【第十六話 お疲れ様です】
手のひらほどの小石を、緑色の魔方陣が包み、ロニアがそれを拾い上げた。
「よく見てな。魔法で包むってのは、こうやるの……さ!」
投石。狙いは噴水。本来ならそれは弾かれて、ぽちゃんと堕ちるはずだった。
ずじゃん! 目の前の現実は、凝り固まった固定観念をいとも容易く打ち砕いた。
「う……っそだろ?」
リウが、腰を抜かさんばかりに驚いている。
涼しい顔をしているロニアだが、内心は冷汗をかいていた。
噴水の天使像を撃ち抜いてしまったが、あの様相は……マズイ、ラファエルだ。
ウリエルの時のように人間界に来られでもしたら、絶対に責められる。後で直さないと。
「見たかい。緑魔法で事足りる。硬質化と加速を付与しただけで、誰にも見向きされないような小石は、兵器になる」
リウが、足元の小石を拾って眺めている隙に、白魔法:回帰で修復した。
何度も緑魔法を試しているようだが、すぐに付与効果が解けてしまっていた。
「中々……難しいな」
「緻密なコントロールが必要だからね。緑魔法は出力の容易さに重点を置いたカテゴリだから。それと──」
ロニアは不意に、リウに殴りかかった。振り返って、どわぁっと声を上げて防御するリウ。
拳が衝突する寸前。ロニアはぴたっとその手を止めた。
「キミはこいつを武器にしなよ」
「か、格闘をか?」
「剣も悪くはないし、ボクもどうせなら剣を使いたいけど」
使ってるけど、と言いかけた。
「奪われた時がメンドイじゃん。だから、最初から余計な心配しなくていいコレってこと。キミのイメージにもピッタリじゃないかな?」
知らないけど。と、無責任だが笑った。剣ダコのついた両手を眺めるリウ。
無意識に、眉間に皺をよせていたようで、かぶりを振った。
「俺の肉体が剣ってのは、そういうコトなんだな」
「概ねそういうこと。魔法で戦うんじゃなくて、魔法と戦いな」
すっかり修復された噴水。流水で軽く汚れた手を洗いながら、ロニアは言った。
ハンカチで手を拭いていると、鐘が始業を知らせた。
やっば。そう言って二人は走った。廊下を走るなんて、悪ガキだなと顔を見合わせて笑った。
ありがとな。リウがそう呟いていた。
授業は相変わらず退屈だが、最近は楽しみができた。
一生懸命に話を聞いて板書をする、カレンの横顔を眺めているのだ。
流石優等生だ。でも、キミの悩みは自分だけが知っている。
この感覚は優越感と呼ぶものだろうか。誰と競っているんだ。
頬杖を突きながら、不真面目に過ごすロニア。
優等生で、分け隔てなく優しいカレン。
やはり、一見正反対だ。まずウマが合わないだろう。
でも、どうしてか。自分はこうも、彼女が気になる。
寝る前、カレンを想う。朝、校門で。もしくは、教室。この際どこでもいい。
カレンを見つけるたびに、心が躍る。彼女の声を聞いていると、冷たい氷がゆっくりと溶ける。
視線に気づいたのか、カレンはこちらに気づいて軽く手を振った。
面映ゆくて、つい顔を逸らしてしまう。ちらっと視線だけ戻すと、口元を袖で隠しながら微笑していた。
ああ、いいなあ。あの時助けてよかった。あの時、気まぐれだったけれど、一歩踏み出してよかった。
もしも、無視したり、放っておいたりしたら。じわっと目頭が熱くなった。
自分はヒーローなんかじゃない。白馬の王子様なんかじゃない。
堕天使だ。悪のうちに入るだろう。
それでも――。正体のわからないこの感情を、大事にしていたい。
怠惰とか、傲慢。ときどき、憤怒の片鱗を感じたりもする。
求めすぎたりするときもある。強欲か。なら。
「ふふっ」
我ながら、ずいぶんと女々しい笑いが出た。
腕枕をしながら、カレンを再び眺める。
もっと見ていたいなと思っ――。
「ロニア……。ちょっとぐらい聞いてくれてもいいんじゃないか?」
セスが、呆れたようにロニアの怠惰を咎めた。
「……ごめんなさ~い」
まあ、先生の頼みなら。
─────────◇─────────
天界にも夜は来る。人間界と同じように、昼勤と夜勤がある。
熾天使たちは、いつになく上機嫌だった。
彼女たちの自宅ともいえるコテージで、相変わらず喧しいのはガブリエルだった。
「ねえねえウリたん! ロニアっちの話もっと聞かせてよ!」
ガブリエルが、ウリエルの肩を掴んでいた。
力なくそれに委ね、金髪をぶんぶんと揺らされるウリエルは、まるで嵐が過ぎ去るまで耐えているようだった。
あ~あ~と声を上げ、まるで壊れた機械のようだ。
揺られながら、ウリエルは右手でカードを窪みに嵌め、それを縦方向に滑らせた。
【認証。熾天使:ウリエル様。本日の業務は以上となります。お疲れさまでした】。
