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【第二十五話 継承戦:③】

 現場は凄惨としていた。控室は鮮血により真っ赤に染まり、まるで最初からその色であったかのようだった。


 カレンが、あまりのショックで口元を抑える。わずかにえづくのが聞こえた。彼女の背中をポンと叩く。大丈夫、自分がいる。言葉は発しなかった。


 この程度、堕天する前は毎日のように見ていたからだ。


 ジオ家三女。蛟花春(ジオ・ファー・チュン)。美麗の星と呼ばれていた。


 縛術(煌王朝における魔法)に特に優れているわけではなかった。彼女は、ただ美しかったのだ。花咲く春。まさに、その名が示す通り。


 美貌は、それだけで嫉妬を招く。そう、嫉妬だ。ロニアは、脳内ですべての情報が繋がっていた。


「……死因は」


 星軒(シン・シュアン)が、妹の骸に触れながら呟いた。その手は震えているようにも見えた。


「……直接的な原因は絞殺かと。隠蔽のために、美麗星さまを切り刻んだのでしょう……」


 従者が、目を閉じながら言った。冷静ではない。現実を見ないようにしているのだ。


 美麗の星に恋をするものは少なくない。彼も、きっとその1人なのだ。


 見るもの全員に、花を植え付ける花春。そんな彼女が、鮮血の彼岸を咲かせていた。


「カレン。ちょっと休んでいくかい?」


「ううん、大丈夫。ありがとうロニアくん」


 気丈に振舞おうとする彼女の手は、まだ震えていた。顔は笑っていたが、眉だけは恐怖の色を持っていた。


 死人が出た以上、ここは敵地だ。むやみに孤立させるわけにはいかない。


 ジオ家という実力者集団が毒牙にかけられたのだ。


 次の獲物は、きっと一人になった瞬間、自分になる。


 だが、ロニアならば、むしろ。

 そう考えていた。


「……逆か」


「何かわかったのか。ロニア殿」


「大まかに。ですが確証を得るには、証拠が足りませんね」


 犯人。嫉妬。これだけで、犯人が誰かはわかる。

 月天だ。クリスタリアの教師、クロウルを思い出す。


 かつて、ロニアを篭絡しようとし、レヴィアタンに吞み込まれた哀れな男。


 収監されたと聞いた。彼は、はっきり言って弱かった。だが、月天はどうだろう。


 間違いなく、強敵。大罪そのものなのか、それとも欠片を多く有するだけか。


 どちらにせよ、クロウルのようにはいかない。どうにかして、ロニアと彼女だけになるよう分断しなければ。


 この考えを伝えたとして、やはり証拠が足りない。


 『異邦人』である前に、ここの人間にはただの子供に映っている。世迷言としてあしらわれるだけだ。


「……リウ、悲しんでいないのです。なんでなのです?」


 マチィナが、リウの顔を覗き込んだ。燻ぶった炎のような瞳が、揺らめいている。


「悲しいさ。この人にも色々馬鹿にはされたけど、姉だったから」


 拳を握りしめている。唇を嚙み締めた。鮮血が、口元を流れ落ちた。


「……俺の姿を見せる前に、死んじまった。たまらなく悔しいんだ」


 悔恨が、強く根付いている。こればかりは、ロニアも何も言えない。


 死んだ人は蘇らない。たとえ、天使であっても。死ねばそれまでだ。魂は天界へと送られるが、人々が見ているのはきっと肉体だ。


 魂にはさほど意味がなく、肉の器にこそ価値があるのだろう。


 ふと、カレンのほうを見る。そうだ。彼女も、肉人形。カレン・フランカ・クリスティーナという肉体。


 魂は、それが織りなす記号。そうだと、昔は思っていただろう。


 だが、今はそれを否定したい。カレンという【存在】が、今ここにいる。どんな生命であれ、存在にこそ価値が宿るのだと気づいた。


 美麗星だってそうだ。美しい星という存在。だからこそ、人々は彼女を好いた。


「リウ。キミは、どうしたい」


「どうって……」


「ボクは、犯人に目星がついている。それは、星軒さんもそうでしょう?」


「……認めたくはないが」


 カレンも、もしやという表情を浮かべていた。

 彼女は、一度嫉妬に相対したことがある。


 海。深く深く、沈んでいくような濃蒼。

 まさに、この特徴は彼女に当てはまる。


「現場に残った魔力残量。これ、気づいた人います?」


「ここに。縛術にも、貴君らの魔法にも使われぬものだ」


 カレンに目配せをした。二度の深呼吸。背けられた目。ロニアは、カレンの背中に触れた。


 ここにいる。大丈夫。キミならできる。彼女は頷き、床を杖でとんと叩いた。


「……【青魔法:解析(アナライズ)】」


 すると、花春の体が黒く染まった。

 セスが、まさかと声を漏らす。


「せ、先生? あれ、なんなのです?」


「……禁忌。大罪の魔力だ。白魔法が最強なら、その反対を行く――」


 最凶の黒魔法。そう彼女が言った。


