【第三十話 再见(さようなら)。】
からっとした一陣の風が、静かな闘技場を気ままに通り過ぎた。
二人の竜が、にらみ合っている。
観客は、ロニアたちを除けばひとりもいなかった。
寒いはずだったのに、皆は汗をかいていた。
「では、規則の再確認といたしましょう。基本的なものは、継承戦と同じでございます。ですが、一対一となっておりますし、場外で負けというわけではありません。戦意が喪失するまで、お二人には戦っていただきます。」
皇帝の従者が、手に持っていた紙をつらつらと読み進めた。だが、そんなことはわかっている。
もはや二体の竜を阻む者はいない。かつて、ロニアが星軒にしてみせた、あの魔力のぶつかりあい。
足元に草花があったなら、それは今頃結露によりびしょびしょに濡れているだろう。
「準備はよいか」
「いつでも」
余計な言葉はいらない。リウが、かすかに首肯した。
激流。リウの足元を掬った。体勢を崩し、前方に倒れる。
来る。水の剣。腰をねじる。脇腹を掠め、剣先に紅を添えた。
切られたはずなのに、鈍痛が響く。
踏みしめ、深呼吸。体内を、魔力が駆け巡る。
真っ赤な熾火。何度も消されようと、それは絶えず燃える。
ロニアの教えたとおりだった。爆発ではない。持続だと。
二撃目。二振りの水剣。その双眸は、動きを的確にとらえていた。
交差。しゃがみ込む。剣が空を斬った。
「我は鉄。我は巨人也。【緑魔法:硬質化ッ!】」
燃ゆる右腕が、煌めく結晶となった。足元から、突き上げる。
鋭い流水は、ただの液体へと戻った。
勢いは前方へ。脚に緑魔法の加速。さらに速く。
右ストレート。躱された。拳は床へ。闘技場全体にも及ぶようなヒビ。
「……しかし、本当にやるようになったが、猪突猛進さが否めんな」
「へっ。課題点だ」
戦闘の激流が、ひとたび緩まった。
「うへ~、よくもまあ、あんなにバシバシ動けるもんだね」
観客席。脚を組みながら、澄んだ緑色の香り高い茶を啜りながら、驚愕したロニア。
マチィナは、後ろで頑張れと、エールを送っている。
隣に座るカレンは、リウが鎖を超克したことは理解していたが、それでもまだ不安げにリウを見ていた。
「大丈夫だよ、カレン。リウの奴は、絶対に勝てる。なんたって、ボクが教えたんだからさ」
「でもね、こんな時はすっごい不安なの。子供の発表会で、母親が緊張しちゃうのも頷けるね」
じゃあこの場合の父親は誰だ。いや、考えるのはよそう。
今はただ、弟子の奮闘を眺めることにした。
再び、波が上がった。
星軒は、札を一枚取り出した。
「縛術:【怒濤大海】」
彼がそう唱えると、辺りが曇る。
しとしと。雨が、降り始めてきた。
ロニアたちは、従者に渡された傘を差したが、リウに当たった雨粒は蒸発していた。
そして、それは次第に剣の驟雨となった。
雨粒の一滴一滴が、先ほどの剣である。
まず、最初の一本が突き刺さる。二本目。眼前。
連鎖するように、三から五本目。
リウは、徐々に自身の体温を上げていく。
肉体が耐えられるように、強化魔法を重ね掛けしながら。
そして、ついに剣が、リウに狙いを定めた。
落ちる。突き刺さると思い、カレンは目を瞑った。
ロニアは、そんな彼女の肩をポンと叩いた。
ジュウウゥッ!
雨音をかき消すほどの音。
剣が、蒸発していた。
水蒸気がたちこめたが、むしろ視界が悪化する。
白い光が見えたかと思いきや、それを切り裂くように、星軒が現れた。
右手には、実体の剣が握られていた。
「水天剣。我が神具也」
銀閃。音もなく走る。
カラン。何かが落ちる音がした。リウは、違和感を覚え自身の右肩に視線を注いだが――。
ない。あるはずの腕が。断面から、遅れて血を噴き出していた。
皆の絶叫よりも先に、ロニアも立ち上がる。
「ちょっ、おいおい。そんなのありかよ」
「どうか落ち着いてください、お客様。煌王朝の技術があれば、すぐにくっつきます」
白魔法、回帰でも治せる。だが、ロニアが驚いたのはそのせいではない。
あの剣から溢れる魔力。それは、エレクシアにも似ていたからだ。
まさか、あそこまでするとは。星軒のやつ、思ったよりも大人げない。
「ロニアくん……あれじゃあ……!」
「仕方ない。ちょっとお邪魔しよう」
お邪魔とは言ったものの、実際に降りて戦うわけではない。
ただ、お届け物をするだけだ。
「カレン。マチィナ。先生。ちょっと、何も見ずに耳を塞いでおいてください」
そこのあなたもです。言って、ロニアは従者を睨んだ。
首肯し、目を閉じて耳を塞いでいた。
「一節部分解錠。鍵は『マタイ』」
足元に、歯車の形をした赤い魔方陣が浮かんだ。
ぎぃい、という音を立てて、システムに干渉する。
これが、助けになればいいが。これは、幾分か弱体化されているから。
【認証。仮定的赤魔法:是、平和の為ならず。齎すは剣也】。
虚空から現れるのは変わらない。けれど、光は白魔法の時よりも微小だった。
それを、思いっきり戦場へと投げつける。
水天剣の一閃を、エレクシアが弾いた。
上から叫ぶ。
「星軒さあん! ちょっとずるいと思いますよ!? だってそれ!」
十二神徒。ガリラヤの秘宝じゃないですか。
全員の動きが止まった。
刹那の静寂が、やけに喧しかった。
「……やはり、ロニア殿には敵わぬな。私が、十二神徒だということも見抜かれている」
