【第三十話 蛟瀏儀(ジオ・リウ・イー)】
レヴィアタンと月天との戦いから、実に4日が経った。あれから、まさしく忙殺と言ってもよい。
取り調べに次ぐ取り調べ。勝利の余韻だとかは無く、あるのは布団に沈むほどの疲労だった。
ジオ家でも統括できないのがこの王朝の治安維持局で、必要とあらば王に等しいジオ家当主ですらも収監できるとのこと。
実際、月天は今、暗い牢の中にいる。
だからこそ、星軒や雪慧らのサポートが功を奏することはなかった。
寝床へ、仰向きに落ちる。
身体が沈み、腰がわずかにぱきぱきと鳴った。
中年男性のように、声が漏れた。
ああ、本当に疲れた。目を閉じれば、まだ昼だというのに熟睡できそうだ。
継承戦も、しばらく延期になるそうだ。
最終決戦、当主決定戦は国民にとっても興奮冷めやらないイベントだったそうで、落胆の声があちこちから上がっていたそうだ。
「うぅ……疲れた……。この後の予定は……?」
ロニアがうめくと、サイドテーブルに置いてあった水晶が光った。
そこには、『Machina. P. Sitorius』と書かれてあった。
水晶がきぃんと音を立てると、横になったまま飛び上がってしまいそうな、甲高い声が響いた。
鼓膜をぎゅうぎゅう押し込むような感覚が襲う。
「おっまかせくださいなのですっ! えぇと……2時間後にはジオ家でディナーなのです! 遅刻厳禁なのですよ!!」
「うぅん……ありがとうねマチィナ……。次はもうちょっとボリューム下げてね……」
「あいあいさー、なのです!」
まだうるさい。疲れたロニアの頭に、ガンガン響く。
ロニアは、自分の用事が済んだので、こうして宿の自室へと戻っていた。
マチィナも、どうやらそのようだ。リウやセスが忙しいのは理解できる。
けれど、彼女は。ここ4日、顔を見られなかったあの人は。
「……カレンは、今どうしているかな」
「おっ、カノジョのことが気になるです?」
「まだ付き合ってないってば」
まだ。水晶越しのマチィナは、いたずら気にその言葉を復唱した。
小悪魔というのか、それともただのクソガキ気質か。
どちらにせよ、ここ最近はカレンの顔をまともに見られていない。
何度も、彼女の唇を奪ったからだ。
一度は応急処置として。二度目は、完全な事故。
「……でも、そうですね。カレンは、お買い物をしてくるだなんて言ってたです」
「買い物ぉ?」
思い出した。レヴィアタン討伐の報酬として、幾らかの金銭を要求しよう。
カレンに奢られてばかりでは、流石に申し訳ない。
これでも一応男なのだ。ずっと、誰もに坊や扱いされていたが。
「お土産なのかわからないですけど、きっと遠くには行ってないはずなのです!」
「んな犯罪小説の探偵みたいな……」
「おや、ロニアくんも読んでるです? こほん、こうなればこのマチィナがたくさん語ってやるです!」
「結構です」
どうしてこうも、ロニアの周りには騒がしい人間が多いのだろう。
いつになれば休めるんだと、かねがね思う。
「犯人は……実はドアノブだったのです! きっと、ドアノブに毒が塗り込まれていたのです!」
「はい? 被害者は首を絞められたって言ってなかった?」
「実は……ここにこそトリックがあるのです!」
こうして、マチィナの推理トリック(あまりにも無理があるもの)を、小一時間聞かされたロニアだった。
映像投射を切っておいてよかった。ウソ寝をしていても、水晶越しの彼女には気づかれない。
しかし、無視してもかわいそうだ。時々、適当な相槌を挟んだ。
ついに彼女のトリックが佳境を迎えそうなとき、ロニアは被っていた布団を持ち上げて上体を起こした。
「……リウのやつも、きっと大変だろうね」
「おお……珍しいのです。ロニアくんが人の心配なんて」
「ボクは鬼じゃないの。心配のひとつやふたつはするさ。それに、姉を二人も失って、平然としていられるワケがない。そんな人間は――」
数えるほどしかいない。過去を回想しながらそう言った。
どれも、地獄送りになった魂。猟奇殺人鬼。歴戦の兵士。一国の恐王。
家族を失うどころか、自ら手にかけた者たち。
リウは、そんな人間ではないと信じているけれど、心配というのは信頼をも塗りつぶす。
きっと、心に大きな傷を負っているだろう。本人は気丈に振舞っているが、果たしてどこまでもつか。
