【第二十二話 継承戦:⓪】
キイィン……。
神経を波立たせる音。
水晶からだった。頭が痛む。
なんなんだ。苛立ちを覚えながら、ロニアは上体を起こした。
寝ぐせでぼさぼさの白髪を掻き、眠気に抗う双眸をどうにか開いた。
「……着信?」
最近あまり使わなくなった水晶。反射するのは自身の顔ではなかった。
『Seth. S. Adamantia』。流れるような筆記体だった。
そう書かれてある。それを撫でて応答する。
不機嫌気に、なかばイヤミを込めて言った。
「なんですか……もう……」
「ろ、ロニアくん、急いで! 時間まであと30分しかないよ!」
応対したのはセスではなくカレンだった。
ひどく焦っている。
彼女の背後にもセスの姿はなかった。
まさか。からかっているに違いない。
ロニアは、壁掛け時計を一瞥して……。
「……ふう、やっべぇなこれ」
エーテル加速トンネルをも凌駕する速度で、身支度をした。
怠惰由来の惰眠。
なるほど。これが大罪たる所以か。
『違います勘弁してください』とかぶりを振るベルフェゴールの姿が見えてきそうだった。
蓬髪。まさにそう呼ぶに等しい有様だった。
いつもは面倒ながら、水で整えていた。
今はそんな暇はない。
やはり、怠惰というのは碌でもない。
けれど、断ち切れるはずもない。
罪悪感がないといえばウソになる。
真っ直ぐ生きる。そうしたいが、自分は対極の存在だった。
「ロニアくん! こっちこっち!」
集合場所は頭に入っている。水晶を通じて、全員に共有されていたからだ。
一度見たものは、よっぽどのことがない限り忘れることはない。
道に迷うことなく、ロニアは一直線へと進んでいった。
王朝の中心。
太湖付近の泰劉広場には、ジオ家の象徴たる蛟の像がある。
水を吐くそれは、目印として特に優れている。
地図によれば、ほかにこう言ったものはないそうだ。
すれ違う住人のひとりひとりに、足音がない。
青の道のと同じ理由だろうか。
駆け足のロニアが、妙に喧しかった。
噴水の周囲に、見知った顔たちを見つけた。
不安げな顔(特にリウ)を浮かべた一行。セスはいない。
ロニアの姿を目にすると、それが幾分か晴れたような気がした。
「……マジで寿命縮んだ……。あ~、勘弁してくれよ」
「ごめんごめん。一応間に合いはしたからさ、許してよ」
もう。カレンが、まるで息子を咎めるようにため息をついた。
間に合ったのならいいか。
そう胸をなでおろす彼女。
マチィナは、小声で何かをぶつぶつと呟いていた。
「私はマチィナなのです私はマチィナなのです私は――」
天界にもあった、壊れた機械のようだった。
同じ言葉を繰り返すだけで、魂のない器のようだ。
瞳は、どこにも焦点が合っていない。
肩を揺さぶる。ガクンと彼女の首が揺れた。
マチィナの信号は復活し、ピースサインを掲げた。
「……はっ! なのです。マチィナ、復活なのです!」
「それはよかった」
――なんだったのだろうか、今のは。
しかし、寝起きのせいか指先がひどく凍える。
何度も握りこぶしを作ってみるが、やはりじんじん冷える。
カレンは、いつもの上着を着ていた。もこもこしている。
あの時のように、袖を借りよう。手を握るのは、なんだか照れくさい。
たわんだ袖をつまむ。ああ。やっぱりあったかい。
「……ロニアくん?」
「さむい」
「ふふっ。しょうがないなあ」
あの時のことを覚えていてくれた。
なら話が早い。
こうしていると、心も温まる。
もう少し、接近したかった。
だが、そううまくはいかないようだ。
月天。あいつがいた。
彼女の容貌は、まさに瑞々しい。
美人の中でも上澄みと言っていいだろう。
だが、それがむしろ恐ろしかった。
花を装って虫を食らう植物のように。
餌を装って獲物を食らう大魚のように。
捕食者としての気概を隠せていなかった。これに気付いているのは、きっとロニアだけだ。
「あっ~!? 寝坊助ロニアちゃ~ん!」
見つかった。いや、捕捉されたと言うべきか。
とにかく、彼女の冷たい青眼はロニアだけを見ていた。
実の弟、リウには目もくれず。
