【第四十三話 酒血肉躙】
ロニアは金色の鎧を纏い、右手には炎の剣が握られていた。
ひらりと舞っている羽根にも、金色が混じっていた。
肌を焼くような熱気。
しかし、それすらもロニアにとっては、エネルギーの奔流でしかない。
剣を、鎧を、そして翼をも燃やさんとする焔。
熱量の多量拡散。非効率極まりない。
「【集え】」
荒れ狂っていた炎が、理路整然しとした刃へと圧縮された。
閉じていた目を開くロニア。
瞳の内側には、ウリエルの裁きを思わせる焔が燃え、その色も黄金だった。
「全員、構えて。色欲の大罪は、嫉妬のそれよりも厄介だ。心を強く持つんだよ」
茨のような嫉妬と違い、色欲の本懐は精神攻撃にある。
ヒトを狂わせるポルノというのは、時に痛烈な武器となる。
蕩けるような交合の末、物理的に溶け合う。
それこそ、色欲アスモディウスが大罪たる所以だ。
「やっぱり、その姿は美しいわぁ……。ほな、ウチのも見てくれはります? ……どない、綺麗やろ?」
対照的に、シトリウス夫人の器を完全に捨て去ったアスモディウス。
代わりに、ラグエルの鎧を纏っていた。
いや、それはもはや鎧とは言えなかった。
「きゃっ、何あの格好!?」
「やっべえなあれ……太ももが……」
目を点にして、アスモディウスの太ももを見つめているリウ。
実際、彼女の格好はあまりにも露出が多すぎた。
スリットから覗く大腿。
ぴちっと、その肉体美を強調させるボディスーツ。
そして、強調された胸元から覗くホクロ。
「オマエ……まさか見惚れてんじゃないだろうな?」
「これから戦うってのに? リウ?」
「いや違うんだよ。しょうがないだろだって」
クスクスと笑いながら、扇子で口元を隠すアスモディウス。
「男の子やもんねぇ……」
リウの頭をごちんと叩いて、目を覚まさせる。
しばらく頭をくるくると回していた彼だったが、はっ、と双眸を見開いた。
「ああ、クソ。早速やられちまった……」
「しっかりしろよリウ。一度瓦解したら、それこそあいつの思うツボだ」
背後では、マチィナとアベルがぶつかり合っている。
今は、自分たちの戦いに集中せねば。
「しょうがないなぁ。 その目ぇ、全然隠せてへんよ? ……ふふ。ほな、一緒においで?」
【黒魔法:蜜壺の遊郭】。
飛び掛かっていた三人を、まとめて彼女の領域に引きずり込んだ。
ずしんとした圧力の末に、その場にはなかったはずの蝋燭の灯りが揺らめいていた。
溶けた砂糖に、蜜を這わせたような甘ったるいにおい。
閨のような汗ばんだ感覚。
「いらっしゃぁい。 ウチのセカイ……ウチだけの【カナン】へ」
部屋の奥で腰を落とすアスモディウス。
上気した表情で、汗を流している。
彼女が吹かすキセルから、桃色の煙が上がっている。
視界が歪む。
無限にも続くような回廊と、欄干の外には彼岸花が咲き乱れる川が流れていた。
ウリエルの鎧が叫んでいる。
ここで誘惑に負ければ、精神が抜け落ち物言わぬ肉人形になるだろう。
「クッソ……なんなんだよ……これ! あちい!」
リウが、自身の胸元を掻きむしっていた。
気温が高いわけではなく、血液の巡る速度がただ異常だった。
ロニアは、冷めた目で桃色の煙を吸い込んでみた。
肺に入った瞬間、脳の快楽中枢を刺激するような痺れ。
「チッ……。快楽物質の強制分泌か。下品な手口だね」
見渡せば、カレンもリウも、顔を紅潮させていた。
全員、湧き上がる情欲に必死に抗っていたのだ。
【淫らに絡み合いたい】。
それは、アスモディウスの吐く桃色の煙により引き起こされていた。
「リウ! しっかりして!」
カレンが、リウに杖で小突いた。
この男は猪突猛進なのだ。
このような男は、精神攻撃にめっぽう弱い。
しかしカレンもまた、ロニアの白髪から覗くうなじを見て、杖を握る手が汗ばんだ。
熱っぽい視線を送ってしまった自身を堂々と敵を見据えるロニアと鑑み、かぶりを振って集中した。
「ハッ! すまねぇ! またやられちまった!」
「次はボクが目を覚まさせてやる」
「ええお友達を持たはったねぇ……。 でも、み~んなやられてしもたら、それでオシマイやない?」
アスモディウスが扇子を一振りすると、川沿いの彼岸花から触手が伸びる。
足元に絡みつき、それはじゅんじゅんと何かを吸い取っているようだった。
「ふふっ。理性も合理もぜぇんぶ投げ捨てて……。 ウチの蜜に、どっぷりと溺れはったらよろしやす」
とくとくと、それは鼓動しているようだった。
正気が失われていきそうだ。
そのための、聖鎧。
