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【第十七話 優先すべきは】

 リウの動きは、段々と良くなってきた。まず、反応速度。これは申し分ない。


 ジオ家は、こういうのに優れた遺伝子だったのだろうか。


 唯一の課題点は、使える魔法の少なさだった。

 杖を媒介とせず、拳と剣を以て戦う。


 杖とは義足や眼鏡のようなものだ。

 本来、魔術とは扱いきるのが難しい。いわば補助具なのだ。


 リウは、お世辞にも優れた魔法使いとは言えない。平均か、それ以下だった。

 肉体を強化するだけでは、すぐに対応されてしまう。


 攪乱の為の魔法も必要だった。


「リウ。キミの得意魔法は?」


「あぁ~えっと、フレイムかな」


「なら、炎熱系か……。わかった。それを杖なしで使えるようになって」


「杖なしで!?」


 出来なきゃ死ぬよ。あえて、厳しく釘を刺した。


「でも、杖がないと種火にもなりやしないし……」


「体の中で魔力を循環させるのさ。世界からどうして水が無くならないか、考えたことない?」


「え、いや……?」


「雨が降って、蒸発して、雲になって、また雨になる。それと同じだよ。炎と言えど、結局は魔力ってこと。ほら、試してみな」


 ロニアの言葉を脳内でイメージしながら、リウは拳を握った。


 ゆらゆらと、彼の拳の周囲に陽炎が生まれる。

 雨。魔力の始動。蒸発。魔力の放出。そして――。


「えぇと、雨、蒸発、煙……。煙ィ!?」


 あっつ!とリウが叫んだ。手が燃えている。

 慌てふためき、噴水に手を突っ込んでいた。


「煙じゃないって。イメージするのは水だってば、水。」


「火だぞこちとら……。難しいんだよ……」


「ほら、いいからやる」


 今日は休日だったから、長く訓練ができる。


 特訓は嫌いだが、こうして教える立場にいると案外楽だという事がわかった。

 ただ見るだけ。汗をかく必要はない。だからこそ、ロニアが続けられるのだ。


 悪戦苦闘すること数十分後。


「あ、やってるね」


「お疲れ様なのですふたりとも! 差し入れ持ってきたですよ~!」


 カレンとマチィナだ。飲み物と、パイだった。

 リンゴの甘い香りが鼻をくすぐった。

 ぐうぅ。男性陣の腹から、唸り声が聞こえた。


 緊張の糸が切れたのか、ロニアとリウは笑った。

 昼食にしよう。手を叩いて、熱気のこもった訓練を一度切り上げた。


 中庭の日陰。

 カレンがシートを敷いて、その上でマチィナが籠を 「じゃじゃーん」と口にしながら開いた。


 陽光に照らされて、きらきらと輝くアップルパイ。

 小さなケーキは女子用だろう。


 さくっ。パイ生地のバターの風味が、リンゴの甘酸っぱさを引き立てた。

 マチィナが淹れた紅茶にこれまたよく合う。


 どうやら秘訣があるようで、自室で淹れているものより格段に風味があった。

 料理や食べ物に執着のないロニアも、これをもっと食べたいと思うほどだった。


「美味しいね、これ。どこで買ったの?」


「ダンジョンの帰りに、街のパイ屋さんで。最近二人とも頑張ってるから、何かしてあげなきゃって」


「疲れた体には、美味しいおやつなのです!」


 確かに、指導しているだけのロニアですら元気がみるみる湧いてくる。

 汗を流し、疲労困憊のリウにはよく効くだろう。


「……確かに、んめえな。今度、俺のとこの甘味も作ってやるよ」


「リウの?」


「ああ。ロニアにはまだ食わせたことなかったな。黒ゴマ団子のミルク漬け。継承戦が終わったら、絶対に」


「……楽しみにしてる。じゃあ、尚更勝たないといけないね」


 ロニアが、紅茶を飲みながら表情を変えずに言った。


 二人の距離が縮まった。前まではぎこちなかった。不可視の壁に阻まれているようで、話が続かない。しかし、訓練という要因を介してみれば、相性は悪くないようにも見えた。


「やっぱり、ロニアには敵わないのです。なんでも知ってるです」


「いや、むしろボクは教えられてばっかりだよ」


 小さな口でパイを齧りながら、カレンをちらりと見た。


 カレン。特にキミには――そう思って見つめると、不思議そうに首を傾げる彼女。


 しこりのような感情。とても切ない。悲しみに近い感情。

 けれど、その中に喜びがある。悲しい喜びと形容すべきか。


 とにかく、初めてを教えてくれたのが彼女だ。


「あっ、そういえば」


 マチィナが、ケーキの欠片を飲み込みながらロニアとカレンを見た。


「二人は付き合ってるです?」


 ぱしっ。持っていたパイを落としそうになったが、なんとかキャッチした。

 それはカレンも同じで、顔を赤らめてわなわなと震えている。


「えっ、えっと、わた、私と……ロニ……ロニアくんが……?」


「付き、合って、る……? 付き合ってるって……何だっけ、えぇっと……?」


 頭の中で、【付き合う】という言葉の意味を探してみる。

 付き合う。合意し、共に行動すること。


「この後予定ある?」と訊かれ、「ああいいぜ。付き合うよ」と肯じる。


 そういう意味か?


