表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/36

【第二十六話 深き海より来たるもの】

 初めて会った時から、彼にはどこか惹かれていた。


 一見頼りなさそうで、厭世的なヒトだったのに。

 私は、どうも彼が心から離れない。


あのとき戒厳令にも関わらず外出して、彼と出会った。私は、奇跡だと思った。


 自宅が、安らぎの場所だと人は言う。でも、私はそうじゃない。父親からの叱責。兄からの悪意のない善意の刃。


 そんな要因が、私を少しずつ断崖へと追いやっていた。自室に籠るのも、ただ苦しかった。


 学院長の孫。天才令嬢。皆は、私をそう呼ぶ。

 私は、フランカ家に生まれたただの女の子なのに。


 そこに現れたのが彼だった。なんでもないように、飄々と振る舞う。頼もしい背中を見せてくれたかと思いきや、すぐに顔を赤らめる純情さ。


 私は気づいている。彼が私のことを好きなのは。

 わかっている。面映ゆくて手を握れないのも。


 だから彼は、上着の袖が好きなんだ。

 手には届かないが、それでも触れられる()()()


 だからこそ、何かを諦めた顔をして、『ひとりで行く』といったとき。


 私の心から、どろどろと血があふれた。剣のような傲慢さが、貫くように。


 そんなこと言わないで。


 あの時、彼の腕を掴んで言った言葉は、ほぼ無意識に近かった。


 私も、彼も――。


 とても泣きそうな顔をしていた。今すぐに、彼の手を取ってあげたい。


 でも、彼はそれを嫌がる。理由はわからない。

 けれど、過去からの鎖に繋がれているというのは理解できた。


 彼も、私たちと同じだ。

 隣を歩く彼の顔を見下ろす。


 強いくせに、ちっちゃい。誰よりもかっこいいちびすけ。


 だから、もう一人だなんて言わせない。

 いつか、私の手を握ってくれるまで。一生、傍にいてくれるって。


 口には出さないけど、きっとそう思っているんでしょ。


 ――ねえ、私もあなたのことが好きだよ。ロニアくん。


 ─────────◇─────────


 清竜(チンロン)湖までは、闘技場から北東に30キロ。


 ジオ家の離れ付近にあった太湖である。

 エーテル加速トンネルから見下ろした際に見えたものとは違った。


 あれは、ここ煌王朝の心臓といっても差し支えない位置にある。


 継承戦は、一時中断となった。故は報じられていない。


 この王朝を牛耳る家系のひとりが、謀殺されただと知られたら、混乱が起きる。


 まさかとは思うが、それを異邦人たるロニアたちのせいだと誹る輩も出てくるだろう。


 いや、必ずいる。天界にいるとき、それが原因で殺されてしまった哀れな魂を見たことがある。


 今は、喫緊の課題を片付けよう。後のことは、ジオ家が解決してくれる。


「おぉ……かわいい孫や……」


 老婆が、控室前で涙を流している。


 かつて蛟花春(ジオ・ファー・チュン)の従者だった者たちが、彼女の遺体を運び出している。


 棺に詰められていた。竜を象った模様だった。


奶奶(ばあちゃん)。こんな時に言うのもなんだけど……久しぶり」


「……おぉ、おまえはリウ、リウなんだね! 大きくなったねぇ!」


 彼女は、ジオ家の現当主の母親であり、リウや星軒らの祖母。


 蛟雪慧(ジオ・シュ・フゥイ)だった。


 療養中のはずだったと、星軒が諫めた。

 しかし、彼女はそれでも、娘が非業の死を遂げてしまったことを悔やんでいた。


 ならば、寝てばかりではいられないだろうと。


「……姐姐(ねえさん)のことは、本当に残念だよ。昔、めちゃくちゃ馬鹿にされたから、見返してやりたかった」


 ただ拳を握りしめるリウ。唇を噛みしめ、今にも血が流れそうだ。


「そして、白髪のあなた。星軒から聞いてるよ。リウ坊やを、育て上げてくれたんだね」


 雪慧が、ロニアの手を弱弱しく握った。思わず、体がびくっと震えてしまった。


 手を握られることは、どうにも苦手だから。いや、慣れていないというだけか。


「育てたって、そんな大げさな。ボクは、焚火のつけ方を教えただけですよ。彼が、勝手に燃え上がっただけです」


「そう謙遜なさらないで。あなたは、とても強いと星軒が言っていましたよ。だから……」


 娘を止めて。月天を、これ以上血に染めないで。

 切実な瞳で、ロニアを見つめていた。


 ロニアは何も言わず、ただ頷いた。老婆には、なぜか弱かった。


 さて、嫉妬に溺れた海の怪物を、皆で懲らしめに行こう。


 ロニアは周りを見渡し、全員に目配せをした。

 言葉で理解せず。行動で皆は肯じた。


 移動には、やはりトンネルを使用した。

 かつて子供のようにはしゃいでいたマチィナも、興味深そうに周りを見ていたカレンも。


