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天界を追放された堕天使は、正体を隠して眠りたい  作者: 葱色信号
第一部三章:シトリウスのこどもたち

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【第三十八話 マチィナとクレア】

 旅に疲れた肉体が、食事を求めている。

 食堂の大テーブルからは、厨房の様子を確認できた。


 白く背の高い帽子を被った三人のコックが、言葉を交わさずとも意思疎通をしており、流れるように料理が出来上がっていく。


 内心、楽しみにしていたものがある。

 マチィナが堂々と語った、ソーセージだ。


 彼女があんなにも念押しするのだから、きっとよほど美味しいのだろう。

 肉の焼ける香ばしさが鼻をくすぐり、口内で涎を大量に生成していた。

 まだかまだかと、頬杖を突きながらぽけ~っと待ちわびているその様は、まるで猫のようだ。


 ロニアの頭部に、白い毛の猫耳が生えていそうだ。

 

 厨房をじっと見つめていると、なんともバツが悪そうにしている料理人たち。

 ロニアもそれに気づき、視線を逸らした。


「おなかすいた」


 そう呟くロニア。


「ロニアくん、ずっと我慢してたもんね〜?」


「うん。お昼からなんも食べてない」


 白魔法は強力だが、その分エネルギーを多分に消費する。すきっ腹で行使すれば、飢餓は目前だろう。


「ねずみちゃんから、うちの事を色々教えてもらったようね、あなた達?」


「まあ、はい。ソーセージが美味しいそうですね」


「うちが優れている訳じゃないけどね。私たちのご先祖さまから受け継いだだけだから」


 アレサが、謙遜の中にどこか気高さを感じられるような笑いを見せた。シトリウス家の人間は、昔のロニアが少しだけ知っている。


 ものづくりに長けていて、初めて杖を開発したのもシトリウス家だった。


 しかし近年、アポテオシス協会の台頭により、シトリウスの技術は斜陽となった。代わりに産まれたのが、アレサ率いる騎士協会だった。


 彼女なりに、家を立て直す努力をしているのだろう。


「そうだ、ねずみちゃん。リウくんの他に友達ができたのなら、それまでのことを教えてくれない?」


 それよりも、カレンはマチィナの過去が気がかりだった。何故、彼女がクレアと呼ばれているのか。


 何故、ああまでユーノに嫌悪されているのか。


 彼女は何故、笑顔を取り繕っているのか。


 マチィナの双眸は、遠い過去を見つめているようだった。

 

 カレンは、マチィナの薄氷のような瞳の奥に、きゅるきゅると動く瞳孔に吸い込まれていくような感覚を覚えた。


 ─────────◇─────────


 それが羊水のものだったか、覚えていなかった。

 けれど確かなのは、暗くそして温かい液体に浮かんでいたということだ。


 浮力に従い、地に足を着くことが出来ないあの感覚を、マチィナはまず初めに覚えた。


「……ああ、クレア。私の可愛いクレア」


 シトリウスの姉妹や、彼の妻とは違う黒髪の男が、無垢なガラスに手を添えながら恍惚とした表情で、安らかに眠る少女を見つめていた。


 彼の足元には、赤黒く変色した何かが蠢いている。


 それが音を発する度に、男は足で踏みつけた。

 鳥の囀り、または悲鳴にも似た音が響く。


 アベル・ブックメイク・シトリウス。

 妻と三女を失った、哀れな男こそが、禁忌に手を染めた者だった。


 三女クレアは水子。妻はそのショックで、自ら命を絶った。長女が12、次女が、まだ8つの頃だった。


 まだ幼子だったふたりを差し置いて、アベルも妻の後を追おうとした。けれど、失敗に終わった。


 そして、彼の目の前に現れたのだ。

 何よりも冒涜的で、しかし蠱惑的な罪が。


「アンタのやや子……えらい大きゅうなりはりましたなあ。禁忌に手を染めた気分は、どうどすえ?」


 男性であるならば、彼女に誘惑されないのは不可能と言えるほどの美貌に、艶かしい肉体。

 

 舌なめずりをするその様は捕食者のようで、唾液は骨を溶かす酸の如く獲物を追い詰める。


 色欲の大罪、アスモディウスだった。


「もうすぐだ。もうすぐ、クレアが帰ってくる……」


「産まれたてのやや子には、お乳あげるお母はんが要りますやろ? それとも、乳母でも雇わはったんどすか?」

 

「その必要がないのは、お前もわかっているんだろうに、アスモディウス」


 アベルが振り返り、アスモディウスの瞳を見つめている。

 