「う、噓だろ……?」
「本当だ。第二席、【激流】を引き継いだ。しかし――」
だからなんだ。剣をとれ。戦え。星軒は叫んだ。
リウの利き手は右。ない。左手で握るも、うまく振れない。
ならば。リウは、があっと口を開け、エレクシアの柄に嚙みついた。
口腔に、金属の味が広がる。それは、まるで舌や唇をも焼灼してしまうほどの熱を帯びていた。
手が使えぬなら、口で振るうまで。星軒が、微笑みを浮かべた。
「そうだ。それでこそ私の弟だ!」
馳せ違う二人。銀閃と白閃。衝撃が、観客席にまで伝わった。
内臓を震わせるような、地鳴らしならぬ空鳴らし。
むろん、轟音が闘技場に木霊した。
「ロニアくん! あれっ……! あの白い剣は何……!?」
「あれはね、ロンド家の秘宝だよ。エレクシアってんだ」
伝説の傭兵の一家なら、そういう神器の類は持っているべきだろう。
ロンド家という、隠れ蓑を用意してくれて本当に助かった。
これで、隠すことが幾分か容易になった。
星軒の剣を振るう右腕を、リウは残された左腕で噛みつくように抑えた。
咥えられたエレクシアが唸る。水天剣とエレクシアが閃光を瞬かせ、火花を散らしていた。
「……リウ。お前は確かに強くなった。しかしだ。お前はまだ、当主になるには早い」
水天剣が、隆盛を増す。リウは踏みとどまる。猛進。進め。
暗示し、その勢いをも覆した。星軒が目を見開く。
けれど、それはやがて微笑みに変わった。
「……そうか。理解したよリウ。ここは退こう」
そのまま、エレクシアは、星軒の胴体を斜めに斬りつけた。
返り血が、リウに触れて蒸発する。
ロニアは、彼の無言の快哉を眺め、微笑した。
忖度しやがって、食えない男だ。そう思った。
「さっすがリウくんなのですぅ~!!」
しじまを壊したのはマチィナだった。
後ろで飛び跳ねる彼女だけが、やかましかった。
カレンは、張り詰めすぎた糸が切れたように息をついた。
その額には冷や汗がにじんでいる。
「っはぁ~……緊張した……」
「見てるだけって、わりと緊張するよね」
「そういうロニアくんはどうってことなさそうだけど?」
「……弟子を心配しない師匠がいるもんか」
言って、舞台のリウに手を振ってやった。
リウの右腕は、まだ新鮮だった。傷口の断面には、いまだエーテルが張り付いている。
これを利用し、リウの身体的特徴である溢れ出る魔力と結合させるのだ。
それぞれ、エーテルと魔力は互いに鉤爪状になっている。
人体が魔力を生み出せるのは、心臓上部の臓器が、エーテルを組み替えているのだ。
とどのつまり、呼吸とほぼ同じメカニズムだ。
以前と同じように動かせるようになるには、一か月ほどかかるらしい。
それまで、左手や脚技を使用したほうがいい。そう結論付けた。
「……勝ったのは、お前のようだな。新儀星よ」
宿を去ろうとするロニアを呼び止めたのは、煌皇帝だった。
新儀星。新たな、リウの字名。新しい模範の星。
「……はい。ですが、右手を持っていかれました」
「ああ。それに、お前の武器は、この白髪の坊主のものだったそうだな」
リウが、顔を伏せる。せっかく認められたのに。そう思っていたところだった。
「お前を当主として認めるわけにはいかん。もっと、沢山の仲間と出会い、研鑽しなおしてこい」
空を見上げ、皇帝はいつもより低い声色で言った。
「つまり……?」
皇帝は、馬車の前で立っているロニア達を一瞥していた。
もうすぐで、夜が訪れる。提灯に照らされた一行。
「……行ってきなさい。友と歓談し、衝突し、やがて相応しくなったら戻ってきなさい。次の当主は、星軒に任せる。焦るな。我々は、いつでも待っているからな」
リウの表情が、いくらか和らいだ。何度も、『ああ』と頷いている。
ロニアは、大きな出来事がひとつ解決したときの解放感を覚えていた。
こうなると、ふと眠くなる。
「ボクは先に乗り込んでるから。着いたら起こしてね」
カレンが、微笑みながら首肯した。
この場に、セスはいなかったが。
ある控室。
包帯を巻かれている星軒と、セスがいた。
沈黙だけがあり、その空間には大人の男女特有の距離があった。
ぐるぐると、彼の胴体に包帯を巻くセス。
時計の針が、一番やかましい存在だった。
それを覆したのはセスの声だった。
「オマエ、わざと負けただろ」
「すまんな。どうしても、あいつに花を持たせてやりたかった」
「甘いな。昔から。だが、感謝するよ。ワタシの生徒が、後腐れなく帰れるのは理想的だった」
「恨まれているかと思った。だが、超克してくれた。それだけでも、私はあいつを誇りに思う」
そうかい。セスは、包帯を切り、彼の体に固定した。
血がにじむ。チクタクと音を鳴らす時計を一瞥し、セスはカバンを背負った。
「……もう行くのか、シモーヌ」
「あの子たちが待っているからな。ではまた。はしゃぎ過ぎるなよ、アンデレ」
やがて、彼女はロニアたちと合流し、馬車を走らせた。
煌めく青の上を、馬がすいすいと闊歩する。
やがて、宙に浮く都市が見えなくなったころ。
皆が眠りに落ち、ただ一人だけ故郷の方角を見ていたリウが呟いた。
「再见」
これにて、煌王朝編が完結いたしました!
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