「ねえ、リウ。あの人、お姉さんなんでしょ? なんでそんなに怖がってるの?」
カレンが、リウに耳打ちした。マチィナはこっそりと欹てている。
「……俺、あの人に昔殺されかけたから。溺れそうになった」
「お、溺れる?」
カレンが頭にハテナを浮かべた。
月天が接近する。両手を広げて、ロニアを包み込むつもりだ。
二度、同じようにはいかない。ロニアは、彼女のたわわな双丘が顔面に触れる直前。
脱兎のごとく足元に潜り込み、背後に回った。
「随分と……大胆な挨拶ですね。月天さん?」
「んもう、つれないなあ。今からあたしが、会場に案内してあげようと思ったのに」
月天は、口を窄ませ、その図体に似つかわしくない少女の顔を見せた。
そのアンバランスさが妙に気持ちが悪かった。
年増が幼女を演じるそれとは違う。生理的な嫌悪だった。
「……ま、寝坊して遅刻ギリギリになったのはボクが原因ですが」
それはそうとして。さっさと行こうとロニアは彼女の後ろに着いた。
仲間たちの顔を見て、頷く。カレンたちも、ロニアに続いた。
「ねえ、弟弟?」
振り返りもせず、歩いたまま月天は弟を呼んだ。
後方で、声が漏れるのが聞こえた。
「は……はい!」
「こんなに熟れた子たち、どうやってあなたが見つけたの?」
「そ……それは」
熟れた?ロニアはともかく、カレンたちはまだ若い。
青二才もいいところだ。何を言っているんだこの女は。
「家族から疎まれ、才能のなかったあなたが。責めてる訳じゃないの。純粋に気になっただけ」
「……マチィナ。ああ、この桃髪の子と出会ってから、俺はたくさん知りました。彼女が始まりなんです」
カレンではなかったのか。彼女は、人を惹きつける魅力があるから、そうだと思っていた。
「マチィナと出会って、そこの眼鏡のカレンと出会って、最後はロニアでした。みんなには、色んなことを教えてもらいました」
歯切れ悪く、リウは訥々と語った。
なぜか過去形なのが引っかかる。
彼の視線が、最後尾を歩いているマチィナの瞳へと注がれた。
幾重にも重なる、翡翠の薄氷を、深い井戸に沈めたようなその瞳。
瞳孔の奥が、きゅるんと動いた。
月天は振り返らない。
足を緩めることもせず、むしろ加速していた。
大人の歩幅に合わせるのは大変だ。
何を焦っているのかわからないが、どいつも早足だった。
追いつこうとすると、緩やかだった景色が急激に流れた。
息が上がる。案内ではない。これはまるで拉致だ。
「そう。そうなのね。仲間に恵まれたの」
ずしん。初めて彼女と出会った時のような、深海圧。
肺が、海水で満たされる感覚。冷たい、光の差さない真っ青な影。
もしや、この感情は。いや、この罪は。
「羨ましいね、弟弟。じゃあ、継承戦はあたしもうんと頑張らないと」
停止。
初めて彼女が振り返った。彫刻のように、固い表情。
その表情で、リウを見た。全員が、わずかに構えた。
ここで殺される。なら、やられる前にやる。
「……月天さん。魔力が漏れています。悪戯のつもりならおやめください」
頭上。声。屋根の上。
セスだった。星軒を伴っており、彼は隣で腕を組んでいた。
彼女らは飛び上がり、音もなく着地する。
気づけば、会場にたどり着いていた。
星軒が、リウへと近づき、肩に手をポンと乗せた。
「これぐらいでたじろぐな。蛟は、いずれ竜になる」
「ずっと黙ってたけどさ。無理だってなったらボクを頼りな。命ぐらいは助けるよ」
勝たせてやるつもりはない。
ただ、生き延びる術だけを教えたまで。
急ごしらえだったので、どんな結末もあり得る。
有事のために、自分がいるのだ。何かがあれば遅い。
間に合わないと、目覚めが悪いし、何よりも。
カレンが悲しむ。
それだけは、なんとしても避けなければ。
「ふふ、ごめんねぇ。ちょっと試してみたくなったの」
嘘をついたな。その本性までは隠せないぞ。
ロニアたちは、仰々しい闘技場へと足を踏み入れた。
銅鑼の音が響く。すでに、何人もの候補者が集まっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
次回、ついにリウが成長を見せる時です!




