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天界を追放された堕天使は、正体を隠して眠りたい  作者: 葱色信号
第一部三章:シトリウスのこどもたち

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【第四十話 姉妹たち】

「お父様……あなたはッ!」


 アレサが、今にも飛びかかりそうだった。

 彼女から湧き出る殺気により、空間が歪む。


 皿などの食器に、ピシピシとヒビが走った。

 だというのに、父アベルは平然としていた。


「お前たちも、ママが恋しかっただろう? ()()()も、会いたがっていたしな」


 顎でマチィナを差すアベル。

 

 カレンやリウが、彼女の方を向くと、今にも泣きそうな顔で頭を抱えていた。


「ねずみちゃんは、こんなことを望んでいない!」


「どうしてそう言い切れる。どんな子供にも、母親は必要だろう。サラの乳を飲んで育ったお前が、持たざるクレ……マチィナの何が分かる」


「だからといって、どうしてママを!」


 今すぐにも、手に持ったナイフで目の前の父親を刺し殺そうとするアレサ。


 ついに、ねずみと呼ばれた少女が叫んだ。


「もうやめてッ!! 私は、私はクレアでもいいからッ!!」


 いつも穏やかで、花のような雰囲気を漂わせる少女の慟哭は、何よりも煩く響いた。

 翡翠の瞳からは、漏れ出たような涙が頬を伝っていた。


 彼女には、提供されたソーセージすら、クレアという中身を包むマチィナという皮としか映らなかった。


「あの、どうにかなりませんか?」


 厨房にいた従者に、助け舟を求めるカレン。

 しかし、帰ってきた返事は、希望を容易く打ち砕いた。


「……家主様には、逆らえませんので」


「そんな……」


 マチィナが嗚咽を漏らす。

 

 泣きじゃくるその様は、まるで新生児のようだった。


「なんとか、なんねぇのかよ……」


 リウは、アレサとマチィナを交互に見る。


 カレンは、今自分にできることはマチィナに寄り添うことだけだった。


 ロニアは、サラに連れ出されてしまっている。


「マチィナ。泣かないでくれよ。久しぶりに帰ってきてくれたんだ。ママも心配していたぞ?」

 

「ママは死んだの! もう、ここにはいないの……!」


 絞り出すように、言葉を並べるマチィナ。

 彼女特有の、『なのです!』といった朗らかさはない。


 そこにいるのは、産まれてくるはずのクレアだった。


「お父様……! 貴方という人は、マチィナを泣かせてッ!!」


「黙れッ!」


 骸骨のような外見からは予想できないほどの怒号。

 空間を揺らし、カレン達は肌に粟が立った。


「マチィナもクレアも、母親がいなかった! お前が、その代わりになれるとでも言うのかッ!」


「狂った貴方のために、騎士協会を立てたのは誰!? 私よ! いったい何人の尊厳を踏みにじれば気が済むわけ!?」


「もう……やめてよぉ……!」


 怒りと悲しみ。

 

 この渦に飲み込まれたカレンとリウは、目を見合わせた。彼が頷く。


 『俺が行く』


 『でも、どうする気なの?』


 『ロニアとはやり方が違うけど、きっとこうする』


 言って、リウは机を勢いよく叩いた。


「うるせぇ! 客人の前で内輪揉めしてんじゃねぇぞ!」


 (ロニアくんはそんなにガラ悪くないよぉ……!)


 失敗か。

 

 そうカレンは思ったものの、意外にも功を奏したようだ。リウ自身も手応えを感じていなかったらしく、目を丸くしていた。


 アベルが大きく溜め息をついた。


「……あぁ、そうだったな。マチィナのお友達が、せっかく来てくれたんだもんな」


 目を細め、アレサを睨むアベル。

 

 歯を食いしばる彼女は、扉の前に立っていたアベルを突き飛ばして退室した。


 ばたんと勢いよく閉じられる扉が、突風を生んでいた。


「ふぅ……。あの子もサラを失ってから、どうも張り詰めすぎているな。おい、私の分の夕食はいらない」


 どうやらこれは退室の命令だったらしく、厨房にいた従者も同じように、食堂から去っていった。


 食卓の上座にアベルが腰掛けると、中央のロウソクが揺らめいた。


「さて、うちの子はどうだい? いい子でいるのかい?」


「……はい。マチィナちゃんは、とってもいい子です」


「あいつが笑っていたから、俺達もここまで来れたんだ。初めて会った時、マチィナは泣いていた。そう、今と同じように」


 言って、リウは顔を伏せているマチィナを見た。

 鼻を啜りながら、嗚咽は止まる気配がない。


「……俺は、ロニアみたいに口が上手いわけじゃないっす。でも、やっぱりマチィナには笑ってほしいんす」


「いい友達を持ったね、マチィナ」


 どの口が。

 この時、カレンは初めて怒りというものを覚えた。


「私は……」


「あなたはマチィナだよ。誰がなんと言おうと、私があなたを肯定する」


「突然家を出るだなんて言ったから、私たちはびっくりしたよ。学費はどうしていたんだい?」


「……言いたくない」


 ひた隠しにしようとするその姿勢が、老獪なアベルにとってはむしろ答え合わせのようだった。


「ははぁ、アレサが根回ししたか。妹思いだなあ」


 言葉を紡ごうとしたアベルだったが、今ではないと言いたげに口を噤んだ。


 これ以上、マチィナを壊してはいけないと考えているようだともカレンは感じた。


「今日は泊まっていくといい。部屋も用意しておくからね」


「結構です。私は、マチィナちゃんと同じ部屋で過ごしますので」


 1人にはさせられない。させるものか。

 