ロニアが右手の炎剣を振るうと、空間を走るように一閃が瞬く。
炭化した触手を踏みつけ、アスモディウスに一歩ずつ近づく。
「さて、いっぱい遊んだんだ。今度は、ボクたちの番かな?」
剣先を向けた。
怯えるふりなどせず、彼女はにへらと笑った。
少女の様で、しかし経験豊富な娼婦にも見えた。
「カレン。リウ。フォーメーションその1。三角形を維持」
二人は首肯し、僅かにロニアから距離を置いた。
扇子を閉じるアスモディウス。
いつも浮かべているその笑みは、消えていた。
砕けた恋を見つめる、少女のものだった。
「確かに、アンタは堕天使やわ。 ……けど、それはアンタだけやないと思うで?」
「……はぁ?」
「元・熾天使サマは、ほんまにいけずやわぁ……。 ま、ウチらみたいな下級天使のことなんて、端から目ぇにもくれはらへんのやね?」
「下級天使……? オマエ、何を?」
遠い過去を回想する彼女。
「そう。ウチだって、智天使やったんよ。……知らへんかったやろ?」
「ケルビム……アスモディウス……まさか!」
背後で、カレンが驚愕の声を上げていた。
「伝承の……【ルシフェルの従者】?」
「る、るしふぇる?」
リウが、疑問を湛えた声色を上げた。
「私の家では、毎日伝承を読み上げてるの。そこに、ルシフェルの記述があった……!」
「よう勉強してはりますねぇ。 そうどす。ウチは、輝く星に憧れた……ただの女の子やったんよ」
扇をぱたんと閉じると、その先端から振動を繰り返す鉄刃が伸びた。
その刃先には、彼女が今まで篭絡してきた男たちの血が、夥しいほどにこびりついているようだった。
滴るようなその幻視の血は、まるで口紅のように赤みを帯びていた。
「せやから、ウチはあの人と一緒に墜ちたん。……けど、あの人はすぐに消えてしもた。 地獄にも、天界にも……どこにも」
「それで? 悲劇のヒロインぶって今の行いを許してもらえると?」
「こうすれば!――あの人はまた、ウチのこと褒めてくれはる! 『よく頑張ったねぇ』って……!」
ついに、アスモディウスがロニアに飛び掛かった。
扇の刃が、焔に照らされギラリと赤光した。
風が吹く。たちこめる煙。
炎の刃で受け止める。
「【焔焼せよ】」
炎が、ぱたっと消えた。
それも束の間。
サタンの炎すらも生易しく思えるほどに、吠えるような唸りを剣が上げた。
けれど、まだ足りない。
ロニアの足元に、白い魔方陣が広がった。
続き、カレンとリウにも。
「ボクの魔力を共有する。大罪相手に、魔力の管理なんて人間らしいことしてるとすぐにやられるよ」
「わかった。リウ! ロニアくんから教えてもらった魔法の調子は!?」
「カンペキだ!」
よかったと微笑を浮かべながら、目の前の恋に狂った女に目を向けた。
毒のような色欲を司る彼女ですら、恋という色恋沙汰に狂わされた被害者なのだろう。
けれど、彼女の築き上げた屍の山脈は計り知れない。
偶然か、伝承で語られていたサラという女も、アスモディウスに全てを壊された。
「【権限奪取:ミシレイ選択】。認証。白魔法:肥え、他者に水を注げ。さすれば、我もまた注がれん」
本来なら、天界のシステムに介入して事象を引き起こす天使形態での白魔法。
ウリエルという、管理者のひとりを纏っている今では、その権限すらも奪える。
三人の足元にあった白魔方陣が、包むように発光した。
アスモディウスは、危険を覚えて距離を置いた。
彼女は、肩で息をしている。
「うおおお! 力が漲ってきたぞ!」
「凄い……! これがロニアくんの魔力!」
「リウ。硬質化を最大限に。カレン。ライトニングのチャージを最大まで、ボクとリウが時間を稼ぐ」
「うん! ケガしちゃダメだよ!」
わかってる。
そう肯んじながら、ロニアはアスモディウスに向き合った。
「愛されてはるなぁ、アンタは」
「みんな、とっても優しいからね! リウ、行くぞ!」
踏み込み、羽ばたいた。
「我は鉄。我は巨人也。【緑魔法:硬質化ッ!】」
リウの全身が、鋼鉄のように硬質化した。
ロニアの支援により、それは金剛のようにも思えた。
触手。
焼き斬る。
扇。
金剛で弾く。
「『緑魔法:焔』ッ!」
「リウ坊、こんなにも成長して……! ロニアちゃん、随分とお教え上手なんやねぇ!」
「オマエに褒められても、嬉しくないよッ!」
上空で、ロニアが叫んだ。
剣の一振り。
リウが跳び、炎の炸裂を避けた。
ライトニングのチャージ完了まで、あと三十秒。
眼鏡の奥に光るサファイアに、雷鳴が迸っていた。




