【第三十五話 がたんがたん】
駅員がチケット提示を要求する前に、マチィナは流れるような作業で済ませていた。
その様は、まるで天界のカタブツ熾天使のようにスムーズだった。
出発まで、まだ少しだけ時間がある。どうにか暇を潰せないかと、脱・スノーマンを果たしたロニアは歩き回りながら考えていた。
すると、無料で持ち出しできる冊子のコーナーが目についた。
『エーテル列車のしくみ』
児童書のようなタイトルの反面、ページを捲れば如何にもお堅い論文の波が押し寄せた。
分厚い論文だったが、こういったものには裏技がある。
どんな内容かを知りたければ、序論と結論だけを読めばよい。
怠惰が生み出した、最強の時短術。取捨選択の極致といってもいい。
しかし、この世界における蒼魔石はさながらインフラの心臓だ。
実際、『青の道』のように、この列車にも使われていた。だが、観点が違う。
ロニアは、青の道を面と解釈した。舗装し、その上に車輪を走らせる。
いや、あの感覚は車輪が回るというよりも滑っていた。
しかしこの列車においては、空間だった。
その真偽を確かめに、停車していた列車へと近づいてみる。
レールの各所に、キラリと光る蒼魔石が向かい合うように設置されている。
誰も見ていないことを計らって、冊子を潜り込ませた。
すると、手元から逃げ出すようにそれはもがいていた。
「ふぅん。斥力、『座標拒絶』ってことね。浮いていた煌王朝も、こいつの力だったんだ」
これは、ずいぶんと穏やかな旅になりそうだと思った。
語り部ロニアは、どれほど持つのだろうか。
おそらく、もって40分ほどだろう。快適な睡眠になればいいが。
分析もほどほどに、ロニアはカレンの元へ戻った。
平日だというのに、人はそこそこ多かった。時計を見ればまだ夕方を回ったばかり。
けれどロニアの腹は、昼間からずっと鳴いていた。
ぎゅるるという音に、『食わせろ』という願望を乗せて。
「何かわかった?」
「うん。ちょっと歴史が気になってきたね」
「ロニアくんが、興味を持った……?」
「なんだと~?」
こうして旅をするのも、二度目になる。
これはちょっとした遠征ではあるものの、ロニアは長い夜になりそうだと思った。
こういった直感は、なぜか的中してしまう。今回は、いったいどんな面倒ごとが待っているやら。
ハードワークでないのなら、なんでもいいやと思うロニアだった。
また天使形態にはなりたくない。あれは、とても疲れる。
そんなことを考えていると、鼻腔を砂糖の甘い香りがくすぐった。
売店帰りのマチィナからだった。右手にはバスケットをぶら下げている。
足取りはご機嫌のように見えたが表情にほんのわずかな、瞬きしたら気のせいだと思ってしまいそうな程の陰が差していた。
「ウッソ、これから晩御飯なのにお菓子食べちゃうの?」
「ちがうのです〜! これはお土産なのです。お姉ちゃんたちは甘いものが好きなのです。こうすれば、怒られないです!」
怒られないための賄賂かと、ロニアは苦笑した。
「お姉ちゃんっていうと、そのシトリウス協会の?」
アレサ・イズマエル・シトリウス。
クリスタリアの全ての騎士を統括するシトリウス協会の団長で、そこは要人警護や抗争の切り札。
果てには、迷い犬探しまで受け持つ組織だった。
「はい、とっても優しいですけど、ユーノお姉ちゃんは……」
「ユーノ? 誰それ」
「次女なのです。私を、『こねずみ』って呼んでて……」
震えるマチィナだったが、拳をギリッと握りしめた。人間離れした膂力が、バスケットの持ち手を平たくしてしまった。
「私は、マチィナなのです。こねずみなんかじゃ……」
長女アレサの話を聞く限り、随分と頑固そうだったが、菓子が好きとは意外だ。そういったところを、マチィナは受け継いだのだろう。先ほどマチィナが自身を『奇妙』と評したのは、姉たちの意外性ばかり承継してしまった為か。
騎士といえば、彼女の剣杖が見当たらない。
いつでも肌身離さず持ち歩いていたので、持っていないとなるとなんだか違和感がある。
「ねえ、杖は?」
「……青魔法で、しまってあるです。向こうでは、使わないですし」
「へえ、使えるようになったんだ。あれ」
代わりに返答したのは列車だった。
腹に響く汽笛の音。そろそろ出発の合図だろう。
「そんじゃ、行きますか」
─────────◇─────────
柔らかな青い座席。天井から吊るされたランタンから、淡紅色がロニア達を照らしていた。
見晴らしの良い窓からは、ケリドリヒに面する本物の海が見えた。いくつもの貿易船が行き交っている。
様々な構造で、木造があればこのエーテル列車のように金属で造られているものもあった。