枕を抱えながら、再び寝床にごろんと寝転がった。
「ひぅっ……。つめてぇ……」
冬も近づいてきた。クリスタリアでは、もう雪が降っているだろう。
冷気が部屋を満たしており、ベッドシーツをきんきんに冷やしている。
就寝時のひんやりとした感覚はありがたいが、朝方の寒さは本当に勘弁願いたい。
「あっ、私もそろそろお散歩してくるですぅ! それじゃあまたね~!」
「はいはい、またね」
きぃいん。水晶が通信終了を示す音。
『この瞬間から、おまえはまた一人だ』
と言われているような感覚がして、無性に腹が立った。
まあいい。疲れたから、夕方まで寝ていよう。
抱き枕に絡みつきながら、ロニアは目を閉じた。
沼地に体を預けているように、だんだんと沈んでいく。
そして、最後には意識すらも体を離れた。
─────────◇─────────
当主の部屋は、家族であっても近づくことは許されない。
従者を通じて、伝言を繰り返すという、無駄な手段しかなかった。
扉の前で、腕を組んでいる男と、ただ見上げている少年がいた。
「……大事ないのか?」
「なにがだよ」
「あの子たちのことだ」
「俺も、信じたくなかったよ。花春姉さんが、月天姉さんに殺されて、その上あの人が……」
大罪だったなんて。赤髪の少年、リウが、拳を震わせた。
本当は、自分の手で止めたかった。けれど、ロニアですら傷を負ったらしい。
ならば、もはや自分の出る幕はなかった。歯がゆい話だ。自分は、まだ届かなかった。
「しかし、あまり己を責めるな。リウよ。月天がああなったのは、年長者である私と」
当主のせいだ。星軒は、堂々とそう言った。リウたちの両親であり、煌王朝の王。
いや、この国では皇帝と呼ばれていた。
「でも、まだ信じらんねぇな。最後に残ったのが、俺と哥哥なんて。捨てられた竜だなんて言われていた俺が」
「……そうだな。中々に、感慨深いものがある。使える魔法には変化なしだが、戦い方を変えるだけでこうもバケるとは」
「ロニアの奴がスゲェんだよ。魔法がすべてのこの世界で、唯一魔法を敵とする戦い方を教えてくれた」
「努々忘れるな。その感覚を。もしも継承戦があるのなら、私とお前の一騎打ちとなるだろうから」
従者が、重々しい扉の音を立てずにほっそりと開け、潜るように出てきた。
星軒とリウの顔を見渡すと、こほんとひとつ咳払いをしてから話し始めた。
「星さま。六ぼうや。当主、蛟煌位様からのご伝達です。明日の黄昏、闘技場までとのお達しでございます」
「闘技場、とな。継承戦は中止になったのではないのか?」
「それが、当主曰く『蛟らしく、水面下が良いだろう。もはや、海の獣が現れた我が蛟家に、民の期待を乗せるわけにはいかぬ』と……」
「そうか、ようやく決まるんだな、俺たち」
「あっ、それと六ぼうや。これは、非常に個人的なことだと仰っていたのですが」
思わず身構えるリウ。
「『よくぞ、新たな道を拓いてくれた。』だそうですよ。従って、新しいお名前をと」
言って、従者は紙を差し出した。そこに、当主が筆を執ったのであろう力強い筆跡があった。
そこには、こう書かれてあった。
『我が六番目の息子よ。かつて、出来損ないだった竜よ。よくぞ、我らが蛟家に新たな形を示してくれた。よって、お前に新たな名前をやる。【蛟】は、【瀏】き流れの中、新たな【儀】を見せるだろう。今までの非礼を、どうか詫びさせてくれ。頼りにしているぞ。瀏よ。 煌皇帝』
読み進めるリウの視界が、次第にぼやけて、頬を温かいものが濡らした。
手が震え、抑えているはずの嗚咽までもが漏れ出る。
今まで我慢していた分、ここで溢れてしまった。
「……ぐっ……うぅ……俺……やっと……」
星軒が、リウの肩をぎゅっと握りしめた。
そして、力強く弟を抱きしめた。
「……よかったな。私からも、お前を軽視してすまなかった。お前は、我らの誇りだよ」
「あぁ……俺……認められた……」
ありがとう。ありがとう。兄さん。父さん。姉さん。そして。
ありがとう、ロニア。
道端に捨てられていた迷い竜は、ついぞ光を見つけ、やがて巨竜へと至る。
天を穿つことはまだ能わない。けれど、必ずたどり着く。
皮肉気に笑う、彼の背中まで。