 クロウルの使った黒魔法。あれは、大罪の力に起因している。


 これも同じことだ。


「……カレン嬢。感謝する。そして、この龍力と混ざったもの。これは、嫌でもわかる。蛟の血を引き継ぐ、あの女――」


 月天のものだ。星軒はそう言った。


 三女が殺され、まともに継承戦を始められるはずがない。ましてや、犯人がジオ家の一員だとわかったら尚更だ。


「星軒さん。月天さんが行きそうなところってどこですかね」


「……すまないが、私はあいつと関りが少ない。何を好むのかは……」


 星軒が、眉間を指で摘まみながらため息を吐いた。

 足元で、犬型砕獣が尻尾を振っている。

 菓子が欲しいのだろうが、それどころではなかった。


 一刻も早く、あの嫉妬に塗れた女を始末しなければ。


 本音を言えば、正直面倒ではある。どうして異邦人であるロニアがやらねばいけないのかも思っていた。


 しかし、行動には理由があった。それは、リウだった。彼との訓練を重ねて、ロニアはリウという人間の責任感の強さを知った。


 友を巻き込み、あまつさえ姉が死んだ。なら、どうせなら。


 強くなった自分が、カタを付けたい。


 こんな考えをしているから、魔兵士になりたいと語ったのも無理はない。


 しかし、相手は大罪だ。それも、仮定だがあれはほぼ完全体に近い。


 蛟月天という極上の器に、最上の嫉妬心。どうにかして、ロニアと月天だけという状況を作らなければ。


 そうでないと、かなり骨が折れる。


「俺、わかるかも」


 全員が、リウを見た。俯いている。


 それはまるで、思い出したくない過去を、踏みしめているような表情だった。


「……わかるとは」


哥哥(兄さん)。覚えてるか? 俺が、昔死にかけたあの太湖」


清竜(チンロン)湖か……だが、それがどうしたのだ?」


「あの時、俺を殺しかけたのは」


 月天姐姐(ねえさん)だから。


 なるほど。粋なことをするものだ。

 あの時は殺しきれなかったが、今度こそお前をここで殺す。


 もはやレヴィアタンとなった彼女は、そう考えているようだ。


「そこにいるんだね。なら話は早い。とっとと済ませよう」


 ロニアは、足早に退室しようとした。

 だが、カレンにロニアの細い腕を掴まれた。


「待って! ……ひとりで行くの?」


「相手はレヴィアタンだ。それなら、キミも見たことがあるだろ?」


「でも、あの時は!」


 ウリエルの助けがあった。彼女はそう言った。


 そんなことは解っている。だが、ひとりなら周りを阿ることをしなくてもいい。力の限りぶっ放すだけで、相手は斃れる。


「……ロニア。教師命令だ。単独行動は許可しない」


「先生まで。みんなして、ボクを侮っているんですか?」


「違う。その逆だ」


 セスは、眼鏡を外して周りを見渡していた。


「これは、お前だけの問題ではない。リウはもちろん、巻き込まれたカレンやマチィナ。そして、この事態を予測できなかった、私たち大人の問題だ」


「だから……力を合わせろと?」


 余分なことだ。三人集まればなんとやら、と言うが、はっきり言えば足手まといだ。


 大罪、しかも完璧に近い。いちいち周りを気にしていたら、それこそ痛い目を見るのは自分たちだ。


 どうして、それをわからない。あの時だって、戦ったのは自分だ。カレンには花を持たせただけだ。


「よく聞け。お前は確かに強い。カレンたちが束になっても敵わないほどにな」


 彼女のぎろりとした眼光が、妙に優しかった。


「なら、そんなお前が封じられたらどうする。それに、これはリウの姉の問題だ。勝手に解決する権利は、お前にはない」


 一番長く関わっている人間。母親のような存在であるセスだからこそ、この言葉がグサリと刺さった。


「おねがい、ロニアくん。ひとりでなんて言わないで。私は、あなたが心配なの」


 トドメはカレンの言葉だった。ロニアの手を掴む彼女の手が、ふるふると震えている。


 泣かないでくれ。カレンの顔に涙は似合わない。彼女の泣く姿なんて、見たくない。


 思考回路が焼き切れる。合理性も、天使たる誇りと驕りも、彼女の涙の前では、あまりに無力だった。


 喉の奥で、感情がつっかえる。

 それを、無理やり飲み込んだ。


 そうだ。怠惰で、傲慢な自分だった。だが、気づけばカレンの為に。


 彼女がどう思うか。行動指標は、カレンにあった。


「……ごめん。ボク、先走りすぎた」


「謝るなよ、ロニア。元はと言えば、これは、俺たちジオ家が招いたことだ」


「頭を下げるでない。貴君はまだ若い。間違えてはいけぬなど、誰が決めたのだ」


 マチィナは、バツが悪そうにきょろきょろしている。彼女の頭をポンと撫でたセスの表情は、笑っていた。


「言えたじゃないか。さ、皆でひと仕事行こうか」

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