足元に微振動を感じるだけで、『揺れている』という感覚は無かった。列車は、まだ地上を走っている。
空腹も、ある一定の波を過ぎればどうということは無くなってしまった。
既に『無』の境地へと達し、もはや食事の必要はないとすら感じてしまうほどだ。
そのため、列車内で販売されている飲料や軽食には、目もくれなかった。
たとえ、こうして車内販売サービスのワゴンが通ったとしても。ロニアは決して――。
「すんません、この『トラベルティー』とスコーンをください」
誰もが、堂々としているロニアの顔を見た。
舌根が乾かぬうちでの矛盾。
手首がねじ切れんばかりの、見事な手のひら返し。
マチィナにすごい顔で見られている。
『晩御飯なのに何とやらとか言ってたのはどこのどいつなのです?』
と、その翡翠が幾重にも重なったような瞳は語っていた。
許してほしいと、ロニアは微笑みを見せた。
「せめてお茶ぐらいは許してよ。ボク喉が渇いたよ」
「……ロニアくん、スコーンってさ、喉渇くよね?」
「そんなにお茶が欲しいなら溺れるほど振舞ってやるです」
「ご、ごめんってば」
なけなしの銀貨を支払い、いただいたスコーンを齧った。琥珀のような色の香り高い茶が、よく菓子と合う。
しかし、カレンがどこか居心地悪そうにしていた。
「どしたの?」
「いや、だって……」
私たち、普通の格好じゃん。彼女は、周りを見ながら小声で囁いた。
確かに、周りを見れば乗客の格好は煌びやかだった。貴族、それも位の高いものがほとんどだった。
しかし、それはカレンたちも同じだ。最大級の学院、その院長の孫。
東方、煌王朝の末弟。騎士協会団長の妹。そして、貧乏学生。
脱ぎ捨てた服が、カバンを膨らませている。
恥ずべきはロニアなのに。
「いーんじゃない? 堂々としてりゃ、それっぽく見えるでしょ。ボクを除いて、みんなお金持ちでしょ?」
「うーん、まぁ……そうかも……だけど……」
「大事なのは、格好か。哥哥も言ってたな」
それらしく振る舞えば、そうとして扱ってもらえる。
流石、新生・煌王朝当主たる星軒だ。上に立つものが何たるかを、やはりよく知っている。
しかし、貴族といえど烏合の衆だった。
カネに目が眩み、自分が頂点と勘違いしている愚者。
この列車にも、そういった人間がいた。
「おや〜? やけにカビくせぇと思ったら、庶民クンが乗ってたのかぁ〜?」
臭いもののように鼻を塞ぎながら、ロニア達を見下ろすどこかの貴族の団体。
悪友との旅行と言うべきか。ハメを外し、人様に迷惑をかけるのはどの時代でも変わらない。昔も、きっと未来も。
リウが立ち上がるが、僅かな腕の痛みに彼は唸った。
自分がやる。そう目配せして、リウを制した。
「はは、ボクらになんか用ですか?」
「いやぁ〜、快適な旅に悪臭がしたらなぁ? ヤだよなぁ?」
取り巻きの顔を見て、ゲラゲラと笑っている。
「そうですねぇ。同感です。せっかくの旅行ですからねぇ」
「お? わかってんじゃん。じゃあさ、さっさと降りてくんね?」
「ちょっと、失礼じゃないですか?」
カレンが毅然と言い返そうとする。
そこにはかつての、護られるだけだった彼女の目はない。
しかし、男が逆上してカレンに手を伸ばした瞬間。
ロニアの心を、氷河が覆った。自分でも、この心が誰のものかわからなかった。
「あの、彼女から手を離してください」
「え〜? なんだってぇ〜?」
「はぁ。聞こえないんですか? 【離せよ】」
瞳が赤光する。空間に、押し潰すような圧力がかかった。それだけではない。空気が、剣先のようにチクチクする。
固まっていた。カレンたちも、ロニアの発した気に当てられ、震えている。
「どうした。【早くしろよ】」
腰を抜かした貴族たち。ひとりは仲間を置いて逃げ出してしまった。
「ひぃっ……! 化け物ッ!」
逃げるように去るその様は、まるで畜生のようだった。
化け物だなんて。最後まで失礼なやつだ。
ロニアが一息つくと、列車特有のエーテルの焦げた甘い匂いが鼻についた。
「ろ、ロニアくん……今のって……?」
「ゴメンね。つい、ムカついちゃってさ」
「でも、なんだかロニアくんがいれば……」
マチィナがそう言いかけて、飲み込んだ。
移りゆく景色。語り部は疲れて眠ってしまっていた。
駅員が知らせる。次の駅は、シトリウス領だと。
目を覚ますと、森林が広がっていた。
ふと、甘い香りがした。スコーンのバターではない。もっと脳を蕩かすような、蠱惑的でねっとりと滴る香り。
「あら、早いもんやねぇ」
耳元で囁く艶かしい声。
見渡すと、いつの間にか空席だった向かいの窓側に、女が座っていた。桃色の髪と、翡翠の眼の彼女が。
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