 眉にシワを寄せるというのは、カレンにとって滅多にしない事だった。


「ん、そうか。では私は研究に戻る。夜更かしはするんじゃないぞ」


「もうそんな歳ではございません」


 毅然と言い返すカレンに、アベルは微笑を浮かべた。


 そして、穏やかに食堂を後にした。


 残されたのは、子供たちだけだった。


「……ひっく」


「大丈夫、マチィナ?」


「大丈夫……なのです」


「俺たちがいるから、安心しろよ」


 顔を上げたマチィナ。


 天真爛漫だったその顔は、涙、鼻水、そして涎でぐしゃぐしゃに濡れていた。


「今日は、私がずっとそばにいてあげるからね」


 マチィナは頷き、カレンに抱き着いた。

 胸元が、マチィナの涙によりじんわりと濡れた。


  ─────────◇─────────


「ご招待、してあげまひょか? このお家に隠された……甘ぁい、秘密へと」


 ロニアに押し倒されながら、アスモディウスは彼の唇を指先で撫でた。

 その手を払われ、ロニアは彼女をまるで貫くように睨みつけた。


「オマエが甘いって言うんだ。それはそれは、よっぽどロクでもないんだな」


「どうやろなあ。ウチとアンタは、人間様から見れば化け物さかい……。似てると思わはらへん?」


「思わない。頼むから同じにするな」


 水面のように広がったアスモディウスの髪を、ロニアは指先で梳いた。

 そよ風のようにそれは流れた。


「人様の体を奪って、尊厳をぐちゃぐちゃにして。反吐が出る」


「まあ、こわぁい……。ウチ、怖うて濡れてしまいそうどすえ」


 ロニアが、アスモディウスから身体を離し、彼女に背を向けた。

 彼女よりも一回り小さいはずなのに、溢れ出る圧は尋常ではなかった。


「……結局、アンタは熾天使やったんどすか? それとも……能天使どすか?」


「そんなこと知るか。教えるつもりもないし、ボクが知りたい」


 いいから案内しろ。

 ロニアはそう言って振り向いた。


 大罪であるアスモディウスすら、刹那に凍り付いた。

 楔で心臓を穿たれたような感覚だった。


「強引どすなあ……。せやけど、そんなアンタも、素敵どすえ」


 アスモディウスに道を譲ると、突然ロニア達の足音が消えた。

 月光を受け、足元に伸びていたはずの影がなくなっていた。


 こもったような音が、耳を塞いだ。


 アスモディウスの権能のひとつだとわかった。


「お友達は、呼ばはらへんのどすか? 堕天使ちゃん」


「きっとオマエが今から見せるものをマチィナが見たら、それこそ壊れる。あの子が知らないうちに、ボクが片付けてやるんだ」


「傲慢どすなあ」


「言ってろ」


 向かった先は、サラの墓だった。

 そこに、ユーノがしゃがみこんでいた。

 何かを語りかけている。

 

「この子も不憫どすなあ。真実を何一つ知りはらんと、盲目的に、お父はんを信じてはるんやさかい……」


「真実、か。しかし、ボクたちに気づいていないようだが」


「当然どすえ。これは、周りから一切を遮断する力……。ひっそりと、タノシみあうための、お力さかい」


 アスモディウスが、墓に触れる。

 すると、それはギシギシと音を立てた。

 ユーノは、突然の現象に腰を抜かせた。


 そこには、階段があった。


 『なによ、これ』

 そうユーノの口が動いたのがわかった。


 暗い螺旋階段は、しばらく続いた。

 何分降りたことか。


 ロニアですら、その光景に目を細めた。

 ツンとした甘い香りの中に、むせかえるような腐臭が嗅覚を刺した。

 ねっとりとした霞が、ロニアの肌をべとつかせる。


「ほら、聞いておくれやす。 迷い込んでしもた、こねずみの絶叫を……」

 

 背後のユーノが、金切り声を上げた。

 嘔吐していたのも見えた。


「ようこそ。 失敗作たちの眠りはる……マチィナちゃんの揺り篭へ」


「これ、オマエの仕業か」


「言うたでしょう? 望まはったんは……旦那様や、いうて」


 ロニアの足元に、赤黒い何かが這い寄ってきた。

 それは、指のような器官でロニアの黒いズボンを引っ張っている。


 その正体には、おおかた予想がついた。

 優しく撫でてやると、それは左右に揺れた。


 唇を嚙み締めた。

 大罪にしても、あまりにも――。


 何よりも、眼前のそれに目が行った。


 培養液の中で眠る、マチィナにもよく似た少女を。


「あまりにも度が過ぎているぞ。クソアマ……!」


 ロニアの首筋に埋め込まれた宝石のひとつが、妖しく光った。

 熾天使たちの四色ではない。


 中央の、真っ黒なものだった。

 

 今の彼は、『ロニアくん』などではない。

 氷のように突き刺す冷たい視線。

 空間が捻じ曲がるかのような重たい圧。

  

 そこにはかつて、天使だったころの冷徹さがあった。

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