 ――いや、これは文脈からして違う。

 この状況にそぐわない。



 マチィナの言っているのはつまり、【交際】とかいうやつだ。


 であれば、まさか。


 男女が、互いを愛し合い、やがては添い遂げ……。


 そんな姿の自分とカレンを想像してしまった。


 純白のドレスに身を包んだカレン。

 真っ赤なバラのブーケを、抱えたカレン。


 今までにないほど、ロニアの顔が紅潮する。

 白皙の肌が災いし、それが余計に目立っていた。


 にししと、マチィナが悪戯気に笑う。

 ロニアよりもわずかに背が高いが、内面もまだ幼さが残っている。


「い、いやいや……付き合ってるなんて……。ねぇ、カレン……」


「う、うん! そう、だよね! 私たちは、まだ友達って……いうか……」


 ロニアの方を見て、すぐに視線をそらしてしまったカレン。


 そうだよ。自分たちはまだ友達だ。だから、付き合うなんてまだ早い。

 まだ早いとはなんだ。付き合うことが確定しているみたいじゃないか。


 そうだ、自分は堕天使。少なくとも1000年以上は生きてきたはずなんだ。


 こんなことでいちいち……。いや、知らないことか。これが。

 自分は知らないことは苦手だ。嫌悪じゃない。ただ苦手なだけ。


 苦手とは得意でないということ。いずれ得手になるかもしれない。


 そんなことを考えて、自分をごまかす。


「あ~、まあなんだ。イチャイチャするのも、ほどほどにな」


 パイの最後の欠片をかじりながら、リウが苦笑した。

 無性にムカッとして、ついムキになってしまった。


「訓練のメニュー、5倍厳しくするから。覚悟してよね」


「えぇ!? なんで!? 言い出したのはマチィナじゃねぇか!?」


「頑張ってくださいですぅ~」


 マチィナがクスクスと笑った。この野郎とリウが呟く。

 悪いね。そう思った。居ても立っても居られなくて、その場を去ろうとする。


「あ、どこ行くです?」


「トイレだよ。うん、トイレ」


 本当の行き先は違う。けれど、今はちょっと歩きたかった。


 付き合っているという、ひどく人間らしい言葉に、動揺しているようだ。


 リウには故郷の味がある。マチィナは無邪気な好奇心がある。

 カレンには重圧に潰されようとも陰ながら支えている家族がいる。


 自分には。仮初のロニア・ロンドには、何がある?

 答えろロニア・ロンド。この動揺は、お前の演技(フェイク)なのか?


 すぐ戻ると言い残して、中庭を抜ける。

 休日なのに、生徒がいた。


 学院は暇つぶしもちょうどいい。大図書館もあるし、食堂も。

 学生であることを証明できるなら無料なため、苦学生にも優しい。


 そんなことはいい。彼ら全員に、居場所がある。


 でも、ここじゃない。行先は――。


 がちゃり。あの扉を開ける。ロニアが変わり始めるきっかけとなった、少しさびれた扉。


「む? どうしたんだロニア。リウの稽古じゃないのか?」


 クラブ室だった。髪の短くなったセスが、ダンジョンの地図を吟味していた。


「ちょっとここで休んでいきたいなって。涼しくなったとはいえ、まだ暑いんですよね。外は」


 気温のせいじゃない。もう秋も暮れる。


「そうか。まあ、すぐに戻ってやれよ」


 ロニアの定位置。隅っこの椅子に腰かけた。

 そして、考える。自分とは。カレンとは。人間とは。


「先生。人間って、なんですか?」


「どうした。哲学は私の専門じゃないが」


「……いえ、ふとこう思って」


「そういう時期……か」


 17歳の少年はこうなのか。それは知らなかった。


「人間とネフィリムって、何が違うんでしょう」


「さあな。敵と味方の区別も付けられない、愚かな生き物たちなんじゃないか。私たち人間もそうだ」


「そう、なんですか……」


 ネフィリム。水面下でその食指を動かす化け物たち。


 けれど、奴らから見れば人間こそ化け物。ネフィリムという敵。人間という敵。

 カレンは、本物か。マチィナは、リウは、本物か。


 そして、自分は、本物か。


「だが、間違ってもいいことだってある。最初から、完璧な人間はいないからな」


 ロニア・ロンドという存在は、天使ロニアを隠すための器に過ぎないのか。

 可塑性の高い器。信念が魂を形作る。それは人間に当てはまる。


 不完全さこそ、人間だとしたら。

 ならば自分は完璧だ。同時に、この迷いこそ不完全だ。


 人間ではないなら、天使らしく何かをしよう。導いてやろう。

 天使ではないのなら、人間らしくどこまでも迷ってやろう。


 自分は、ロニア・ロンドだから。


 纏わりつく鎖を、手で払いのけた。

 最後まで、ロニア・ロンドを通してやろう。

 天使ロニアは、その後だ。


「どうした。いつものらりくらりなお前が、そんなセンチになって」


「感情の揺れ動きはあるんですよ。ボクにでも」


「そうだな。お前の人間らしいところを見ると、なんだか安心するよ」


「え、どうして……」


「お前もまだ子供で、迷いがあって。完璧超人がいるなら、私は必要ないんじゃないかってな」


「ははっ。ボクは完璧じゃないですよ」


 気分が晴れた。さて、【トイレ休憩】もこれぐらいにして、戻るとしよう。

 ロニアは立ち上がって、部屋を後にした。

 セスの口元には、微笑みがあった。


「全く。授業でもこれぐらい聞いてくれればいいのだが」


 戻ったころにはすっかりと片付けられ、カレンとマチィナがベンチで帰りを待っていた。


 リウは、腹ごなしにストレッチをしている。


「ごめん、長引いた!汗かいちゃったせいでお腹冷えてさ! 」


「大丈夫? 」


 心配そうにこちらを見るカレン。照れくさいので、顔を見ないように答えた。

 もう大丈夫と笑って見せてから、リウに問いかけた。


「さて、午後の訓練は厳しくなる。ついてこれる? 」


 ああ。リウがそう頷いた。頑張れですと鼓舞するマチィナの隣で、カレンはロニアに笑顔を見せた。


 優先すべきは、今のこの時間だ。

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