無機質な、といっても、この声はラファエルのものだ。
青い声。というのは変な響きだが、ラファエルを見れば、確かに青いなと思える。
「やっぱり不思議な感覚ですね。自分の声が聞こえてくるというのは」
声の主が、無表情ながらに困惑したような声色で、その声を聞いていた。
録音という技術は、天界でも最近完成されたものだ。
熾天使が未来へと視察している際に、土産感覚で拾ってくる技術。
このカードと録音も、それの成果だった。
「もういいかな、ガブ」
「やだ! ロニアっちの話してくれるまでやめない!」
「う~ん。この猛獣」
ウリエルには苦労人という言葉がふさわしい。
マモンや、ロニア達の出会ったレヴィアタンなど、片鱗と言えど大罪の出現が顕著で、駆り出されるのは主に彼女だ。
それだけではなく、帰投しても猛獣のような同僚に詰められるのだ。
感情は遥か昔に捨てたはずなのに、鬱陶しいという言葉が心に浮かんだ。
「話すから。まずは休ませて。ウリエルでも疲れるんだよ実は。知らなかった?」
「え~! ? たかが大罪でしょ~! ? 片鱗なんて弱っちいじゃ~ん」
「わかった。あえてロニア風に答えるから。『いや、ガブのせいで疲れてんだけど……』」
「違うし! ロニアっちはそんな卑屈な話し方じゃない!」
「二人とも違いますよ。ロニアはただ『へい』と受け流します。直属の上司でしたから。ワタシ」
こうだ。いや、こうじゃない。熾天使の間で行われるロニア談義は、神の入室により遮られた。
「おっと、邪魔だったかの?」
「いえ、邪魔だなんてとんでもない。むしろ、感謝を申し上げたいぐらいです」
「感謝?」
ウリエルは、横目にガブリエルを見て、顎をくいっと傾けた。
なるほどと神は笑った。ガブリエルは納得がいかない様子。
「む~! ウリたんが教えてくれないんだもん。ロニアっちのこと。アタシも会いたかった!」
「はは、人気者だの。ロニアは」
言って、神は薄い、けれど光る板を眺めていた。
「なんですか、それ」
ウリエルが興味深そうに、それを覗き見た。
「ミカエルが持ち帰った技術だ。中々に便利だぞ。少し、我には難しいが」
そこには珍しく、ネヴィルに勉強を教えているロニアの姿があった。
真剣な、指導者の顔。疑問は真摯に受け止め、適した活路を導く。
導き。まさに、天使の本懐。誰も迷わぬように。
神だけならず、ウリエル達も、思わず微笑んだ。
「あら、ロニアったら。いつの間にやる気を出すようになったの」
「あ! アタシお父様に見せてもらったよ! カレンって女の子に絆されたんだって!」
「あの子は、いい子だったなぁ。ロニアも、きっと成長する」
「もう、だからそういうことを訊きたいのに!」
子供のようにぷんすかと頬を膨らませるガブリエル。
いつか話すよとウリエル。
賑やかで、穏やかな時間。だが、ひとりいない。
この喧騒でも、機械的に静かで。でも決して性格が悪いわけではない。
神に似たるのなら、間違いを犯す感情など捨ててしまえ。そんな考えの、現最強熾天使。
「して、ミカエルはまだ帰っておらんのかの?」
「……ええ。勤務時間がもう12.5奏環(30時間)を過ぎようとしてます。感情こそなけれど、無理が祟れば……」
「無用。今帰った。ただいま」
「あ、ミカたんお疲れ様~!」
ミカエルはカードをウリエルと同じように、機械に滑らせた。
ラファエルの声が響く。
【認証。熾天使:ミカエル様。本日の業務は以上となります。お疲れさまでした】。
「報告。カマエルの悪戯で盗まれた試練の鍵。明日にはまた完成するみたい。それに準じて、ワタシの武装のアップデートをした。それでは失礼」
「どんなのにしたの?」
ミカエルはただ黙って、しかし溜息をつきながら、首元の宝石を撫でた。
きらっと赤い光が、武器を形成した。見たこともない形状。
神が気に入っている機械のような、武骨さがあった。
ラファエルの赤い紋様が刻まれている。
「銃。そう呼ばれている。弓よりも、ずっと強い。もっと細かく呼称するなら、アサルトライフル」
その声色は、どこか上ずっていた。ふんすと鼻息を荒くしているよう。
無表情のまま、しかし翼に隠された瞳孔は大きく開いている。
まるで、新しいおもちゃを手に入れた子供だった。
「いちいち聖弾を補充する必要はない。使用聖弾7.62x39mm、これは30発まで装填可能。悪魔の殲滅確率は、なんと約9,000%上昇……。うん。今日は寝られるかわからない」
「お、おお……よくわかんないけど、すごそう!」
変に凍り付いた雰囲気を、どうにかガブリエルが溶かした。