 その視線は、ただ一点。決戦の地、清竜湖へと向かっていた。


 深呼吸を繰り返している。カレンにとっては、二度目の相対だった。


「怖い?」


「……うん」


「それでいい。怖くないなんて、人間じゃない」


「じゃあ、ロニアくんは人間じゃないの?怖くなさそうだけど」


 首筋が冷える感覚を覚えた。天使であることが露呈したかと思い、動揺した。


 ロニアにとって、嫉妬のレヴィアタンとは、家に出没する害虫のようなものだ。


 いや、畑を荒らす害獣だろうか。害虫なら、暴食のベルゼバブになる。いずれ、やつとも戦うことになると考えると、頭が痛くなった。


 いったい、いつになればロニアは休めるのだろうか。


「ははっ。一番の実力者が、ここでビビッてどうすんのさ。士気にもつながるよ」


「然り。上に立つもの、常に模範とあるべし」


「ノブレスオブリージュというものですな」


 星軒の言葉に、セスが相槌を打った。

 上に立つものか。神が、同じことを言っていたような気がする。


 かつての熾天使ルシフェルは、そうできなかったから。だから叛逆を企て、敗れ、堕天した。なんだか、ルシフェルにも同情する。


 彼はきっと、自由が欲しかっただけだ。

 自分が、神の傀儡であることに気づき、ただ自由を得たかったから。


 これを天界で口走ったり、もはや思念することすらもタブーだが。


「……着いたぞ。構えよ」


 先頭の星軒が、ばっと手を広げた。

 彼の衣服が、まるで波打つように揺らめいた。


 足元が開き、落下する。しかし、その速度は緩やかだった。羽が落ちるような速さだ。


 清竜湖。その畔。

ひとりの女が、しゃがみこんでいた。


 水面に映る自身の姿を見ていて、しかし彼女はこちらに気づいているようだ。


 あえて振り向かないことをしているようにも見えた。


「長女だから。我慢しなさい。長女だから。分け与えなさい。長女だから――」


 呪詛のように、ぽつぽつとつぶやく彼女。


「ねえ、どうして早く生まれただけなのに、人は耐えなきゃいけないのかな」


 ロニアたちに。いや、水面に移る彼女自身に、質問を投げかけた。


「……模範を見せねばならん。それは、長男たる私も同じことだ」


「誰が決めたのかな。先に生まれたから、ほかの子よりも偉いなんて。弟妹のほうが、優秀な時だってあるのに」


 ロニアには、兄弟姉妹がいた記憶がない。だが、なんとなく彼女の言うことには共感できた。


 周りをちらりと見ると、十二神徒の兄を持つカレンや、リウはもちろん。マチィナまでもが、眉に皺を寄せていた。


 そうか、皆、同じような境遇だったのか。年長者は、手本を見せよ。年少者は、模範のようになれ。


 一般家庭ならまだしも、彼女らのような名家にとっては、息も詰まるような感覚なのだろう。


「あたしはね。子供が好きなの」


 立ち上がった。


「だからね、どうしようもなく、殺したくなるの。何も知らないくせに、あたしを見上げて」


 振り返った。


 哀しみ、笑み、怒り。すべてが混ざり合い、嫉妬で塗りつぶされたような表情をしていた。


 空気が、どすんと重くなる。肺に湿気が満ちた。


 来る。


 足元に、大きな黒魔方陣が広がった。

 海水が、徐々に満ちる。


「ねえ。ロニアちゃん。あなたも、あたしを見上げるの?」


「……正直キョーミないです。だから、その殺戮は止めますね。後処理が大変になるので」


「ふふっ。クソ生意気ね。決めた。あなたはあたしと二人きりで楽しみましょ?」


 ロニア。足元。2つの魔方陣。蛸の足が絡みついた。

 底へと引きずり込まれる。だが、ロニアは笑った。


「やっぱり、ボクを選ぶんですね。みんな、負けないでよ!」


 ああ、どうしようもなく可笑しい。

 だって、ここまで予想通りにいくなんて思わなかったから。


 まったく扱いやすくて困る。

 ロニアを孤立させるということが、どれだけ愚策だと気づかないやつらは。


 真っ暗な海。深海。息は出来た。動きも問題ない。


 眼前に、白銀の瞳を持つ、あの怪物が現れた。

 それだけではない、まるで、魚類のうろこを持ったような女。


 かつて月天だったものを伴っていた。


「おいおい、2人きりじゃなかったのかな?」


「ふふっ。この子はあたしよ。あたしはこの子なの」


「よくわかんないけどさ。まあいいよ、かかってきな」


 チョーカーに手を触れた。

 ここなら、バレる心配はないから。


「さあ、バケモノ同士、思いっきりやりあおう」


 ロニアの目が、真っ赤に光った。

 この深海を覆う真っ暗な膜を、一筋の光が貫いた。


 【──人の鎖、蝋の翼、木々の船よ。我が罪を刹那赦し、再び光を我に灯したまえ】。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