に走り抜け、足跡のように黒い焦げ跡を残した。
ロニアの炎撃を間一髪で跳躍し避けたリウ。
湿っぽかった閨がカラッと乾いてしまうほどの熱とは対照的に、背筋が冷える感覚を覚えた。
もしも数カンマ秒回避が遅れていたら、自分も炭になっていただろう。
「相変わらず……えげつねぇ……」
「まだ序の口だっての。天使なめんな?」
シニカルに笑いながら、ロニアは炎の剣を構え直す。
やはり、ウリエルの力は扱いやすい、とロニアは思った。
カタブツだからこそ、変にギミックを追加してややこしくなるのを嫌う。そのため、武装は炎と剣だけというシンプル極まりないもの。
純粋な暴力と言ってもいい。
「やっぱり、殲滅天使サマは……やるコトがえげつないわぁ」
扇で口元を隠すアスモディウス。
その表情はイマイチよく見えなかったが、快さを覚えてはいないだろう。
「――当然だろ。大罪相手に手加減なんてしてられるか」
背後に着地したリウに目配せすると、首肯したリウの両脚が金剛のごとく硬質化した。
「無詠唱、できるようになったんだ」
「流石に慣れたからよ。それに今は、お前の魔力バックアップもある」
「使いすぎないでよ。食べすぎはお腹下しちゃうからね」
わかってる。
リウはそう笑って、右脚に炎を纏わせた。
緑魔法の焔が今や青く燃え盛り、アスモディウスに向けて蹴りかかる。
扇を広げて対応するアスモディウス。
ガキィン!
金属同士が競り合う音。
やがて火花が散り、アスモディウスの放った圧によってリウは吹き飛ばされた。
ごつごつとした彼の足が、木製の床を抉り取る。
わずかなスキが生まれたのを、ロニアは見逃さない。
糸を縫うように、アスモディウスの懐へ潜り込んだ。
さっきまでロニアがいた場所に、まだ彼がいた。
陽炎だ。
誰一人として『ロニアが移動した』と視認できるものはいなかった。
アスモディウスさえも。
彼女が眼下に空間が揺らぐほどの殺気を感じて見下ろすと、不敵に笑うロニアが剣を斬り上げようとしていた。
「つぅかまえた……!」
「こらあかん……!」
数歩下がって回避を試みるアスモディウス。
風炎と同化したロニアにとっては、無駄なあがきに過ぎなかった。
刹那、アスモディウスの肌は冷たさを感じていた。
けれどやがて灼熱が腹部を走り思わず膝をつく。
熱湯に触れたとき、一瞬だけ『冷たい』と感じるときがあるのと同じ原理だった。
これは、ロニアの愛剣たるエレクシアの焼灼とは違い、焦熱の剣だった。
アスモディウスの切断された腹部が、焼け焦げ爛れた皮膚で繋がった。
「あっ……がっ……斬られたぁ? ウチが……!?」
ただの炎ではない。
熾天使がひとり、ウリエルの振るう裁きの焔。
ロニアの右手に握られているそのひと振りは、やはりゴウゴウと燃え盛っている。
さて、と呟きながらロニアは足元で小さな魔方陣を描いた。
かつて嫉妬に狂った教師、クロウルに向けて使用したプロトタイプ。
長らく構想を練っていたが、それがようやく完成した。
ジャララッ、と音を立てながらアスモディウスの四肢を絡め取ろうと、鎖が鎌首をもたげた。
これは、『大罪をラクにぶっ潰すシステム』。
ロニア自身を縛る鎖から着想を得たもので、制約を無理やり相手に課すというものだ。
名づけるならば――。
「【白魔法:苦行の試練へ】」
ロニアの足元から鎖たちが放たれた。
アスモディウスが表情を歪めながら扇に滴る真っ赤な蜜をばら撒いた。
鎖たちはさながら蛇のごとくそれを回避。
だがそれはブラフだと気づいた。本命は、彼女の瞳から放たれる誘惑の視線だった。
とくん。と心臓がときめいてしまい動きが一瞬だけ止まった。
すぐにかぶりを振って、意識を現実へと引き戻す。
鎖が、彼女の両足に絡みついた。
アスモディウス、転倒。頭から落ちた。
次に両腕を二本の鎖が締め付けた。
自由を奪われたアスモディウスは、引き上げられた魚のように吊るされている。
こちらを睨むその双眸に屈辱の炎が揺らめいていたが、風前の灯火と同じようにそれは微弱なものだった。
口角がぷるぷると痙攣しており、目じりには涙が溜まっている。
「ようもやってくれたなぁ、このクソガキ……! ジブン、ええ度胸してるやんか……」
「へぇ。色欲の大罪でも、こういうプレイはお気に召さないんだ。イガイだなあ」
拘束から抜け出そうと藻掻くも、鎖が音を立てて拒否している。
生半可な鎖ではなく、天界でも使われる鎖の技術を応用しているのだ。
この鎖が縛ってきたものは計り知れない。
今日この日に至るまでの、そして未来のロニアを。
そして、かつて人間だった神を。
この魔法が解ければ、この鎖たちはロニアのもとへと戻ってくるのが憂鬱だった。
だが、優先順位は火を見るよりも明らかだ。
目の前の大罪を、地獄に送り返す。
ロニアは、再び喉元のチョーカーに埋め込まれた金色の宝石に触れた。
ウリエルの力を使っているということを誇示するように、ぎらぎらと輝いている。
「【受諾権限奪取】。偽典選択。解錠、鍵は『エズラ』」
【承認しました。領域を拡張します】。
今まで響いていた女の声とはまた違う人物の声だった。
せせらぎのようだったものが、今回はまるで鈴を鳴らすよう。
どちらにせよ、事務的なのには変わりない。
