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天界を追放された堕天使は、正体を隠して眠りたい  作者: 葱色信号
第一部三章:シトリウスのこどもたち

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【第三十九話 秘蜜(ひみつ)】

 「嘘……ママなのです?」


 マチィナが、全身を震わせてサラを見た。

 彼女は、自分の母の顔を知らない。


 知っているのは、自分が生まれる前に死んだということ。

 そして、庭に彼女の墓があることだった。


 ロニアは次に、アレサを見た。


 マチィナよりも、その表情は絶望に満ちている。

 目を大きく見開き、口は半開きのまま。

 涙袋はぴくぴくと痙攣していた。

 

 何しろ、サラが死んだときにはアレサはすでに生まれており、そこそこ成長を重ねていたのだろう。

 

 【死】が何たるかを、理解できるほどに。

 

 そして、自身の父が何をしでかしたのかも、この瞬間理解した。


 右手のナイフを、ぎゅっと握りしめる彼女。

 だめだ。なんとなくだが、ここで流血沙汰を起こしてはいけない。


 マチィナに、心の瑕疵を負ってほしくない。


 鎖が鳴った。

 

 『お前には関係のないことだ』。

 『怠惰なんだろう? ほっとけよ』。


 うるさい黙れ。いいから行くんだ。


 ロニアは、纏わりつく鎖を黙らせた。

 立ち上がろうとするロニアに、カレンは尋ねる。


「ロニアくん……? 何をしに……」


「友達のご両親が来たら、まず挨拶しなきゃ」


 挨拶をしなければならないのは確かにそうだが、あそこの桃髪の女には少なくとも2回は必要だろう。


 サラから見れば、とてとてと駆け寄る姿は小動物の様だった。

 

 マチィナがこねずみちゃんだとすれば、ロニアは【こねこちゃん】だろう。


「初めまして! ボク、マチィナちゃんのお友達の、ロニア・ロンドって言います! よろしくおねがいします!」


 恭しく、しかしわざと慇懃に頭を下げた。

 そして、ちらりとサラの方を見上げる。


 いや、こいつはもうサラではない。


 アスモディウスの顔を、ロニアは赤眼を光らせて一瞥した。


「……そうか。君が、うちの子と仲良くしてくれているんだな。礼節弁えた、しゃんとした子じゃないか」


 どうでもいいように吐き捨てる父親。

 彼のことは、マチィナには悪いがこちらもどうでもいい。

 

 人様の母親の肉体を奪った、この悪女に用がある。


「マチィナに似て、()()()()()()!」


 よくも現れたなクソ女という意味だ。

 

 『くふっ』と、喉奥で鳴った密かな笑い声が、さながら春風のようにロニアの耳を撫でた。

 

 突然のロニアの大胆な発言に、カレンやリウは呆気に取られていた。


 シトリウスの姉妹は、怒哀混じった表情で父アベルを睨んでいた。


「あらあら、まあ……。綺麗やなんて、()()()()()()()()()()()()()どすなあ」


 その減らず口を閉ざしてやろうかという意味だ。


「いえいえ、光栄です!」


 ロニアは、その歳に似つかわしくない幼い顔つきだった。そのため、上目遣いと笑顔がオトナの女によく刺さる。

 

 しかし、アスモディウスにはどうか。


「せやわ、子どもたち? この子、借りていきますえ?」


 言って、彼女はロニアの襟ではなく、首に巻いている試練の鍵を引いた。


「ちょっ、待てよおばさん! そいつをどこに連れてくんだよ!」


 立ち上がるリウと、腰を浮かせるアレサ。

 アスモディウスは妖しく笑い、人差し指を立てて、口元に置いた。


 「アレサ、大事なお客様と『内緒話』するだけや。……お行儀よう待ってなさい?」


 突き刺すような圧は、暖かい毛布のような『亡き母からのお願い』と逆らえば喉元を食い破られそうな『悪魔の命令』の2つを伴っていた。

 

