【第四十一話 心の在り様】
「ひとつ訊く。どう殺されたい?」
「アンタが誰かのために怒りはるなんて、珍しいどすなあ……」
「ワタシの質問に答えろ」
「へ……? ワタ――」
瞬間、アスモディウスの視界では、ロニアが遠のいた。
顔面に鈍痛が響き、やがて壁に吹き飛ばされたと理解した。
背筋から、脳を揺らすような衝撃。
唾液が、口から漏れ出た。
アスモディウスの能力が解けユーノの眼前には突然、ロニアとサラが現れた。
二人の顔を交互に見比べるユーノ。
鮮烈に映ったのは殴打される母と、魔王のような圧を放つ少年だった。
「なんで……? お母さん!?」
「二度は問わない。どう殺されたい」
「ちょっ、ちょっと待ってぇな……! どないしたんどす、急に……! まるで……人が変わってしもたみたいやないの」
「ボクが好みか? それともワタシか? だが、そんなことはどうでもいい」
髪を掴んで、膝蹴りを食らわせた。
「死者をいたぶり、禁忌を犯し、人の心を弄んで。それがオマエの趣味か?」
「待って! やめて! これ以上、お母さんをいじめないで!」
言って、ロニアの肩を掴むのはユーノだった。
「コイツは、もうキミの母さんなんかじゃない。いいのか? 中身は、悪魔そのものだ」
「せや……せや。 ウチは、ゲホッ……この子のお母はん……なんどす。さかい、もう殴らんといて。堪忍しておくれやす……」
「キミの母さんは、こんな話し方だったか? シトリウス夫人は、こんな人間だったか?」
ユーノが、息を呑んだ。
「色欲の大罪。お人形遊びは、大概にしろ」
壁に押し付け、魔力を腕に集中させた。
光の棘が、彼女の肉体を貫く。
ユーノが目を背けた。
流れる血などなく、ねばつく蜜が垂れた。
「結局ガワだけか。オマエは、内面なんてどうでもいいもんな」
「お願い……もうやめておくれやす……。 痛い……痛いのは、いや」
「か弱い女性。それもオマエのレパートリーのひとつか」
【赤魔法:地獄の似姿】
空気中にあった分子の数々。
アスモディウスを起点にそれを吸着させ――。
「【燃えろ】」
爆裂した。
爆圧により、ユーノは吹き飛んでしまった。
腐っても騎士で、受け身は取っていた。
地下実験場が大きく揺れる。
しかし失敗作たちと、眠る少女は無事だった。
ロニアのものと同じように、防護膜が張られていたのだ。
煙が晴れるころ。
黒髪の内側に赤の帳が張られている、亜麻色の瞳をした女の顔面だった。
すべての男を狂わせるほど美しく、しかし吐き気を催すほど邪悪だった。
シトリウス夫人の顔はない。
本物の、アスモディウスの姿だった。
「化けの皮が剝がされたな」
「お気に入りの皮やったのに……!」
「見なよ。キミが母だと信じた女は、こんなツラしてたんだ」
「あなたは……」
震える身体で、アスモディウスを見つめるユーノ。
刹那の希望は泡沫に消え、『母は死んだ』という絶望的な現実だけが残った。
「はは……ツケが回ってきたの? あの子を、とことん虐めぬいたから?」
「さあね。ワタシはカルマを信じない。どんな善人であれ、死ぬ時は死ぬんだ。どんな形でも」
蜜を口から吐き出すアスモディウス。
血液のつもりなのだろうが、それが却って癪に触った。
「いつまで、人間の真似事をしているんだ。答えろッ!!」
「ごめんなさい……。ひっく……地獄に、地獄に帰りますさかい。もう、痛いのは、痛いのは、勘弁しておくれやす……」
「泣いて許しを乞うつもりか?」
首から下は、未だシトリウス夫人の肉体のままだった。だからこそ、これで心置きなく殴れる。
どうしようもなく、ふつふつと怒りが湧いていたのだ。
小麦色の右頬に、まずはストレート。
髪を掴んで、顎を殴り上げる。
彼女の脳が揺れた。
頭を抱え、指先で脳の存在を確かめる。
まだ、知覚できる。
涙で潤わせた目で、彼女はロニアを見つめた。
「失敗作達が産まれたぶん、ワタシ。いや、もうボクでいいか。お前を殺すからな」
「もう嫌……。誰か……誰か助けておくれやす……」
一殺目。
