【第三十七話 震えの理由】
ロニアがユーノを弄んでいるころ。
マチィナは、カレンとリウを連れて派手な帰宅を果たしていた。
姉、ユーノからの手厚い歓迎は、シトリウス家の闇を雄弁に語っていた。
玄関を抜け、マチィナに応接間へと案内された。カレンとリウ。
「あの人は、変わんねえのな。ユーノさん」
「あの人、リウのこと知ってるみたいだったよね」
「ああ。俺たちがまだ14歳のころに、初めてマチィナと会ったからな。その時からだ」
かつて教室の隅で泣いているマチィナに、どうしたのだと手を差し伸べたリウ。
友達ができない。人と関わるのが怖い。怒られたくない。
そう語ったマチィナに、リウは自分も同じだと打ち明けた。
その時から、二人は相棒となった。
カレンと出会ったのは、砕獣研究という繋がりがあったからだ。
友と出会い、ただ震えているだけだったマチィナは、笑えるようになった。
「でも、どうして私たちを招待しようとしたの? まるで、自分からトラウマに突っ込んでいっているみたいな……」
「【笑えるようになった】って、証明してやりたかったのです。私は、ただのこねずみじゃないって」
「初めて会った時より、あなたは笑えるようになってるよ。大丈夫」
そういうカレンたちこそ。
マチィナは、二人を見つめていた。
「ロニアくんが来てから、二人はまるで憑き物が落ちたようなのです」
二人は顔を見合わせ、過去を追憶した。
重圧に耐えかねたカレンに、ロニアがかけた言葉。
魔法を上手く扱えないリウに対し、魔法への向き合い方を教えてくれたロニア。
「次は、私の番なのです?」
マチィナは、歯を見せて笑って見せた。
どこか無理をしているようで、表情筋が引きつっているだけのようにも見えた。
その表情に、二人はどうしようもなく心を引き裂かれるような感覚を覚えた。
「マチィナ。もし、どれだけ辛いことがあっても。俺たちがついてるからな」
「ロニアくん程とまではいかないけど、私たちだって力になれるから」
屋敷の壁に掛けられたランタンに、明かりが灯った。
つまり、夜が来たということだ。
暗い夜というのは、心細い。
カレンは、マチィナに接近し、抱き着いた。
幼さの残るその体は、カレンの成熟したものとは違っている。
肉付きが少なく、細枝のよう。
だからこそ、彼女の肋骨を通じて、カレンの胸元にも鼓動が伝わった。
嵐に逢えば折れてしまいそうに脆く、そして心細い。
「ひょえっ!? いきなりなんなのです!?」
「ロニアくんはね、言葉よりも行動っていうスタンスなの。びっくりするでしょ? あのロニアくんが」
リウも、ロニアとの特訓を思い出していた。
マチィナに近づき、肩をポンと手を添える。
炎魔法の特訓が実ったか、高い体温がマチィナを温めた。
「だからね、私たちはこうやって証明する。今のマチィナは、笑えてるよって。示してあげるよ。もしも、誰かがあなたをなじっても」
「……だと、良いなのですが」
マチィナは、ただカレンに体を委ねていた。
姉というよりも、まるで母のような抱擁。
自分とは何かを時々問う事すらも、マチィナはバカバカしいと思っていた。
私は誰なのです?
私は、マチィナなのです。
毎朝、鏡の前でそう自問自答する。
誰よりも明るいはずの彼女が、誰よりも暗い顔で、自己の存在を再定義する。
そうしなければ、精神が砕けてしまうからだ。
『私はマチィナなのです』。
この言葉が、クレアと呼ばれた少女の心の絆創膏になっている。
おまじないのようなものだ。
従者がやってきた。両手で握られている箒。
恐らく、掃除をしに来たのだろう。
彼女は、マチィナの姿を見て驚愕している。
「クレ……マチィナ様!? おかえりになっていたのですか!」
「あぅ……はいなのです」
抱きしめられながらの応答は、流石に苦しかった。
話すたびに、カレンの柔らかな石鹸の香りがする。
「でしたら、お夕飯でも如何でしょう? ご友人もいかがでしょうか?」
「なら、この子も一緒にしないとね」
いつの間にか、扉が開いていた。
「あ……アレサ様まで!? お帰りなさいませ! お仕事、お疲れさまでした!」
そこには、蒼いマントを羽織った優しい目つきの女性と、ロニアがいた。
ロニアは三人の姿を見ると、『お待たせ』というように手を挙げた。
息苦しそうにしているマチィナを解放し、カレンは恥ずかしそうに前髪を指先で弄っていた。マチィナの抱える心の闇を何となく察せていたロニアは、カレンが何をしたのかを理解した。
代わりにやってくれてありがとうね。