 アレサの喉元から、息が漏れるのをリウは耳にした。


「リウ坊も、座って待っておくれやす。ボウヤのことは、決して悪いようにはせぇへんさかい……」


 嫉妬を乗り越えたリウですら、凍り付いた。


 待ってくださいと呼び止めるカレンの声には、彼女は振り向かなかった。

 

 マチィナは、ただ()()の姿に怯えている。

 

 試練の鍵、つまりチョーカーをまるで首輪のように掴まれている。

 

 脊髄が押しつぶされそうで、鈍痛が響く。

 

 しばらく引き摺られていた。

 すれ違う従者に、不思議なモノのように見られていた。


 廊下を渡り歩き、行きついた先は彼女の自室だった。

 

 綺麗に整頓され、天蓋付きのベッドが余計に艶めかしさを演出していた。

 

 ぱたんとドアが閉じられる。


 そして、ロニアは寝床へと放り投げられた。


「痛ってて……。なんなんですか?」


「隠しても無駄どすえ、堕天使ちゃん。人間界で、ようもまあ……暢気に遊んでいられますなあ?」


 流石、色欲大罪の本体だ。

 まさか、人間界で初めて露呈するのが、彼女とは。


「違いますって……。堕天使? 何のことですか?」


「あらあら、まあ……。とぼけるなんて、イケない子どすなあ」


 言って、アスモディウスはロニアの服に手を忍ばせた。

 

 彼女の冷たい体温が、ロニアの胸に伝わる。

 鼓動が、まるで奪われるようにそれは、きんと冷えていた。


「それに……あの子に、よう似てはりますなあ」


「あの子?」


「何でもおへん。ただ、ウチの知人に……アンタ、よう似てはりますさかい」


 彼女は、ロニアの顔にジッと近づき、留守になっていた左手でロニアの頬に触れた。

 

 その肉体も顔もマチィナの母親の物だというのに、まるで元からその姿だったかのように蠱惑的だった。

 

 今にも、その唇を奪ってしまいそうだ。

 

 いけない。耐えろ。

 そう自分に言い聞かせて、自制心を保っている。


「あの、マチィナのお母さん? そろそろいいですか?」


「つれないどすなあ。ウチは、アンタの正体を知っておりますのえ。やったら……アンタも、ウチのこと分かってはるやろ?」


 答えとおくれやす。

 べとつく粘液が気道に張り付いたような感覚。

 海の次は、スライムか。


 ロニアは、皮肉気に笑って見せた。

 そして、その左手をぱしんと払う。


 月光差しこむこの部屋に、真っ赤な瞳が輝いた。

 呼応するように、アスモディウスの翡翠も光を持った。


「そうかい。強引だな、イカレ女。色欲で頭とろとろになったか?」


「天界の人間は、えらいカタブツどすなあ。 ほんの少しばかり……楽にしはったら、よろしいのに」


「堕天の意味を知ってるか? ボクはもう、天界の人間じゃないんだよ」


 押し倒される。

 ふかふかのベッドが、底なし沼のようにロニアを沈めた。


 噎せ返るほどの甘い香りが、鼻腔にべっとりと張り付く。

 

 彼女の表情は、獲物を見つけた捕食者のようだ。

 舌なめずりをして、今にもロニアの白皙としたカラダに歯を突き立てられそうだった。


「ええやおへんか、ほんの少しばかり……。ねぇ、ロニアはん?」


「へぇ! ボクを知ってんのかい」


「知っておりますえ。 天界でも名の知れた『殲滅天使』……あるいは『キューピッド』。 そのお名前は、地獄の底まで届いておりましたわ」


「チッ、キューピットは黒歴史だから忘れてくれ」


 嫌な記憶がよみがえる。


 あれは神の戯れだった。

 アスモディウスに滅茶苦茶にされるよりも先に、ロニアが人間界に赴いて、恋を成就させるというものだった。

 