手刀に、光の刃を生み出す赤魔法。
頭を貫こうとしたその時、邪魔が入った。
「おい、ロニアくんだったかな? そこで何をしている」
絶望に満ちたアスモディウスの表情が、微かにだが明るくなった。
「旦那様……! 旦那様、助けておくれやす……!」
暗い階段から姿を現したのは、アベルだった。
「うちの妻に、どうして暴力を振るっているのかな。困ったな、君は出来た子供だと思ったのに」
元凶が登場したとして、ロニアの表情が変わることはなかった。まるで子供たちが散らかした跡を片付ける清掃員。
ロニアにとって大罪アスモディウスのおアソビは、児戯に等しかった。
「うぅん、ユーノにまで見られたか」
「父さん、これは何なのよ! どうして、こねずみちゃんがあそこにいるのよ!」
アベルの額に、青筋が走った。
「ねずみ? ねずみだと言ったのかお前はッ! 私のクレアに向けて、貴様は齧歯類だとでも言うのか!?」
恐怖に顔を歪ませるユーノ。
アスモディウスは自身から流れた蜜を利用し、ロニアの手から滑り落ちた。
「けほっけほっ。良かった……ウチ、まだ生きてる……」
「よく見ていろ、ユーノ。私たちの、本当のクレアをな。マチィナのようなバグとは違う」
「オマエ、今マチィナのことをなんて言った」
「聞こえなかったのかッ!?【バグ】だと確かに言ったはずだ!」
歯を食いしばる。
ここまで怒ったのは、久しぶりだ。
湧き上がる激情の中、ロニアは冷静ながらそう思った。
「さあ、よく見ていろ。私のクレアを。従順で、賢くて、優しく育つ私の娘を」
【私たち】ではない。
私、と彼は強調した。
クレアは、彼だけの所有物かのように。
アベルは階段を降りた。
道を塞ぐ、あるいは父に甘える失敗作を、蹴り飛ばし、ガラスに眠る少女へと向き合った。
そして、都合が悪すぎた。
「……へ? なにこれ……」
その声は、マチィナだった。
呆然と、ロニア達を見回している。
「はは、やっぱり……。そういうことだったんだ……なのですね」
「こ、こねずみちゃん!?」
まるで幽霊でも見たかのような表情で、ユーノはマチィナを見た。
アベルが、背後の娘に舌打ちをし、ガラスの少女を守るように立ちふさがった。
「マチィナ。あまり、こんなボクを見せたくなかったけどね」
「ひひ、言っちゃおうかなあ……? アンタの正体言ぅたら……どないなことになるやろなあ?」
状況が好転したと見たか、アスモディウスはにへらと笑った。
窮鼠猫を噛むならず、蛇の生殺しのようだった。
だが、すぐにロニアの眼光により震え竦んだ。
マチィナの到着から数分後。
アレサを連れて、カレンたちがやってきた。
「なっ、なんだよこれ!」
「ロニアくん……これはなんなの!?」
恐怖と困惑混じった声色。
目の前の失敗作たちと、膝を突くマチィナを見渡す二人。
アレサは、歯を食いしばりながら階段を飛び降りた。
「うぅうああぁあああ!!」
抜刀し、絶叫しながら父アベルに斬りかかるアレサ。
その刀身は、輝いていた。
さながら、太陽がごとく。
誰もが、アベルが死ぬと思っていた。
アスモディウスとロニアですらも。
――けれど、彼は笑っていた。
命の危機だというのに、眼球が飛び出るほどの勢いで。
「はは、はっはっはあはははは! 面白い! この期に及んで、私の計画が二つも叶ったぞ!」
「二つも……? 旦那さん、一体何を企んではるんや……?」
「クレアだけじゃあないッ! 疑似聖剣までもが覚醒したかッ! さすが私の娘たちだ!」
聖剣。ロニアのエレクシアや十二神徒激流が持つガリラヤの秘宝、水天剣。
それらを模倣したものこそが、疑似聖剣だった。
「……アスモディウス。これもオマエの計画のうちか?」
「ちゃうよ。 これは、あの人が……勝手にしはったことどす」
でも、死なれたら困りますさかい。
言って、黒い魔法陣からは毒蛇の尾を伸ばした。
それが、アレサの剣を弾き返した。
そうかと吐き捨てて、ロニアは構えた。
そして、背後で項垂れるマチィナに向けて、根限り叫んだ。
「マチィナ! よく聞け!」