「さて、トドメはカレンに譲るとして、まずはこの邪魔くさいラグエルさんの力を剥がそう」
炎の剣がロニアの手元からぽとりと落ちた。
するとそれは灰となり散っていく。
それが宝石に吸収されると同時に、ロニアの右手が業火に包まれた。
聖鎧のように何かを生み出すわけではなく、指先の炎がやがて鋭く尖ってゆく。
ロニア自身が裁きの焔となることなのだ。
【完了。白魔法:享受せよ、これこそ焔の重さ也】。
懐かしいと思ったら、これはガブリエルの声だった。
であれば、通常時のあれはザドキエルのものだ。
「ってことで。これでも一応、ラグエルさんは知っているヒトだから。返してもらうね」
アスモディウスの開かれた胸元に、光すらも置き去りにするほどの速度で焔手を叩き込んだ。
「っあ……! がっ……」
目を大きく見開き、脱力したまま膝から倒れ落ちそうになるアスモディウス。
口元からは涎が垂れ、涙が顔中を濡らしていた。
捻じ込んだ右手をひねると、かちりと金属のような音がした。
「見つけた。これ、いつ盗み出したのさ」
「言わへん……何があっても……」
「そう。まあいっか。貰うねこれ」
言って、勢いよく引き抜いた。
胸の穴から蜜が流れ落ちる。
首から下はいまだサラのものを使っているせいか、流れる血はない。
蜜が流れるようにしたのは、肉体での交合を重要視するためだろうか。
なおさら、死者を依り代にした思考が理解できなかったし、したくもない。
レヴィアタンの時とは違い、ロニアとアスモディウスは互いに堕天使である。
だからこそ、同僚と呼ぶべきかはわからないが、こういった逸脱した行動には失望すら覚える。
「よぅし、やっぱりあった。ラグエルさんの力」
左右非対称の、歯車で駆動する心臓のような。
または、機械仕掛けの翼が生えた騎兵の駒か。
どちらにせよ、引き抜かれたラグエルの力はそういった様相だった。
ラグエル。神の友人とも呼ばれた天使であり、ルシフェルの叛乱後に姿を消した。
まさか、アスモディウスに篭絡され取り込まれていたとは。
天使たちがいずれ現れる。
試練の鍵を使用し、熾天使の力を振るうというのは危険信号なのだ。
人間界に、熾天使の力が必要なほどに大きな試練が。
再会するのは非常に不本意ではあったが、必要経費ということでシラを切ることに決めた。
「……やるなら、一思いにやってぇな」
「おや、ずいぶんとしおらしいね」
「熾天使の力を前に、このウチが敵うはずないわ……。 さあ、痛いのはもう嫌」
諦めたように目を閉じるアスモディウスに、ロニアは深いため息をついたまま振り返った。
ひたすら詠唱に集中していたカレンが、ロニアの呼びかけにより目を開けた。
「カレン。ライトニング、いける?」
「……うん」
「おっけ。じゃあ、望みどおりにやっちゃって?」
「でも、いいの?」
「なんで。一思いにやってってリクエストしたのは向こうだよ」
カレンが、目を伏せながら杖先を眺めた。
そして、決意したように眼前のアスモディウスを見つめる。
杖を握る手が白くなるほど力を込め、ただロニアの言葉を信じていた。
深呼吸。
「……【これはかねてよりの黎明。太古に轟く爆破の子孫達の歌を聴きたもう。赤魔法:ライトニング】」
放たれた稲妻は、数十数百と枝分かれしながら轟音を轟かせた。
カレンの背後にある赤い魔方陣が、かすかに白みを帯びていることをロニアは視認した。
(マジか。白魔法に到達しようとしているんだね。やっぱり、キミはすごいよカレン)
感嘆しながらも、アスモディウスに背を向けるロニア。
「ああ、ルシフェル様。 ウチ……結局、アナタには届かへんかった……。ベレト、向こうでまた会おな……」
ぱちっ、とした破裂音を最後に、アスモディウスは爆散した。
本来なら吹き飛んでしまうほどの風圧だが、ロニアの展開した防護膜により防がれた。
アスモディウスの展開した空間が瓦解していく。
蜜が垂れるようにそれは溶け落ちていた。
「大罪を倒したとしても、ボクら人類がいる限りは不滅だ。もしかして、懲りずに調子乗ってまた現れるかも」
「でも、今は私たちが勝ったんだよね?」
「うん。そうだね。マチィナの方はどうなったかな」
勝利を収めたロニアたち。
今この時、マチィナもアベルを打ち破ったところだった。
空間が戻ろうとしたその時だった。
鉛を心臓に打ち込まれたかのような鈍痛が響いた。
どれだけ呼吸をしても、酸素が奪われるよう。
「……あれ? ボク、酒でも飲んだかな……?」
いつもより、締め付ける鎖がうるさい。
それは物理的に、心臓を攻撃しているようだ。
視界が二重に重なり、肩を何者かに揺さぶられているような感覚に陥った。
脳が酩酊し、やがて両脚は自身の体を支えられなくなってしまった。
前方に倒れ伏し翼も消え、ただのロニア・ロンドに戻ってしまった。
駆け寄るカレンとリウ。
彼女たちがロニアの名前を呼んだところで、意識が途切れた。
彼女たちは知らない。
その様子を、空から見つめている天使を。
天井がないはずなので、すりぬけて現れたのだ。
「誰かと思えば、ロニアじゃないですか。久しぶりですねえ」
雨も降っていないのに水色の傘を広げながら微笑む青い熾天使。
ラファエルだった。