 当時のロニアは、やはりウリエルらのようにカタブツだった。

 あの時は、今のように笑ったり怒ったりしなかった。


 あまりにも不似合いで、やはり面映ゆいものがあった。


「どんな天使はんかと思て見てみたら、アンタみたいにキュートな子やったなんて……。 ほんま、驚きどすなあ」


 自身の肉体を、彼女はロニアに押し付けた。

 レヴィアタンの依り代となってしまった月天(ユエ・ティエン)の物と似た、柔らかな物が胸部を圧迫する。

 

 恐らく、それよりも大きい。


「堕天してしもうて、もうこれ以上堕ちるモンも、あらへんのと違います? ……いっそ、ウチに篭絡されてみまへんか?」


「断る。一応、人間としてやり直そうとしているところなんだ」


 絡ませてきた足を、むしろこちらから利用する。

 関節部分を交差させ、一瞬のうちに体が翻った。


 気づけば、こちらが彼女を押し倒している。

 きゃっ。そう彼女が鳴いた。


 とろんと蕩けたような表情で、腕をロニアの首元へと回した。


 「優しうして……おくれやすね?」


 「うるさい。誰がオマエなんか抱くか。それよりも教えろ。オマエは、どれだけ関わってる?」


 「望まはったんは、旦那様どす。 ウチはただ……ほんの少し、お力を貸しただけどすえ」


 美しく咲いた薔薇に生えている棘のような声色で、彼女は微笑んだ。

 

 それよりも。そう言って、彼女は上体を起こし、自らの額をロニアにこちんと当てた。

 

 ふわりとした花の匂い。

 獲物を待つ、ウツボカズラの臭い。


「アンタの試練は……一体いつ訪れるんでっしゃろなあ」


 試練の鍵を指先で、順に撫でた。

 親指の腹を滑らせ、細く白い残りの指で、埋め込まれた宝石をかちかちと突く。


「オマエなんて、これを使うまでもない」


()()どすなあ。 けど……レヴィのようには、いきまへんえ」


 レヴィ。レヴィアタンの事だろう。

 天使形態にさえなれば、大罪など……。


 そう思っていた。


「知っておりますえ。 アンタが倒しはったレヴィアタンは、ただの依り代……。 ウチみたいに、本人というわけやあらしまへん」


「アイツは嫉妬深いくせに、随分とビビりだったんだな」


 密着する彼女を、手で押しのける。

 名残惜しそうな顔で、彼女は喉の奥を鳴らした。


「それこそが嫉妬の本性どす。 えらい怖がりやさかい……ただ羨んで、嫉むことしかできひんのどすえ」


 さかい、覚悟しなはれ。

 生暖かったねばつく感覚が、とたんに冷えた。


 彼女が、笑顔を浮かべながら、しかし凍てつくような圧を放っている。


「ウチが……アンタの【試練】になってあげますわ」


「プロポーズにしては、駄作だな」


「ウチの蜜に……溺れてしもたら、あきまへんえ。──骨の髄まで、溶かして差し上げますわ」


 アスモディウスが、ロニアの頬に口づけを残した。

 冷たいその濡れた唇が、何よりも熱い呪印を残した。

 これは、宣戦布告なのだろう。


 ふと、マチィナの顔がよぎる。


 あの子は、色欲(アイツ)の作品だ。娘と言ってもいい。

 嫉妬よりも、厄介なことになるだろう。


 マチィナは、どこまで耐えられるだろうか。

 もしも、アスモディウスが『ママのもとにおいで』とでもほざいたら、彼女はどうなる?

 きっと、その時はロニアたちの手で……。


 いや、マチィナなら大丈夫だ。

 カレンがいる。リウがいる。


 あの二人に任せておけば、彼女はきっと打ち勝てる。


 蜜のように甘い秘密は、やがて夜を覆うだろう。

 これは、短くも悍ましい夜の始まりであり、ロニア・ロンドへの初めての試練だった。

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