 彼女の黒髪の内には赤の帳が広がっており、亜麻色の双眸を輝かせていた。


「ふふっ、アンタも随分と、ヒトを捨ててこっち側へ堕ちてきはりましたなあ。アベルいう名前が、泣いてはりますえ」


「何を言う。娘を望んで、何が悪い」


 そう言うアベルの背後に、娘はゆっくりと目を開けた。アスモディウスはそれに気づいていたが、あえて伝えなかった。


「ホムンクルス、それとも機械人形(マキナ)……? どのような形であれ、アンタの夢は、叶いはりましたなあ。おめっとさん」


「ま……きな……?」


 あまりにも無垢で、しかし抑揚のない声。

 初めての言葉。初めての発声。


 それこそ、彼女が自分の名前だと勘違いした単語だった。


「可愛いお嬢ちゃんが、お目覚めどすえ。ほら……お父はん。ご挨拶、しはらへんの?」


 アベルが、再び無垢なる少女と自分を隔てるガラスに触れた。

 まるで撫でるように、それを撫でている。


「……クレア! ああ、成功した! クレア、パパだよ。見えるかい!」


「くれあ?」


「そうだ! 君はクレアだ!」


 しかし、彼女は首を傾げた。

 それが、自分の名前ではないと感じているように。


 「ま……きな。マ……チナ。マチナ」


 ただ、そう繰り返す少女。


 光差すアベルの表情は、暗い影に覆われた。

 それとは対照的に、アスモディウスは慈愛を含んだ顔で笑みを浮かべていた。


「あら、ウチが名付け親みたいどすなあ。困りましたなあ……いっそのこと、お母はん役にでも、なってあげまひょか?」


「黙れ。お前は、クレアの親などではない。私と、サラだけがシトリウスの親なんだ」


「せやけど、そのサラはんは、もう居てはりまへんえ。そうどすやろ?  この子のせいで、死んでしまわはったんやさかい。」


 アベルの脳内に、ふつふつと血液が沸き上がるような感覚が奔った。

 サラが死んだ。クレアのせいで死んだ。


 心の奥底で、ふと考えついてしまった禁句を、ほじくり返されたからだ。

 サラは死んでいない。クレアも。


 みんな、ここにいる。


 アレサもユーノも、これで大丈夫だ。

 また、家族で食卓を囲もう。


 そう考えていたものの、足元の失敗作たちがアベルを現実に引き戻す。

 

 彼のズボンの裾を、指のような器官で引っ張るそれ。

 泡立つような音で、『ぱっ、ぱっ』と彼を呼んでいる。

 

 アベルは、表情を引きつらせながらそれをなんども踏みつけた。

 ぐちゃり、と嫌な音がした。


 未熟な果実を踏み潰したか、それとも小さな骨か。


「見苦しいどすえ。クレアが、不憫どすなあ。いくらウチが『色欲』や言うても、それは……気分が悪うて、かないまへんわ」


「元はといえばお前が私に囁いたからだろうが!」


「望んだんは、ウチを呼びはったんは……誰どす? それを一度、よう考え直しておくれやす」


 アスモディウスが、甘い肉の香る、暗い地下研究所を後にした。

 呼び止めるアベルに、一度足を止めて振り向いた。


 その眼は、まさしく悪魔。

 上級をも凌駕する、大罪。


 「人間たるアンタが、全ての元凶どすさかい……。そこを、履き違えたらあきまへんえ?契約通り、サラはんの体はいただきやす」


 「待て、おい!」


 制止するも、アスモディウスは粘つくスライムのように溶け、その場から消えた。

 項垂れる、哀れな父親だけが残ったのだ。


  ─────────◇─────────


「お待たせいたしました、お客様。こちら、シトリウス名物の……」


 カタッと、真っ白な食器が音を立ててロニアたちの前に置かれた。

 ロニアの想像していたソーセージとは違った。


「ヴァイスヴルストでございます」


 その肉は白く、焦げ茶色の焼き目がむしろ、コントラストを産んでいた。

 

「この香り……、レモンなんですね?!」


 ロニアが、目を輝かせる。

 食に興味はなかったが、何せ飢餓目前だ。


 腹に入れば何でもいい。

 けれど、おいしいものがいい。


 すでに、肉汁と脂が表面を輝かせ、湯気が香りを鼻腔まで運んだ。


「すっげえ、うまそぉ……」


「ロニアくん、みんなの分も残すですよ?」


「わ~ってるよ、でも、ちょっと多めにいただこうかなぁ?」


 食べ盛りの息子を見るように、カレンは自分のものを半分に切り分け、片割れをロニアの皿に置いた。


「えっ、いいの?」


「とってもお腹すかせてたし、いろいろ助けてくれたからね」


 やったあ。無邪気な少年のように、ロニアはソーセージを口に運んだ。

 しかし、このソーセージはずいぶんと固い。


 ナイフで切るのに悪戦苦闘していた。

 いっそのこと、白魔法マタイで切り裂いてやろうかとも思った。


「ロニアくん。これはね、皮をむいて食べるんだよ」


「え、そうなの?」


「ふふっ、皮ごと食べるなんて、ワイルドね」


 アレサが揶揄うように笑っていた。

 少しだけ恥ずかしかったので、唇をすぼめるロニア。

 カレンが皮をむくと、香りはより一層良いものになった。

 

 咀嚼するたびに、脂があふれ出る。

 

 レモンとパセリの、一見相反する存在が、手を取り合って調和を生んでいた。


 すると、食堂のドアが開かれた。

 そこにいたのはユーノではない。


 「おや、客人か。すまないね。研究に没頭していたから」


 痩せこけて骸骨のような様相の男と――。


「えっ、どうしてあなたが……?」


 アレサが、彼の連れている女性を見て、手に持っていたフォークを床に落とした。

 桃髪で、翡翠色の瞳。豊満な肉体に、母性溢れる表情。


 しかし、何かが違った。


 ロニアが、列車で感じた違和感が、線でつながった。

 美味かったはずのソーセージが、まるで腐臭のような味がする。

 そのくせ、途端に空間に甘い臭いが満ちた。


「マチィナはんの、お友達どすか? 皆さん、えらい元気が良さそうで……よろしおすなあ?」


 ロニアたちを見渡すその顔。

 わずかに、舌なめずりをしたのをロニアは見逃さなかった。

 

「初めまして、お目にかかりますえ。ウチ……『サラ』言いますねん」

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