伝わるかはわからないが、その意味を込めてロニアは笑った。
ぐぅう。
気の抜けた音が、応接間中に響く。
ロニアの腹の虫が、空腹を叫んでいたのだ。
「流石に、ボクお腹ペコペコだよ。あ~、もう動けないなあ」
「あんなにハデにやれば、お腹もすくでしょうね」
蒼マントの女性。アレサが、苦笑しながらロニアの頭をぽんと叩いた。
「ゴメンなさいって。ああやって、友達を侮辱されるの大嫌いなんですよ」
「だって。ねずみちゃん、愛されているわね」
穏やかに笑いかけるアレサ。
影が差していたマチィナの表情に、光が戻った。
「……はいなのです! アレサお姉ちゃん!」
「ユーノに色々言われたでしょうけど、気にしないでね。私の方から、叱っておくから」
「それでは、お食事にいたしましょう。人数が多いので、少々お時間を頂くでしょうが……」
「構わないわ。ゆっくりでいいから、うんと美味しいものを振る舞ってちょうだい」
従者は首肯し、応接間から去っていった。
埃舞うことなく、足音は最小限に。
この部屋の掃除は、明日でも問題ないだろう。
「ロニアくん、マチィナ。その人は……」
「私のお姉ちゃんなのです!」
「そんで、シトリウス騎士協会の団長さん。怖いけど、思ったよりも優しい人だよ」
「まあ。優しい人だなんて、口が上手いわね」
まるで弟のように、頭を撫でられるロニア。
しばらく『姉』という存在とは距離を置きたかったが、アレサに対しては月天のようなどす黒いものを感じなかった。
清廉潔白。
純粋な、年長者としての誇り。
その振る舞いは、まるで星軒のようにも似ていた。
「さて、晩御飯までしばらく時間があるわ。あなたの冒険、昔のように聞かせて頂戴?」
アレサが、マチィナの眼前にあったソファへ腰かけた。
目を輝かせたマチィナは、実家を離れていた時期の話を、嬉々として語るのだった。
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「さて、ワタシがオマエを火の海で溺れさせる前に、白状なさい。悪魔を扇動したのは何故です?」
サタンが、ドレスの肩から腕先にかけてを撫でると、黒炎が鎌の形を成した。
その様相に、レヴィアタンはただ震えることしかできなかった。
「えと、あの……出来心ってか、えへへ。そこの天使様あ~! 助けてってばよぉ~!」
「地獄への視察はしますが、悪魔。ましてや大罪に手を貸す道理はありません」
ウリエルが、表情を変えずに切り捨てた。
「ダブスタぁ! アンタ、サタンちゃんに手を貸してんじゃあん!」
鎌の刃先が、レヴィアタンの首元へと迫った。
「黙りなさい。これも、全てクソ兄……ルシフェル捜索のためです」
ルシフェル。最強の熾天使であり、最強の大罪・傲慢を司る男。
かつての反逆では、天界の三分の一が彼に味方するほどのカリスマ性を持っていた。
『神に似たるもの』という名を持つミカエルですら、ルシフェルの攻撃で肉体の八割を失ってしまったのだ。対して、彼は無傷だった。
神の手により、ルシフェルは堕天。
その際、彼は3つに分かれた。
憤怒であり、地獄の王サタンと、傲慢たる堕天使。
そして、切り離された彼のわずかな善性。
その善性は、ルシフェル堕天の際にどこかに堕ちた。
「彼もまた、ワタシと同じように熾天使でした。時流潜行も可能でしょう。尚更、どこに行ったのか」
「ぐぅう。羨ましかったんだよお……。ルシフェル様ってばイケメンだしぃ。呼べば悪魔も、あの方と一緒に堕落した天使もすぐに集まるしぃ」
「まさしく嫉妬ですね。レヴィアタンの名は伊達ではないようです」
「で、でもでも! アタイが連れ出したのはあのちっこい水獣だけだよ!」
「はあ? 嘘をつくのも大概にしなさい。二度と、その軽口を叩けないよう下あごを砕きますよ?」
「確かに。ワタシが断裁したあのレヴィアタンも、正確にはアナタの配下でしたね。名前は、確かラハブ?」
八方ふさがりだと感じたレヴィアタンは、両手を広げた。
降参の意を示しているようだ。
姿は美少女でも、内面は大罪そのもの。
行動理念に、筋の通ったロジックはなかった。
サタンにも、きっとそういった一面がある。
「うん、ダメだこりゃ。アタイ、嘘を吐くの下手っぴ。そうだよ。地獄と人間界の門を開けたのはアタイ。何体出て行ったかわかんないなあ」
彼女は思い出したように、掌をポンと叩いた。
あっ、そうだ!
素っ頓狂な声を上げ、彼女は言った。
「み~んな、粉々になっちゃったんだ。カビみたいに!」




